第六話 医聖の梟雄! 民の命は私が救う!
ヒサコの襲撃(仕組んだのはヒーサ)が一段落すると、再び領内巡察が再開された。
そして、目的となっていた次なる村に到着した。もちろんここでも歓迎され、村人達から公爵位の継承と結婚のことで数々の祝意を受けた。
そんな賑やかな状況下に、別行動していたナルが荷馬車に乗って現れたのだ。
そこでナルは訝しんだ。歓迎されるのはいいにしても、まるでつい先程到着しましたという雰囲気であり、かなり先に到着しているようには見えなかったのだ。
そんなナルにマークが歩み寄り、つい先程あったヒサコの襲撃と、その後の顛末について説明した。
「申し訳ありません。俺が付いていながら、とんだ大失態を」
「……話を聞く分には、狙いは最初からあなただったでしょうね」
落ち込む弟分にナルは優しく肩を叩き、その労苦を理解した。
「ヒサコはどこかの段階で、あなたが術士じゃないかと疑ったんだと思う。つまり、どうにかしてマークに術を使わせ、それを証明したかった。集団行動中なら、ティース様を狙ってあなたに術を使わせるように仕向け、単独行動中ならあなた自身を追い詰めて術を使わせた、ってところじゃないかな」
「結果として、どう転んでも弱味を握られる格好になりますか」
術は使い方次第では百人の兵士に勝る力を発揮できる。であればこそ、秘匿して育てられたマークは伯爵家の切り札足り得たのだが、身の上がバレた今となっては、却って弱点と成りうるのだ。
しかも、伯爵家以外の目撃者は、ヒーサ、ヒサコ、テアの三人のみとはいえ、いずれも得体のしれない力や雰囲気があり、容易には口封じができる状況でなかった。
だが、それよりも気がかりなのは、ティースの方であった。
別行動をする前と後で、ティースのヒーサに向ける視線が明らかに変わっていた。
(そう、あれは間違いなく、恋する乙女の視線だ。それは非常に“マズい”こと)
男女の間では、先に惚れた方が“負け”なのである。惚れてしまえば、相手に尽くす。それは立場上、相手の“下”につくことを意味している。
例え夫婦の間であろうとも、明確な力関係と言うものは存在する。
現状、ただでさえ、伯爵家は苦しい立ち位置に落とし込まれている。結婚相手は公爵家という格上で、しかも事件の被害者という立場も持っている。暴かれたくない秘密や裏の事情も次々と暴露され、すでに落城寸前の城砦のような状態だ。
その上で、なおもヒーサは力攻めには出ずに、それどころか優しく手を差し伸べてくるのだ。
(なんて男だ、ヒーサ。立場を徹底的に陥れ、弱味を握り、いつでも潰せる状態にしてから、情を揺さぶるやり方に切り替え、ティース様自らの意思で頭を垂れさせる気か! 奴の狙いは、勝利ではなく完全勝利だ。領土の併合ではなく、献上と言う形をとらせるつもりか!)
どうにかして、主人の心が完全にヒーサに靡く前に止めねばならないと、ナルはこれまで以上に危機感を覚えた。
そんな焦るナルをよそに、その歓迎を受ける輪がにわかに騒がしくなった。
ナルは一旦思考を止め、騒ぎが怒っている輪の中に入っていった。
「なに、産まれそうだと?」
声を発したのはヒーサであった。村の男性に詰め寄られ、女房を診て欲しいとのことであった。
「ああ、そう言えば、お前の女房は産み月が近いと言っていたな。産婆はどうした?」
「それが間の悪いことに、隣村の出産の手伝いに出掛けてしまっていて」
「子沢山なのは領主として嬉しい限りだが、そうも言ってられんな。やむ得まい。診よう」
ヒーサは男に案内され、その家に向かった。他の面々もそれに続き、テアに至っては、診察道具の鞄も用意してそれに続いた。
そして、ヒーサは家の中に入り、早速うなされる女房を目にしたが、同時に一瞬で見てはならないものも見てしまった。
それは今まさに産まれ出ようとする胎児の“足”であった。
「まずい。逆子だ」
出産において、いきなり最悪の状況を見せつけられ、ヒーサは思わず舌打ちをした。
「ヒーサ、逆子って何ですか?」
珍しく焦っているヒーサに興味を覚え、思わず尋ねてしまった。
「赤子は通常、頭から出てくる。しかし、何らかの事情で足や腕から出てこようとする赤子がまれに存在する。それが逆子だ」
「それって面倒なんですか?」
「面倒などと言う話ではない。赤子は引っかかって腹から出てこれず、そのまま死ぬ。母体も損なわれる危険性もある。母子ともに、無事ではすまん」
説明を聞き、ティースはようやくヒーサが焦っている理由を理解した。どうなろうと無事では済まない難産だというのだ。
