第五話 初手暗殺! 標的は誰だ!?
シガラ公爵はカンバー王国内においては、王家を除けば三指に入るほどの有力者であり、内外に威勢を轟かせていた。
広大な領地とそこからの収穫物、山々からは木々の恵みはもちろんのこと、鉱山からの収益もあり、巨大な財を築いていた。
巷で“財の公爵”と呼ばれるほどに豊かであり、その資産は王家を凌ぐとさえ言われていた。
それに裏打ちされた軍事力も有し、公爵家単独で五千近い動員力を持っていた。
現当主のマイスは大貴族の家長でありながら物腰穏やかで礼儀正しく、誰からも一目置かれる誠実な人物であった。
財や武力で押し切れる状況であろうとも、まず真摯に話し合うことを是とし、国王からも他の貴族からも信用の厚い人物で、その温和な人柄は皆から好かれていた。
そして、次代を担う息子にも恵まれ、優秀な子が二人もいた。
長男のセインは武芸に秀で、国内の馬上試合でも優勝経験があるほどだ。
その性格は実直かつ豪快で、それでいて気さくな人物であり、家中でも仕える騎士から召使に至るまで慕われており、次期当主として固まっていた。
次男のヒーサは学者肌の人物で、若年ながらその知見には学者ですら舌を巻くほどであった。特に医術に秀でており、医大を史上最年少で飛び級卒業。十七歳の若さですでに医師免状を手にしていた。
何も憂うものはない。次代も安泰だと、家中の面々は思っていた。
だが、そこへ不穏な影が差し込む。なにしろ、その次男ヒーサの中身は戦国の梟雄“松永久秀”であり、女神テアニンに導かれ、紛れ込んでいたからだ。
「ヒーサ様、おはようございます」
「ああ、おはよう」
屋敷の廊下を進むヒーサに道を譲り、侍女が恭しく頭を下げた。侍女に返す挨拶の声は爽やかとしか言いようがなく、その笑顔もまた穏やかであり、差し込む朝日に金髪が煌めいて、ほのかに後光が射しているようにも見えた。
金髪碧眼の好青年で、身長もそれなりに高く、性格は気遣いができて温和。そこから繰り出される挨拶やら声掛けは、文句のつけようのない立ち振る舞いであった。
つい数分前まで、自室で侍女を一人、無理やり組み伏せて“事を致そう”としていた男には見えない完璧な演技であった。
(外面が完璧すぎる。《大徳の威》がきっちり機能しているってことよね)
その組み伏せられていた侍女テアは、前を行くヒーサを見ながら複雑な心情に悩んでいた。
テアは女神テアニンのこの世界における姿であり、ヒーサの専属侍女ということになっている。当然、ヒーサの中身は戦国の梟雄であることを知っており、あの無軌道な知略があらぬ方向に影響を出さないかと戦々恐々としていた。
そして、目の前の好青年の皮をかぶった梟雄は、すでに手にしたスキルを使いこなしていた。
手にしたスキルである《大徳の威》は三国志の劉玄徳の能力を模したスキルであり、魅力値に強力なブーストをかける効果がある。これを使えば、初対面の人間であろうが好印象を植え付け、誰とでも仲良くなれるというものであった。
たとえ、中身が女神を手籠めにしようとする不埒な好色爺だとしても、人前では決してそれを出さず、穏やかな好青年の仮面を外すことはない。
まさに完璧な演技であった。
素を出すのは、あくまで秘密を共有している二人きりの時だけというわけだ。
「ねえ、ヒーサ」
「様をつけろ、馬鹿者。下手な演技でボロを出されて、困るのはこっちなのだからな」
笑顔をこそ崩していないが、テアに対して不機嫌になっているのは間違いなさそうであった。やり損ねたというのもあるだろうが、それ以上に足を引っ張られるのを嫌がっているようであった。
「失礼しました、ヒーサ様」
「それでいい。……で?」
「状況の補足説明をしておきますと、ヒーサ様の家族構成は父と兄がいます。母はすでに他界。“設定”としましては、病弱な母の面倒を見るべく医者を志し、僅か十二歳で医大に入学。そして、十七歳で医学薬学を修め、史上最年少で医大を卒業して医者になった。ということです。それと、婚約者もいる設定ですので、“女遊び”は程々にお願いしますね」
