第三十六話 野点の茶会! 英雄は一席設けて魔王を招く!(6)
「恨み、憎しみとは常に騒々しいが、“愛”とはなぜに、こうも静かなのであろうな」
柄杓よりこぼれ落ちた湯は、茶碗の中へと注ぎ込まれた。
温かみのある湯気が立ち、黒き器の中で緑の抹茶と混ざり合った。
鍋の蓋を再び閉め、柄杓を置き、茶筅を手に持った。
湯と抹茶を混ぜるのではなく、両者を“練る”のだ。
左手を茶碗に添え、右手の茶筅が茶碗と言う世界を動き回る。
(そう、まるでこれは“国生み”のよう……)
ヒサコの目に映るのは茶碗とヒーサの手元であるが、頭の中に思い浮かぶのは、先程の“棗”に描かれた二柱の兄妹神だ。
伊邪那岐と伊邪那美は二人力合わせて大地をかき混ぜ、“国生み”を成した。
その神々しい光景が、目の前の茶碗の中に映し出されていた。
湯と抹茶。異なる二つの物質が練り合わさり、“濃茶”という新たなる世界を生み出す。
実に美しい光景であり、ヒサコは兄の所作に心奪われ、演出に感動していた。
(あるはずのない心に、ドンドンッと太鼓を打ち鳴らされている。これが感動するという感覚。でも、あたしには……)
心と言う器に感動と言う酒が注がれ、気分はまさにほろ酔い気分で絶好調であった。
茶席でなければ、もっと大はしゃぎしていたであろうが、兄の点前ということもあって弁えてはいた。
だが、楽しげな雰囲気も、毒によって蝕まれつつあった。
すでにヒサコの体には“魔王”という毒が回っており、カシンという鼠がそれを体中に媒介していた。
楽しい雰囲気も、それが逆に見えてくる。
“国生み”の兄妹神の話と、“国盗り”の自分達の話を重ね、それゆえに“続き”が破滅を暗示しているかのようにも感じた。
(ああ、そうだわ。国生みの後、兄妹は夫婦となり、数多の神々を生み落とす。でも、火之迦具土神を生み落とした際に、伊邪那美は焼き殺された。そして、黄泉国の住人となり、最終的には伊邪那岐と仲違えしてしまう。互いに罵り合い、伊邪那美は『毎日千人の人間を殺す』と憤り、伊邪那岐は『ならば毎日千五百の産屋を建てる』と切り返して、離縁となった)
作る兄と壊す妹。まさに、今の自分達にピッタリではないかと、ヒサコは考えた。
ヒーサは神の力によって転生し、世界にはびこる悪に立ち向かう。
一方、ヒサコは魔王の依り代となり、この世界そのものを滅ぼそうとしている。
(空虚なあたしを埋めるものは何もない。お兄様の所作は美しく、感動を覚えた。でも、それは今のあたしにとっては雑念……、いえ、嫉妬でしかない)
耳元で囁くカシンの声が、魔王としての自分をより際立たせてくる。
早く殺せ、破壊しろ、と。
それこそが魔王の存在意義であり、同時に世界の意思でもある。
驕り高ぶる神の向う脛を蹴飛ばすには、神の描いたシナリオをひっくり返し、台本を破り捨ててやることだ。
今、考えるべきは世界の破滅であり、茶事、数奇に興じるべき事ではない。
なにより、ヒサコは既にタガが外れてしまっている。
アスプリク、アスティコス、ライタンをその手で殺め、更に息子マチャシュも食らってしまった。
ヒサコと言う器はすでに魔王へと変質し、拭えぬ罪過にがなみなみと注がれていた。
(ああ、お兄様、残念です。もうあたしは止められない。止まらない。こうして“楽”を見せ付け、かつて考えていたであろう“魔王との八百長”で引き延ばしを図り、その間に別の策を講じる。これがお兄様の策。この茶事の秘めたる目的でありましょう?)
