第四十九話 種明かし! 魔王はそれを見落とした!
黒曜石で造られたと言えど、女神の魂が封じ込められた石像である。
ティースが『鬼丸国綱』を使って全力で放った突きにも、傷一つ付かなかった。
だが、ヒーサによる『不捨礼子』は石像を砕いた。
服からジャリジャリという音を立て、砕け散った黒曜石の欠片が地面に落ちていくのが、まさに計画が破綻したその証拠となった。
「そんなバカな!? 神の力を宿した像が人の手で破壊されるなんて!」
「ヒサコ! 神とて不滅ではないということだ!」
「たかが人間風情がぁ! こんな事になるなど!」
ヒサコは急速に力が抜けていく感覚に襲われた。
肉体としては息子を吸収したことにより安定してはいたが、やはり女神を魔力源としていた点は大きかった。
なにしろ、ほぼ無限に等しい魔力を供給してくれていたので、消耗を気にせず力を振るう事が出来た。
いずれ世界そのものを崩壊させる時にも、この力は役に立つはずであった。
だが、ひっぺがされた。
元鞘と言うべきか、英雄の傍らに女神が立ち返ったのだ。
像が破壊された事により、テアの魂は解放されて元の肉体に戻り、そして、英雄と一定距離が開いてしまったために、強制的に〈瞬間移動〉が発動した。
そして、テアがヒーサのすぐ横に現れた。風に靡く結われた緑の髪と、豊かな胸元にメイド服、なんの事はない、いつもの姿だ。
「プッハァ~! 戻って来れた!?」
「よくぞ戻った! 我が麗しの女神よ!」
ヒーサは早速と言わんばかりにテアの豊満な胸元に手を伸ばしたが、案の定、ペチッと叩き落とされた。
「久しぶりの再会の挨拶がそれ!?」
「助けてやったのだ。これくらいの役得はあってしかるべきだと思うが?」
「魔王とやり合ってる最中でしょうが! 時間と場所を弁えなさい!」
「よし、女神からの言質を取った! 時間と場所さえ弁えれば問題なし、と!」
「揚げ足取るな、バカ!」
特に変わる事のない英雄と女神のやり取りではあるが、そのすぐ近くには魔王がいる。
アスプリクの一撃には耐えたが、女神を奪い返されたために大幅な弱体化がなされた。
そして何より、ここへ来て盛られた“毒”が牙を剥いてきた。
体の各所が崩れ始め、全身に耐え難い苦痛を与え始めたのだ。
「ぐ……、ここのままでは!」
ヒサコは意識を集中させ、崩れ始めた体をどうにか保った。
だが、感じる威力は女神から魔力を搾り取っていた時とは大違いであり、身体を維持する魔力を捻出しなければならなかった。
そんな苦痛に苛まれるヒサコに、ヒーサはしてやったりと言わんばかりにニヤニヤ笑いかけた。
「いい格好だな、ヒサコ。いや、本当に痛そうだ。どうだ? いよいよ本格的に毒が回ってきた感想は?」
「やってくれましたね!」
「切った張ったが戦国の倣いだ。騙されたくらいで睨んでくるなよ、不出来な妹よ」
そして、ヒーサは手に持っていた鍋をポンポンと叩いた。
「人の手で神を殺める事はできない、か。まあ、それはそうなのかもしれんが、その垣根を破壊するのがこの鍋だ。忘れてもらっては困る」
「神の力が、そんな鍋で壊されるなんて! いつからそれが可能だって気付いていたの!?」
「最初から。この鍋が生み出されたあの時からだ」
『不捨礼子』が生み出されたのはこの世界ではなく、死後に一時的に呼び出された『時空の狭間』での出来事だ。
あの時、ヒーサこと松永久秀が何よりも大切にしていた茶道具『古天明平蜘蛛茶釜』が、テアの手によって不燃物としてゴミ出しされた事に端を発する。
「あの時、平蜘蛛を捨てた所からすべてが始まった。なあ?」
「はい、その節は本当に申し訳ありませんでした」
この件に関して言えば、テアの完全なやらかし案件であるため、平謝りするよりなかった。
そんなペコペコ頭を下げているテアに、コチンッと軽く『不捨礼子』で叩いた。
「ちょっと! 痛いって!」
「これが答えだ、ヒサコ。この鍋は最強の武器だ。それこそ、『時空の狭間』にいた頃の、制限のかかっていない完全体のテアにさえ、人間の私が鍋でどつけばダメージを通せたのだ。つまり、神を殺す方法の“動作確認”はいの一番に終わっていたと言う事だ。ならば、神の力が宿っているとは言え、石像程度を壊せない道理はない」
ヒサコもそうだが、この答弁にはテアも驚いた。
はるか以前の事をしっかり覚えていて、しかもここぞと言う場面できっちりとそれを応用してくる。
相変わらず、入念な準備の上で仕掛けるなぁ~と素直に感心した。
「ヒサコ、お前自身、この鍋が強力無比な道具だと言う事は認識していた。だからこそ、出来る限り鍋が届く範囲では戦わないようにした。先程も、鍋との距離を取るために、敢えて背を向けてアスプリクに飛び掛かろうとしたのは、正解と言えば正解だ。だが、『不捨礼子』と復活したアスプリクに注意をもっていきすぎて、マークの存在を僅かだが頭から追い出してしまったのが、何よりの失策だ」
ヒーサの指摘はもっともであり、ヒサコは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。
実際、痛いのだ。毒もそうであるし、女神を奪われた件に関しても。
マークにはずっと警戒していた。
闇討ち、不意討ちを得意とする暗殺者であるし、姿が見えない分、警戒を高めていた。
だが、それ以上にアスプリクの復活があまりにも予定外であったため、そちらの対応に意識を奪われた。
その一瞬にマークが現れ、ただ“石で転倒させる”ためだけに姿を現したのだ。
(奇襲効果も僅かな時間。しかもやり直しの利かない一回こっきり。それを完璧な形で合わせてきて、連携に組み込むなんて、とんでもない胆力だわ!)
