第三十五話 野点の茶会! 英雄は一席設けて魔王を招く!(5)
火にかけられた『不捨礼子』から、湯気が立ち始めた。
閉じたる蓋より白き煙がジワリと滲み、ゆっくりと上に向かって伸びていた。
「今日は濃茶点前としよう。本来は茶懐石でも振る舞いたいところであるが、あいにくと用意する時間がなくてな。代わりと言っては何だが、茶菓子を用意しておいた。あとで出そう」
先程までの談笑とは打って変わって、ヒーサも笑顔から真顔に変わっており、茶を点てるに際しての道具類が台子の上に、あるいはヒーサの手元にずらりと並んでいた。
台子は漆塗りの二枚の板を、四隅の柱で支えるという単純な造りだ。
しかし、黒であるがゆえに何の主張もなく、ただ静かにそこにある事を示していた。
下段に磁器製の白い水指、さらに黒い茶碗と建水、柄杓が置かれ、上段には木製の茶筅に茶杓、更に蓋置が置かれていた。
そして、最も重要な“抹茶”を入れておく茶入であるが、今回はあえて“棗”を用いる事とし、それは手元に置かれていた。
円筒形の木製の容器であり、仕覆と呼ばれる布袋に大切に納められているのを、丁寧に紐を解いて取り出した。
今は手元にこそないが、本来なら『九十九髪茄子茶入』を用いたいと考えているのが、ヒーサの、松永久秀の偽らざる思いであった。
格としては、木製の“棗”より、陶器製の“茶入”の方が格上であり、貴人をもてなすのであれば、当然“茶入”を用いるのが常道である。
だが、“棗”にも利点があり、その利点のためにヒーサは敢えて常道を外した。
その“棗”の利点とは、“絵付け”だ。
茶入は焼物であるため、絵付けをするのに不向きであるが、木製の“棗”であれば漆塗りの上から絵を描き入れる事が出来る。
実際、ヒサコに見せつけるように置かれた“棗”には、見事な絵が書き込まれていた。
蓋には男女の組が一本の矛を逆さに持つ姿が描かれ、本体の方には二羽のフクロウとそれに挟まれる形で“六芒星”が描かれていた。
ヒーサはそれをヒサコの見えやすい位置に置き、ヒサコもまたそれをしっかりと観察した。
(これは確か、日ノ本の創世神話における“国生み”の場面。伊邪那岐と伊邪那美が天逆矛で大地をかき回し、国を生み落としたという……)
見る者が見ればすぐに分かる内容の絵であるが、そこまで思考してヒサコは気付いた。
国生みを行った二柱の神は“兄妹”なのだ。
(つまり、兄妹で国を生み落とそうという無言の提示。まあ、実際、二人でやりましたからね。と言っても、“国生み”ではなく、“国盗り”ではありますが)
ヒーサの無言の意思表示を察し、ヒサコはニヤリと笑ってしまった。
やはり兄は面白い人だと、素直に感心したのだ。
しかも、二羽のフクロウと“六芒星”が生み出されたというのも注目すべき点だ。
(フクロウはシガラ公爵家の象徴。それが二羽ということは、あたしとお兄様ということ。憂慮のない“不苦労”、幸運を溜め込む“福籠”を現しているのかしら。しかも、その間にあるのは“六芒星”。これは異端の《六星派》の聖印で、意匠として使われることはない。それを敢えて出したということは、『闇すら内包する』という意思の表れ)
茶事においては、もてなす側の亭主のセンスが問われるが、同時にもてなしの真意を読み解くため、客人の見識もまた問われるのだ。
茶器の由来や出された意味を見出し、話に一輪の花を添える。
出された料理や菓子についても同様だ。
所作の美しさのみならず、そういう点にも意識を向けねば、本当の面白さと言うものが見えてこない。
そして、ヒサコは気付いた。
菓子こそまだ出されていないが、見えている茶器などの道具一式、それらすべてに共通点があったのだ。
「お兄様、この席の主題は、“愛”と“思い出”でございますね」
「ほう。さすがに気付くか。さすがは“私”だ」
二人は根が同じである分、嗜好と思考が似通っていた。
それゆえに、ヒサコは無言の内に出してきたヒーサからのお題目に、すんなり気付けたのだ。
