第十八話 許可します! お姉様、どうぞ好きなだけ可愛がられてください!
着替え終わったヒーサが食堂に出向くと、いつものように給仕達が忙しなく動き、主人の朝食の準備に余念がなかった。
ヒーサが自分の席に着くと、次々と食器類が並べられ、焼かれたパンが籠ごとテーブルの上に置かれた。香ばしい匂いが鼻を突きさし、心地よい目覚めの気分に浸った。
そうこうしていると、ティースを部屋までお送り返してきたテアが食堂に現れ、次いでマークも姿を現した。
「お~い、マーク」
ヒーサは姿を見せたマークを自分の側へと呼び寄せた。顔色は良く、ぐっすり眠って体調は回復したようで、表情も心なしか明るかった。
「おはよう、マーク。一晩で元気になったようで、なによりだ」
「おはようございます、公爵閣下。行き届いた手配りのおかげで、こうして回復いたしました」
「うむ。慣れぬ屋敷での生活だ。何かと気苦労も多かろう。私ではなく、ティースのためにしっかり励んでくれたまえ」
ヒーサの激励の言葉にマークは会釈で応え、昨日のことへの謝意を示した。
そして、マークは主人の食器類の準備を始めた。
そのマークが下がったのを見計らって、今度はテアが背後から近づき、ヒーサに耳打ちした。
「ティースは部屋まで連れていきましたけど、丁度ナルと鉢合わせする場面に出くわしました」
「で、その際の反応は?」
「ティースが怒り半分悔しさ半分で、昨夜のことを吐露していました。ただし、怒りの矛先は完全にヒサコに向いているわね」
順調に作戦が進行していることを確認でき、ヒーサはニヤリと笑った。
「では、このまま待つとしよう。こちらも切れる札はまだあるしな」
そう言うと、ヒーサは懐にしまい込んでいた封書を一枚取り出し、机の上に置いた。
しばらく行き交う人々を眺めていると、ようやくティースがなるを伴って食堂に姿を現した。
着替えて身だしなみを整えているし、寝癖の髪も丁寧に梳かれて艶を取り戻していた。少しやつれた顔は化粧で上手く隠され、先程の乱れた姿は消え去っていた。
「おはよう、ティース。今朝は一段と綺麗だな」
「先程お会いしましたが?」
「昨夜からずっと一緒だったものな。しかし、寝台に横たわる君と、朝日に照らされる君は、また別人のようにそれぞれの美しさを持っている」
などとキザったらしく述べると、ティースは顔を真っ赤にした。間違ってはいないが、昨夜は二人の間には残念ながら“何も無かった”のだ。
とはいえ、歩哨を始め、ティースがヒーサの部屋に赴いたことを目撃した者もいるため、無反応というわけにもいかなかった。
結婚初夜の翌朝にはにかむ姿を晒すなど、逆に恥ずかしくて、ヒーサからすると平然としている方がいいと判断したのだ。
ティースもその辺りは理解しているのだが、やはり昨夜の忌まわしい記憶が脳裏をよぎり、平静を装うだけで手一杯であった。
本来なら、ヒサコをこれでもかと糾弾したやりたいのだが、それも公ではできないのだ。
昨夜のことを表に出すことは、自分がヒサコに“ナニ”をされたかを明かす必要があり、公爵夫人としての自尊心や体面が崩壊することを意味していた。
それでいて、ヒサコにはこれといったダメージはない。失うものや背負うものがない者特有の無敵状態なのだ。
「ええっと、その、昨夜はとんだ粗相を・・・」
「まあ、それはこちらの台詞かな。今後もあることだし、少しずつだが、いい関係を築こう」
「は、はい。よろしくお願いいたします」
ティースとしては、こう答えざるをえなかった。
とにかく、昨夜のことは表沙汰にはできないため、あくまで多忙にあって宙ぶらりんになっていた“結婚初夜”をこなしました。という体に、もっていかなければならないのだ。
もちろん、表向きな態度からは、その初夜において、ティースがなんらかの粗相を犯し、それをヒーサが許したという格好になる。
何がどうなったのかは想像に任せるしかないが、すでに給仕を行っている者の中には、ヒソヒソと何か話している者までいる。ここから噂が飛び交い、尾ひれがついて、とんでもない話になって帰ってくることだろう。
しかし、それは甘受せねばならないと、必死で自分に言い聞かせるティースであった。
そんな必死で自制するティースに対して、ヒーサはさらなる揺さぶりをかけた。
「ああ、そうそう、ヒサコのことだが・・・」
ヒーサが発したヒサコという単語に反応してか、ティースはビクッと肩を震わせた。側に控えていたナルやマークも露骨すぎるくらいの警戒する雰囲気を発した。
「なんだかよく分からんが、『出かける』とか言って、パンをかじりながらどこぞへすっ飛んでいったぞ。朝一から騒々しいことだ」
「そ、そうですか」
ティースとしては取りあえずは安堵しながらも、詰問する機会を逸したと考えた。どこまでも自分勝手で、傍若無人な態度を貫く姿勢は、やはり気に入らないと感じた。
