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第三十九話  野点の茶会! 英雄は一席設けて魔王を招く!(9)

「美味しい」


 ヒサコは初めて口にした茶を端的にそう表現した。

 松永久秀と枝分かれした松永久子であるため、茶に関する記憶などはある程度継承されている。

 しかし、ヒサコとして飲むのはこれが初めてだ。

 苦みの中にほのかな甘さが加味され、全身に活力が行き渡る感覚を得た。


「なるほど。本来は薬として広まったというのも納得ですわね。沸々と湧き立つ、とはまさにこの事。お兄様が入れ込むのも納得ですわね」


 茶を飲む、と言う行為が単なる医療行為ではなく、芸術の域にまで昇華したのも頷けるというものだ。

 旨い上に美しい。心落ち着かせつつ、活力を得る。

 芸事としてこれはハマるな、と言うのが茶の湯を味わったヒサコの率直な感想であった。


「だから言ったではないか。茶に毒なんぞ仕込んでおらんと」


 ヒーサは鍋の湯で再び茶碗を洗い、また茶巾できれいに磨き始めていた。

 ヒサコは毒物混入を疑った事を恥じるつもりもないが、だからと言って喫茶文化を軽んじていた点については素直に反省していた。

 万難を排して茶の文化を根付かせようとした松永久秀という男の思惑も、至高の濃茶を味わった後では納得というものであった。

 耳元で囁いていたカシンの声も、今は遠くに感じるほどに。


「さて、ヒサコよ、気分も落ち着いた事だし、今一度問おう。本当に世界を壊してしまうつもりか?」


 茶の旨さに浸っているヒサコに、熱湯をぶちまけるほどの問いかけがヒーサより投げ込まれた。

 ヒーサは薄っすらと笑っており、ヒサコは得体の知れぬ怖さを感じたが、すぐに気付いた。

 “毒”がすでに体内に入ってしまった、と。

 それは自分の中にある“茶人・松永久秀”の因子と、“魔王・松永久子”によるせめぎ合いだ。

 衝突し合うそれらは、ヒサコの頭を引き裂かんばかりに暴れ回り、椅子から転げ落ちて、頭を押さえながらのたうち回った。


「さあさあ、ヒサコよ、答えるのだ。いいのか? いいのか? 旨い茶が飲めなくなるぞ」


「ぐぁ……。あ、ああ!」


「毒を盛らない? ククッ、盛る必要など、初めから無かったのだよ。ヒサコ、いや松永久子よ、お前は私の模倣者だ。ゆえに、初めから“松永久秀”という毒を内包している。私が何より欲する“茶”を飲ませてやればこの通りよ」


「は、謀ってくれましたね……!」


「なぁに、可愛い妹を茶席に招いただけの事よ。それがどういう結果を招くのか、知った上でな」


「お、おのれぇ!」


 ヒサコは殺意を込めてヒーサを凝視するも、ヒーサはニヤリと笑うだけで一瞥もくれず、まだ茶道具を磨いていた。


「なあ、ヒサコの中にいるカシンよ、アスプリクやマークを外して、それ以外を覚醒させるのはヨシとしても、今少し人選に気を遣うべきであったな」


 のたうつヒサコに対して、ヒーサは冷静、と言うより冷徹であった。

 汚れた茶道具をゴシゴシ磨き、次の茶でも入れようかと言う体だ。

 そのすぐ横で妹がもがいていようが、一切お構いなしであった。


「まさか……、以前から気付いていたと!? 」


「気付いてないと思う方がどうかしているぞ。英雄の中に魔王を潜ませる、隠れ方としては面白い発想だ。だが、バレてしまえば、最も身近な場所に拘束できているとも言える。とは言え、時間と場所を選んで、アスプリクかマークを乗っ取るかと思っていたのだが、まさかヒサコそのものを魔王として覚醒させるとは驚きであったがな。だが、万一の保険として用意した茶席、結果として“必殺”の茶道具が活きてくれたのは僥倖だ」


 ヒーサはこうなる事をある程度予想していた。分身体ヒサコが“自律”すれば、自分の“性根”がそのまま移されると。

 そして、自分であるならば、魔王にすら打ち勝てる“強欲”の精神を持っているとも。

 “茶”はそのための呼び水だ。

 かつての生では炎上する城の中、末期の茶を所望できなかった。

 飲みたいのに飲めないというのは、何とも我慢できない事であり、この世界で茶が存在すると分かってからは、その事ばかりを考えてきた。

 それは“欲”の集積であり、成さんとする渇望そのものであった。


(だからこそ、だ! 我が妹・松永久子よ、お前は茶を飲まずにはいられない! 目の前に出され、しかも周囲がそれに喉を通していれば、自分も手が出てしまう。そして、“欲望”と言う名の毒が疼き出す)