先ほどの一件に対して、きっちり釘を刺しておくのを忘れないテアであったが、目の前の男にそれが通じるかどうかは不明であった。
「そうか。説明ご苦労。では、父と兄とやらを始末すれば、この家はいただけるということか」
さらりととんでもないことを口にした。あまりにも声が感情のブレがなく自然に飛び出したので、テアは最初はその意味を理解できず、なんとなしに「そうですね」と頷いて応じた。
だが、言葉の意味を理解すると、途端に背筋に寒気が走った。あろうことか、異世界に転生して最初にやることが暗殺、それも身内への暗殺であったからだ。
「初手暗殺って、なんかおかしくない!?」
「魔王探索にこの世界に来ているのだろう? 財も人手も欲しい。ならば、いただくしかあるまい、この家を。次男という肩書では、待っていても家督が回ってくるというわけではないからな」
そう、次男はあくまで長男の予備でしかないのだ。そして、この家の長男セインは武勇に秀でた健康体であり、病気で早死にというのも期待できそうになかった。
ならば、父共々消すのが一番。それがヒーサこと松永久秀の結論であった。
「それにな、優秀な弟というのは、兄にとって脅威以外の何物でもないのだ。いつ取って代わられるか分らぬからな。あの信長とて、弟を始末して家中の地固めをしたからな。それがたまたまこちらに回ってきたというだけの話だ。まあ、弟が兄を始末する逆の状況であるがな。だが、やらねば次へ進めぬのも事実であろう?」
「それはそうだけど・・・」
「そういう意味では、以前仕えていた三好家の長慶殿と実休殿は、稀なる優秀で協力し合えた稀有な兄弟であったな」
なにやら懐かしそうに語るヒーサであったが、そうこうしているうちに食堂の前まで来たので、気持ちをササっと切り替えた。
昔を懐かしむ呆けた顔では、周囲から怪訝に思われるし、父や兄に対して失礼だからだ。たとえ殺す相手であろうとも、物言わぬ躯になるまでは父であり兄である。
隙を見せず、気取らせず、一撃で仕留める隙を探さなくてはならない。
それまでは、あくまで控えめで大人しい弟を演じなくてはならない。
ゆえに、食堂に入ると同時に、上座に座る父と思しき者に頭を下げた。その心の中にどす黒い野心を秘めて。
「おお、ヒーサ、おはよう。今日もいい朝であるな」
「はい、父上。ご機嫌麗しゅう」
当然、応対も完璧にこなし、一切の邪な感情を表に出してはならない。
あくまで、表向きは優しい好青年を演じつつ、父の目線から見て“良い息子”でなくてはならないのだ。
ちなみに先程、自室に入ってきてヒーサとテアがイチャついているのを目撃した侍女は、給仕として部屋の隅に控えていた。
ヒーサがテアを伴って食堂に入ってくるなり、顔を赤らめてチラッチラッと二人を見つめていた。
ただ、周囲の人々は特にこれといった反応を示していないことから、先程のことはどうやら話してはいないと察することができた。
(好色な若様、という評が定着してはいかんからな。上々、あとで愛でてやろう)
などと考えつつ、席に着いた。
そして、再び食堂の扉が開き、手ぬぐいで汗を拭きながら男が一人、入ってきた。
「セイン兄様、おはようございます」
一度席を立ってから、ヒーサは入ってきた兄に対してお辞儀をした。
「おう、おはよう、ヒーサ。父上もおはようございます」
「セインよ、朝から鍛錬とは元気のよいことじゃ」
「体は動かさねば、すぐに鈍ってしまいますゆえ」
豪放な性格らしく笑いながら席に着き、使っていた手ぬぐいは控えていた侍女に渡した。
「ヒーサよ、お前も今少し鍛えておれよ。書にかじりついてばかりでは、体が鈍るぞ」
「兄上こそ、鍛錬も程々になさいませ。張り切りすぎて、馬より転げ落ちても知りませぬぞ」
「なあに、その際はお前に診てもらうとしよう」
「はい、父上も兄上も、何かありましたら私が診て差し上げます。母上をお救いできなかった分、お二人には養生していただきたいですから」
ヒーサの医術は病気がちであった母を救うため、という設定に沿った言葉を投げかけた。
