エピローグ7 楽
「うぉ~い、準備が終わったわよ~」
少しばかり疲れた声と共に現れたのは、見慣れた緑髪の女神であった。
松永久秀の相方テアニンであり、その姿は神と呼ぶにふさわしい程の神徳と輝きに溢れていた。
なお、御利益ありそうだし、と言う理由で神の鍋『不捨礼子』を被っているのはご愛嬌と言うものであった。
「おお、これはこれは鍋神様ではありませんか! 一同、礼を」
ヒーサの呼びかけと同時に、全員が一斉にテアに向かって頭を下げた。
何しろ“神”の降臨である。全員揃って「ははぁ~!」と礼拝した。
「鍋神様、ご機嫌麗しゅう」
「……その呼び方、なんとかならないの?」
「では、闇を統べる暗黒神とでも」
「それもヤダ」
「では、いっその事、闇鍋神」
「絶対わざとでしょ!? 混ぜんな!」
相変わらず神への信仰心も敬意も感じさせないヒーサであった。
なお、ヒーサに限らず、この場の面々は信仰心に乏しい連中ばかりである。
主催者よろしく、全員が我欲に忠実な顔触ればかりであり、特に中核を担うヒサコ、ティース、アスプリクに至っては自分のやりたいようにすることしか考えていない。
完全に松永久秀と言う“大魔王”に毒されてしまっていた。
「それで麗しの女神が来たということは、調整は終わったのか?」
「ええ。次は“Sランク”の設定になっているから、相手も相当手強いわよ」
「それは結構。とはいえ、百回やって来たこの興行だが、クリアにまで到達したのはたったの三回。今少し根性を見せて欲しいものなのだがな」
などと言いつつ、ヒーサは女神に茶を差し出した。
薄茶に乳酪を混ぜた甘い茶であり、テアニンはそれをグイっと飲み干した。
茶の苦みと乳の甘みが程よく合わさり、身体に染みわたっていくのを感じ取った。
「うん、相変わらずおいしい。確かにこんなおいしい茶が毎日飲めるなら、楽しいでしょうね」
「そうであろう? 戦国の世にあっては、こういう機会がなかなかなかったからな」
「でも、呼び出されれば、すぐにでも戦にすっ飛んでいく」
「なぁに、ワシは黒幕じゃから、頑張るのはこいつらよ」
「裏設定で、あなたを倒すルートもあるのよ?」
「まだ誰も到達しとらんけどな。今少し根性を見せて欲しいものだ、綺羅星の英雄達には」
何しろ、今の『カメリア』は久秀が築城した世界である。
捻じれ曲がったストーリーと、数々のギミック、更には色とりどりの登場人物が待ち構えているのだ。
それらを時に倒し、あるいは味方に引き入れ、魔王討伐を目指す。
英雄として倒す側ではなく、魔王として倒される側を演じるのも実に面白いのだ。
そう、裏をかかれて絶望に落とされる英雄達の顔を見るのが、滑稽で仕方がなかった。
「見せるのは根性じゃなくて、知恵と閃きじゃないの?」
「まあ、そうではあるが、精神論も馬鹿にしてはいかんぞ。どれほどの膨大な知識を持ち、強力無比な武装を施そうとも、“やる気”がなければ決して世界は動かないからな」
「その点、あなたはやる気に満ち溢れているわね」
「ああ。何しろ、毎日が楽しいからな」
華に囲まれて茶事に興じ、時に菓子や料理に舌鼓を打つ。
歓談に華咲かせ、人生の悦楽を感じる。
そして、“刺激”だ。
神々の遊戯盤の管理者として現場に赴き、数多の英雄達と知恵や力で勝負する。
緩急のある、実に趣深い立場を手にした。
今の生活は、松永久秀にとってまさに理想的であり、骨を折ってまで作り上げた甲斐が合ったと言うものであった。
「さってと、じゃあ、調整が終わったってなら、配置に着くとしますか」
「随分張り切っているな、ティース。もう一杯くらい、飲んでいかんのか?」
「もう十分堪能したわよ。次は刀が血を欲しているのよ」
「物騒だな~。まあ、それがまた可愛いのだがな、我が伴侶よ」
「はいはい。それじゃ先行っているわね。それと、ヒサコ! 今度こそどっちが上かって分からせてやるから、覚悟しておきなさいよ!」
ティースはいつものようにヒサコに啖呵を切り、テアニンが飛び出してきた“穴”に飛び込んだ。
なお、ヒサコはニヤニヤするだけで、特にこれと言った反応を見せなかった。
ナルとマークもお辞儀をして、主人の後を追って穴に飛び込んだ。
「では、私も行ってきます。さて、温泉温泉~っと」
まったくやる気を感じさせないだらけた声を発し、ライタンもまた穴に飛び込んだ。
「あれで英雄討伐率十割なのが凄いですよね。私も頑張らないと」
ルルはパンと自分の頬を叩き、気合を入れてから穴へと飛び込んだ。
ちなみに、ライタンは口でこそやる気を感じさせないが、戦績は良かったりする。
自身のテリトリーであるケイカ村からはほとんど動かないが、領域内に踏み込み、かつライタンにちょっかいを駆けてきた英雄は、一人の例外もなく“完殺”していた。
魔王候補三人を除けば、一番の討伐数であり、しかも単独で事を成しているのが実力の高さを示していた。
ある意味、最も今の生活を楽しんでいるのかもしれないと、誰もが思っていた。
「叔母上、やっぱりさ、身長だけじゃなくて、胸も大きくした方が男を惹き付けるかな」
「そのままのあなたでいて」
「ヒーサもそっちの方が良さそうだし、胸を豊かにする術や薬も必要かな~」
「お願いだから、そのままでいて」
「う~、それじゃあヒーサがいつまで経っても、こっちを振り向いてくれないよ~」
