第四十二話 野点の茶会! 英雄は一席設けて魔王を招く!(12)
一通り喚き散らして疲れたのか、先程までの口論と言う名の夫婦のイチャイチャが終わった。
ティースは不貞腐れながらそっぽを向き、とても経産婦とは思えぬほどの子供っぽい態度だ。
一方のヒーサは菓子箱を横に置き、茶事を再開する気なのか、再び抹茶を茶碗に入れ始めた。
「ヒサコよ、少々見苦しい場面を見せてしまったな」
「少々で済むような醜態ではありませんね。お兄様、あなたの頭の中に“恥”と言う言葉が僅かでもあるのでしたらば、今この場で腹掻っ捌いて、汚辱にまみれた人生を終えられてはいかがですか?」
「容赦のない物言いだな、ヒサコ。何かお気に召さなかった事でも?」
「お兄様に関することのすべてが、です」
「ほう、それはそれは。だが、同時に“まだ”死なれても困るのであろう?」
「ええ、そうです。ですので、お兄様には自死を考えられないレベルにまで精神を破壊し、世界の終末まで“人形”のごとく過ごしていただこうかと」
「意趣返しか。我が妹ながら、良い性格をしているな」
「はい。なにしろ、あたしはお兄様でもあるのですから、“性格の良さ”はピカイチですよ」
茶を点てているヒーサを見下ろすような格好のヒサコであるが、すでにイライラは頂点に達していた。
すぐにでもその無防備に晒すうなじに手刀を叩き込んで、頸椎をグチャグチャにしてしまいたい衝動に駆られたが、それを見透かしてか、ヒーサが点てた茶を再び小机の上に置いた。
「今回は薄茶だ。濃茶とはまた違った味わいがある」
実際、ヒサコの目に映る茶碗の中身は、先程の茶とは違っていた。
緑色が薄くなっており、何より泡立っている。
濃茶の時のような抹茶を“練る”のではなく、シャカシャカと音を立てて混ぜているのを見ていた。
「……また、あの苦しみを私に味わえと?」
「毒は入っておらんぞ?」
「今のあたしにとっては、人の興じる悦楽こそが苦なのです」
「難儀な生き方だな」
「それを強いてきたのは誰ですか?」
「無論、私だ。だが、折角自分の足で立って歩いているのだ。“かつて”の事になど拘らず、“今”を掴んで、興に浸ればいいものを……。自分で自分を殺してどうする? まあ、世界の意思とやらに毒されていては、いかに智者であるお前でも理解できんか。楽の一つも知らずに果てるは、実につまらん人生だ」
ヒーサの言葉は相変わらずヒサコの心を抉って来た。
私は毒など盛ってはいない。盛ったのは“世界”の方だと言い切られてしまった。
今、小机の上には再び用意された茶がある。濃茶の濃緑とは違った、少し色の薄い緑をした薄茶だ。
(飲んでみたい、という衝動に駆られる。だが、これは毒なのよ)
茶に視線が向くと、再びカシンの声が頭の中で響いてきた。
目の前の茶碗を持ち上げ、飲み干せば、おそらくはまた違った何かが見えてくることだろう。
だが、それを“世界の意思”が許さない。
全てを壊せと囁くのだ。
ヒサコを一人の人間であると見た場合、享楽と愉悦を解くヒーサの言葉は実に甘美であった。
人生を楽しめ、今までの事も取り返せると言っているようなものであった。
だが、世界の意思は、カシンはそれを否定する。
染み付いた罪過と苦悩は決して離れず、常にお前を蝕んでくると。
それを解決するには、すべてを消し去る以外にない。
自分のみならず、世界そのものを破壊しろ、と。
「苦しいか、ヒサコよ。それはお前が本当の意味での解放を望みながら、縛られている事に慣れてしまっているからだ。ほれ、菓子でも食べて、人の生の甘美なることを味わってみよ」
悩み揺れ動くヒサコの前に、ヒーサは菓子箱を、饅頭を差し出してきた。
漆塗りの美しい箱で、中には十二個の饅頭が奇麗に並べられていた。
茶色がかった饅頭で、天頂部にはフクロウを模った焼き印が押されていた。
思わず手を伸ばしたくなる、この世界では中々味わえない甘味であったが、ヒサコは無意識に手を伸ばそうとする右手を左手で抑え込んだ。
(落ち着きなさい。この饅頭も毒よ。生きる事は苦しむ事。甘さを知れば、かつての苦さが、たちまち毒に変わる。お兄様はそれを狙って、松永久子の本能に訴えかけてきている。松永久秀は本当に嫌な性格をしているわ!)
