第六話 危ない診療所!? 若医者の魔の手が少女を襲う!
カンバー公爵の邸宅のはずれには、一軒の家屋が立っている。そこはかつて物置として使われていたのだが、現在は大掛かりな改修が施され、診療所兼薬品庫として使われていた。
そう、公爵の次男ヒーサの職場であり、根城であった。
ヒーサは医大を卒業後、早速医者としての拠点となるべき場所をと父に要請して、当面はここでということであてがわれたのだ。
そして、その診療所には、三人の人物の姿があった。ここの主人とも言うべきヒーサ、その専属侍女のテア、同じく侍女のリリンだ。
表向きは体調を崩しているリリンの診察ということになっているが、それが建前であることはリリン自身が百も承知している。
なにしろ、つい先程、朝食の少し前に、ヒーサとテアが寝室でイチャついているのを、リリンが目撃してしまっているからだ。
リリンはそういう行為をしたことはないのだが、知識として頭の中には多少入っており、気が動転してその場を逃げるように立ち去った。
どうにか平静を装いつつ、朝食の給仕として食堂で仕事に励んでいたのだが、どうしても二人のことが気になってしまい、なかなか仕事に集中できない有様であった。
そこへヒーサの声がかかり、診療所で診察という流れになった。
(絶対、さっきのことで何か言われる! どうしよう……)
リリンとしてはさっさと逃げたかったが、逃げられる様子でもなかった。先頭をヒーサが歩き、その後ろを自分、さらに後ろをテアという順番で診療所に向かっていた。
つまり、二人に挟まれている格好であり、スッと逃げてしまうことなどできなかったのだ。
しかも、主人である公爵のマイスからは診てもらうようにと有難いお言葉を頂戴しているため、そういう意味でも逃げられる状況ではなかった。
どうしようどうしようと悩んでいるうちに、ついに診療所の前まで到着してしまった。
ヒーサは持っていたカギを使って診療所の扉を開け、中へと入った。
ヒーサは“転生してから”初めてこの診療所に足を運んだが、記憶には魔術的な修正が入っているらしく、中の構造や置いている道具類のことはしっかりと把握していた。
診療所は三部屋ある。
一つは入ってすぐの診療室。椅子や机の他、患者の状態を見るための診察用の台など、色々と置かれている。
その奥の扉の向こうは薬品庫になっている。各種薬物が保管されており、物置を無理やり改装した名残か、窓が封印されて日が差し込まないようになっていた。
また、別の部屋は入院施設になっており、簡素な部屋に寝台が二つ並べられているだけであった。
その診察室に三人が入り、ヒーサとリリンが椅子に腰かけて相対し、テアは入り口の扉の前に立ち、二人の様子を眺めていた。
テアとしては、何気なしに立っているだけであったが、リリンとしては唯一の逃げ道を塞いでいる格好となっており、誰も来ない密室で三人、どうなることかと心臓が激しく打ち鳴らされた。
「で、リリンよ、どこの具合が悪いのだ?」
「はへ?」
先程のことを問い詰められると思いきや、普通に体調のことを尋ねられ、リリンは却って混乱した。
呆けた声を口に出し、頭の中の整理がつかなかった。
(リリン、気を付けなさい。それがその男の常套手段よ。相手のことを理解しつつ、あえて大暴投して隙間を作り、そこから次々と塩を塗り込んでくる。気が付いたころには術中にはまってしまうわよ)
テアは心の中で応援しつつ、事態を見守った。下手に干渉してヒーサの機嫌を損ねてしまっては、へそを曲げて魔王探索を止めるなどと言い出しかねないからだ。
明確な規定違反以外はスルー、これで当面は通そうと考えた。
「リリン、答えてくれねば、話が進まないぞ」
ヒーサはリリンに回答を促した。目は真剣そのもので、とてもふざけて医者を興じているのではなく、本当に患者に接する医者としての行動であった。
