第五十七話 寝取られ再び!? 白き乙女は魔王となる!
「残念。狙いは最初からこっちだったのよ」
ヒサコが〈瞬間移動〉で飛んだ先、それはアスプリクの背後であった。
炎の目くらましで周囲を欺き、ヒーサの一撃を〈瞬間移動〉でかわし、さらに標的と定めていたアスプリクの背後を取った。
術に集中していたアスプリクは、回避も防御もできずに背後から剣で貫かれた。
腹部を貫き、剣がその小さな体を貫通した。
一瞬の出来事であったため、周囲は何が起こったのか理解できなかったが、貫いた剣の切っ先から血が滴るのを見て、何をやられたのかようやく認識する事が出来た。
そして、理解と同時に動いた。
「おのれぇ!」
真っ先に動いたのは、アスプリクの側にいたティースとアスティコスであった。
ティースは瞬時に観戦から戦闘へと切り替え、鞘に納めていた刀を走らせ、ヒサコの右腕を斬り上げた。
狙い違わず、アスプリクに突きを入れた右腕の手首を切断した。
そこへすかさず、アスティコスがヒサコに飛びついた。
ヒサコは組み付きの勢いそのままに倒れたが、押し倒したアスティコスはすぐに気付いた。
「これは、違う!」
押し倒したヒサコからは、先程までビンビンに感じていた魔王の気配がなくなっていたのだ。
そして、その横でなぜか切断されたはずの右手が動き、するりと突き刺さっていた剣を抜いた。
「トカゲの尻尾切り!」
ティースはすぐに気付いた。
ヒサコはトカゲのように、尻尾を切り離して囮にした事を。
ただし、“体”の方が囮で、切断した“右手”の方が本体という、真逆ではあったが。
そして、その右手がどす黒い鼠へと変化するのには、瞬く程度の時間でしかなかった。
その鼠は穿たれた傷口に飛び込んだ。
「させるか!」
ティースは傷口に潜り込もうとする鼠を掴もうと手を伸ばしたが、ほんの僅かに遅かった。
鼠の下半身を掴もうと伸ばした手は空を掴み、鼠はアスプリクの中へと潜り込んでしまった。
まさに、その瞬間であった。
そのアスプリクの体から、先程まで感じていた魔王の気配が発せられ始めた。
しかも、より濃度を濃くして。
「まずい! 二人とも、離れて!」
テアの警告が飛んだが、遅すぎた。
アスプリクより放たれた衝撃波が、間近にいた二人を吹き飛ばした。
勢いよく飛ばされた二人ではあったが、ルルがすかさず水のクッションを作り出し、二人を上手く抱き留めた。
「ありがとう、ルル。助かったわ」
ティースはクッションから飛び降り、同時に刀を構えた。
その先には魔王の気配をまとったアスプリクがおり、周囲を威圧するかのようにぐるりと視線を方々に向けていた。
「こ、これは一体!?」
アスティコスもクッションから飛び降り、変貌してしまった姪の姿に驚いていた。
姿形は間違いなくアスプリクのそれであるが、気配がまるで別人のようになっており、アスティコスをこれ以上に無い程に動揺させた。
「忘れた!? 本来の魔王の器は、アスプリクかマークなのよ!? つまり、ある意味で元鞘に戻ったと言えるわ! ヒサコが魔王だったことの方が異常なの!」
テアとしては、むしろ目の前のアスプリクの姿こそがあるべき姿だと捉えていた。
《魔王カウンター》での計測結果では、魔王の適性としては、アスプリクが“八十八”、マークが“八十七”と極めて高く、魔王の魂を受け止める器としては申し分ない適性値であった。
一方、ヒーサ・ヒサコ、すなわち松永久秀の数値は“五”であり、本来ならば魔王として覚醒するのがおかしいような数値の低さであった。
にも拘らず無理やり覚醒させ、魔王となったのは異例中の異例と言えた。
「やれやれ。熟成が完了した酒を、真新しい瓶に詰めたといったところでしょうかね」
ライタンは軽口を叩きつつも、傷を負っていたティースやアスティコスを治療した。
