第二十三話 交換条件! 褒美は手柄を立ててからだ!
「伯爵領はヒサコ、お前に一任する」
ヒーサの口から突然飛び出した爆弾発言に、場が騒然となった。なにしろ、今この場はヒサコの処分について論じられるべきであるはずなのに、そのヒサコに領地を任せるとはどういうことか。
当然ながら、カウラ伯爵ティースを始め、その従者たるナルやマークもいきり立った。
だが、何かを言葉として口から吐き出す前に、ヒーサが手で制して話を続けた。
「だがな、ヒサコ、これには条件がある」
「それはそうでしょうね。あたしもタダで領地を貰おうだなんて、業突く張りなことはしませんから。控えめな淑女でありますし、お望みのお仕事、お引き受けしましょう」
どこが控えめだ、とその場の何人もがツッコミを入れたい衝動を喉でどうにか止め、ヒーサの次なる言葉を待った。
「手に入れたい薬の種がある。それを手に入れて持ち帰ることだ」
「たったその程度で伯爵領を持っていくの!?」
ティースとしては泣きたい気分であった。ヒサコを処分するはずが、逆に領地を奪われてしまいそうだからだ。
信じていた夫の裏切りに、怒るよりも絶望が心に影を落としていた。
「種ということは、例のアレ、ですか」
「そうだ。ヒサコ、お前には以前話したな。見事、エルフの里まで赴き、種を持って帰還せよ」
ここで再び場の雰囲気がひっくり返った。
エルフの里はカンバー王国内には存在しない。国境を越えたネヴァ評議国に赴かねばならない。行って帰ってくるだけで、一年は見ておかなくてはならなかった。
当然、道中も危険であるし、女の身で旅をするなど危険極まりない。つまり、これは実質、“追放処分”と言うことを意味していた。
(まあ、ヒサコなら口八丁で、どうにかしそうではあるけど)
無事に戻ってこれる可能性は低いが、それでも戻ってきたら領地を召し上げられるかもしれない。ティースの思いは複雑であった。
「欲するならば、“一所懸命”よ。手柄を立て、それから強請ると良い。身内であるからと行ってホイホイくれてやるほど、優しくはないぞ」
きっぱりと言い切る兄に対して、無言で見据える妹。沈黙が続き、重々しい空気が部屋中に広がった。
どう答えるのか、ヒサコの反応に皆が注目した。
そして、ヒサコは首を縦に振った。
「いいでしょう。確かに、妹が兄に強請る伯爵領、いささか高価過ぎますものね。それ相応の働きを見せねば、誰も納得しないというのは道理です」
「納得してくれたのならよい。近日中に出立せよ。道中の世話役として、テアも付けよう」
またしてもヒーサの口からとんでもないことが飛び出した。専属侍女であるテアを、ヒサコに同行させると言ったのだ。
落ち度のない優秀な側近を危険な旅路に同行させるということは、成功を疑っていないという事であり、絶対に戻ってこれると判断したということだ。
(先程言っていた、テアがいなくなるって言葉の意味は、こういうことか。つまり、最初から全部、こうするつもりだったと)
とはいえ、妹に加えて優秀な側近まで放出してまで手に入れたい“種”とは一体何であるのか、そこはさすがに興味の惹く内容であった。
「妹君の世話役はお引き受けいたしますが、その間の屋敷内でのお仕事はいかがいたしましょうか?」
テアの質問はもっともであった。
現在、ヒーサの専属侍女は一名、テアのみである。しかも、テアは実質的に行政秘書官も兼ねており、それが抜けると大きな穴になってしまうのだ。
「秘書官の業務はティースに引き継がせる。他の仕事は・・・、まあ、誰か適当に任命するよ」
「承りました。奥方様、出立する数日中に業務の引継ぎを行いますので、よろしくお願いいたします」
テアがティースに恭しく頭を下げ、ティースも承知したと頷いて応じた。
「よし、では、ヒサコ、それにテアよ、出立の準備を進めよ」
