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第三十四話  野点の茶会! 英雄は一席設けて魔王を招く!(4)

「お兄様、さすがにそれは無理があるのでは!?」


 笑ったら負けだという認識がありながら、すでに笑いを堪えるのに必死なヒサコであった。

 茶釜には基本的に“取っ手”が付いていない。“かん”と呼ばれる金属の輪を“鐶付かんつき”という穴に通し、差し込んだ輪を取っ手として持ち上げるのが通常のやり方である。

 火にかけていない状態であれば、そのまま手で持てる茶釜ではあるが、火にかけてあっては熱くなるので、そうした“手で掴める箇所”が必要なのだ。

 しかし今、火にかけているのは『不捨礼子すてんれいす』だ。女神テアの錬成した鍋ではあるが、その形状はごくありふれたステンレス製の両手鍋である。

 一々“鐶”を取り付けなくても持ち上げる事は可能なのだが、“つい”いつもの癖でその両手鍋の取っ手部分に“鐶”を差し込んで持ち上げてしまったのだ。


「本来ならば、『不捨礼子すてんれいす』を茶釜の代用とせずに、『古天明平蜘蛛茶釜こてんみょうひらくもちゃがま』を用いるところであるのに、全部女神が悪い!」


 などとぼやきつつ、布を折り重ねた鍋敷きの上に『不捨礼子すてんれいす』を置いた。

 本来、茶事は決められた手順を踏み、その所作の美しさを見せるのであるが、少しばかり敢えて外してみせるところに面白味を感じさせていた。

 手順もそうだが、道具の使い方、置き方にも作法と言うものがある。

 外して笑えるのは、“外した”と知っていればこそだ。

 完璧な所作で通す“こう”よりも、少しズレた“おつ”の方が味が出る場面もあるのだ。

 そうした乙なもてなしを理解できるのも、知ればこその面白味だ。

 ヒサコも茶席は初めてであるが、ヒーサからある程度であるが茶事に関する知識を継承しており、理解と言う点では素人でなかった。


「しかしまあ、あれですわね。まだ茶釜一つに拘りますか」


「何度も言ったが、平蜘蛛は私の魂だ。魂を捨てられたらば、取り戻さねばなるまいて」


「あいにくと、あたしには魂がなかったものですから」


「物にも魂は宿る。百年使われれば霊力が宿り、付喪神つくもがみとなりて動き出すものよ。ましてお前は人の形を成した、人の智慧を内包する者。魂が宿らぬ道理はない」


 にこやかにかわされる会話であるが、無論、含みもある。

 それを理解できるからこそ、ヒサコは緩急による隙を作らないように心がけていた。


(『不捨礼子すてんれいす』を使って、あからさまに外してきて笑いを取りに来たかと思えば、魂の有無というあたしの本質を突く問いかけをしてくる。しかも、“女神”や“つくも”の言葉を混ぜ込み、こちらの思考を揺さぶって来る。女神をさっさと返せ、黒犬つくもんが飛びつくぞ、暗にこう言っているのが分かりますとも)


 表面的には笑ってもてなしているが、その実、隙をうかがっているのも見え隠れしていた。

 かと言って前のめりに述べて来るのではなく、談笑の隙間隙間に自然で差し込む感じで言ってくるので、そうであると意識しなくては流してしまいそうになった。

 そんな事を考えていると、ヒサコはなんとも言えない香しい感じが端から吸い込まれ、全身に行き渡るのを感じた。

 ふと視線を風炉の方に向けると、ヒーサが香合こうごうより取り出した香木を炭の上に乗せたのが見えた。

 それが香りの元であり、香木の仕込みが終わると、またしても“かん”を掴んで『不捨礼子すてんれいす』を持ち上げ、風炉の五徳の上に戻した。


「おや、御香を焚かれましたか」


「見て、聞いて、語って、味わう。香りもまた、味わうものだ」


「おやおやおや、妹に“媚薬”を嗅がせて、いかなる思惑が?」


「あほう。媚薬なんぞは使っておらんわ」


「妻には使ったようですが?」


「妻に使えども、妹に使う道理はない」


 かつての事を引き合いに出し、二人は同時に大笑いした。

 ティースとの新婚初夜において、催淫効果のあるお香を焚き、ティースを前後不覚にした後、あれやこれやと“致した”事があった。

 あの一件によって、ヒーサはティースからの疑惑の視線が薄れ、逆にヒサコは悪感情ヘイトをこれでもかと稼ぎ出し、徹底的に嫌われるようになった。

 初夜の事は以降の状況を考えると、実に重大な出来事であり、その後に続く事件の数々の発起点ともなった重大事でもあった。

 なお、二人の会話はバッチリ聞こえていたようで、ティースが物凄い形相で二人を睨んできたが、もちろん完全無視で、二人だけの世界を続けた。


「しかし、これまたよい香りですね」


「そうであろう? 王宮の宝物庫を覗いてみたら、目録の中に“沈香じんこう”があってな。思わずいただいてしまったのだ」


「沈香とは、黄熟香おうじゅくこうの事。すなわち、正倉院御物しょうそういんぎょぶつ蘭奢待らんじゃたい』の事ではありませんか。それを“いただく”などとは、とんだ極悪人でございますね、お兄様は」


「なぁに、信長うつけの真似になるが、“截香せっこう”をやってみたまでよ」


 “截香せっこう”とは、大きな香木から一部を切り出す事である。

 日ノ本一の香木と名高い『蘭奢待らんじゃたい』もまた、歴史上幾度かの“截香せっこう”がなされてきた。

 松永久秀が記憶しているだけでも、切り出された『蘭奢待』を手にした者は、源頼政、足利義満、足利義教、足利義政、織田信長と、錚々たる顔ぶれが並んでいた。

 なお、“魔王”と呼ばれし者が二人も含まれ、しかもここに“松永久子”が加わると、実に“截香せっこう”によって『蘭奢待』を手に入れし者の半数が“魔王”となってしまう。

 罪深い程に香しいかな、そう思うとついにやけてしまうヒーサであった。


「ちなみにな、『蘭奢待』の字をバラバラに分けると『東』『大』『寺』の字が隠れておるからな。昔のやんごとなき方々も、面白い名前を考えられたものよ」


「雅称と言うやつですわね。面白い名前だとは思いますわ。それにしても、『蘭奢待』が収められている正倉院は、東大寺にありますからね。お兄様の“付け火”で天下の大名物が損なわれなくてよかったですわね」


「あんなところに陣取っていた三好三人衆が悪い! まあ、大仏様は顔に火傷を負われてしまったがな。いやぁ、うっかりうっかり」


 全然反省の色が見えない受け答えに、ヒサコも苦笑いするよりなかった。


「この『不捨礼子すてんれいす』も、雅称と言うか、ちゃんと考えられているのだぞ」


「テアの話だと、“ステンレス”という素材で作られていると聞いていますが、それが由来なのでは?」


「まあ、それをもじって名付けたのは間違いない。だが、それだけでは芸がないと言うものだ。女神の加護を受けた宝物だからな。いつまでも“きれい”で“不捨すてず”にいる“子”だ」


「大層なお名前で。しかし、お兄様は我が子を捨てられてしまいましたね?」


「なに、私の生まれた息子は“死産”だからな。別に“取って食った”わけではないよ」


 見えざる抜身の刃で鍔迫り合いを始める二人であるが、それでもなお笑顔を崩すことは無い。

 茶事を興じつつ、知恵比べ、嫌味の応酬すら“乙”なものだと楽しんでいるのだ。

 梟雄と魔王の奇妙な茶席は、なおも続く。



           ~ 第三十五話に続く ~

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