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第五十二話  濡れ衣再び! マッチポンプは止められない!

「全員、付かず離れずを繰り返し、ヒサコの意識を散らせ!」


 ヒーサは現状を打開するための一手として、まずは時間稼ぎを指示した。


(やはり女神の魔力はとんでもない強壮剤となるか!)


 実際、ヒーサもそれを感じていた。

 目の前にいるにも拘らず、女神からの魔力供給が途絶えると、ガクッと重しを背負わされた感覚に襲われたのだ。

 普段意識していないが、やはりあるとないとでは差は大きいと言わざるを得なかった。

 そして、肝心の女神は黒犬つくもんに丸齧りにされていた。


「さて、躾の悪い犬にはお仕置きしないとな」


 ヒーサは『不捨礼子すてんれいす』をこれみよがしに強調して見せ付けた。

 黒犬つくもんも明らかに警戒しており、ヒーサが鍋を右へ左へと動かすたびに、赤い瞳もその動きを見逃すまいと左右に揺れた。


(倒す事はあるいは容易い。だが、少し試してみるか)


 鍋で殴り飛ばせば倒せる事はすでに実証済みだ。

 黒犬つくもんこと悪霊黒犬ブラックドッグは体を幽体化する事ができ、幽体になっている内は物理攻撃が通用しないのだ。

 そのため、幽体であっても攻撃が通るよう、魔力を帯びた特殊な武器が必要だが、『不捨礼子すてんれいす』はその中でも飛び切り優秀であった。

 まともに当てる事さえできれば、一撃で骨を砕くほどの威力が見込める。

 しかし、ヒーサは敢えてその鍋を地面に置いた。


「ちょっと、ヒーサ、正気!?」


 ヒサコと剣を交えていたティースは、必殺の道具を敢えて手放す夫の姿に驚愕した。

 あまりにも“らしくない”からだ。


「なぁ~に、私を信じろ、ティース。それより、ヒサコの注意をそのまま逸らせていろよ。そっちに意識を集中させていろ」


「分かっているから、急いでよね!」


 そう言いつつ、ティースは再び愛刀を手にヒサコに斬りかかっていた。

 テアの魔力を再び補充した事により、ヒサコは活力を取り戻した。

 炎の剣が唸り、竜の形をして四方へと熱と炎を撒き散らした。

 また、黒い触手も同時に蠢き、周囲を取り囲む者達を掴みかからんと飛びついていた。

 だが、そこは最高の精鋭達である。

 ティースとアスプリクがわるわる斬り込んでは、すぐに距離を取り、他の術士達が援護や回復を行って、ヒサコの動きを拘束した。

 と言っても、取り囲まれているヒサコの方が優勢と思えるほどに押していた。

 長くは持たんな、とヒーサは考えつつも、目の前の黒犬つくもんに意識を集中させた。

 そして、大きく息を吸い、気合の一声を放った。


「つくもん、伏せぇぇぇ!」


 ヒーサの声が黒犬つくもんに突き刺さり、二、三唸った後、その場に伏せた。


(思った通りだ。スキル〈手懐ける者テイマー〉の強制力は生きている! 闇の眷属であるから、魔王に従うのは道理であるが、同時に神より与えられたスキルも有効。ならば、揺さぶるまでよ)


 と言っても、問題なのは相手が“人”ではなく、“犬”である事。

 さらに言えば“怪物モンスター”である事だ。

 人間相手であれば、お得意の話術で口八丁いいくるめを通せるのだが、今回はその限りではない。

 長らく付き合ってきたとはいえ、あくまで女神のスキルを間に挟み、反抗心を削いだ状態で連れ添ってきたのだ。

 そして、今はそれが消えかかっている状態と言える。

 黒犬の目には、ヒーサが主人であり、同時に敵にも見えていた。


黒犬つくもん! 伏せたままでいいから、意識を散らさないで! 魔力をこっちに供給なさい!」


 ここでもう一人の飼い主ヒサコからの声が飛んできた。

 その声に反応してか、黒犬つくもんは口にしゃぶっているテアをモゴモゴ舐り始めた。

 どうやらテアから漏れ出る魔力は最高の“御馳走”らしく、なんともご満悦な表情を浮かべていた。


「おいこら、駄犬! そいつには予約が入っていると言っただろうが! 勝手に食うな! 食っていいのは私だけだ!」


 ヒーサの抗議の声に黒犬つくもんはそっぽを向いてしまった。

 同じ飼い主であっても、より相性の近い魔王ヒサコに優先権があるのか、ヒーサの指示には「知らんもん」と言いたげな雰囲気を出していた。

 だが、その瞬間こそ、ヒーサの求めていた瞬間であった。


「スキル〈性転換〉発動。姿を女に」


 周囲は魔王ヒサコを抑え込むので必死であり、ヒーサ(じぶん)に意識や視線を向ける余裕はなく、ヒサコもまた包囲攻撃を食らっている最中であるので、黒犬つくもんに最低限の指示を飛ばす程度だ。