ヒーサの指示に二人は黙して頭を下げ、そして、部屋を出ていった。
そして、扉が閉まると同時に、その場に残った三人組がヒーサに詰め寄って来た。
「さて、ご説明願いましょうか」
三者三様の複雑な表情をしていた。ヒサコがいなくなってくれたのはよしとしても、領地召し上げ云々の件があるため、素直に喜べないという雰囲気を出していた。
「まあ、もっともな反応だ。だがな、これだけははっきり言っておく。私はティースから強引に領地を取り上げるつもりはないからな」
ヒーサは三人を宥めすかし、話を続けた。
「これはな、言ってみれば“時間稼ぎ”なのだよ」
「時間稼ぎ……、ですか?」
「ああ。先程も言ったが、目的地は国境の向こう側。行って帰ってくるだけでも、一年くらいは見ておかなくてはならない。で、その間に、ヒサコの縁談をまとめておく」
ヒーサの考えを聞き、三人は目を丸くして驚いた。ヒサコには秘していたが、初めからカウラ伯爵領を渡すつもりなどなかったということなのだ。
「そういえば、縁談の話が何件もありましたわね」
「ああ、我が公爵家と縁続きになりたい貴族は、いくらでもいるからな。庶子とはいえ、三大諸侯の一角を占めるシガラ公爵現当主の妹だ。手を挙げる立候補者はかなりいる」
「内情を知ったら、発狂しそうですけど」
ティースとしては、あのヒサコと夫婦となるどこぞの貴族に同情的になった。いくら美人で実家が裕福とはいえ、あの捻じれきった性格の令嬢と夫婦として過ごしていくのである。
完全に尻に敷かれ、いいように振り回される未来図が、見えてこようというものであった。
「しかしそれでは、領地を与えるという約束の反故になりませんか?」
「おいおい、私がいつ“カウラ伯爵領”をヒサコにくれてやるなんて言った? 伯爵領を任せるとは言ったが、“どこの”伯爵領かは示していないぞ」
「……まさか!」
「ああ、切っ掛けさえ与えておけば、領地の一つや二つ、勝手にもぎ取るだろうよ」
領地が欲しいなら、嫁ぎ先を乗っ取ってしまえ。無慈悲と無責任の融合物がヒーサの口から飛び出し、三人を唖然とさせた。
始めから報酬は“他人の財布”から出させるつもりであったのか、と
ヒサコの欲望の矛先が別の方向を向いてくれるのはよいのだが、その犠牲となる貴族に同情的になってきた。
「ヒーサ、あなたって、やっぱり悪党ですね」
「これが最善手と思えばこそだよ。それとも、ヒサコとこのまま過ごす気か? あるいは、領地差し出して、そっちにお引越し願うか? それならそれで、別に構わんが」
「はい、どこかの貴族を生贄に捧げます」
「うむ、理解を得られてよかったよ」
結局、誰しも自分自身が一番可愛いのだ。ティースも自身の領地が守られるのであれば、他の誰とも知らぬ貴族が犠牲になろうとも、別にどうだっていいのだ。
「そちらの件は理解しましたが、テアの件はよかったのですか? あれほど優秀な人材、探したって出てきませんよ?」
「まあ、それについては仕方があるまい。ヒサコもバカではないから、今こうして話していることだって、予想を付けてくるだろう。見捨てられた、そう感じさせないための保険のようなものだ。テアを付けたのなら、見捨てられたということはない。戻って来ても席はちゃんと用意されているとな」
「付き合わされるテアも大変ですけどね」
ティースとしてもテアには戻ってきて欲しいと思っていた。ヒサコと違って、特に何かされたというわけではないし、優秀なのも知っている。失うにはあまりに惜しい存在なのだ。
「要約しますと、妹君は目的の種子を求めて、テアと一緒に旅に出る。無事に帰ってきて報酬として領地を渡すというのは方便で、どこかの貴族に嫁がせる準備をしておく。その後、嫁ぎ先がめちゃくちゃになろうと、知らん顔をする。とまあ、こういう感じでしょうか?」