案の定、二人は気落ちした顔に変じた。なにしろ、妻ないし母が他界してから三月と経っておらず、今この場にいないことが寂しくてならないのだ。
医師免許を手にして実家に戻ってきてみれば、すでに墓の下。ヒーサはそれが悔しくてならなかった、という表情を作って二人を交互に見つめた。
「母さんの件は残念であったな。だが、ヒーサよ、お前が気にすることではない。医者からはお前が生まれてすぐに長くはもたないと言われていたのに、一端に成長するまで生きておったのだ。むしろ、長すぎたくらいだ」
「そうは申しますが、母を救うと医師を目指しながら、結局は何もできずに終わってしまいました」
「これも天寿と思うて諦めるよりあるまい。まあ、朝から気の滅入る話は止めよう! さあ、神に感謝して食事にいたそう」
三人は胸に手を当て、神に祈りを捧げた。なお、その“神”とやらはすぐ後ろで侍女として控えているとは、一人の例外を除いて知る由もなかった。
こうして一家での朝食が始まったが、その光景はヒーサにとって、久秀にとって眉を顰めるものであった。表情に出さないようにするに苦労するほどに、醜悪な光景であった。
まず、朝食の献立だが、パンに野菜のスープ、何かの鳥の焼物であった。
それはいいにしても、食べ方がいただけなかった。すべて手掴みで口に運んでいたのだ。
汁物のために匙はあったが、深皿を持ち上げて匙を用いて掻っ込むように食しており、優雅さの欠片もない食べ方であった。
(ここは日ノ本でないのだから、箸がないのは覚悟していたが、これほどの醜悪な食事風景を見せられようとはな。大貴族の食事でこうなのだから、これがこの世界でのありきたりな食事風景か)
ヒーサはその流儀に合わせて、少し気が引けるが、手掴みでの食事を始めた。パンを掴んでは手で千切って口に運び、匙でスープを飲んだ。
(一部の宣教師が使っておった小熊手もない有様か。これはいかん。この辺りの作法も変えていかねばならんか)
やるべき事が増えた。文化人を称する者として、これは見過ごすことのできぬ案件であった。
食事を終えて、汚れた手を手ぬぐいでふき取り、再び神の祈りを捧げ、朝餉は終わりを告げた。
腹を満たして幸福感に包まれながら、マイスがヒーサの方を向いた。
「さて、ヒーサよ、お前の婚儀について、話しておきたいことがある」
「はい」
婚約者がいるという情報を得ていたので、特に驚きはしなかったが、ヒーサの中身は七十歳近い老人である。そんな身が若い花嫁を娶るなど、なんとも笑いが込み上げてくるというものであった。
相手への哀れみも含めて。
「お前の相手はカウラ伯爵のご令嬢ティース嬢だが、近々輿入れが決まった。その件で伯爵が数日中にここへ来るそうだ。義父となる者だ。しかと挨拶していい印象を稼いでおけよ」
「なんとも、急なお話ですね。私が医師免状を持って家に戻ってきて、まだ二月経つか経たぬかという時期ですのに」
「まあ、お前が学校に行く前から決まっていた婚約であるし、卒業してから輿入れするという話であったからな」
貴族同士の結婚など、親や家門の長が決めてしまうことであり、その点ではヒーサは特に何も思わなかった。
日ノ本の武家社会でも、政略結婚など当たり前であり、珍しくもなかったからだ。
「ティース嬢はお前と同じ十七になるそうだ。なかなかの美形であるとも聞いている」
「それは楽しみでございます。どのような美しい姫君かと、心躍る次第です」
これは嘘偽りない本心であった。美女を娶るのは悪い気分でないし、それはそれでこの世界での楽しみが増えるというものであった。
問題は、婚儀によって結びつくカウラ伯爵なる人物の情報がないことであり、早急に調べる必要があった。利用できるのか、どうかだということを。
「私のことはさておいて、兄上、そろそろ再婚を考えられてはいかがでありましょうか? 若い身の上で独り身というのもお寂しいでしょうし」
ヒーサは兄セインにそう問いかけた。セインは結婚していたものの、子をなす前に新妻を病で失っており、それ以来独り身となっていた。
「さてさて、どうしたものかな。父上、よき縁談はありましょうや?」
「探してはおるよ。まあ、しばし待て」