 魔王は世界の破壊を目論んでいる。

 世界の自壊願望に特異存在であるカシンが触れ、それを魔王に移し替えた結果だ。

 だが、その世界の意思を注ぎ込んだ器が良くなかった。

 カシンは裏を突いたつもりでいるが、魔王になるにはヒサコは欲望が強すぎた。

 世界を破壊して無に帰するなど、私欲を持つ者には決してできない“滅私”の状態と言える。


「生憎と、松永久秀と言う男は、欲が強くてな。決して満たされることは無い。常に九十九つくもよろずにならんといつを求める者なのだ。届かぬそれに手をかけんと、異世界にまで足を延ばした、どうしようもない数奇者なのだよ。そんな輩に世界の破滅を任せるなど、笑い話にもならんわ」


 ヒーサは水指より柄杓で水を汲み、蓋を開けた鍋の中に何度か注いだ。

 湯の温度が下がり、湯気の勢いが落ちると、再びそれに蓋をした。


「さて、なぜか客人の体調が悪いようで、汗をかいているな。次は薄茶でも振る舞おうか。ルル、そこの布で包まれている箱を持ってきてくれ。茶菓子が入っていたはずだ」


 あくまで茶事を続行するヒーサからは、ある種の狂気すら伺えた。

 今や、ヒサコにとって茶は活力を生む薬であると同時に、己の内にある欲望をさらけ出す毒でもあるのだ。

 魔王、数奇者、二つの性質がせめぎ合い、その激しさは強烈な頭痛となったヒサコに襲い掛かっていた。

 のたうつ魔王ヒサコを後目に、茶事は続いたが。その体中を駆け巡る猛毒に抗いながら、ヒサコは必死で顔を上げ、これを仕組んだ兄ヒーサを睨み付けた。


「い、いつから!? いつから魔王の隠れ場所が、自分自身であると気付いた!?」


「ケイカ村での事件の後だ。アーソへの移動の馬車の中で、スキル〈自律〉を身に付けただろう? その時からなんとなしに“嫌な予感”はしていた」


「あの時から、ですって!?」


 まさかの回答にヒサコは驚愕した。

 時が来るまでジッと身を潜めていたというのに、実はずっと以前からバレていたと告白されたのだ。

 のたうつその顔は、怒りや苦痛から驚きのそれへと変じていた。


「怪しいと感じた理由は三つだ。一つは“経験値泥棒”。女神が言うには、スキルを使用する回数や行動如何によって経験値とやらが入り、新たなスキルを得るということではないか。だが、アーソの動乱の際、あれほど策とスキルを駆使し、挙げ句の果てに“ひ~ろ~しょ~”まで開催したというのに、一切レベルアップがなかったのはどういう事だ? しかも、その後もレベルアップも、今の今まで無し。つまり、誰かが経験値とやらを掠めている、そう考えるのは自然でないか?」


 図星を指され、ヒサコの表情はさらに困惑した。

 魔王としての意識はあったものの、居場所がバレるのは避けたかったために、ジッと“松永久秀”の意識の奥底に潜み、時が来るのを待つ。

 これが早い段階で見破られていたなど、予想外であったのだ。


「魔王がこの世界に魂を落とされ、覚醒するのには時間がかかると聞いている。だが、ジッとしてるだけでは、経験値が貯まらずに弱いまま。それゆえの経験値泥棒であろうが、私の事を甘く見過ぎたようだな」


「くっ……」


「まあ、本来の“転生者えいゆう導き手かみ”が四組いて、それで魔王を討伐する、と言う前提が崩れた以上、経験値の効率が悪くても、ジッとしていた方が得策と考えたのであろうが、真逆の結果が出たな。堂々としていたヨシテルの方が、まだ手強い存在であったぞ」


 刺客や間者という者は、姿が見えぬ、正体が分からぬという点にこそ利点がある。

 バレてしまえば、嘘の情報を掴ませるなど相手方の策を逆用することにも利用できる。

 それをまんまとやったのが、この世界における松永久秀であった。


「見破った、と言う事を伏せていたか!」


「当たり前だ。ここぞという場面まで秘しておくのは、策を弄する者として当然の配慮だ。死んだ者達にはいささかの同情を覚えるが、おかげで魔王を釣り出せた。もっとも、ちゃんと“毒の入っていない茶”を飲んでくれるかどうかは、かなり成り行き任せであったがな。あ、ルルよ、ありがとう」