ナルは確認を取るようにヒーサに尋ねたが、その顔は明らかに引きつっていた。控えめに言って、外道の発想であるからだ。
「まあ、大体そんな感じだな。私としては目的の物が手に入るし、ティースも領地を狙われんで済む。ヒサコは勝手にどこぞの領地を分捕る。痛い思いをするのは、分捕られるどこぞの領主だな」
「赤の他人を犠牲にして、三者全得を狙う、と」
「互いに懐が痛まなくていいのではないかな?」
ヒーサの申し出は“義”に悖るが、“利”に適ってはいた。
「まああれだな。『利を争いて義を争わず。 これ以てその利を明らかにするなり』といったところだ」
「なんですか、それ?」
「利益の争いが戦争目的であり、大義の争いではない。 よって、利益が無ければならないことを明確にし、平時にもそのように行動する。大昔の軍師の言葉だ。もっとも、原文は“利”と“義”が逆ではあるがな」
ヒーサは腹を抱えて大笑いし、三人は唖然とした。利益第一で、大義や人情なんぞ知ったことではない、と言い切ってしまったからだ。
「あの・・・、ヒーサってさ、時々とんでもないくらい冷淡と言うか、冷酷と言うか、とんでもない大悪党に見えるんだけど」
「領主たる者、常に“悪徳”と背中合わせに生きねばならない。そう私は先頃の王都で学んだのだ。ティースも見てきただろう? あの醜悪極まる連中を。富と権力に群がり、貪り、食い散らかす。自分が食われないために、ありとあらゆる事態を想定して手を打っておかねばならん」
「それはまあ、そうなんですけど」
「ティース、お前も領主を続けていきたいのであれば、今少しあくどくなれ。大義、正義だけではどうにもならないことは、ヒサコにやり込められたお前自身が一番知っているはずだ」
ヒーサの指摘はティースも認めざるを得なかった。
ヒサコとの関係は、御前聴取の席から始まった。あそこで無実を証明するはずが、更なる濡れ衣を着せられ、苦しい立場に追い込まれた。そして、一番ティースを落胆させたのは、あの場で誰も伯爵家の窮状に対して擁護する者がいなかったことだ。
雰囲気的におかしいと気付いていそうな者は幾人かはいたが、誰もが口を噤んだ。それこそ、力という政治の有様だと思い知らされた。
あそこには正義も何もなかった。あるのは、利益と打算。口の上手い者が得するだけであった。
ゆえに、ヒサコは脚光を浴び、ティースの方が陰へと追いやられ、望まぬ結婚を強いられてしまった。
それからも執拗にヒサコからは攻撃を受け、非難するはずが逆にやり込められてきた。周到かつ悪辣な方法でどこまでも貶めてきたのだ。
「気に入らない、という顔をしているな、ティース」
「はい、正直にいうとその通りです」
「まあ、真面目に生きてきたお前からすれば、権謀術数渦巻く世界は息苦しかろう。だからな、私はお前と結婚してから、しばらく旅をしようと計画していたのだ。もちろん、あんな事件がなく、お互い枷が付いていない状態で結婚していれば、の話ではあったがな」
ヒーサとティースは元々婚約者であった。ただし、公爵の次男と伯爵の長女という肩書であり、互いに家督を継ぐ立場にない、今よりずっと縛りの少ない者同士の結婚になるはずであった。
しかし、毒殺事件の結果、状況が一変し、現在に至っているのだ。
「旅に、ですか」
「ああ。本来なら、ヒサコを派遣などせず、夫婦でエルフの里を目指してな。まあ、のんびり気ままに旅をして、路銀は医者である私が道すがら稼げばいい、などと考えていたのだがな」
「それは魅力的。少なくとも、今よりかは、遥かにまともな生き方かと思います」
初めて聞かされたもう一つの未来に、ティースは心動かされた。もう叶うことのない世界の話であるが、そんな未来があってもいいのではないか、そう感じずにはいられなかった。
なお、そんな話はデタラメである。ヒーサは感慨に浸る表情を作り、平然と嘘を吐ける、そういう男なのであった。
