第四十七話 大逆転! 最強の伏兵、参上す!
「では、まずは“毒”の返礼でも致しましょうか」
ヒサコの言葉に応じてか、袖の裾から黒い煙のような触手が伸び始めた。
それと同時に、ヒーサも前に出て、ティースとルルを庇う体勢を取った。
「凍れる虚ろの刃よ……」
ルルも術の詠唱に入り、意識を集中させた。
ティースは素手であるため、ササッとヒーサの影に隠れた。
「やや、これは嬉しい。妻が私を頼っているぞ」
「バカ! 素手で魔王とやり合うとか、無理に決まっているでしょ!? それとも、その鍋、私に譲る?」
「今は困る。後にしてくれ」
いよいよ魔王との戦いが始まろうと言う時にも、この二人は相変わらずであった。
ヒサコも苦笑いするよりなかったが、それもこれでおしまいだと気を引き締めた。
「では、大好きな妻が朽ち果てるのを見ている事ね! 汝の傷以て我が傷を癒せ、〈御礼参り〉!」
黒い触手が凄まじい速度でティースに向かって伸びた。
ただ、ヒーサに当てないようにと、大きく曲線を描く格好でティースに迫ったが、それだけに軌道が読まれた。
迫って来る触手を『不捨礼子』で叩き落とすと、触手は跡形もなく霧散した。
「ぬ……」
「無駄だ。闇属性の攻撃はこいつには通用せんぞ」
ヒーサによる余裕の叩き落としに、ヒサコは舌打ちをしたが、すぐに切り替えた。
ティースが氷の刃を手に、突っ込んできたからだ。
「あらあら、ルルお手製の武器ですか」
「頭のイカレた義妹には、ちょっとばかし頭を冷やしてあげようって心遣いよ!」
「ご遠慮願いますわ!」
ヒサコは斬りかかってきたティースに対して、素早く『松明丸』を鞘から抜き、これを迎撃した。
飛び込み様の大上段からの一撃を、片手持ちで難なく受け止めた。
「炎よ」
空いた左手から、今度は炎の触手が伸び、ティースを絡め取ろうとした。
だが、そこへルルの放った氷の弾丸が命中した。
ヒサコの額と、左腕の二ヵ所だ。
「ティース様! 剣を地面に刺して、引いてください!」
ルルがそう叫ぶと、ティースはそれに従って、持っていた氷の剣を地面に突き刺し、転がるように身を引いた。
「砕けろ!」
ルルの言葉に反応し、突き刺さった氷の剣が爆ぜた。
白い粉塵を巻き上げ、さながら猛吹雪のように荒れ狂い、ヒサコを包み込んだ。
「氷に抱かれ、永久の眠りを汝に与えん、〈氷の棺〉!」
ガチィンという音が響き、ヒサコが氷の中に閉じ込められた。
だが、それもほんの一瞬であった。
ヒサコの持つ『松明丸』が燃え上がり、あっさりと氷の棺を溶かしてしまったのだ。
「……で?」
一瞬だが氷漬けにされたとは言え、全くのノーダメージであった。
そして、燃える炎の剣を十字に振るい、しなる鞭のように炎で形作られた竜が紡ぎ出された。
「ちょっと、ルル! 全然効いてないじゃない!」
「やっぱり魔王相手に無理ですって! 魔力の桁が違います!」
再び素手に戻ったティースは全速力で逃げたが、その背に向かってヒサコが放った炎の竜が襲い掛かって来た。
だが、これをヒーサが割って入り、ティースを飲み込まんとする竜の顎に鍋を突き出した。
鍋と竜が衝突し、そして、あっさりと鍋が勝利した。
竜は跡形もなく消し飛び、僅かに陽炎が漂う中をヒーサは涼し気な顔で立ち、手にする『不捨礼子』をポンポンと叩いた。
「残念だが、ヒサコよ、お前の得意とする“闇”と“炎”は届かんぞ」
「相変わらずデタラメな防御性能ですわね。使っていましたからよく分かっているつもりでしたが、いざ自分の前に立ち塞がるとなると、なるほど……、これは厄介極まりない」
使う側と繰り出される側、どちらも“鍋”の性能を熟知しているだけに思う部分は多かった。
鍋本体はほぼ無敵で、特に火と闇の属性に対しては、完全耐性を付与されている。
鈍器として使えば聖属性が付与されているため、魔王にとっては厄介極まりない。
実際、並の人間より多少強い程度のヒーサの一振りで、魔王となったヒサコが吹っ飛ばされたほどだ。
近接用の道具としては、紛れもなくこの世界において最強と呼べる存在、それこそ女神テアお手製の鍋『不捨礼子』なのだ。
