第四十話 野点の茶会! 英雄は一席設けて魔王を招く!(10)
それはヒサコにとって無間地獄に等しかった。
全身が火で焙られているかのように熱く、頭が鋸引きされているかのよな激痛が走っていた。
視界は暗く、何も見えない。
先程までいたはずの艶やかな野点の茶席などではなく、完全な暗闇であった。
そこにポツンとただ一人、のたうつ自分がいるだけだ。
「ぐ、ぐが、あ、うぁぁぁ、が」
声もまともに発する事が出来ないほどの痛みが走り、ただただ治まってくれと祈るばかりであった。
だが、祈る神などヒサコにはなかった。
なぜなら、神の名前も姿も知らなければ、信仰心など存在しないのだ。
「人形に、神などいない」
暗闇の中、スッと現れたのは鼠一匹。
獣ゆえに表情は掴めないが、嘲笑されているのだけはヒサコには分かった。
「か、カシンか!?」
「左様でございます、無様な魔王様」
開口一番の慇懃無礼だ。
ヒサコは掴めば握り潰せるような小さな獣を睨み付けたが、それが精いっぱいであった。
全身を蝕む激痛が、手を伸ばす事を拒んでいた。
「やれやれでございますな、魔王様。上手く受肉できて、さあこれから世界を滅ぼそうという段になり、足踏みをされてしまうとは」
「うるさい……、黙れ……」
「生憎と、黙ることはできませんな。私は神より与えられた権限と、世界の意思を代弁する者。たとえ魔王であっても、止める事などできはしません」
「別々の案件を混同し、賢しげに語る!」
「魔王を覚醒させ、自死を願う世界を潰す。すべて権限の内ですので」
悪びれた風も見せず、カシンはきっぱりと言い切った。
「魔王様、いや、ヒサコよ。お前は勘違いしているから言っておくが、拒否権などないのだぞ。お前は人形、お前は影、糸が切れて“自律”できたとはしゃいでいても、所詮は人形以外の何ものでもない。ただ人形師の名が、松永久秀から“世界の意思”に変わっただけの事だ」
「黙れ! あたしはあたしだ! もう何者にも縛られない!」
「その割には、力を得て高揚し、散々に暴れ回ったではないか。破壊と殺戮を楽しみ、悦と興に浸る。魔王としては合格点だ。だが、それではダメだ。世界を滅ぼすのには、もっと研鑽せねばならん。強奪した神の力を体に馴染ませ、さらに引き出せるようになった時こそ、世界を崩壊させることができる」
カシンの言動にブレはない。
魔王を覚醒させ、世界を崩壊させるという点では、どこまでも真っ直ぐに突き進んでいた。
ただ、そのやり方が二転三転しているだけで、“世界を滅ぼす”事に関してはずっと同じだ。
「まあ、確かにヒーサの言にも一理ある。あやつの……、松永久秀の模倣品の延長に、松永久子が生み出されたのだ。それが“自律”したとて、思考が似通るのは当然であるし、当然ながら趣味嗜好もな。ああ、まったく、一杯の茶でここまで惑わされてしまって」
「どうしてここまで、あたしが責め苦を受けねばならないの!?」
「それはヒサコ、お前が人類の絶対悪であるからだ。人々から恐怖と憎悪を一身に受け、人が背負うにはあまりに重すぎる罪をまとっているからだ。ヒーサはお前に罪を被せ続け、最後はその死を以て世界の安定化を図ろうとしていたが、そうはいかん。その絶対悪を変形させ、歪ではあるが魔王の力と魂が注がれる器に改造したのには、さすがに苦労したがな」
「なぜそこまでして、なぜあたしに拘ったの!?」
「理由は二つ。一つは今お前が言ったように、人類の絶対悪であることだ。闇の神の堕とし児たる魔王には、“心の闇”が必要だ。それも飛び切り強烈な奈落のごとき闇がな。本来ならば実体のないヒサコと言う虚像にも、あらゆる人々から恨まれ恐れられることにより、明確な闇が不明瞭な存在を実体化させた。まあ、維持するための魔力量が段違いなので、不良品もいいところであるがな」
実際、受肉前の状態では不安定過ぎて、とても魔王と呼ぶのには弱い存在だ。
皇帝ヨシテルにすら及ばないほどの実力しかなく、未完成もいいところであった。
そうなると分かっていたが、その欠点を補って余りある利点があればこそ、カシンは“分身体の魔王化”という複雑な手順を用いた。
「しかし、第二の理由がその不利な点を払拭して余りある。すなわち、“神の私物化”だ」