ヒサコもヒーサの茶事を眺めながら、あれこれ考えてみたが、どう足掻こうともヒーサには勝ち目がない。
勝ち目がないから引き延ばし、潮目が変わるのを待つ。
策としては悪くないが、それは敵味方の波長が合い、“八百長”が成立してこその引き延ばしである。
人生の楽しみを教え、思いとどまらせようという計らいも、すでに無駄に成り果てた。
仕上がり、小机の上に置かれた濃茶は、ヒサコにとってはもはや苛立ちと嫌味の象徴にしか映っていなかった。
「ヒサコよ、お前にとって、“愛”とは何か?」
不意討ちな質問に、ヒサコは目を丸くして驚いた。
この茶席のお題目は“愛”と“思い出”であることは、すでに分かっていた。
兄妹仲良く手を取り合い、この茶席に必要な茶葉から道具一式まで、全て揃えたのだ。
すべてにこの世界での二年間の思い出が詰まり、その集大成としてここに一堂に会したのだ。
茶を飲んでゆっくりしたい、という戦国の梟雄・松永久秀の願いの為だけに、あらゆる困難を廃し、もののついでに“国盗り”にまで興じて、全てを成し遂げた。
魔王の件さえなければ、やりたい事をやるだけやって、好き放題にしましたといったところである。
今こうして茶事にうつつを抜かしているのも、松永久秀としての欲求がそうさせているのだ。
それだけに、“愛”についての問いかけは、ヒサコをイラっとさせた。
「私にとって“愛”とは、苦しみそのものであり、蔑む対象でしかありません」
ヒサコはきっぱりと言い切った。
なにしろ、ヒサコと言う虚像を生み出されてこの方、ただの一度も愛された事がないからだ。
人形として悪役令嬢を演じ、罪と悪意を一身の背負い、最後は消えゆく運命にあった。
その罪過背負いし流し雛が、魔王の器に変質しただけであり、器の中には一片の愛も含まれていないのだ。
愛情を注がれる事も、あるいは自分で醸す事もなく、ただただ罪の数が積み上がっていく。
そんな自分に愛を語らせるなど、笑い話にもならないと、ヒサコはぶった切った。
「お兄様は先程、こう言いました。『“愛”とはなぜに、こうも静かなのであろうな』と。私はそうは思いません。あたしに言わせれば、静寂どころか濁流にも等しいです」
「ほう。そう思うのはなぜかな?」
「“愛”とは相手を思いやる気持ちでしょうが、ともすればそれは独善へと進み、その極地として“執着”に行き付きます。そう、お兄様、あなたのことです」
そして、ヒサコはずらりと並べられた茶道具の数々を、順々に指して回った。
どれもこれも逸品揃いであり、この場にあることが宿命付けられた品々だ。
苦労して集め、あるいは作り、この場に現れた綺羅星であり、ヒーサは胸を張って自慢できた。
その“裏”さえ知らなければ、楽しめる事、請け合いである。
だがヒサコは知っていた。と言うより、自分が関わってきたことであるからだ。
この道具の数々、その下には血だまりすら映って見えたのだ。
「お兄様の“愛”とは求める心、いえ、“求めすぎる心”です。すなわち執着であり、他者を蹴落としてでも拾おうとする強欲の極地! 愛が争いを呼ぶのです」
「いかにもその通り。人は愛を求め、それが時として争いを生む。人は愛ゆえに苦しむ。欲する心は執着と独占欲を生み、自分も相手も縛り上げる。愛とは“渇く”ものなのだよ。常に飲み続けなくては、心が干からびてしまう」
「そこまで分かっておいでなのでしたら、なぜこんな世界を維持しようとなさるのですか!? 人の営みは欲にまみれ、愛も変質し、欲する心が収奪の正当化に作用する。ああ、何と醜い事でありましょうか!」
「それ故に滅ぼそうと言うのか? 世界を?」
「そうです。神の福音も、お兄様のような強欲の徒には届かない」
