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第六十七話  合体! 黒犬は美女を呑み込む!

「では、お兄様、これにておさらばでございます」


 ヒサコの発した言葉の意味は、この場の全員が理解していた。

 そもそもヒサコは実体を持たない存在である。

 ヒーサがスキル〈性転換〉と〈投影〉を用いて作り上げた虚像なのだ。

 それがさも実体のある存在として誤認され続けてきたのは、スキルの力とヒーサの演技力、分身体に対しての操作力あってのものだ。

 そして、息子マチャシュを取り込む事により、この世に確かな存在として楔を打ち込み、完全な実体化を成した。

 それが失われた以上、この世に留まり続ける理由がない。

 元の“虚像”に戻るだけだ。


「ヒサコよ、一応確認しておくが、私の使い魔としてであれば、魔力供給を受けて生き延びる事はできるが、どうするか?」


「もうお兄様の“部屋住み”は勘弁ですわ。自由になったからには、自由なままで最期を迎えたい」


「……そうか。ならばもう何も言うまい。ヒサコ、お前は自由だ」


 ヒーサは〈手懐ける者テイマー〉の効果を断ち切った。

 これでヒサコを縛るものは何もなくなり、本当の意味での自由となった。

 だが、それは同時にヒサコの最後でもあった。

 虚像に戻り、しかも魔力供給が断たれたのだ。

 それはすなわち、“死”を意味する。

 実体無き虚像は、消えるしか道はないのだ。

 ヒサコは最後の力を振り絞り、立ち上がった。

 何者にも縛られず、ただ自分の意思を以て大地に立った。


「ああ、世界は広く、そして、眩しい。あたしは今、そこに二本の足をで立っている。二つの眼で見つめている。風のそよぎすら、全身で感じる事が出来る」


「そうだ。それが世界だ。ヒサコ、ようやくだ。ようやく“自立”できたな」


「はい、私は全てから“自立”できました」


 だが、それを感じる時間はあまりにも少なすぎた。

 再び虚像となったヒサコは実体を失い、すでに消えかかっていた。

 意識が遠のき、風と一体化していくような、世界に溶け込む感じがしてならない。

 皆が見守る中、あらゆる罪を背負い、そして、消えゆく自由であることを望んだ流し雛がそこにいた。


「でぇ~もぉ~、残念な事にさぁ。僕は“それ”を認めないわがままな悪魔なんだよね~、これが」


 まさに悪魔的な発想であった。

 魔王となったアスプリクは、神の摂理にすら平然と反抗を始めた。


黒犬つくもん、ヒサコを食べろ!」


 アスプリクが下した命令は即座に実行された。

 黒犬つくもんは飛び掛かり、消えつつあったヒサコに齧り付いた。

 あっと言う間の出来事であったため、誰も止めるどころか声を上げる事すらなく、ヒサコの体は黒犬つくもんに飲み込まれた。


「合一! 結合!、混ざり合え、闇に蠢く者よ、罪は汝という揺り籠に揺蕩うなり。闇は闇と絡み合い、深き漆黒をまとえ! 〈融合フュージョン〉!」


 アスプリクの術式が完成すると、黒犬つくもんがまるで黒いパン生地を捏ねるがごとくグニャグニャになり、伸びたり縮んだりした。

 グルンと渦を巻いたかと思うと、形が徐々に整っていき、それは人型となった。

 現れたのはヒサコであった。ただし、髪の色は黒へと変じていたが。


「うっし。上手くいったわね」


 念のための確認とばかりに、アスプリクは“それ”に近寄ってペタペタと触れて回り、問題がないかと調べて回った。


「アスプリクよ、何をしたのだ?」


 ヒーサも興味津々のようで、黒髪に変じたヒサコを間近で眺めた。


「んとね、ヒサコは実体のない存在。言ってしまえば幽霊のようなものね。で、黒犬は悪霊の類だし、幽体化できる。つまり、両者共に幽世かくりよに片足を突っ込んだ状態であるし、相性がいいのよ。だから、ヒサコと黒犬つくもんを引っ付けた」


