第五十三話 指摘! 魔王よ、力に溺れるお前は醜い!
「大丈夫か、黒犬!?」
ヒーサが駆け寄る黒犬は酷い怪我を負っていた。
顎が砕け、皮が裂け、血が滴り落ちるなど、素人目にも分かるほどの深手であった。
なお、その原因は(ヒサコに変身していた)ヒーサなのだが、そんな事は完全無視だ。
「おお、これは酷い! まったくヒサコめ、気に食わぬ事があるからと、自分の愛犬に八つ当たりとは見下げ果てた奴よ」
「ぐぅ~ん」
「おお、これはいかん。すぐに治療してやろう」
女神が再び手元に戻ったため、魔力供給が再開された。
テアがすぐ後ろに立ち、かつ自分の影になって『不捨礼子』が見えないようにした。
鍋が見えてしまえば、逆に怯えて警戒させるだけでしかないのだ。
それを使って、ヒーサは黒犬の治療を始めた。
「スキル発動。〈スキル転写〉で〈形状記憶〉を黒犬へ」
鍋に備わっていた〈形状記憶〉を黒犬に移し替え、それと同時に魔力を活性化させて効果を促進させた。
(なんやかんやで、女神は本当に役立つな〜)
魔力源としては極めて優秀であるし、消費を気にせずスキルが使えるのは、やはり有用であった。
黒犬の傷も急速に癒えていき、苦痛に歪んでいた表情も落ち着いてきた。
「ヒサコも悪い奴だな〜。こんなかわいい犬を虐めて」
などと殴った本人が言うのであるから始末に悪い。
だが、すっかり騙されたのか、黒犬も落ち着いてきた。
ベロリと大きな舌をヒーサの頬を這わせた。
「よし、調伏完了!」
「いつもながら、酷すぎる」
スキル使用による再度の分からせと、治療による飼い慣らし。
これ以上にないマッチポンプであった。
(ほんと、なんとかならんのか、このやり口!)
テアとしても喰われかけを救出してもらったが、色々と思うところもあった。
だが、魔王を倒すためのやむを得ない措置として、黙って口を紡ぐこととした。
染まってきたな〜、と後ろめたさを抱えながら。
「さて、魔力の垂れ流しは防いだとは言え、楽観視できん状況だな」
テアを取り戻し、黒犬を再調教したと言えども、やはり魔王は強い。
周囲を取り囲み、間断なく攻めかけているが、むしろ体力、魔力共に削られているのはこちら側だと、ヒーサは感じていた。
善戦はしている。
ティースが愛刀の『鬼丸国綱』を振るい、アスプリクもまた術で生み出した光刃で近接戦を挑み、上手く二人で挟み込むようにヒサコを攻撃していた。
さらに、周囲にいるマーク、アスティコス、ライタン、ヨハネスが補助と回復を挟みつつ、二人を援護していた。
しかし、魔王にはまだ余裕すら感じられた。
あれだけの猛攻に晒されながら、なおも汗一つかかずに攻撃をいなしては、闇と炎を織り交ぜた反撃をしているのだ。
「ならば、助太刀せねばなるまい! 行くぞ、黒犬! 報酬として、一日一回、テアの腕をしゃぶる事を許可する!」
「待て、コラ! なんなんのよ、その報酬は!?」
「ガオォォォン!」
「よし、やる気が出てくれたようで何よりだ!」
「許可した覚えはないわよ!」
抗議の声を上げるテアを無視し、ヒーサと黒犬は一斉に駆け出し、ヒサコに向かって突っ込んでいった。
ヒサコもそれにすぐに気付いて、思わず舌打ちした。
「あの駄犬め、まんまと詐術に引っかかって……。実力はともかく、“おつむ”の方は所詮獣か!」
絶叫と共に『松明丸』を振り下ろすと、地面に大穴が開くほどの衝撃波が発生した。
ティースとアスプリクは吹っ飛ばされるも、マークが上手く土台を作って受け止め、アスプリクはアスティコスが風のクッションを作り出し、これを受け止めて着地させた。
そして、その間隙にヒーサが前に飛び込んだ。
黒犬が走る勢いのままにヒーサを咥え、猛然とヒサコの方に向かって投げ付けたのだ。
勢いよく回転しながらヒーサは『不捨礼子』を握り、その鍋をヒサコの脳天目がけて振り下ろした。