あるいはこの世界におけるイレギュラーの、最たるものがこの鍋ではないかと、兄も妹も思うのであった。
「ですが、お兄様、肝心な事をお忘れですよ?」
「肝心な事とは?」
「近接戦は危ない。遠距離戦も火属性、闇属性は完封される。なるほど、大したものです。その鍋の性能は。なら、答えは一つ。それ以外の方法で、“普通”に戦えばいいだけの事です!」
ヒサコは魔力を活性化させ、手に持つ剣に“風”をまとわせた。
「行きますよ」
横に薙ぎ払われた剣からは、轟音と共に衝撃波が放たれ、ヒーサに襲いかかった。
ヒーサは咄嗟に鍋でその衝撃波を受け止めたが、勢いを殺し切れず、大きく吹き飛ばされてしまった。
「水よ、彼の者を優しく抱き留めよ、〈水の緩衝〉」
ルルの術式により水が塊と化し、吹っ飛んできたヒーサをポヨンと優しく受け止めた。
その感触が中々の座り心地であったので、すぐに飛び降りずにゴロゴロと寝そべる余裕っぷりであった。
「お~、こりゃいい。ルル、今度、私の寝屋に呼ぶから、これも一緒に持って来るように」
「え? ああ、う、うぇ!?」
「味方を混乱させてどうすんのよ! さっさと降りてきなさい!」
そう言って、ティースはヒーサの足を掴み、水のクッションの感触を楽しんでいるヒーサを、無理やり地面に引きずり落とした。
先程の言葉もそうだが、この状況下でこの軽口を叩けるヒーサの図太さに、圧倒されるルルであった。
(ほんと、この御方は掴みどころがないな~)
魔王を相手にしながらこの余裕っぷりは、豪胆の極みだと感心した。
なお、「寝屋に呼ぶ」という言葉は、ルルにとっては衝撃的で、恥ずかしそうに顔を真っ赤にした。
(まあ、お兄様が妾うんぬん言ってましたけど、この状況で言いますか、それを)
ルルは兄アルベールから別れ際に、ヒーサの妾にでもなっておけと言い放ち、ヒーサもまた了承の旨を伝えていた。
この国における“実質的”な最高権力者の愛妾であれば、庶民出身のルルからすれば万々歳な立場である。
しかも、術の才能も認められているので、若さが損なわれようとも捨てられる心配もない。
そういう意味においても、ヒーサと“ねんごろ”な関係になっておくのは得策と言えた。
だが、それも平時の話であるし、なにより“正夫人”の前でするべき話でもない。
魔王との戦闘中であることを思い出し、パシィッっと頬に気合を入れて、気持ちを切り替えた。
「御二方とも、まだ戦闘中ですよ! 夫婦喧嘩は後にいたしましょう!」
「夫婦喧嘩ではない、“いちゃらぶ”と言うやつだ」
「ルル! もう一回、氷の剣作って! こいつをぶった切るから!」
全然、反省しない二人の態度に、ルルは苦笑いするよりなかった。
なお、ヒサコはご丁寧にも、二人のやり取りを黙って見守ってくれているという気遣いまでしてくれていた。
魔王に気遣われるのってどうなんだろうかと思いつつ、ルルはただ一人真面目に動いた。
「と、とにかくです、公爵様! 普通に攻撃されたら、普通に負けます! 持久戦は以ての外ですよ!」
ルルにも当然分かっていた。
『不捨礼子』の破格の性能によって、ヒサコの攻撃のいくつかは完封できていたが、だからと言って全ての攻撃を防ぎ切れるかと言うとそうでもない。
現に先程、衝撃波でヒーサは防御しきれずに吹っ飛ばされた。
ルルが素早く水のクッションを生成して事なきを得たが、それがいつまで続くとも限らない。
ヒサコが女神を確保し、無限に等しい魔力源を得ているのに対し、ヒーサはすでにいくつかのスキルを使ったために魔力は空っぽの状態だ。
ルルもこのままいけば、そう遠くない内に魔力が枯渇するが目に見えていた。
あるいは、前衛を務めるヒーサの体力が尽きる方が早いかもしれない。
どのみち、このまま“普通”に攻撃されては、ジリ貧の未来しか待っていないのだ。
「で、お兄様、どうしますか? 守りを固めてもジリ貧。攻めに転じようにも、あたしを倒し切る“大火力”に欠ける」
ヒサコも先が見えているだけに、余裕の態度であった。
実際、守るにも攻めるのにも、ヒーサには手数が不足していた。
