第六十話 拒絶! 未来なき破滅は断固拒否だ!
「見えたであろう? 思い出したであろう? アスプリク、お前がどれほどの仕打ちを受けてきたか」
鼠の姿をしたカシンは、頭を抱えて蹲るアスプリクの耳元でそう囁いた。
アスプリクの脳裏に刻まれたかつての記憶を呼び起こし、わざわざ映像化してこれを見せ付けてきた。
それは地獄であり、拭えぬ罪と、大人達の無理解と恐怖に打ち据えられた幼少の記憶だ。
母を殺し、親兄弟から疎まれ、宮仕えからは邪険に扱われた。
特に最悪だったのは、神殿での出来事だ。
縋る神など、祈る神など、どこにもいなかった。
ただそこは欲望の渦巻く腐敗した場所であり、年端の行かぬ少女は修行の名の下に辱めを受けた。
高位聖職者の玩具であり、危険な仕事に駆り出されては命懸けでこれをこなした。
救いのない日々にあって、希望などと言うものは一切なかった。
そんなときに、アスプリクとカシンは出会った。
「覚えているか、アスプリクよ。我々が初めて会った日の事を。あの時、お前は必死で働き、任務を全うした。共に戦った仲間を失いつつも、危地に取り残された大司祭の救出に成功した。だが、感謝や労いの言葉はおろか、与えられたのは面罵と杖による殴打だ」
「…………」
「バカバカしいことであるな。『なぜもっと早く助けに来ないのか!』だからな。空高くある聖なる山の上にいる者には、下界の苦労や下々の働きなど、理解できぬであろうからな。報われぬ事、甚だしい。そんな中で、我々は出会った。そして、お前は同調したな」
カシンにっている事は事実であった。
かつて起こったアーソへの小鬼族の大規模侵攻の際の出来事だ。
アスプリクは必死に働いたが、文句を言われて益々ふさぎ込んでしまった。
その際に出会ったのが、闇の神を奉じる異端派『六星派』の黒衣の司祭だ。
後の事だが、カシン=コジと言う名であった事を知った。
復讐、意趣返し、そのためにアスプリクはカシンと握手を交わした。
と言っても、世界の破滅などは望んでおらず、あくまで今までの報復を行うための手段として、異端派と結託する道を選んだだけだ。
誰も信用していない。誰にも心を開かない。アスプリクの心は荒み切っていた。
「かつてのお前を思い出せ。疎まれ、辱められ、虐げられてきた自分の姿を! さあ、何もかもをぶち壊せ! その先には解放が待っている。苦痛も苦悩もない、無の世界だ。世界もまた、それを望んでいる」
「ぼ、僕は……!」
「抗うな。流れに身を任せよ。そうすれば、楽になれる。悩みは全てぶちまけろ。苦痛もすべて解き放て。それこそ、魔王の力だ。そして、アスプリク、お前にはそれを使役する資格がある」
そう言って、カシンはアスプリクの鼻先に自らの小さな体を晒した。
「さあ、私を取り込め。そうすれば、一切が解決する。お前が背負う罪も、虐げてきた愚か者共も、まとめて焼き尽くせるようになる。さあ、掴め、私を!」
カシンは語気を強め、アスプリクに脅しに近い誘いをかけた。
散々過去の映像を見せ、アスプリクの精神を痛めつけ、それからの取り込みである。
アスプリクの目は既に虚ろであり、カシンの誘いを受け入れてしまいそうなほどに衰弱していた。
だがこの時、予想だにしなかった事が起こった。
そのカシンが何者かに蹴飛ばされたのだ。
鼠の小さな体は吹っ飛ばされたが、すぐに起き上がって邪魔者の姿を確認した。
それはそれは金髪碧眼の美女であり、その吊り上がった眉は意志の強さと、カシンへの憤りで満たされていた。
もちろん、それはカシンの良く知る者の姿であった。
「ば、バカな!? お前は“ヒサコ”!?」
「様を付けろ、無礼者」
そう、カシンを蹴っ飛ばしたのはヒサコであった。
しかし、奇妙な点もある。
先程ティースに切断された右腕が生えているし、肌の血色もよく、毒に置かされている様子もない。
元の完全な姿のヒサコであった。
「土足でズカズカと上がり込み、いたいけな少女の心の古傷を抉り、これを嬲るとは、最低のクズ野郎ね」
「……そうか! 姿こそヒサコだが、お前、ヒーサだな!?」
「はい、正解! 折角なんで、スキル〈性転換〉でこっちの姿を取らせてもらった。なぁに、意趣返しであり、同時にヒサコの受けた屈辱を“兄”として晴らしてやろうという心遣いというやつだ」