「愚妹めが、いい加減諦めんか!」
「黙れ!」
鍋と剣が衝突し、剣より発した炎の渦が二人を取り巻くが、互いに焼かれることは無かった。
鍋のスキル〈焦げ付き防止〉による火属性耐性と、炎を制御する『松明丸』のおかげだ。
炎の中は誰にも邪魔されない、二人だけの世界となった。
しかし、それも有限であった。
毒のせいか、ヒサコの体が徐々に変色し始めてきたのだ。
「どうした、ヒサコ! 体が崩れ始めているぞ! 無茶な戦い方を強いてきたことに、身体がいよいよ付いて来れなくなったようだな!」
「テアを寄こせ! そうすれば、何度でも甦る!」
「世界を破壊するだなんだと言っても、所詮は一人! 誰も付いて来んわな! 犬にすらそっぽを向かれるほどの下らぬ戯言であったという事だ!」
「黙れ! お前らを蹴散らして、計画を元に戻せばいいだけ!」
「その“手駒”がお前にはないだろうが!」
「黙れ、黙れ、黙れぇ!」
鍋と剣による鍔迫り合いはヒサコが制したが、ヒーサは完全に押し切られる前に敢えて後ろに跳んで、弾かれた勢いのまま距離を空けた。
ヒサコがそこへ追撃をかけようと踏み込むと、背中に〈火炎球〉が命中した。
威力としては大したことは無く、魔王の肌を傷つける程でもなかったが、それでも注意をそちらに向けられてしまった。
術を撃ち込んだしたのはアスプリクであるが、気が付けばぐるりと完全に包囲されていた。
ヒーサは言うに及ばず、その傍らにはテアがいる。
ティースがいる。
マークがいる。
黒犬がいる。
ライタンがいる。
アスプリクがいる。
アスティコスがいる。
ヨハネスがいる。
グルリとヒサコを取り囲む顔触れは、すべて魔王を倒す為だけに集まった。
ヒーサが必死に集めた代えの利かない“名物”ばかりだ。
ヒサコもまたそれらを見回し、そして、失望した。
俯き、肩を震わせた。
「……なんでよ」
「ん?」
「なんで欲望の塊みたいなお兄様には、みんなが従って、あたしには犬一匹靡かないのよ!?」
「それは当然、私が欲望の塊であるからだ。お前が世界を否定し、一切を消去しようとすれば、当然それに反発する者が現れる。誰しも自分が可愛いし、自分のしたいように振る舞いたいからだ。それを理性や力関係上の忖度によって、仮面を付けているに過ぎん」
そして、ヒーサはその場の全員を見回した。
「唯の一人の例外もなく、な」
ヒーサの言葉はまさに正論であった。
無論、色々と言いたい事が有るのは居並ぶ面々の顔色を見ればすぐに分かるが、敢えて押し黙った。
魔王を倒す事が優先事項であると、この点では一致していたからだ。
ティースやマークはナルの死を無駄にしないためにも、この一戦に全てを賭けている。
アスプリクは自身の呪われた運命を切り開くためにも、魔王との決着は避けては通れない。
そんな姪っ子のために、アスティコスにも引くという選択肢はないのだ。
ルルとライタンは成り行き任せで、魔王と戦うハメになった口ではあるが、根が真面目な分、途中で船から下りるような真似はできなかった。
ヨハネスは《五星教》の最高責任者である法王として、自らの責務として魔王に屈するような真似はできない。
黒犬に至っては、単なる餌付けである。
積極的、消極的は人それぞれ。
自分のため、責任のため、復讐のため、形は様々だ。
だが、ヒーサの言うように、逃げを選択する者はいなかった。
「ヒサコ、お前は間違えた。醜い欲望が果てなき闘争を生み、その醜悪さに嫌気がさして、世界を自死させる。世界自身が望もうが、お前はそれを拒絶して、自分の道を歩まなかった。やればできたであろうに、カシンの甘言に乗った時点で、お前は自分で自分を腐らせたと言ってもいい。だが、敢えてはっきり言おう。魔王と言う力に溺れるお前自身もまた、十分に醜いぞ!」
~ 第五十四話に続く ~