(せめてもう何人か、この場にいてくれたら)
そう思うティースであったが、そうなると頼みとなるのは自分の従者であるマークだ。
特に聞いてはいないが、ヒーサの指示で動いているのは間違いない。
そのための行動の許可も出していたが、何をしているのかは結局、ヒーサは教えてはくれなかった。
あるいは、それの時間稼ぎかとも考え、それとなしに“夫婦喧嘩”にもさり気なく付き合ったりしているし、実際ヒサコの手が止まる場面も度々存在する。
そんなふうに思案をしているティースに、ヒーサがポンと肩に手を置き、耳元で囁いてきた。
「策は成ったぞ。夫婦共同作業による“粘り勝ち”だ」
勝ち誇った顔と共にヒーサは再び前に出て、しっかりとその右手に鍋を掴んだ。
ヒサコもそろそろ飽きたと言わんばかりに大あくびをしてきたが、明らかな挑発であった。
そんなヒサコにヒーサは不敵な笑みを見せ、こちらも上から目線の図太さを見せ付けた。
「ヒサコよ、何がジリ貧だと言うのかな?」
「このままあたしが普通に攻撃していれば、お兄様の体力か、ルルの魔力のどちらかが尽きます。無限の魔力を持つあたしには、到底勝つ事は叶いませんよ?」
「おいおい、ティースは無視か。悲しいな~」
「お姉様は今や“にぎやかし”以外の存在価値があるとでも?」
「可愛い激励をくれる」
「なるほど。それは羨ましい」
「やらんぞ」
「噛みつかれそうで怖いですね」
どちらも淡々と喋りつつも、兄妹間の軽口程度のやり取りであった。
とても雌雄を決すべく戦いに臨む英雄と魔王とは思えぬ態度だ。
「では、そろそろ決着を付けねばな。大あくびをされても、萎えるだけだ」
「おや? 手札がないのに攻めますか。何度も言うように、今のお兄様には手数が足りませんよ? 無限の魔力を有するあたしを削り切るだけの“大火力”がありませんので」
「だが、毒は効いている」
「威力は感じますが、殺すほどの事ではありませんわ」
「先程の一撃が物語っている。湖を真っ二つにするほどの威力を出せると言うのに、私を引き裂く事もできんとはな」
「手加減して撃ったのですよ、あれは。お兄様には死なれても困りますので。それで毒が効いていると思われるのは心外ですわ」
「毒と言うのは、ちゃんと体に回ってからが怖いのだぞ」
「ええ、解毒には苦労しています。さすがに戦いながらでは、やりにくい事この上ない。お兄様の丹精込めて作った毒は中々のものですわ」
「評価、痛み入るな。だが、ちゃんと効いている事が分かっているだけでも十分だ」
するとヒーサは手に持っていた鍋を構え、左手でその鍋底を勢い良く叩いた。
ピシィンという音が響き、それは意外なほどに広範囲へと拡散していった。
「ヒサコ、お前は言ったな? 削りきるには“大火力”が不足していると。なら、その足りないものを足してやるとしよう」
そして、それはヒサコの耳に突き刺さった。
「猛き炎と共に天高くおわす火の神オーティアよ」
それは詠唱であった。
吟じるかのような心地よさと、同時に溢れんばかりのピリピリする感覚が生じた。
「我は汝の僕にして、汝の力を欲する者なり」
そんなバカなと、ヒサコはゆっくりと声のする方を振り向いた。
「天より降り注ぐ汝の槍は、全てを穿ち、その身は赤く染まる」
そして、その姿を視界に捉えた。
それは決してその場にいてはならないはずの存在であった。
「神々の魂すらも焼き尽くす、原初の炎を今ここに」
その姿はあまりにも美しい。
神々しいとさえ言える。
風に舞う銀色の長い髪、白磁を磨き上げたかのような滑る白い肌、炎をそのまま埋め込んだかのような赤い眼、そして、“尖った耳”。
誂えたかのような、ぴったりと体のラインがはまり込んだ黒い衣服が、白い身体と赤い炎によって、驚くほどに映えている。
そう、そこに立っていたのは、火の神の愛娘、白無垢の少女、“共犯者”。
火の大神官アスプリクであった。
~ 第四十八話に続く ~
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