なにより、側にいると鬱陶しいが、姿が見えない方が何をしているか分からない不安があり、どちらにしろ悩みの種であることには変わらないのだ。
「昨日のことを問いただそうとしたのだが、それを察して逃げたのかもしれん。なんとも勘のいい事だが、どのみちほとぼりを冷ますつもりはないから、無駄ではあるがな」
「そうですわね」
「だがな、手紙を一つ預かっている。これをお前に渡してくれだとさ」
ヒーサは手元に置いていた手紙をテアに渡すと、テアはそれを手にティースの側へと歩み寄って差し出した。
嫌な予感しかしなかったが、ティースはそれを受け取ると、なぜか刃物を持っていたナルからそれを借りて封書を切り裂き、中身を確認した。
さて、どんなことを手紙で言って来たのかと目を通すと、ごく簡潔にまとめ上げられた一文が目に飛び込んできた。
『昨夜行った“身体検査”の結果、お姉様は安全であると確認がとれましたので、どうぞご随意にお兄様に可愛がられてくださいな』
手紙の中身はヒサコからの“同衾許可証”とでも言うべき代物。あれだけのことをしておいて、この言い草である。
ティースは手紙をくちゃくちゃに丸め、床に叩き付けた。
「なんですか、これは!?」
「なんだと言われても、困るのだがな。封書の中身は確認しておらんし」
実際、封書には封がなされていたので、ヒーサが中身を見ていないことは明確であったので、その説明でティースは引き下がった。
なお、ヒサコの手紙はヒーサが書いた物のため、中身を確認するまでもなく知っていたのだが。
「やっぱり我慢なりませんわ、ヒサコは!」
「気持ちは分からんでもないが、証拠がないと罪には問えんぞ。それと、周囲の目もあるということを忘れない方がいい」
ヒーサの指摘通り、食堂には何人もの給仕がいた。怪訝な表情でティースを見ている者もおり、ここで騒ぎ立てるのは、明らかに良からぬ噂を呼ぶことになりそうであった。
ティースは一度深呼吸をしてから気持ちを落ち着け、それから改めてヒーサを見つめた。
「ヒーサ、はっきりとお伺いしてきたいのですが、ヒサコって本当にヒーサの妹なんですか?」
「ああ。顔がそっくりだし、妹なんだろうな」
「なんだろうなって、また曖昧な・・・」
「父の隠し子であるし、ひっそり育てられたからな。前からの顔馴染みではあったが、妹だと知ったのはつい最近だ」
「ああ、そうでしたわね。中身の歪みがひどいものですから、とても兄妹には見えませんでしたもの」
「ひどい言い様ではあるが、的外れでもないところが辛いところだな」
実際、ヒーサの名君としての立ち位置を強化するために、悪事をすべて引き受けてもらうために生み出したのが、“悪役令嬢”たるヒサコなのだ。
悪役こそ、ヒサコの存在意義であり、すべてはヒーサのためだけに作り出した操り人形だ。
むしろ、こうしてティースに恨まれ、ナルに睨まれて、その存在意義を遺憾なく発揮しているのは、ヒーサにとっては喜ばしい事でもあった。
「ヒサコはな、本来なら私の妹として、この屋敷に住み、煌びやかなドレスに身を包み、公爵家の令嬢として蝶よ花よと育てられてもおかしくはなかったのだ。だが、庶子という立場もあって、隠されて育てられたのだ。私としても、その点では負い目がある」
「気持ちは分かりますが、あまりに自由にさせ過ぎでは!? 被害が拡大してからでは遅いのですよ!」
「ところが、不思議と家中の者からは苦情が来ていないのだがな」
「ええ!? そうなんですか!?」
ヒサコがいきなりヒーサの妹であると告げられた時は、さすがに家中で大騒ぎとなった。真面目な先代がまさか隠し子を作っていたなど、古株であればあるほど信じられないという反応だった。
しかし、顔はヒーサによく似ているし、本当なのかもしれないということで表面上は落ち着いた。なにより、新当主であるヒーサが妹であると認めたのである。その事実の方が重要であった。
その後は屋敷で暮らすこととなったが、どういうことか“姿が見えない”ことが多く、どこで何をしているのかが分からないため、家中の者達もその扱いやお世話という点で困惑しっぱなしであった。
自由にさせてやれ、というヒーサの命に従い、ヒサコには付かず離れずの態度を取っていた。同じ屋敷にいるはずなのに接点がなさ過ぎたため、どう接するべきか距離感が掴めず、苦情の出しようがないのであった。
実際、ヒサコは屋敷の人々には何もしていないため、問題にはなっていなかった。
あくまで、ヒサコはヒーサのために動いており、その手にかけたのは、父、兄、義父、その従者達であって、仕掛ける相手と時期をしっかり選んでいるだけであった。
「ヒーサ、正直に言いますと、ヒサコと一つ屋根の下、同じ空間にいることに耐えられそうにないのですが」
「そこまで嫌か。まあ、さもありなんとしか言えないのも事実だがな」