「なるほどな。だが、ヒサコ、それでいいのか? アスプリクの使い魔になるに等しいぞ?」


 自由のために死すら臨んだヒサコの反応は気になるところではあったが、特段気にした様子でもなかった。

 むしろ面白そうだと言わんばかりに、人型と犬型を変身して切り替えてみせた。


「悪くない体ね。でも、これって先程の意趣返しかしら?」


「そうだよ~。ヒサコは僕の体を乗っ取ろうとしたんだ。負けたからには、僕の言う事を聞いてもらうよ」


「まあ、仕方ないかな。で、アスプリクのお望みは?」


「ずっと僕の友達でいる事! これだけだよ!」


 アスプリクはヒサコに抱き付き、これは自分の所有物だと言わんばかりに主張した。

 ヒサコは女性にしては長身であるため、小柄なアスプリクが飛びついて来てもやすやすと受け止める事が出来た。

 そして、ヒサコはアスプリクの両脇に手を差し込み、持ち上げた。


「うはは。初めて出会った時もこうだったね!」


「あの時、持ち上げたのはお兄様ですけどね」


「そうだね~。で、僕と一緒に暮らしてくれるかい?」


「友達の頼み事であれば、無碍に断るわけにはいかないわね」


 ヒサコはアスプリクの笑顔を向けて、以て“了”とした。

 いままでの一物含んだ不気味な笑顔ではない。十八歳と言う美しい盛りの、艶めかしい女性の笑顔だ。

 まるで憑き物が落ちたかのような晴れやかな二人の姿に、周囲はなんとなしに拍手をした。


「あなたも物好きね~」


 唯一拍手をしていないティースがヒサコに歩み寄った。


「ヒーサは“死ぬまでこき使う”だとすれば、アスプリクからは“死んでからもこき使う”って言われているようなもんよ?」


「その発想に至れるお姉様も中々のものですわね」


「誰に影響されたと思っているのよ?」


「間違いなく、この世で一番性格の悪い男にですわね」


「それは認める」


 二人の視線の先には、当然のようにヒーサがいた。

 彼は世界を救った英雄ではない。“歪めた”俗物なのだ。

 誰よりも自分が可愛く、誰よりも我欲に忠実で、そのために神や魔王すら欺いた。

 規定ルールに従いつつもその穴を突き、まんまと出し抜いた。

 “英雄と魔王の八百長”という、誰も予想し得なかった世界の姿を作り出した。

 ただただ自らの享楽の為だけに。


「んで、ヒーサ、早速何をして“遊ぼう”か?」


 アスプリクとしては、いよいよ待ちに待った時が来たと言ったところであった。

 何者にも気兼ねなく自由に振る舞える。

 誰かばかることなくヒーサと遊べるのだ。

 邪魔者はいないし、もはや自分以外に世界を滅ぼせる者はいない。

 そして、その自分はヒーサと遊ぶ事しか考えていない。

 ゆえに、世界は安泰なのだ。


「そうだな~。色々とやりたい事はある。特に、この顔触れでちゃんとした茶会を開きたいな」


「今度は“毒饅頭”は抜きでお願いしますね」


 ヒサコのツッコミにはさすがに全員が笑った。

 毒入りの茶菓子など、誰も食べたくはないのだ。


「ちゃんとした茶懐石を出すようにするさ。だが、それよりもだ。今すぐやっておきたい事がある」


 そう言ってヒーサはティースの側に寄り、妻が抱えている息子マチャシュを見つめた。

 先程の大泣きとは打って変わって今は落ち着いており、父親の顔が近付くと嬉しそうにはしゃぎ出した。


「折角、聖山に来ている事だし、こいつの“初宮詣はつみやもうで”をしておこう」


 マチャシュは生まれてこの方、落ち着いて一ヵ所にいるという生活をしていなかった。

 出産直後に嬰児交換のために、シガラからアーソへ飛び、そこから王都ウージェに向かってそのまま史上最も幼き王として戴冠。

 その後の騒乱の際は王宮より逃亡し、各地を転々と移動した。

 事が落ち着いて王都に帰還すれば、今度は魔王覚醒でヒサコの吸収され、それを取り戻して現在に至っていた。

 生後まだ半年を僅かに超える赤ん坊にしては、あまりにも濃すぎる時間を過ごしてきた。