あくまで、ティースの気を惹くための作り話だ。
「まあ、今は忙しくとも、そのうち旅する機会も巡ってくるかもしれん」
「そうですわね。その日が来るのを楽しみにしています」
「お互い、今少し楽をしたいものだ。で、他に質問や申し出はあるか?」
ヒーサはその場にいる三人を見渡した。納得しかねることもあるのか、少しばかり渋い顔をしてはいるが、我慢できる範囲なようで、無言を持って“了”とした。
それを見て、ヒーサは満足そうに頷いた。
「結構。では、解散だ。そろそろテアも戻って来るし、そちらと打ち合わせもある」
「ヒサコはよろしいのですか?」
「あれは段取りを付けられるのを嫌う。自由に振る舞い、自由に動く。自分の段取りくらい、自分でやるさ。こちらとしては『種子を持ち帰れ』とさえ言っておけば、あとは勝手に自分で考える」
「それもそうですね」
ティースは納得し、他の二人を連れて退出していった。
それを入れ替わるかのように、テアが執務室に戻ってきた。
なお、分身体であるヒサコの方は、すでに消してあった。
「こちらの話は順調に終わったようですね。すれ違った三人の足取り、軽かったですよ」
「だろうな。数日後にはヒサコがいなくなるのだ。そりゃあ、ウキウキだろうよ。領地の件もヒサコに分捕られることはないしな。“いまのところ”は安全というわけだ」
それだけ、ヒサコに散々やり込められ、ヒサコはヘイトを稼いできた証と言えた。悪役となることを宿命づけられた偽りの令嬢として、十全に役目を果たしたのだ。
「それと、だ。今日処理していた書類の中に、“火の大神官の転居に関する費用”の案件が入っていた。どうやら、近々あの白無垢の王女様が、アスプリクがこっちに来るようだ」
「あら、そうなんだ。王都の重臣や、教団関係者への“鼻薬”が効いたみたいでなにより」
「全くだ。とはいえ、結婚前後から、あちこちに金をばらまいたからな。財産がかなり目減りしてしまった。さっさと新事業を動かして、稼げるようにならんとな」
「茶栽培以外にも、色々と考えていたわよね」
「すでに、試験的に動かしている事業もある。アスプリクが来たら、一緒に見学するつもりでいる」
「その頃には、偽物になっているでしょうけどね」
すでに準備は整いつつあった。ヒサコに姿を変えていなくなっても、ヒサコが旅に出たということで誰も怪しまない。あとは《投影》で作り出した偽物のヒーサを置いておけばいい。遠隔操作で執務を取っていれば、問題なく領地経営がやっていけるはずだ。
もしもの時は、“心の友”であるアスプリクが上手くごまかしてくれる手筈になっていた。
「目指すは茶の木。ああ、茶が恋しい」
「その愛情を、嫁さんにも注いでやりなさい」
「おう、今夜たっぷり注いでやるとも。じきに床入りもできなくなるからな」
「はいはい、頑張ってね」
投げやりに答えたテアであったが、ヒーサの耳には届いていないのか、すでに彼方を見据えて笑っていた。
ようやく茶を手にするために動ける。そう思うと、ヒーサにとってはその他すべてのことが、どうでもいい些事に思えてくるのであった。
~ 第二十四話に続く ~
『司馬法』(しばほう)は、春秋時代の『斉国』の大軍師、司馬穰苴によって書かれたとされる兵法書。武経七書の一つ。
『争義不争利。是以明其義也』 これは司馬法に書かれた一節です。
義を争いて利を争わず。これ以てその義を明らかにするなり。
道義の争いが戦争目的であり、利益の争いではない。これによって、正義や道義が無ければならないことを明確にし、平時にもそのように行動するようにさせたのである。
作中で松永久秀は“義”と“利”を反転させ、真逆の意味で解説してましたけどね(笑)
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