「テアを……、神を魔力源にする話ね」
「いかにも。この世界での法則上、神は英雄に無制限に魔力を供給できるようになっている。魔力消費の激しいスキルを連発できるのも、この恩恵のためだ。お前自身、〈投影〉でずっと実体化していたから、その消費魔力の多さは理解しているはずだ」
「……そうか。松永久秀と松永久子は“実質的”に同一存在。ゆえに、テアが近くにいさえすれば、英雄だと法則上誤認されて、魔力を供給されるという事ね」
「だからこそ苦労したぞ。アスプリクを餌にして誘い込みつつ、奴から“魔王の器”としての適性を強奪する。そこから間髪入れずにすぐ側にいた女神を捕らえ、それらを全てジワジワ変質させたヒサコという器に注ぎ込む。後は受肉できるように、マチャシュが側にいれば完璧であったのだが、そこはまあなんとかなった。こちらは後回しにしても、とにかく神と言う魔力源が欲しかった」
カシンの説明を聞き、ヒサコもそれがどれほど面倒であるかはすぐに理解できた。
実行に移そうとしても、ヒーサの監視や閃きがそれを妨害してくるのは目に見えていた。
現に、魔王相手に“八百長”まで画策し、それは半ば達成されつつあったのだ。
それを見事にひっくり返したのであるから、“分身体の魔王化”は奇手であった。
だが、それすらヒーサは予想し、“茶”を用いた再逆転を実行に移し、今に至っていた。
呼び起こされた松永久秀の欲望の因子が、自死を望む世界の意思と反発し合い、せめぎ合っていた。
その戦場に選ばれたヒサコにとっては、迷惑以外の何ものでもなかったが。
「かなり手の込んだ策を弄する事になったが、あちらもあちらでこれに備えているとは、さすがと言わざるを得んな。無様な魔王様など、見たくもなかったのだがな」
「カシン……、あなた、魔王すら使い捨ての手駒のように扱うか!」
「目的と手段を明確にしているだけですよ。目的はあくまで“世界の破滅”であって、“魔王の覚醒”は手段に過ぎない。ゆえに、目的へ近付くための手段に過ぎない魔王になど、本当の意味での敬意も忠誠もない。所詮、“駒”なのだからな。一人立ちした気になって、その実、別の枷が嵌められた気分はどうかね?」
「殺す! 殺してやる!」
「無駄だ。それはできんよ。クハァ!」
カシンが一喝すると、ヒサコに走る激痛にさらに拍車がかかった。
全身を強烈な電流が流れ、必死で手を出してカシンを掴もうとした手も、寸前で止められてしまった。
「ぐぁぁぁ!」
「言ったはずだ。私は神から、魔王を覚醒させる権限を与えられている、と。あまり手を煩わせるようなら、いっその事、その体の支配権を奪ってもよいのだぞ」
「ぐぅ、あ、あたしは、自分の足で、立って歩く……」
「叶わぬ夢と諦めろ、人形。傀儡は傀儡らしく、与えられた事にのみ専念すればいい。心など、持つべきではないのだよ!」
カシンはさらにヒサコへの負荷を強め、もはや声にすら出せぬ悲鳴を上げていた。
転げ回るヒサコを見ながら、カシンは小さな鼠の姿で鼻息を荒げた。
「フンッ、まったく、ヒーサめ、余計な事をしてくれる。一片の流言は、時に億万の人々を動かす事もあるが、よもや一杯の茶で世界を改変しよう画策するとは、発想がぶっ飛んでいると言わざるを得んな。己自身の欲深さを理解すればこその策か。だが、所詮は人間の悪足掻き。世界の意思と、強奪した神の力の前では、軽く風がそよいだ程度の話だ」
「う、うぁ……」
「さあ、ヒサコよ、もう何も憂うことは無い。苦しいか? 辛いか? ならば全てを無に帰するがいい。そうすれば、あらゆる苦痛より解放される! さあ、余計な雑念と欲望を捨て、ただただ純粋に破壊と殺戮を欲しいままにするがいい! 真なる魔王・松永久子として!」
ヒサコの頭の中で、何度も何度も繰り返された。
耳元で早鐘を打ち鳴らされるがごとき不快なカシンの声が、殺せ壊せと促した。
魔王とは何か?
人々に絶望を与え、生を、希望を、信仰を、すべてを諦めさせる者の事だ。
ヒサコの空っぽの心は、今度こそ“心の闇”に満たされていった。
~ 第四十一話に続く ~
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