第六十四話 結託! 理想の世界はすぐそこに!
勝鬨がこだまする中、ヒーサは意識を取り戻した。
アスプリクの心の中に飛び込んでいたため、意識をわざと飛ばしていたのが、ようやく現実に戻ってきたのだ。
周囲の状況から、ティースがきっちりカシンを仕留めたのはすぐに分かり、ようやく終わったかと安堵の吐息を漏らすほどだ。
「お疲れ様。あなたも無茶するわね。でも、見事だったわ」
側にいたテアがポンポンとヒーサの肩を叩き、ヒーサを称賛した。
一連の流れはテアの想像を遥かに超えており、英雄らしい戦いとはとても言えないが、少なくとも冠絶した策士であることは間違いなかった。
「普通さ、私の経験上、魔王を倒すのは英雄だって相場が決まっているのよ。でも、ヒーサは口八丁で周囲を動かし、魔王を追い詰めた。“現地民”にとどめ刺させるなんて初めてよ。そういう意味では異色の英雄よね、ほんと」
「女神よりの直接の労い、痛み入るな。何しろ、私は戦闘用のスキルを持ち合わせておらんからな。外交、弁舌こそ最大の武器だ。まあ、此度の勝利はお前の助けがあればこそだ。最後の最後で役に立ったな」
「はぁぁぁ~、結局のところ、私の最大の使い道って、魔力源としての活用だったってことで」
「そう不貞腐れるな。最後はそれの奪い合いだったからな」
ヒーサは豪快に笑い、テアとしては何とも釈然としない幕引きとなった。
女神としての役目は一切果たせず、魔力の貯蔵タンクが最大の役目だったことは疑いようもなかった。
本来なら、魔王側に女神が奪われるなど有り得ないはずなのだが、今回ばかりは異例尽くしであり、それの為だろうと割り切る事にした。
「にしてもさあ、いつの間に“アスプリクに〈手懐ける者〉をかけた”のよ? 全然気付かなかったわよ? あれがなかったら、アスプリクの心の中に入れなかったでしょうに」
「ああ、あれか。あれはな、ヒサコとの一騎討ちの前に、アスプリクが私に光刃を手渡しただろ? その時、頭ナデナデした際にかけておいた」
「あの時に!? どんだけ先読みしてたのよ!」
つまるところ、その段階で一騎打ちは騙しであり、魔王の狙いはアスプリクであると見抜いていた事になる。
そうでなければ、あの段階でアスプリクに〈手懐ける者〉をかけておく理由がないのだ。
「まあ、そういう事だよ。僕もそれに備えて動いていたってわけさ」
二人の会話にアスプリクが混じって来た。
なお、露骨なほどに魔王の気配をまとっていたため、テアは危うく腰を抜かしかけたが、同時に精神の揺らぎを一切感じないほどに安定しており、とことん前例に無い世界だと今更ながらに実感した。
「つまり、アスプリクもあの段階で、狙いが自分だって気付いていたの!?」
「まあね。だって、あの時、ヒーサがそれとなくヒントを言ってくれてたんだもの。ヒーサは諦めが悪い。“魔王との八百長”なんて無茶ぶりな策を、細い糸のような先にあったとしても、それを目指して突き進むくらいにはね。なら、そこから枝分かれしたヒサコもまた、諦めが悪い。逆転の一手がある限りは、絶対に諦めない。どうにもならなくなったと判断した後の潔さはあるけどね」
「逆転の一手、ねえ」
「あの場面での逆転を考えると、実は二つしかないんだ。一つはテアの再奪取。これができるなら余裕の逆転勝ちだけど、テアのすぐ横にマークとルルがぴったり張り付いていたからね。そこから奪うのは、毒が回って弱体化している状態では厳しい。ならばもう一つの策、“魔王の体を別の個体に取り換える”を実行に移したってわけだよ」
「ああ、なるほど。言われてみれば、その通りだわ。そもそも魔王の適性が低いヒーサの分身体がヒサコだもの。魔王の適性は低いし、私の魔力が使えなくなったら不利だものね。その点、アスプリクは適性が高く、上手く乗っ取る事さえできれば、一気に力が増す。おまけに体を取り替えるから、毒も関係なくなる」
「そういう事! だから“一騎討ち”なんてらしくないことを言い出したからには、その“裏”を考える必要がある。隙を作って僕に襲い掛かり、身体を乗っ取る、とかね」
説明されてみると、至極当然だとテアは納得した。
だが、あの鬼気迫る状況下で、それを冷静に分析し、こっそりと返し技を用意したヒーサと、それを察したアスプリクの機転の速さは驚くべきものであったが。
「まあ、どうにかして“さりげなく”アスプリクに近寄って〈手懐ける者〉を使おうかと考えていた。そしたら、向こうから“武器を差し出す”という無理ない状態で近付いてきたから、それに乗っかる形で策を実行した。あとは頭ナデナデくらいの刺激を与えれば、十分発動する」
「えへへ~。今度こそヒーサの物になっちゃった~♪」
そう言って、アスプリクは首回りの傷を指でなぞった。
ヒサコに首を切断された際の傷で、縫合の具合がいまいちらしく、がっつり傷痕が残ってしまったのだが、それがアスプリク的には“首輪”のように考えているようで、ヒーサの物になった証としてすっかり気に入ってしまっていた。