「ええっと、具合は悪くないです。ただ・・・」
「ただ?」
「その、先程のお二人のことが気になって」
リリンは顔を真っ赤にして口にした。なにしろ、リリンは着替えを届けにヒーサの寝室に入ると、そこには寝台の上に組み伏せられ、あられのない姿となっていたテアがいたのだ。
そして、それに覆いかぶさるようにヒーサの姿もあった。
二人が“ナニ”をしているかは明白であり、それゆえにリリンは赤面しているのだ。
リリンは生まれて十五年になるが、男性とそういう関係を持ったことはない。
ただし、知識としては頭の中に入っている。若い侍女が主人からその手のことを求められることがあるため、基礎的な知識は入れさせられているといってもよい。
事実、侍女頭が若かりし頃、現当主のマイスとそういう関係を持ったことがある、とリリンは聞かされており、そうした“御役目”が自分に回ってくるかもしれないと覚悟はしていた。
何しろ、現在、公爵家の邸宅には三人男性がおり、父と兄は妻に先立たれて現在独り身、弟の方はまだ未婚という状態であり、性欲のはけ口として侍女に声をかけてくることは十二分にあり得た。
とはいえ、勤め始めて間もないころに、留学先から帰ってきたヒーサに出会い、すぐさま恋に落ちた。年齢も程近く、美形で性格も温和であり、リリンも仕事以外のことで気さくに何度か話しかけられたこともあった。
ヒーサ様になら、夜伽のお声掛けを喜んで引き受けようかな、などと恋心と下心の入り混じった感情を持つようになった。
もちろん、それは秘めたる思いであり、具体的な行動に移すようなことはしなかった。
しかし、実際に手を出されたのは、今自分の後ろに立っている先輩侍女のテアであった。
これには、リリンも納得せざるを得なかった。なにしろ、テアは女神かと思うほどに美人で気品があり、独特な雰囲気をまとっており、とても自分では太刀打ちできないほどの美貌の持ち主であった。
一方、リリンは自身の貧相な体つきを嘆いた。齢は十五歳なのだが、瘦せていて背も低く、年下に見られることも多々あった。
現に、侍女として採用されてマイスの前に出た際には、十二歳くらいに見られてしまったほどだ。
子供扱いされたことについて、リリンとしては腹立たしかったが、公爵相手に文句を言うわけにもいかず、一端の侍女として認めてもらうためにあれこれ奮起した。
その結果、まだ働き始めてから二月程度であるが、随分と目をかけてもらえるようになっていた。
当主も、その子息二人も揃って“人格者”であり、誠心誠意お仕えするべき存在だと、リリンは考えるようになっていた。
ただ、意外であったのは、目の前の次男の方が、思いの外、好色であった点である。
(まあ、このくらいの年齢で、目の前に絶世の美女がいればそうなるかしら)
という結論に至り、リリンは深く考えないようにした。
しかし、それでも気になるのは、自身がヒーサに対して、少なからず恋心を抱いているのを知っており、秘めた思いが先程の一件で抑えきれなくなるくらいに暴れ始めたのだ。
二人が行為に及ぼうとしているのを目撃した時、リリンは驚いた。その驚きと同量の“妬み”が生じたことも、すぐに気付いた。
恋心と嫉妬は表裏であり、嫉妬が強ければ強いほど、抱く相手に恋をしているのだ。
しかし、それは許されるものではない。相手は公爵家の子息であり、片やどこにでもいる町娘である。身分違いも甚だしいことであった。
そういう意味ではテアも同類なのだが、テアにはリリンにない圧倒的な美貌があり、貴人の愛人枠に収まるのには十分すぎるほどの美女だ。
ヒーサへの恋心、テアへの嫉妬、あるいは自身との対比、嵐のような感情がリリンの中で渦巻いており、それが落ち着かない態度となって表に出ていた。
「先程の二人、ねえ。テア、先程、何かあったかな?」
ヒーサは扉の前で立ったままのテアに尋ねた。
(こっちに話振るな、ボケ爺!)