 ヒーサは暴露話に華咲かせながらも、ルルが持ってきた茶菓子の容器を受け取り、笑顔での応対を忘れないのは、この状況における余裕の表れであった。


「次にアーソの地でのゴタゴタの際、“カシン=コジ”が現れた事だ。カシンは上位存在とやらから権限を与えられ、魔王の覚醒に関わっているのだとか。ならば、急に現れた“異物”に対して、考察を進めるのは当然の事だ」


「…………」


「フンッ! おまけに名前に“カシン=コジ”なんぞ名乗りおって。牽制のつもりであったのだろうが、迂闊であったな。私が嫌いな者の二大巨頭、織田信長と果心居士かしんこじの片方を選ぶとは、腹立たしい限りよ。異世界の魔王に敬意を表し、信長うつけを名乗らなかった点は褒めおこう」


「そこまで見抜いていたか!」


「私の意識の中に潜んでいたのならば、ある程度であろうが、情報を抜き取っていてもおかしくはなかったからな。ならば、異世界の住人であっても、果心居士の事を知っていても不思議ではない。だが、滑稽な事よ。情報を抜き取るにしても、もっと有益な情報を抜き取ればいいものの、過去の私の情報を抜き出すとは。彼を知り己を知れば、も限度がある。“かつて”よりも、“今”をこそ知らねばならんのだぞ」


 会話を続けながらも、ヒーサはルルから受け取った菓子箱を開け、中を確認した。

 それは少し茶色がかった“饅頭”であった。


「お、これは中々の出来栄え! ベントの奴め、ちゃんと渡した手引書通り、作ってくれたようだな。やはり、茶菓子には甘味であるな」


 中の確認を終えて、再び容器に蓋をした。


「そして、最後の理由は“土下座”だ。覚えているか? アーソでの動乱の後、ヤノシュの件で領主のカインに詫びを入れた時の事を。あの時、本体わたし分身体ヒサコを使って土下座した。だが、ここであってはならない事が起こった」


「あってはならない事、ですって!?」


「ああ。土下座をした際に、ヒサコの額から血が滲み出ていた。だが、これはおかしい。女神の話では、本体と分身体は“一心異体”であるはずで、片方が傷つけば、もう片方も傷つくはず。にも拘らず、本体の方には、軽い鈍痛が走っただけで、血が流れることは無かった」


 まさにヒーサの指摘通りであり、魔王ヒサコは初めてそれに気付かされた。


「そんなバカな! では、あの時の土下座は、悲劇的な結末を迎えた動乱の“閉め”の演技などではなく、魔王あたしの有無を調べるための“動作確認”だったというの!?」


「いかにも。ちゃんと仕様書通りに動くかどうか、“動作確認”は重要であるからな。この世界に来てから何度も繰り返し、新しいスキルが手に入ってからも、ちゃんと確認を取っていた。ならば、“片方が傷つけばもう片方も傷つく”と言う仕様書に反する結果が出たらば、その理由を考えるのは当然ではないか?」


「経験値泥棒、カシンの存在、土下座の際の動作不良、これで見破ったというの!? 魔王あたしの居場所を!?」


「然り。まあ、居場所が分かっていても、どう転ぶかは“流れ次第”であったがな! だからこその“勝率一割”というわけだ! 結果として、私はそれを引き当てただけの話!」


 そう言ってヒーサはヒサコの襟首を掴み、自分の顔の近くに寄せた。

 息がかかるほどの至近であり、片方は満面の笑みを浮かべ、もう片方は苦悶の表情を浮かべていた。


「あとまあ、意図せぬ偶然ではあるが、スアス渓谷での戦いで、アルベールと一騎討ちしただろう? その際、ヒサコの体はアルベールに軽くではあるが斬られた。だが、ヒーサの体には傷が行かなかった。やはり異物が入り込んだままだったなと、これまた確認が取れた」


「あれも、か! 」


「惜しかったな~、魔王よ。悪い策ではなったが、知恵比べ、化かし合いで私には勝てなかったというわけだ。さあ、欲望の渦に呑まれ、そして、始めようではないか! 未来永劫続く闘いの日々を! “八百長”と言う名の果てなき悦楽をな!」


 梟雄の欲望、留まる事を知らず。


 それは魔王すら貪食しようと蝕んでいった。


             ~ 第四十話に続く ~

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ヾ(*´∀`*)ノ

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