ヒサコにしてみれば、完全に裏をかかれ、全部が台無しにされたのだ。
それというのも、なぜ死者がこうも平然と闊歩しているのか、それが分からなかった。
「お兄様、あの骸達は一体!? あたしは確かに首を刎ねて殺したはず!」
「それが良くなかったな、ヒサコ。妙なところで作法になんぞ則って刎頸するのが悪い。木っ端微塵に吹っ飛ばせばよかったのだよ」
「それはどういう……!?」
「つまり、こういう事だ」
またしても鍋底を鼓でも叩くかのように音を響かせると、それはシュッと現れた。
巨大な黒い犬と、それに跨る豪奢な法衣に身を包む一人の初老の男だ。
それを見るなり、ヒサコはグラッと世界が歪んだように感じた。
「ヨハネス……!」
「ちゃんと法王と呼べ、痴れ者め」
ヨハネスは黒犬から飛び降り、今まで跨っていた黒犬を複雑な表情で眺めた。
なにしろ、《五星教》の最高権力者である法王が、闇の眷属と行動を共にしていたのである。
事情は聞いたのでやむを得ないと思いつつも、やはり色々と思うところがあるのだ。
「マーク少年よ、こうしてお前に連れられて鉄火場に放り込まれるのは、これで二度目だな」
「そうでございますね、聖下。あと、以前移動に使った黒毛の馬ですが、それもこの黒犬が化けた姿ですよ」
「なんと。つまり、あの時と顔触れは変わっておらんというわけか」
知らず知らずに禁を犯していたのかと、ヨハネスはやれやれとため息を漏らした。
しかし、すぐにヒサコを睨み付けた。
「ヒサコよ、私がここにいると言う事がどういう意味なのか。裏で何が行われていたのか、すでに察していよう?」
「あなたの情報が完全に抜け落ちていた。これもお兄様の差配ですね!?」
ヒサコが睨むその先には、ニヤつくヒーサが立っていた。
これ以上に無い程のドヤ顔を見せ付け、まさにしてやったりと言わんばかりの表情であった。
「実はな、今回の策の中で、これが一番の賭け要素だったわけだ。つまり、“魔王がヨハネスの存在に注意が行っているかどうか”というな。こればっかりはぶっつけ本番で試すよりなかった。王都での騒乱の際、ヨハネスを幽閉したのだが、それに気付いているのか? 気付いていた場合、“今も”それを気にしているのかどうか? それが分からなかったのでな」
「大事の前の些事……。思わぬ落とし穴でしたわ!」
ヒサコもヨハネスが死んだとは考えていなかった。
魔王が知っていたのはカシンからの報告であり、それによると王都や聖山への焼き討ち、法王殺しを演出し、反乱軍に擦り付ける“偽旗作戦”を松永久秀は行っていると聞いていた。
前後の状況から、法王は殺さずにいるであろうとも聞かされていた。
だが、それも“魔王覚醒”の道標に比べれば、割とどうでもいい部類の情報であった。
なにしろ、とにかく魔王として覚醒し、かつ女神を封じ込めることができれば、後のことなど何とでもなると考えていたため、そちらの方に注力し、状況を動かしてきたからだ。
(でも、躓いた! ほんのささやかなでっぱりに!)
侮っていた。ヨハネスの実力を。
ヨハネスは治癒系の術式を極めており、〈蘇生〉をも使いこなす国内指折りの術士なのだ。
だが、ここ最近、ヨハネスは〈蘇生〉を使う機会が何度かあったが、そのことごとくを失敗していた。
そのため、魔王の頭の中では大したことは無い、ということで落ち着いていた。
しかし、ヒーサは違った。
ほんの僅かな可能性に賭け、そこの一点突破を図った。
(そう、〈蘇生〉は死後時間が経過する程に成功率が下がる。聞いていた情報だと、六時間を過ぎるとまず失敗すると言う話。でも、今回はどうか? 遺体の損壊は首を刎ねただけで、復活した三人は軽微な損傷のみ。雑な縫合具合はマークの手管でしょうけど、それでも繋がった。マークが首を繋げ、ヨハネスが魂を呼び戻す。伏せられていた札が一斉に表を向くと、こうもなるのか!)
深い。あまりにも深すぎた。
ヒサコが思っている以上に、ヒーサは、松永久秀は準備を整えていたのだ。
静かに、深く、それでいて一度点火すると、全てを吹き飛ばすほどの威力を秘めて。
~ 第五十話に続く ~
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