「だからこそ、そのままでいて」
「叔母上が冷たぁ~い」
下世話な話をしながら、アスプリクとアスティコスも穴に飛び込んでいった。
もし、大きくなったらヒーサに手を出されやしないかと、アスティコスは戦々恐々としており、アスプリクの研究をこっそり妨害しているのではないかとさえ疑う者もいるほどだ。
実際、アスティコスは研究には非協力的であり、アスプリクもその点では叔母に不満を抱いていた。
噛み合わない二人の思惑はいつもの事であるし、ある意味で微笑ましいのでヒーサも放置していた。
「では、あたしも」
「あ、待て、ヒサコ」
「なんでしょうか?」
呼び止めはしたが、ヒーサには特に話すべきこともなかった。
元々は一人であったこの兄妹。だが今は別々の存在となった。
兄から妹は“自立”し、今や単独でなら間違いなく最強の存在となっていた。
ヒーサでさえ、ヒサコと戦うのであれば、事前の準備がなければ不可能なほどだ。
「ヒサコ、楽しいか?」
「はい、とても」
簡潔だが、それだけで十分であった。
自らの心を持たない、人の形をした人類の絶対悪にして殺戮人形。
美貌と笑顔で擬態し、血と罪の匂いを消しては次なる獲物を求めて彷徨う魔女。
そして、最後は罪を背負い、全ての穢れと共に消えゆく流し雛。
それが今目の前にいる美女の、かつての姿だ。
今はその気配はない。
自由に動き回れる一己の生命体となった。
それがいいのか悪いのかはまだ判断できていないが、それでも今は笑顔の似合う可愛らしい妹になってくれた。
とても自分の分身とは思えぬほどに。
「今こうして、話しているのも不思議な気分だ。まあ、一人芝居で、お前と話す事もあったが、今のお前は私と繋がっていない別個の存在。色々と思うところがあるな」
「まあ、それでもまだお兄様には勝てませんけどね」
「よく言う。今やお前の方が実力が上だというのにな」
そう言って、ヒーサはしゃがみ込んだ。
すると、ヒサコの足下の影から、ヒョコッと黒い仔犬が顔だけ飛び出してきた。
黒犬だ。
普段はヒサコの影の中に住み、必要な時だけ表に出てくる。
と言っても、満月の夜でなければ全力を出せない上に、その日であれば人型でも力を遜色なく発揮できるので、黒犬が戦うのも稀になっていたが。
「よしよし。黒犬よ、これからもヒサコを頼むぞ」
「アンッ!」
「ヒサコはこう見えて、結構寂しがり屋だからな。孤独が魔王を狂わせたのだ。だから、お前はずっとヒサコの側にいるのだぞ」
「アンッ! アンッ!」
もう何度か頭を撫でると、黒犬は再び影の中へと消えていった。
「お兄様、今のあたしは孤独とは無縁ですよ」
「そうか、それは良かった」
「それにしても、あたしが寂しがり屋だなんて」
「お前は私でもあるからな。似た者同士だよ」
「たくさんの華に囲まれているというのに、贅沢な事ですわね」
「もっともっと欲しいからな。私の心は常に欠け、満たされる事を知らぬ」
「だからこそ、欠けたるもの埋めるため、どこまでも追い求め、万里先にも進んでいく。あたしも同じですわよ」
二人は大いに笑い合った。
根が同じだからこそ、相手の事が良く理解できるし、楽しい事も共有できる。
今、二人の欲するものは“刺激”。
激動の時代を駆け抜けたからこそ、平穏を求める。
しかし、平穏を得ると、今度はぬるま湯に飽きて刺激を求めてしまう。
なんとも救い難い性質だ。
この二人とて、例外ではない。
平穏と刺激、程よく調和の取れた今こそ、まさに理想の生活と言えた。
「欲望の果てはない。ゆえに万物の揺り籠である宇宙は常に膨張を続けている」
「そのために、管理者たる神もまた増え続ける」
「私の作り上げたこの世界で鍛え上げられた神が、その宇宙に散ってこれを管理する」
「支配とは、自身の色で世界を染め上げる事。松永印の神が、宇宙に広がっていく」
「ゆえに、この宇宙は我らの色、我らの世界」
「宇宙もまた強欲。満たされぬからこそ、どこまでも膨らんでいく」
「九十九の欠けたる満たされる事なき一を求めて」
「我ら兄妹もまたどこまでも突き進む。命果てるその時まで」
ヒーサとヒサコは互いに見つめ合い、そして、そっくりににやけ面を作った。
満足はしていないが、この上ない充足感はある。
楽しい。そう、純粋に楽しいのだ。
笑えるし、刺激もある。
これ以上に無いほどの報酬を、松永久秀は手に入れた。
ヒサコもまた、満面の笑みだ。
「ああ、本当に楽しい。お兄様には私を作ってくれたことを感謝していますわ」
「それは結構な事だ」
「ええ。“悪役令嬢”を演じるのは、何と言いましょうか、気分爽快ですわ」
「人形ではなく、今や役者か。それもまたよし」
誰かに操られるでもなく、自らの足で立ち、意志を持って動く者を人形とは言え合わない。
ヒサコは“自立”した。
自ら進んで“悪役を演じる事”を楽しんでいる。
ここまで作り上げた甲斐があるなと、ヒーサはまさに感無量であった。
「では、一足先に行ってまいります。お兄様もお早く」
「うむ。では、今回も戦果を期待するぞ」
ヒサコも穴に飛び込み、戦場となる下界へと消えていった。
そして、残ったのはヒーサとテアニンの二人だけ。
~ エピローグ8に続く ~
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