どうにか表情を取り繕いながら、好青年の中身に対して悪態をついた。当然、リリンもこちらを振り向いており、テアの言葉をドキドキしながら待った。
そして、ため息の後、意を決しては口を開いた。
「先程のことと申されましても、特に何もございません」
「だよな。特に何もしてないよな」
これは嘘ではない。実際、寸止めに近い状態であり、途中で止められたからだ。
「というわけで、何もないというわけだ。分かったね、リリン?」
「え、あ、は、はい!」
脅しにも近い念押しに、リリンとしては頷かざるを得なかった。
現に、二人がイチャついている部屋に着替えを置いて飛び出した後、程なくして二人は食堂に現れた。時間的なことを考えれば、あれから着替えてすぐに部屋を出たことになるはずだ。つまり、“何もなかった”ことになる。
(あれ? これって、相当マズい?)
自分の横槍のせいで、お預けを食らったことになる。ヒーサからは怒っている雰囲気は感じられないが、かと言って許すかどうかの判断もしかねているようだ、少なくともリリンはそう感じた。
どうにかしてご機嫌取りでもしないと、悪い意味で目を付けられかねない。
そして、リリンは意を決して、ヒーサに申し出た。
「あ、あの、ヒーサ様」
「何かね?」
「も、もし、“御役目”をご所望でしたらば、私をいかようにでもお使いください! テア先輩ほど立派なものは持っておりませんが、わ、私、が、頑張りますから!」
現状、リリンがヒーサに差し出せるものは“自分自身”以外になかった。テアに比べて貧相であるため、お気に召すかどうかは分からないが、覚悟と意気込みは伝えることはできる。
何もせずにうやむやのままこの場を去るよりかは、少なくとも好印象は稼げると判断したのだ。
それに、淡い期待もあった。一時の欲望のはけ口であろうとも、目の前の貴公子と肌を合わせることができる。身分違いの色恋沙汰を、“初恋”を歪んだ形であろうとも実らせるのには、これしかない。そういう下心もあった。
座ったままであるが、頭を深く下げての懇願とも罪滅ぼしとも取れる提案。どういう反応が返ってくるかは分からないが、リリンにとっては拙い頭で考えた結論だ。
しばしの気まずい沈黙。その後、リリンの肩にポンとヒーサが手を置いた。驚いたリリンはビクッと全身を震わせた。
そして、恐る恐る顔を上げると、目の前には顔を近づけていたヒーサがいた。整った顔立ちに優しげな笑顔、リリンは改めて顔を赤くし、視線をそらせた。とてもではないが、今は、少なくとも何らかの返事があるまでは、気恥ずかしくて顔をあわせることなどできなかったのだ。
「リリンよ、こちらを見なさい。可愛い顔が見えないではないか」
リリンの耳にヒーサの声が突き刺さった。今、間違いなく可愛いと言ってくれた。心臓が破裂しそうなくらい暴れまわっており、それにつられてさらに顔も赤くなっていった。
どうにか抑え込みたいが、抑える術を知らない。すべてをぶちまけてしまいたい気分であった。
「リリン、お前の覚悟は受け取ろう。だが、確認しておきたいことがある」
「な、なんでしょうか?」
「本当に良いのか? 戻れなくなるぞ?」
問いかけの意味がまるで分からなかった。
「それはどういう意味で……」
「まあ、その後の人生がめちゃくちゃになるという意味合いになるかな?」
そこまで説明されて、リリンはようやく理解ができた。貴人との色恋沙汰を成してしまえば、一般男性とのそれは面白みに欠けるものに映るのかもしれない。現に、公爵と関係を持っていた侍女頭は、すでに初老の域に達するほどに齢を重ねているが、未だに独身を貫いている。
公爵との色恋沙汰に勝る情熱を、他の男性では感じることができなかったのだろう。
それでもいいのか、とリリンは確認されているのだ。
目の前の貴公子と結ばれるのは不可能だ。現に、もうすぐ結婚することになっているし、そうなるまでの繋ぎか、それとも“初めて”の女性を相手にする際の練習台か、とにかく真面目で本気なものではないことだけは間違いなかった。
それでも、リリンは良かった。決して報われぬ色恋であろうとも、指先に軽く引っかかる程度でもいい。今はとにかく、揺れ動く感情を抑えることなどできはしない。