「……それで、どうするつもりですか?」
「胎児を殺し、バラバラにしてから取り出す。それで母体は救われる」
現状、それが現実的な手段であった。逆子である以上、胎児は文字通りの意味で切り捨てねばならなかった。このままでは母体の方も疲労でもたなくなるからだ。
当然、今の発言は女房とその夫にも聞こえ、嘆き、涙を流した。
「ご領主様、なんとか子供を助ける方法はないんですかい!?」
取り乱す夫がヒーサに詰め寄り、どうにかしてほしいと懇願してきた。
「あるにはあるが、それだと、母体が死ぬぞ」
「ど、どんなやり方なんですかい!?」
「腹を裂いて、そこから赤子を取り出す」
あまりに苛烈なやり方に、夫どころか周囲の人々も引いた。確かに、腹に大穴が開けばそこから子供を取り出せるが、それでは母体の方が危ういからだ。
「麻酔なしで帝王切開って、正気ですか!?」
この場で、唯一手術の難易度を理解しているテアがヒーサに尋ねた。
そもそも、帝王切開は死んだ母親から胎児を取り出すのが元々の手段である。生きた母親から胎児を取り出すやり方ではない。
つまり、麻酔なし消毒なしの帝王切開は、母体をほぼほぼ殺すやり方なのだ。
「子供を救うか、母体を救うか、この二択だ。どちらを選択するかは、夫婦で決めろ」
ヒーサの提案としては、これが限界であった。どちらを生かすかは、あくまで当人が決めることであって、そこに領主であっても介在するつもりはなかった。
「な、なら、子供を助けてやってください」
「お、おい」
女房のかすれた声に、夫は思わず耳を疑った。だが、その涙ぐむ瞳にすでに覚悟は固まっていることを察し、ヒーサに頭を下げた。
「ご領主様、どうか子供を救ってやってください」
「……二人とも、本当に良いのだな?」
「「はい!」」
どちらも覚悟を決めた。これが今生の別れとなるかもしれぬとしっかりと手を握った。そして、口付けを交わし、二人の間にある愛を確かめ合った。
「では、手術をしよう。水と奇麗な布を用意しろ。湯を沸かせ。邪魔になるから、我々以外は家から出ていってくれ」
ヒーサの言葉に促され、名残惜しそうに夫と女房は手を放し、家から出ていった。残ったのは、ヒーサ一行と女房だけだ。
そして、ヒーサはティースとマークの肩を掴み、部屋の隅へと移動した。
「しかしなあ、私はどうにも強欲なのだ。母子ともに救う唯一の手段をとるぞ」
ヒソヒソと話すヒーサに、ティースもマークも目を丸くして驚いた。今までの話を聞く分には、まずどちらかの命が損なわれるとしか思えず、それをどちらも救うを目の前の男は宣言したのだ。
「そんな手段があるのですか!」
「ある。ただし、マークの術を使わせてもらうぞ」
その一言で、ティースとマークがヒーサに捕まった理由が分かった。どう術を使うのかをマークに説明し、その使用許可を出せるのは主人であるティースであるからだ。
「……それで、どうするのですか?」
「腹を切り裂き、赤子を取り出す。こうまですれば、どれほど手早く縫合しようと、まず母体は助からん。そこで、マークの術で癒す。先程の術から、マーク、お前は地属性が得意な術士だな。大地の力を回復力に転換し、母体に流し込む。これで開腹手術にも耐えれるはずだ」
切りながら、回復させる。確かにとんでもない方法だが、同時に合理的でもあった。おそらくは、母子両方を救おうとした場合、これが最適解ではないかと思わせるほどに説得力はあった。
「可能ではありますが、成功するかどうか」
「出来る出来ないではない。やるかやらないかだ。失敗したとて、お前の責ではない。それは保障する。難しい手術なのだし、成功すれば儲けもの、とでも思っておけ」
「……分かりました。やるだけはやりましょう。ですが」
マークは承認しつつも、ティースに目を向けた。あくまで、最終的な決定権を持つのは、主人であるティースなのだ。
ティースとしては救ってあげたいと思いつつも、迂闊に術を使ってもよいのかどうか、悩むことであった。ヒーサは口止めに応じてくれているが、村人もそうだとは限らないからだ。
「私は反対です」
話に割り込んできたのは、ナルであった。鋭い視線をヒーサにぶつけ、牽制してきた。
「術はみだりに使っては、更なる身バレの危険があります。どうせ損なっておかしくない命、術なしでの開腹を提案します」
あくまで、冷徹なナルの提案であった。ナルにとって優先すべきは主人の身の安全であり、ここで術を使う理由が何一つないのだ。
「ナル、それじゃあ、あの人、死んじゃうわよ」