「呑気な台詞を吐かないでください! ヒーサにとって、私とヒサコ、どっちが大事なのですか!?」
「当然、ティースだな、その選択だと」
「ふぇぇぇ……?」
予想外過ぎる即答に、ティースは怒りの矛先を失い、思わず呆けた声を吐き出してしまった。
こういう場面でなら、気の強い者同士の嫁と小姑の大喧嘩で、夫がその板挟み、というのが相場である。どこの世界でも起こりうる、ありふれた家庭内の風景だ。
ところが、ヒーサは妹ヒサコよりも、妻ティースの方が大事だと“即答”で答えたのである。
それゆえに、ティースは反応に困り、振り上げた拳の降ろし時を逸してしまったのだ。
「ティース、私は王都の大聖堂において、五星の神々に妻を生涯愛すると誓いを立てたのだ。それから一ヵ月も経っていないのに約を違えるなど、公爵家の信用に関わるというものだ。ヒサコに対しては、妹として扱うとは言ったが、それ以上のことは約束しておらんからな」
「そ、そう言っていただけるのは嬉しいですが」
ティースの顔は真っ赤だ。どう返すべきかの言葉が思い浮かばず、初恋の少女を思わせるなんとも歯がゆくも煮え切らない姿であった。
目の前の夫はとても優しく温和で、自分のことを大切に思ってくれている。現に、ヒサコとの諍いにおいては、自分の方に重きを置くと即答してくれた。女として、妻として、これほど喜ばしいことはなかった。
その一方で、長く自分に仕えてくれている侍女にして密偵頭のナルは、あれは演技だ、としつこいくらい釘を刺してくるのだ。当然、彼女の言をばっさり切り捨てることもできずにいた。
魅力的な夫、罠だと警告する従者、この板挟みが熱量となって、ティースの頭を茹で上げている、そんな状態だ。
(本来なら、私の術中に堕ちてもおかしくないほどに、手練手管を尽くしているのだ。だが、崩せない。ナルがギリギリの命綱として、ティースの精神の均衡を保っている。ここを切り落とさねば、完全攻略は難しいか)
今もヒーサの目の前で、ティースは戸惑っている。こちらに傾いてもおかしくないのに、どうにか均衡を保っている。理由は、無表情のまま警戒の姿勢を崩さないナルの存在だ。
(ここからは、私とナルのティースからの信用獲得の奪い合いだ。ティースは頭自体は割といいが、社交性にやや欠ける部分がある。ゆえに、御前聴取の席で今少し上手く立ち回れたであろうに、ヒサコの口八丁にいいようにやられた。ナルという軍師、参謀がいるからこそ、今もどうにか保っていられるのだ。だが、その忠言が耳に入らなくなった時、果たして暗愚に堕ちずに済むかな?)
無論、ヒーサにはそのための手札はすでに用意してある。二人の関係にひびを入れ、ナルの諫言より、自分の甘言を信じるように仕向ける。まさに、謀略、策略の真骨頂を見せる機会とも言えた。
「でだ、先程言った“宝探し”の件、どうするかね?」
ここでヒーサはあえて視線をナルに向けた。なにしろ、できることなら家探ししたいと考えているのは、他でもないナルの方であるからだ。
好きに探してもらってかまわない。そう宣言したからには遠慮の必要もないのだが、同時に疑念が生じているのも事実であった。普通、秘密のある場所を好き放題に探らせるなど、まず有り得ないからだ。
(そう、もし、これで何も出てこなければ、ナルの読みが外れたことを意味し、こちらの潔白を証明することになる。ティースを揺さぶる材料としては申し分ない。そして、この提案をナルは断れない。おそらくは、ティースに寝室近辺が怪しいと吹き込み、伽の際にそれとなく注意を、とでも吹き込んでいたはず。それを探る機会を棒に振ることはできない。そして、何かしらの収穫がないとなると、クク……、二人の間にほんのささやかだが間隙が生じよう)
そここそが、二人に離間の計を仕掛ける好機となるのだ。勇んで敵地に乗り込んできた決意は称賛するが、同時にそれはヒーサにとっては蛮勇にも映る諸刃の剣となった。
さて、どう答えるか、ヒーサはジッと相手を見つめて返答を待った。
「……ティース様、折角ですので、お受けするべきかと」
少し悩んだ末の結論。だが、それはヒーサにとっては予定調和でしかなかった。読んだところで、防げない策を用いればいい。それだけなのだ。
(孫子曰く、『算多きは勝つ』だな。ナルよ、お前も優秀な奴ではあるが、手数の多さはこちらの方が圧倒している。敵の領域で戦う不利を、思い知るがいい)
ナルの返答を満足そうに頷いて受け入れた。
さて、ここからはヒサコを使う必要もない。最後の閉めを飾るところで出すだけで十分であった。その最後の場面こそ、今日の最大の見せ場となるだろう。
ヒーサは勝利を確信し、そのうえでそれと悟られぬよう、ティースに笑顔を送るのであった。
~ 第十九話に続く ~
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