「か、構いません! どうなろうと、今は考えないことにします。今はヒーサ様に上辺だけでもいいですから、御寵愛を賜りたいです!」
感情の赴くままに突っ走る。後でどうなろうと知ったことではない。大胆な行動なくしては、掴めるものも掴めやしない。リリンは完全に決意を固めた。
そこからは、ヒーサの動きは早かった。椅子から立ち上がると、ヒーサはリリンの手首を掴んで引っ張り起こし、そして、腰に手をまわして抱き寄せた。かなりの身長差があり、リリンの頭頂部はヒーサの肩にも届いていない。
予想にもない行動に、あるいは期待はしていても実際にそうなるとは考えもしなかったヒーサの抱擁に、リリンは驚いた。だが、決意を固めている以上は臆することは何もない。この機を逃すまいと、ヒーサの体に顔を埋め、自身もまた掴まれていない方の腕を相手の背中に回した。
耳にはヒーサの心音が伝わり、自身の分もまたそれに合わさるかのように音調が合わさっていく。
ずっとこうしていたい。もちろん、それは叶わない。なにしろ、ヒーサには婚約者がおり、先程食堂で聞いた話では婚儀も近いとのことだ。
だが、それでも実際に結婚するまでの短い間だけでも、貴公子に抱かれてもいいと考えた。
「テア、“往診”まで少し時間があるし、リリンの治療を施す。施術中は邪魔が入らないように、見張っておいてくれ」
ヒーサはそう言い置くと、診療所の奥へとリリンを連れて消えてしまった。奥には入院用の設備があり、寝台が二つ備え付けられている。そこでやるのだろうとテアは確信した。
ともあれ、テアは安堵した。なにしろ、欲望のはけ口として、少し前に襲われたばかりであるからだ。女神であろうとお構いなし、欲望の赴くままに突っ走る。大徳の皮を被った欲望という人の形、それがあのヒーサこと松永久秀だと思い知らされてきた。
しかし、願ってもないことに、その欲望のはけ口に自分から進んでなろうという物好きな“生贄”の少女が現れた。自ら大口開ける化け物の前に飛び出してきた、正真正銘の生贄である。
しかも、当人は生贄やら欲望のはけ口との自覚はあるようで、そういう意味では後ろめたさもなく、伽の役目を押し付けれたというわけだ。
「ありがとう、リリン。おかげで助かったわ。生贄役、頑張ってね」
ぼそりと率直な感想をテアは述べた。
その時だ。強烈な異音とともに頭が殴り飛ばされたような感覚に襲われた。
それは“警告”。神が犯してはならない禁則事項に抵触したことへの痛々しい通達なのだ。
なぜ、それが届いたのかを、テアは考えた。そして、一つの可能性を見出した。
「そうだ、“見習い”の神は生贄を受け取ってはならない。あるいは、利益を受けてはならない。さっきのリリンの行動はヒーサに対してだけど、私にも利があったから、それをシステムが、生贄と利益享受であると誤認した!?」
それしか考えられなかった。
ちなみに、テアこと女神テアニンは、見習いの神としては成績は優秀な方であった。突出した好成績はないものの平均よりも高い数値を常に出しており、また違反行為などもなかった。
それがいきなりの懲罰付きの違反行為を食らってしまった。これはテアにとって、かなりショックであり、焦りを覚えるには十分すぎた。
「人は世界に干渉できない。世界に干渉できるのは神だけ。だが、人は神に影響を与えることはできる。よって、人は神を介して世界に干渉できる、ってことかしら。でも、それだとしたら・・・」
テアは戦慄した。なにしろ診療所の奥に消えていった男とは、体感時間で一日も経過していないほどの付き合いでしかない。にもかかわらず、いつの間にかこちらの精神に影響を与え、あるいは汚染し、あるいは食い潰しに来ている。
神を恐れぬ所業か、あるいは単に欲望に忠実に動き回った結果か、もしくはすべて計算の上か、とにかく掴みにくい相手であることは再認できた。
さっさと魔王を探し、この世界とはおさらばしたいと、テアは真剣に考えるのであった。
~ 第七話に続く~
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