「届いてはいるぞ。聞く耳を持ち合わせていないのだ」
ヒーサはニヤリと笑い、神を軽んじる態度を見せてきた。
なにしろ、その神様とやらから直接「好きにしろ」とお墨付きを貰ったのである。
今更、あれこれ横から文句を言われる筋合いなどないのだ。
「手を合わせて熱心に祈り、祝詞を読み上げたり、念仏を唱えたりと、皆必死だ。だが、私に言わせれば、手を合わせている暇があるなら、合わせた手を開き、足下にある小銭を一枚拾い上げた方がまだマシだぞと、忠告してやりたい気分だよ」
「清々しいまでの強欲さ。ですが、それが世界を滅ぼすと、全てを痛めつけると、お気付きでしょうに」
「愛するものために戦い、愛するものために血を流し、愛するもののために果てる。己の価値に添い、我が道を邁進する。結構な事ではないか」
「そうやって集められたのが、この道具達と言うわけですか」
「そうだ。里を焼き、財宝を奪い、邪魔者は始末し、事を成す。これもまた、一つの“愛”の形だ」
「悍ましい!」
ヒサコは更に鋭く睨み付けた。
床几に腰かけているので、絨毯にそのまま正座しているヒーサを若干見下ろす格好であるが、ヒーサの方は視線を合わせようとしない。
真っ直ぐ視線を飛ばし、ヒサコのそれと交差させることは無かった。
そんな態度が、ヒサコを一層苛立たせた。
「欲するがゆえに、殺してでも奪い取る。この愚劣な人の営みが、どれほどの災禍を生んだことか!」
「今更、泣き言は許さんぞ。私もそうだが、お前の手も真っ赤だ。流れ出た血は池となり、感じる熱は焼き払った里の記憶。どんな奇麗事を抜かしたところで、この事実は動かん。やりたいからやった。それだけだ。人の営み全てを否定するお前の方が悍ましいとさえ思う」
「汚れ役を人形に押し付けていたのは、どこのどちら様でしたでしょうか?」
「私だ。だが、“自律”したからと言って、罪が剥がれるなどと言う都合の良い事にはならんぞ。ヒサコと言う悪名は、この世界に根付いている。根付いているからこそ、心を持たないはずの人形に“心の闇”が集約され、魔王へと昇華したのだからな」
「いかにもその通りです。ゆえに、重き荷と共に、あたしは消えるのです」
「流し雛のごとくな。だが、消えるならば、自分一人で消えるがいい。私まで巻き込まんでほしいな。なにしろ、まだまだ遊び足りないのだ」
「今更命乞いでも? どこまでも自分本位で、他者を思いやる気持ちが一切ない」
「ああ。何度も言うが、自分が一番かわいいのでな」
「そんなだから、争いはいつまでも続くのです」
争いは決して止まらない。人が人として、欲を捨て去らぬ限りには。
だが、世界がどれほど広かろうとも、果てない欲望を抱く限り、その器から零れ落ちるのは明白であった。
茶碗に熱い湯を注ぎ続ければ、いずれ溢れかえる。
それだけの話だ。
二人に差があるとすれば、その歪みを許容できるか否かであった。
「それもまた、人の営みだ。醜いというが、無理やり終わらせるなど、ヒサコ、お前は神とやらにでもなったつもりか?」
「ええ、そうです。今やあたしは神にも等しい存在」
「借り物の力で、よくもまあそこまで図に乗れる。調子に乗るなと言っておきたい気分だよ」
「圧倒的な力を持つ私に対して、よくもまあそんな大きな口が利けますね。まあ、殺されないと分かっているから、そういう態度が取れるのでしょうね。なら、“それ以外”の……、お兄様が大事になさっている“大名物”を叩き割りましょうか?」
ヒサコが首を動かし、視線をヒーサから外した。
その視線の先には、ヒーサの愛する妻ティースがいた。
~ 第三十七話に続く ~
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