〈手懐ける者〉は相手の支配権を得るスキルだが、それを発動するには使用者側が被使用者側より明らかな格上であると“分からせる”必要がある。
小動物程度であれば、支配するのも難しくないが、強力な力を持つ存在や意志明白な者は、物理的ないし精神的に調伏させる必要がある。
しかし、アスプリクの場合はその必要がない。
なにしろ、ヒーサにべた惚れであるため、望めばいつでも身も心も捧げる意志が固まっていた。
〈手懐ける者〉が頭を撫でる程度の刺激で事足りたのは、魔王候補を惚れさせていたヒーサの事前準備の積み重ねの結果なのだ。
「ただまあ、発動すると魔王に勘付かれる恐れがあったから、術は打ち込んでもすぐに発動するような真似はしなかった。発動するのは、あくまでアスプリクの中に飛び込んだ後だ。そうすれば、退路を塞ぎつつ、魔王の精神攻撃による浸食と、〈手懐ける者〉による浸食がせめぎ合い、完全掌握を遅らせる効果も期待できた」
「そこまで考えていたのか……。ん? ちょい待ち。使い魔にできる枠は二つしかないわよ。アスプリクに使って、それからヒサコにも使っているわよね!? まさか……!」
「黒犬は野に放った」
「放つな、バカ!」
まさかの事態に、テアは大いに焦った。
黒犬は本来、凶悪極まる魔獣・王侯級悪霊黒犬である。
まともに戦えば、千の兵士に匹敵するほどの厄介な相手なのだ。
それが可愛く見えていたのは、仔犬に擬態していた事と、ヒーサの支配下にあったからに他ならない。
それが枷から外れたらどうなるか、考えると恐ろしくなるほどだ。
最悪、意識をアスプリクの心の中に飛ばしたヒーサが襲われて、殺されていた可能性すらあるのだ。
計算高く見えて、やっている事は博打に等しいのではと冷や汗をかくテアであった。
「ああ、それは大丈夫だ。黒犬はそもそも闇の眷属だ。その長である“魔王”がすぐ側にいるのだぞ? 当然、野に放った瞬間に支配権はそちらに移り、命令待ちの状態となる」
「ああ、そっか。つまり、ヒサコないしアスプリクの命令がないと動かないのか」
実際、周囲を見渡したテアが見つけた黒犬は、姿こそ正体を表して黒い毛並みの巨躯を晒してはいるが、“おすわり”の体勢のままジッとしていた。
その深紅の瞳はジッとアスプリクを見ており、どうやら新たな飼い主と認識しているようであった。
「まあ、万が一の事も考えて、『不捨礼子』はマークに渡しておいた。あいつなら動きの俊敏な黒犬にも対応できるし、足りない打撃力も、神の鍋で補える。妙な動きをすれば即殴れと言っておいた」
「抜かりないわね~」
「アスプリクの心の中に飛び込んでいる間は、肉体の方は動かせないからな。ちゃんと護衛や予防策は講じてあるさ」
「御見逸れしました。急ごしらえの策とは思えない完成度だわ」
「なぁに、今までやって来た事の応用だよ。全部覚えておけば、それほど難しくはない」
「平然とそれを言えるあなたが凄いのよ。よくもまあ、あそこまで追い詰められた状況から、勝ちを拾ったもんだわ」
テアとしてはそれ以上の言葉がなかった。
あの短時間で策を考え、実行に移し、見事に達成したのだ。
英雄としての戦闘能力は低いが、それを補って余りある智謀と行動力がある。
なんやかんやと回り道をしたが、どうやら勝つ事が出来たと実感を得たテアなのだが、それを木っ端微塵にするのがヒーサと言う男である。
ヒーサとアスプリクはテアを挟み込むように立ち、肩にそれぞれの手を置いた。
「女神よ、一つ勘違いしているようだが、“勝ってはいない”のだぞ?」
「……はい?」
「だってさ、規定によるとさ、魔王か英雄のどちらかが倒れるまで、戦いは続くんでしょ?」
「そ、そうね……」
挟み込む二人の笑顔があまりに不気味であり、テアは汗をダラダラ流し始めた。
もう、嫌な予感しかしないのだ。
「魔王と英雄、どちらも健在だ」
「つまり、決着がついてない以上、戦いはまだ続くってことだよね~」
二人の歓喜の度合いはなおも高まっていき、笑いも最高潮に達した。
「「私(僕)達の戦いはこれからだ! さあ、楽しい楽しい延長戦のお時間だ!」」
「うわぁぁぁ!」
そう、あくまで倒したのは邪魔者であって、魔王そのものは討伐されていないのだ。
魔王の因子はアスプリクの中で息づいており、なおも健在であった。
だが、アスプリクはそれを完全に制御下に置いており、暴走する事は“今のところ”ない。
ヒーサにとってはまさに理想的な状態だ。
外敵も、内部の不穏分子も片付いて、王国には敵がいない状態であった。
権力もすでに掌握し、好き放題に“遊べる”のだ。
戦国的合法手段に訴え、戦国の作法を以て成し得た理想郷がすぐ目の前に!
茶でも飲みながらのんびりしたい、という戦国の梟雄のささやかな願いが、ようやく叶おうとしていた。
~ 第六十五話に続く ~
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