姿は間違いなくヒサコだが、口調、喋り方はヒーサのそれである。
演技はしない。する必要もない。ただただ、目の前の“クズ野郎”を屠るためにやって来たのだ。
「だが、どうやってここに!?」
「間抜けめ、カシン。いくら体がズタボロになって長くは持たないと判断したとはいえ、“表”にヒサコをそのままにしていたのは失策だったな」
「……そうか! 貴様、“元魔王”を〈手懐ける者〉で支配下に置いたな!?」
「あれだけ心も体も死にかけている状態だ。苦も無く支配できたぞ」
〈手懐ける者〉には制限がない。あるのは同時に使役できる枠が二つしかない、という事だけだ。
あらゆる種族に適応され、どんな存在でも“降伏”させる事さえできれば、使い魔と出来る。
その気になれば人はおろか、“神”や“魔王”さえも、だ。
ただし、半殺しにして、心身ともに降参させねばならないが。
「後は単純だ。ヒサコの中に残る魔王の残留思念や残り香を頼りに、アスプリクの心の中に入り込んだお前を探し出す。元々ヒサコは私も同じ。一心ゆえに、再び同化する事も容易いしな。おかげで、“複雑な乙女心”の中を、ここまで迷わずに来られたというわけだ。実に紳士的な手段であろう?」
「フンッ! 支配をいつから紳士的であると錯覚した? 貴様も十分すぎるほどに外道であるぞ」
「支配とは、自分の色を以て相手を染め上げる行為だ。そして、私は支配したものは愛でる。そう、手にしたものはすべてな。だから“元・魔王”であろうとも、ヒサコは妹として扱っている。体を蝕んでいた毒も、〈毒無効〉で消しておいたし、受けた傷もヨハネスが治しているところだ。全員、お前を、アスプリクの体を抑え込むのに残りの力を振り絞っている」
そう説明され、カシンが意識を“表”の方に向けると、確かにヒーサの言う通りであった。
ヒサコの側にはヨハネスがいて、治癒の術式をかけていた。
同時に、ヒーサとテアが寄り添い、ヒサコに触れて魔力を注ぎ込んでいるのも見えた。
そして、残りは全員でアスプリクを取り囲み、封じ込めの結界を展開していた。
アスプリクとの同化の大詰めの際、意識を内側に寄せ過ぎたため、その動きが把握できていなかった。
「おのれ! どこまでも邪魔をするか!」
「ああ。どこまでも邪魔をさせてもらう」
ヒーサは腕を組み、仁王立ちで鼠を見下ろした。
とは言え、その姿はヒサコのそれであり、淑女がする身姿ではなかった。
女型の演技を一切していないからこそではあるが、今やその必要もない。
ただ一点、ヒーサとヒサコは目の前の鼠を、“世界の意思”を許しては置けないという事にのみ、合一していた。
「言ったはずだぞ、カシン。『愛は渇く』とな。ゆえに、我が心は常に九十九。満たされぬ一を求め、彷徨う者。度し難いまでの数奇者なのだ!」
ヒーサの一喝は、カシンさえも狼狽させた。
必死でそれを見上げるアスプリクにも、その姿は美しくもあり、凍える体に熱を入れてくれるようにも感じられた。
(ああ、ヒーサ、ヒサコ、やっぱり君らは最高だよ。自分の欲望の為だけに、世界さえも呑み込もうっていうのかい? ああ、器一つにここまでやれる。お碗一つに世界を詰め込める。どれだけ大きいんだ)
冷めた心に、たっぷりと湯をかけられた気分であった。
そっと寄り添い、スッと入り込んでは、温かみを与えてくれる。
いついかなる時でも、“もてなし”てくれる。
目の前の美女の姿をした悪魔こそ、自分にとっての最初の“オトモダチ”なのだ。
そして、優しい貴公子の姿を悪辣な策士こそ、自分にとっての初恋の相手だ。
そう考えると、アスプリクの心の中が開かれていった。
闇に覆われ、凍えるような寒さをも感じたこの閉ざされた世界に、一筋の光明と温もりで満たされていくように感じた。
そんな少女の熱い眼差しを向けられながら、ヒーサは更なる一喝を加え入れた。
「さあ、カシンよ、改めて宣じておこう。私は私のやりたいようにしたいのだ! ゆえに世界が滅びを望んでいたとしても、それを拒絶する! 私は世界を手に入れたいのだよ!」
世界の意思を拒絶し、世界そのものを手に入れる。
英雄による“世界征服宣言”であった。
~ 第六十一話に続く ~
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