 その区切りとして、これからの安楽な生活を願い、親善に詣でようというのがヒーサの考えであった。

 だが、それに懐疑的な態度を示してきたのは、法王のヨハネスであった。


「残念だが、神殿はご覧の有様だぞ。誰かさんのせいでな」


 無論、神殿を破壊したのはヒーサ・ヒサコである。

 《五星教ファイブスターズ》の総本山として名高い『星聖山モンス・オウン』は今やかつての面影は残っていない。

 神職や、あるいは参拝客でいつも人が絶えなかった聖なる山も、今ではかつての賑わいを思わせるものは何もなく、ただ瓦礫の山だけが横たわっていた。

 また、神事を執り行う聖職者がいない。

 今儀式を執り行えるのは、法王じぶんを除けば、僭称法王ライタン魔王アスプリクしかいないという、頭を抱えたくなる状況だ。

 どうやって儀式をするのだ、と言うのがヨハネスの偽らざる本音であった。

 幼いとはいえ、マチャシュは“現国王”である。

 行幸参拝となると、それなりの格式を以て執り行わねば、教団の威信に関わると言うものだ。

 ヒーサの言う“初宮詣”など、とてもではないが不可能事であった。

 だが、ヒーサは気にした様子もなく、むしろ難色を示すヨハネスを笑い飛ばすくらいであった。


「別にそんなものは気にしなくていい。要は祈る姿勢と、信仰心の問題ではないか。物質的な神殿が崩れていようと問題ない。心に神殿を築き、祭壇を用意すればいい。形あるものに拘らず、心にこそ神の恩寵と言葉を刻むべきなのでは?」


 ヒーサの言葉はヨハネスにグサリと突き刺さるものであった。

 よもや世界一の俗物が、真理に近い位置にいるかのような金言を吐き出してきたからだ。


「意外だな。あなたは神や信仰から縁遠いと思っていたが」


「単に“偽物”が嫌いなだけだ。手を合わせて祈るより、その手を広げて美女や富を丸抱えしたいという気持ちの方が強い。されど、祈って本当にご利益があるのであれば、その限りではない。ちゃんと返事が来るなら、相応の礼を以て真摯に祈るだけだ」


「あくまでも、神や信仰心に対しても即物的か」


 やはりこの男はどこまでも俗物かと、ヨハネスは納得した。

 教団の復興にはこの俗物の助力が必要不可欠である以上、敵対的行動を取らない限りは手を結んでおかねばならないとも考えた。

 幸いな事に、“神”は近くにいるし、暴れる事はもうないかと安堵するに至った。


「では、儀式を執り行うとしよう。アスプリク、ライタン、手伝ってもらうぞ。マーク、それとルルもな。それで五色が揃う」


「あれあれ~。魔王ぼくが儀式に参加してもいいのかい?」


「他にいないからな。それとも、“英雄ヒーサ依頼の儀式”を欠席するかね?」


「おっと、そう返してきたか。ヨハネスも物分かりがますます良くなったね」


「半ば諦めているだけだ」


「教団再興の件を考えると、少しは同情的な気分になるよ」


 とは言え、アスプリクにはヨハネスに期待するところ大であった。

 かつての教団は腐りきっていた。

 自分自身がその腐敗のど真ん中にいて、散々汚物をこすり付けられてきたため、その点はよく理解していた。

 最近の騒乱によって、その旧首脳部が完全に駆逐され、ヨハネスだけが残った。

 これからの再建は非常に長い道のりとなるだろうが、ヨハネスならば安心して見ていられるというものであった。


(魔王の僕がどうこう言うのも筋違いだろうし、見守らせてもらうよ。また妙な方向に流れるようなら、“魔王”として、ちょっかい出してあげるからさ)


 もう二度と腐敗と堕落の温床を、この山に作るわけにはいかない。

 それがアスプリクの本音であった。

 とはいえ、今は儀式に注力しなくてはならなかった。

 この儀式を以て、新しい世界が始まるのだ。

 そう考えると、アスプリクの心は魔王とは思えぬほどに晴れやかに浮かれ上がって来るのであった。



           ~ 第六十八話に続く ~

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