「命数と思って、諦めていただく必要があります。残念ですが、人には何事にも優先順位が存在します。ティース様、何よりもご自身をご自愛くださいませ」
人助けであろうとも、主人の身の安全を優先すれば、術の不使用が正しかった。ナルの言い分がもっともと言える。
だが、ティースにとっては、どういうわけかそれを理解していながら、拒絶したい気持ちが出てきていた。なぜなら、ティースは“カウラ伯爵家の当主”であると同時に、“シガラ公爵の令夫人”でもあるからだ。
「ナルが心配してくれるのは嬉しく思うけど、私も“領民”を見捨てることができない。ヒーサが死の運命から救い上げようとしているなら、私もそれに追随する」
決意の表れか、ティースの目には迷いもなく、ただ真っすぐにマークに視線を送った。
「マーク、あなたの主人として命じます。術式の使用を許可します。手術の補助を頼みますね」
「畏まりました」
マークは恭しくティースに頭を下げ、ティースも満足そうに頷いた。
「ヒーサ、これでよろしいでしょうか?」
「協力感謝するよ、ティース。では、早速取り掛かるとしよう」
ヒーサの呼びかけに応じ、マークもティースも女房の方へと歩み寄った。
その光景を見ながら、ヒーサがニヤリと笑っているのを、ナルは見逃さなかった。そして、ナルの方を振り向いてきた。
「お前も手伝ってくれないかな? 人手は多い方がいい」
向けられた笑顔は優し気な貴公子のそれであるが、漂う気配は歪なほどにピリピリとしていた。少なくとも、ナルにはそう感じた。
(そうか・・・。ヒーサも術士だ。それも精神に干渉する類の術式を使っているわね。これは厄介。術士であることを暴いて、マークの件を相殺にできるかと思ったけど、使っているかどうか判別の仕様がないわね。でも、そうだとすると、早くティース様にかかっている術式を解除しないと!)
ナルは従順にヒーサの指示に従いつつも、密偵としての思考は進めていたが、主人がすでに術中に堕ちつつあることを思い知らされた。
(まあ、精神系の術式は、術がかかっていることを認識させれれば、解除することは可能。ヒーサに関することを、念入りに調べないといけないわね。隙だらけのはずなのに、肝心の部分だけは掴ませてくれないけど、とにかくやるしかないわ)
当面のやるべきことは定まった。ヒーサが術士であることを暴き、その上でティースの精神を犯しつつある術式を解かせることだ。なにしろ、公爵領に来た時にはティースの心中はヒーサへの疑念が満ちていた。しかし今は、関心、好意、恋慕と一気にヒーサの方へと寄って行っている状態だ。
このまま術の浸食が進めば、隷属へと変わるのも時間の問題であることは疑いようもなかった。
(まさか、噂が囁かれている魔王、奴がそうなのだろうか? むしろ、この鮮やか過ぎる手管はそうとしか思えない。善人の皮を被った悪魔など、昔話ではよくある話だ。そうであるなら、《六星派》を扇動し、今回の事件を裏から操ることもできるわね。だが、証拠は何一つない。どこかに悪魔の正体を暴ける道具でもあればな~)
ナルの思考は悪い方向へと進む。自分が主人共々、間違いなく追い詰められつつあるのを感じ取っているからこそ、最悪な状況のことを考えてしまうのだ。
看破する手段もなく、ただ用意された道を進むしかないような感覚だ。
しかし、今は目の前の命を救うことに集中せねばならなかった。不本意ではあるが、主人からの命令である。ナルもその点では覚悟を決めざるを得なかった。
「では、御婦人、よろしいかな?」
ヒーサの手には刃物が握られていた。先程説明したように、腹を裂いて赤子を取り出すという、考えただけでも震え上がるほどの荒行を成そうとしているのだ。
妊婦の女性も震えていたが、腹の中の子供を救うにはそれしかないのも認識できていた。
「よろしく……、お願いします」
震える声を絞り出し、それが開始の合図であった。
まず、苦痛で舌を噛み切らぬよう、綿を詰めた布を口に含ませた。それから、ティースとナルがそれぞれ肩や腕を掴み、暴れて動き回らぬよう押さえつけた。
そして、最重要のマークは頭を掴んだ。暴れ回らないようにするのもそうだが、同時に癒しの術式を用いて回復させる必要があるため、一番魔力を送り込みやすい位置取りに立っているのだ。
妊婦の両足はすでにベルトで固定されており、膨れた腹部の横にはヒーサが立ち、その横には各種道具を用意しているテアがいた。
かくして、煌めく刃が腹に添えられ、手術が始まった。
~ 第七話に続く ~
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