セインは公爵位の継承者であり、その妻は次なる公爵夫人が確約されている。当然、その座に滑り込もうと考える者は多い。
父であるマイスとしても、そのあたりを考えていい縁談を見つけてこなばならず、なかなかに決まらない有様であった。
(まあ、その方がこちらとしては好都合だがな。兄一人消すのと、兄の一家をまとめて消すのとでは、仕事の難易度が違ってくる)
一欠片の殺意も出さず、あくまで朝食後の一家の会話を楽しんでいる風を装い、次々と考えを張り巡らせているのだが、やはり転生して間のない状態であり、人手も情報も足りていなかった。
しばらくは隙を伺いつつ、それらの確保に努めねばならないと考えた。
ならば、まずは軽く第一手。
「では、私はこれにて失礼いたします。今日は往診が一件、入っておりますので」
「ハッハッ、早速医者としてのお勤めか。頼もしい息子よな」
「医者になったからには当然でございますよ。父上、兄上、怪我や病気で何かありましたら、すぐに私に申し付けてください。必ず治して差し上げますよ」
「うむ、その時来たらば頼むとしよう」
息子の成長した姿にマイスは満足そうに頷いた。だが、中身が自身に対して明確な殺意を抱いていようなどとは、露ほども感じていなかった。その辺りは親子の関係に加え、《大徳の威》が有効に働いて好意的に受け取られているからだ。
悪事がばれて、スキルが崩壊するまで、この状態がなくなることはない。
礼をしてから立ち去ろうとするヒーサであったが、一人の侍女の前で立ち止まり、顔を覗き込むように見つめた。
「リリン、どうかしたのかい? 落ち着かないようだし、顔も赤い。体調が悪いのでは?」
「はひぃ!」
もちろん、目の前の侍女がなぜ顔を赤らめているのかは、当然ながら知っていた。知っていたが、あえて尋ねた。
ちなみに、ヒーサは目の前の侍女の情報も、すでにテア経由で入手していた。名をリリンといい、齢は十五歳。ヒーサが卒業して戻ってくるのと同時期に住み込みで働くようになった。短めの黒髪と黒い瞳を持ち、背丈が低めで幼く見られることを気にしており、それが行動にも背伸びしたがる傾向が見られるとのことだ。
その若い侍女の額にヒーサは手を当て、リリンはビクッと肩を震わせた。
「少し熱があるようだね。父上、往診まで時間がありますので、リリンを“診察”してもよろしいでしょうか?」
振り向いて尋ねるヒーサに、マイスは頷いてそれを了承した。
「リリン、折角だから、ヒーサに診てもらうといい」
「え、あ、ですが、仕事が」
「構わんよ。仕事中に倒れられても事だからな」
侍女に対しても優しく親切な態度であり、こうした気配りがマイスの評判を上げているのであった。
だが、今はその優しさがリリンにとって面倒な状態に陥らせていた。
「では、リリン、私の診療所まで来なさい。診てあげよう」
「は、はいぃ……」
きっと先程の一件で何か言われると怯えたが、それに対して抗う術を持たない。主人である公爵も連れていくことを許可してしまったし、どうすることもできないのだ。
リリンは諦めて、ヒーサについていくこととなった。頭を下げて食堂を退出し、テアもまた二人に続いて出ていった。
出て行った扉を見ながら、マイスは満足そうに頷いた。
「出来た息子だ。セインよ、お前とヒーサが協力して家を盛り立てれば、何も心配はないな。安心して家督を譲れるというものだ」
「何を仰られますか、父上。いくら寂しいからと、母上の下へ行かれるのは早すぎますぞ。せめて孫の顔でも見てから行ってください。じいじと呼ばれて、ニヤける顔が見たいものですな」
「それはいい。ならば、早くお前の再婚相手も見つけてこなくてはな。孫の顔をさっさと見せてもらうために」
二人は和やかに朝食後の会話を続けた。
しかし、二人は全く気付いていなかった。その息子であり、弟である男が二人の命を狙い、見えざる手を伸ばして毒の刃を突き刺そうとしていることに。
~ 第六話に続く ~
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