 そして、肝心の黒犬つくもんはそっぽを向いた。

 誰もヒーサ《じぶん》を見ていないほんの一瞬の隙だ。

 ヒーサはなけなしの魔力を振り絞り、身体を女性体に、すなわちヒサコに姿を変えた。


「こっちを向きなさい、黒犬つくもん


 飼い主に命じられたため、そっぽを向いていた黒犬つくもんが振り向くと、そこには“ヒサコ”が立っていた。

 だが、少し離れた所では激戦を繰り広げている魔王ヒサコもいた。

 同じ顔が二つもあり、しかもどちらも自分の“飼い主”である。

 どういう事なのかと、黒犬つくもんの頭上には“?”が飛び交い、明らかに混乱していた。


(まあ、そりゃ混乱するでしょうよ。同じ姿が同じ場所にいて、しかもどちらからも同じ気配と、同じ威力を感じるものね)


 基本的に黒犬つくもんに対しては、スキル〈手懐ける者テイマー〉を使って使役しているが、ヒサコも魔王権限で黒犬つくもんに命令を出しているようなものであり、両者の鍔迫り合いがそのまま黒犬つくもんの支配権に直結していた。

 それだけに、同じ姿で相反する命令を受けて、訳が分からなくなったのだ。

 そして、ヒサコ(の姿をしたヒーサ)は懐から”それ"を取り出した。

 先程の茶席の際、懐にしまい込んでおいた小袋であり、その中身は“なつめ”だ。

 その取り出した棗を振り回して、中身をぶちまけた。

 中身はもちろん“抹茶”であり、その能力の粉末を黒犬つくもんの鼻先に撒き散らしたのだ。

 芳醇な茶の香りが周囲に漂うと同時に、抹茶の粉塵が辺りを漂った。


「ぶえっくしょん!」


 これにはたまらず、黒犬つくもんは大きなくしゃみをしてしまった。

 鼻先で抹茶を振り撒かれては、鼻から吸い込んでしまってむず痒くなったのだ。

 そのくしゃみの勢いのまま、テアが口から飛び出した。


「っっっ痛ぅ! で、出れた!」


 黒犬つくもんから吐き出されたテアは、色んな意味で美人が台無しになっていた。

 噛まれて牙が付き立っていたが、そこはさっさと女神の力で修復したが、いつものメイド服は穴だらけであるし、唾液でベトベトになっていた。

 テアもようやく助かったので、周囲の状況を確認すると、ヒサコが二人いる事に驚いた。

 もっとも、魔王の気配を漂わせて激闘している方と、茶入を丁寧に小袋にしまっている方という、中身がどちらか実に分かりやすい状況になっていた。


「え、ちょ、え? どういう事!?」


 とは言え、松永久秀ヒーサがなぜヒサコの姿に化けたのかは理解できなかったため、テアもまた黒犬つくもん同様に混乱した。

 だが、そんな一人と一匹の混乱を後目に、ヒーサはすぐさま次の行動に打って出た。

 置いていた『不捨礼子すてんれいす』を拾い、助走を付けて勢いよくまだむせている黒犬つくもんの鼻先を殴り付けた。


「くたばりなさい、この駄犬がぁ!」


 勢いよく豪快にフルスイング、そして、命中。

 黒い巨体は豪快に吹っ飛んだ。

 その巨躯は瓦礫の山になっていた神殿を、更に崩落させるほどの勢いで突っ込んでいった。


「よし、では、男に戻るっと」


 ヒーサは〈性転換〉で再び男性体に戻った。

 女神の視線は問題なし。“人前”での【性転換】は不可であるが、“神前”でのスキル使用には制限がかかっていないのだ。


「おっと、女神よ、これも頼む」


 そう言って、ヒーサは『不捨礼子すてんれいす』をテアに渡し、瓦礫に埋もれた黒犬つくもんの方へと駆けていった。


黒犬つくもん、大丈夫か!?」


「えぇ……」


 ここでテアは、ヒーサの一連の動きを理解した。

 何のことは無い。いつもの“自作自演まっちぽんぷ”だったというわけだ。


(えっと、つまり、ヒサコの姿をして、黒犬つくもんにヒサコが二人いると誤認させて混乱させる。姿は完全に一致しているし、どちらからも確立された“命令権”があるからこその誤認。そして、混乱したところに抹茶の粉塵攻撃と、『不捨礼子すてんれいす』で殴り付ける。それを手慣れたいつものやり口で、罪を別人に移し替えるっと)


 よもや飼い犬ペットにまで、この手法で行くと考えてもいなかったので、にわかに頭痛を覚えるテアであった。

 どこまでも自分の御手々は真っ白で、罪と言う名の泥は他の誰かが被る。

 最初から最後まで、一切ブレる事のないこのやり口は、すでに様式美と化していた。

 瓦礫の中からようやく起き上がった黒犬つくもんであるが、案の定と言うか、顔に大きな傷を負っていた。

 皮が裂け、骨が砕け、血が滴るほどの重傷であり、相変わらず闇の眷属たる黒犬つくもんと、聖なる力が付与された神の鍋の相性の悪さが引き起こした事象だ。


(そして始まる、いつもの“濡れ衣あれ”が)


 怪我をした飼い犬に駆け寄る飼い主の男。

 これだけ見れば、特段不思議なものではない。

 だが、怪我をさせた張本人が飼い主であり、しかも別の飼い主のせいにするために変身までしているという念の入れようだ。


「悪いのは全部ヒサコのせい」


 どこまでもこれを貫くつもりであると、その首尾一貫ぶりにテアは頭を抱えるのであった。



           ~ 第五十三話に続く ~

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