なお、“愛”などという二人に最も似つかわしくない言葉が大真面目に飛び出したため、外野のティースに突き刺さり、捧腹絶倒で呼吸困難になる有様だ。
腹を抱え、地面に突っ伏し、息ができないほどに笑っていた。
その横に立っていたルルも、あたふたしてそれを介抱しているのだが、どうにも要領を得ない。
もちろん、“結界の外”から飛び込んできた笑い声に対して、茶席の二人は完全無視のままである。
緑の傘が作り出した影の結界は、そこまで二人を隔絶した世界へと没入させていた。
「よくよく見回してみれば、ここにある道具の数々は女神お手製の鍋を除けば、すべてこの世界であたしとお兄様の二人で作り上げてきたもの。何もない空虚な世界に、“茶事”という新たな世界を二人で築き上げてきましたわね」
どれもこれも苦労を重ねた思い出の品であり、それだけにずらりと並べられると、僅かに二年足らずの時の流れの中、よくもまあ“国盗り”の傍らで創意工夫を重ね、ここまで来れたなと感じ入った。
今、ヒーサが湯を入れた茶碗にしてもそうだ。
黒備前にもよく似た佇まいで、“ヒサコの夫”第一王子のアイクの遺作である。
「その茶碗も、手にするのに苦労しましたからね」
「苦労したのは、アイク殿下であるがな」
「そうですわね。その縁より溢れた垂れたる模様も、殿下の情熱のごとき姿そのもの」
ケイカ村でのヒサコとアイクの偶然の出会いが、この茶碗を生み出した。
もっと時間がかかると思われた作陶も、ここまで早くに仕上がったのは、紛れもなくアイクの功績であり、その心に火を着けたヒサコの手柄でもあった。
ヒーサはその茶碗に湧いた湯を柄杓で入れた。
湧き立つ湯気が茶碗より上がり、茶筅を突き刺してシャッシャッシャッとかき回した。
茶碗と茶筅の“汚れ”を落とす為であり、用を終えた湯は建水の中へと流し込まれた。
熱と湯にて温まった茶碗を掴み、茶巾でしっかりと回しながら奇麗にふき取った。
「その茶筅や茶杓はアスティコスのお手製でしたわね」
「ああ。森妖精の木工技術は、工芸品の名工揃いである地妖精ですら叶わぬと聞いていたが、見事に設えてくれた。茶葉の件もそうだが、エルフの“協力”なくして、茶席は開けなかったよな。本当に感謝だ」
「ええ、それには同意します。本当にいい仕事をしてくれました」
などと平穏な口調で語る二人であるが、エルフの里を焼き討ちし、無理やり茶の木を強奪した件は、二人に言わせれば“やむなき次第にて当然の所業”なのであった。
そのヒサコの茶葉を求める旅の裏では、国元に残っていたヒーサもまた茶の湯のために動いていた。
いくつか目に付く“漆器”もまた、この世界に松永久秀が持ち込んだ物だ。
術士を上手く利用し、普通では考えられない速度で漆器を仕上げる事に成功し、今に至っていた。
また、ヒサコも茶葉を求めるだけならず、ドワーフの工房で風炉や火箸などの道具を発注し、それもしっかりと持ち帰った。
道具も、茶葉も、すべてが兄妹の合作であり、こうして茶会を開けたのも、二人が手を取り合って協力しあったからこそだ。
無論、松永久秀という茶人・数奇者の情熱あればこそであるが、その意志と熱に当てられ、動き回ったのは兄妹なのだ。
そして、“苦労”して強奪した茶の木から生み出された抹茶が、いよいよお目見えとなった。
“棗”の蓋が開けられ、久方ぶりに嗅いだ茶の香りが、ヒーサの鼻に突き刺さった。
この世界に来て初めての抹茶であったが、質は良好であり、見事な一番茶だ。
「恨み、憎しみとは常に騒々しいが、“愛”とはなぜに、こうも静かなのであろうな」
“棗”から茶杓にて抹茶がすくい上げられ、茶碗へと移された。
何も聞こえず、何者にも邪魔されず、ただ柄杓から茶碗に落ちる湯の音だけが、二人に耳に注ぎ込まれていた。
~ 第三十六話に続く ~
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