他にもヨハネスも駆け寄り、すでに防御用の結界を展開していた。
黒犬も側に寄ってきており、低く唸りながらアスプリクを威圧していた。
テアを中心に円陣が組まれ、その最前線にはティースと、急いで駆け寄っていたヒーサが立った。
「利用するだけ利用して、用が済めば即放棄とは、とんでもない悪党だな」
「ヒーサ、お前がそれを言うかね?」
喋っているのはアスプリクであり、声色もそのままだ。
だが、明らかに雰囲気や口調が違っていた。
「やはり、カシン、お前なのだな?」
「いかにも。随分と回り道をしたが、元鞘と言ったところか」
アスプリクの口から不気味な笑い声が漏れ出し、聞く者を不快にさせるに十分すぎる雰囲気であった。
「そんな! アスプリクが魔王に!?」
「そういうことだ。エルフ女よ、また姪っ子を寝取ってしまって、悪いね」
「貴様ぁ!」
アスティコスは激高するも、それ以上は動けなかった。
何しろ、気配こそ違うが、見た目はアスプリクのそれである。攻撃するのが躊躇われたためだ。
魔王は足下にいる虫の息のヒサコを見下し、その頭を足蹴にした。
「やはり、所詮は人形。ここまでであったな。だが、魔王を覚醒させる醸造所としての役目としては、十全に役目を果たした酒樽と言える。その点はよしとしよう」
「おいおい、美女を足蹴にするのは良くないな。ましてや、お前にとっては、ヒサコは恩人であろうに。無碍に扱うのは、感心せんな」
「お前がそれを言うかね? そもそも私の記憶が正しければ、ヒサコを使い捨ての人形にしたのは、お前の方でなかったかね?」
「その点は間違いない。だが、それはあくまで“人形”であった頃のヒサコであって、“自律”した後のヒサコではない。自らの意思を持ち、自らの意思で動いていたのだ。それはもはや人形ではない」
「いいや。意思を持ったと勘違いしただけの、ただ動くだけの人形だよ。魔王に取り付かれ、世界を滅ぼす事だけを使命として課せられた、滑稽な自動人形でしかない。つまり、本質的には以前と変わらん。ただ、糸で操られているか、首輪を付けられているか、その程度の差でしかない」
転がるヒサコを見つめる魔王の視線は、実に冷ややかであった。
アスプリクの赤い瞳が怪しく光り、更に魔王としての濃度を濃くしていった。
「そう言えば、ヒサコはもう一つ、いい仕事をしてくれましたね。そう、お前達の体力や魔力を削る、という作業を、ね」
「それは重畳。さすがは我が妹、ちゃんと仕事をしている」
「軽口はそこまでだよ、英雄殿。アスプリクと言う最大火力を奪われ、消耗しきったお前達を蹂躙するなど、造作もない事だ」
「その火力は、こちらには届かないぞ」
ヒーサは『不捨礼子』を突き出し、再び渦を巻き始めた炎の竜を牽制した。
だが、魔王は笑うだけであった。
「なるほど、炎は通じない。魔王お得意の闇属性もまた同様。その点では、先程と同じと言うわけだな。だが、こういう手段もある」
魔王の量の手には光刃が生成された。
しかも、両手にそれぞれであり、大きさもヒーサがテアの魔力を織り交ぜて作った大剣に等しい輝きと大きさをしていた。
「というわけだ。もはや『松明丸』は必要ない。魔力が充実し、魔王としての適性値の高いこの体、お前達を叩き潰す手段はいくらでもある。炎もその一手に過ぎん。一手、二手防いだ程度ではしゃがれても、ただただ滑稽なだけだ」
ブンブンと二本の大剣を振るい、魔王は魂と体が馴染んできたかを“動作確認”した。
まだ不十分に感じてはいたが、消耗した目の前の連中を屠るのには十分だと判断し、ニヤリと笑った。
「さあ、死んでもらおうか、諸君。ヒーサとテア以外には用もないことだし、最初から全力で行かせてもらおう! 仲間の手で屠られるその身の哀れさを呪いながら、無へと帰すが良いわ!」
~ 第五十八話に続く ~