自分の事を理解しているのも、また自分自身であった。
それだけに、松永久子は松永久秀と言う男をよく理解できていた。
左右の手が異なる動きを見せているのも、勝利を掴もうとする本能と、逃げに徹しようとする弱さが、せめぎ合っているからに他ならない。
そんな妹を嘲笑うかのような態度のヒーサであったが、思わぬ横槍が入った。
ティースがヒーサの持っていた菓子箱をヒョイッと奪ってしまったのだ。
「ヒサコにくれてやる物なんて、ゴマ粒一つもないわよ。だからこれは私が食べる!」
そう言って、不意討ち的の強奪した饅頭を、ティースは一つ摘まんで頬張った。
いきなりの事に、ヒーサもヒサコも困惑してティースの顔を見つめたが、その表情の変わりぶりたるや二人を唖然とさせるほどであった。
饅頭を口に含むなり、餡の甘さが舌を通じて全身に浸透していき、地上に楽園でもできたかのように表情が綻んでいった。
「うほぉ~。これは美味しい! 甘い、とにかく甘い! これは何個でも食べれるわ!」
そう言って、続け様に二個目、三個目と口に運ぶティースであった。
おまけに小机の上に置いていた薄茶にまで手を伸ばし、グイっと飲んではまた饅頭を頬張るという豪放ぶりを見せ付けてきた。
これにはさすがのヒーサも苦笑いであった。
「なあ、ティースよ、その茶と菓子はヒサコに出した物なのだが、なぜお前が躊躇なく食べているのだ?」
「いらないって顔に書いてあったから、遠慮なく食べているだけです」
「と言っても、とても公爵夫人の食べ方とは思えぬがっつきっぷりだな。礼法も何もあったものではない。あと、体重……」
「いいのよ。どうせこの世界もあと一日、二日の命なんでしょ? 体形の崩れなんて気にしないわよ」
もうティースも自棄になっているのかと言う答弁であった。
実際、ヒーサはこれに対して何か言える立場でもなかった。
ただ饅頭をがっつくティースを眺めては、ため息を吐くだけであった。
そんな義姉を見て、ヒサコは少しばかり意地悪をしてやろうかと思い立った。
「お姉様、その菓子の名前、分かりますか?」
「ん? 確か、“まんじゅ~”とかだったと思うけど?」
更に饅頭を頬張り、茶を飲むティースであったが、ヒサコはニヤリと笑った。
「ええ、そうです。ちなみに、饅頭の由来は、“生贄の生首”ですよ」
「ぶふぅぅぅ!」
ティースは口に含んでいた茶を盛大に吹き出し、むせ返した。
「うむ、さすがは我が妹。博識であるな」
「って、騙りじゃないの!?」
「ああ。饅頭の由来は、“生贄の生首”で合っている」
「マジか……」
ティースは残り少なくなった饅頭を眺めた。
生首と言われてなんとなしに人の首に見えてきたのか、その手が止まってしまった。
「その昔な、蛮地を訪れた賢者がいてな。そこでは川が荒れる度に人の首を刎ね、荒ぶる河の精霊を鎮めるための生贄とされていた。賢者はその悪習を止めさせるため、羊の肉を丸めた団子に小麦粉を練って作った皮で包み、人の首に見立てた物を作った。そして、その偽首を川に投げ込むと、たちまち荒れていた河が鎮まったそうだ」
「ああ、なるほど。それで“生贄の生首”ってわけね」
「まあ、偽首なんぞなくっても、嵐とて治まる時に収まるものだ。賢者はそれを知っていただけだ」
「止まない雨はない、ですね」
「現地民はそれを魔術の類だと誤認し、その後は同じやり方を踏襲した。それが“饅頭”だ。外の皮は小麦粉を練って作るのが一般的であるが、中に入れる具材については様々だ。肉を詰める場合もあるし、今回のように甘い物を包んで、菓子とする場合もある」
「なるほどね~」
生首と聞いて驚いたティースであったが、それが“偽首”であると知って安堵したのか、また饅頭を口に運んだ。
「まだ食うか」
「いや、だって、美味しいし」
「それは分かるが、さすがに食べ過ぎだ。もう残っておらんではないか」
ヒーサが箱を覗き込むと、すでに饅頭は一つになっていた。
十二個入っていたので、一人でほぼ全部を平らげたことになる。
「えっと、取りあえず、三つに切ります?」
「私とヒサコとルルで分けろと? お前がここまで食い意地が張っているとは思わなんだぞ」
「いや、だって、美味しかったし」
「それは聞いた。私はいらんから、分けるなら二等分にしろ」
「あ、その、私も結構です」
ルルもさすがにバツが悪いのか、食べる気が失せていた。
ティースの爆食いには呆れたが、客人に出した菓子を分けて食べるのは憚られたためだ。
余り物をいただく、と言うのであれば下賜を受けるが、さすがに客人と分けるというのは無理であった。
じゃあ仕方ないか、とティースは渋々ながら菓子箱をヒサコに突き出した。
もちろん、ヒサコは呆れ返ったままだ。
「お姉様、本当に一から礼法を学び直した方がいいですよ?」
「世界を滅ぼすとか宣言している奴の台詞じゃないわね。今日明日で古今の礼法を身につけたとしても、明後日には塵芥に変わっているのよ? 意味ないわ、それじゃ。それとも魔王のお仕事、止める?」
「愚問ですわね」
あるいはこれを狙ってのわざとな演技かと、妙に勘繰ってしまうヒサコであった。
兄夫婦は馬鹿げたやり取りを繰り返し、闘争の空気を萎えさせてきた。
そして、何度となく、世界を滅ぼそうとする気を削り取ろうと試みてきたのだ。
今回もそれで、くだらない笑いを取り、危うくそれに流されかけた。
ヒーサの言う通り、“一笑”の力は侮り難いものがあるのだ。
差し出された饅頭は、そのための小道具であったのだろう。
どうにも義姉相手ではやりずらいと思うヒサコであった。
(ま、これはお兄様がお姉様に惚れているということで、枝分かれいした私にもその残滓があるということかしらね)
魔王として覚醒してからも、ティースに対しては随分と甘い裁定を下している自覚があった。
まあ、それもこれも世界を滅ぼすまでの少しの間だけだと気を落ち着け、義姉が差し出してきた饅頭を掴んだ。
~ 第四十三話に続く ~
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