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第三十三話  野点の茶会! 英雄は一席設けて魔王を招く!(3)

 ヒサコのヒーサに対する警戒心は高まる一方であった。

 初めて招かれたる茶席は、思いの外に楽しかった。

 生まれて間もない魔王ではあるが、それがあっさりと笑わされた。

 ヒサコは世界を破壊するために堕ちた魔王と成り果てながら、それでも兄は妹をもてなそうとしているのだ。

 身分、出自など一切構いなし。あるのは客人をもてなすという、亭主の心意気のみだ。

 魔王であろうと和ませる、“茶人”松永久秀の魔力を垣間見た。

 それだけに恐ろしいのだ。


(ヌルッっと心の隙間に入り込んでくる、この感覚。そして、まんまと笑わされてしまった。これはあたしの負けだ)


 こう言う場面においては、先に笑ってしまった方が負けである。

 そして、まんまと笑わされた。

 殺伐とした雰囲気の中に、“一笑”という華をそっと差し入れてきた。

 気分が萎え、闘争の空気はきれいさっぱり消し飛んでしまった。

 無論、魔王として強引に盤面をひっくり返し、力づくで滅茶苦茶にしてしまうこともできた。

 だが、ヒサコの中にあるはずのない、“数奇の矜持”がそれを許さなかった。


(負けたままではダメだわ。ああ、この恐ろしい兄に、一杯食わせてからでないと気が済まない)


 ヒサコは気持ちを切り替えた。

 拳や刃で語らうのではなく、心意気と数奇で相手を感じ入らせるために。

 一度深く息を吸い、そして、吐く。

 なんという事のない動作ではあるが、今まで味わった事のない緊張感が生じ、同時に吐き出された息と共に散っていった。

 今やヒサコはヒーサと同じく、まったくの自然体となった。

 重々しい気負う気配が消え、凪一つない海原のように静寂しじまに包まれた。

 ヒーサもまた、妹の性質が変化したのを機敏に感じ取った。


「ティース、ルル、すまんが場を外してくれ。これより一客一亭の席とする。結界を張り、兄妹水入らずの席としたい」


 そう言うと、ヒーサは正座を崩して立ち上がり、まだ布で包まれていた長柄の物を拾い上げた。

 包んだ布を開くと、そこからは大きな傘が現れた。

 おもむろにバッとそれを開くと、艶やかな緑が花開き、天より降り注ぐ日差しを遮るかのようにそれを立てた。

 布をティースに手渡すと、ティースは特に何か言うでもなく、軽く会釈してから場を離れた。

 ルルもまた慌てて頭を下げ、ティースの続いて場を離れた。

 と言っても、完全にいなくなったわけではない。

 あくまで二人きりの雰囲気を作り出すだけで、茶席より三十歩ほど離れた場所で待機していた。

 注意深く耳をすませば、二人の声がギリギリ聞こえる距離だ。

 その位置まで来ると、二人は振り向き、席に残った兄妹を見やると、ルルはヒーサが用意した“傘”の意味に気付いた。


(ああ、そうか。公爵様が結界と言ったのは、“影”の部分のことなのね)


 何も魔力で結界を張り、外界と隔絶するのではない。傘とそこから生じる影、そして、敷かれた絨毯、これらが自然の中にあって特異点を生み出し、あたかも違う世界のような雰囲気を生み出しているのだ。

 そして、更に奇妙な点が目についた。

 日差しを遮るはずの傘であるのに、僅かではあるが陽の光が通っているのだ。

 染め方に工夫を入れたのか、遮光率がまばらになっており、日傘としては失敗品と言うべき代物だ。

 しかし、ヒーサはこれを持ち出してきた。

 どういう意味かとルルは考えたが、二人の姿を見てすぐに分かった。


(そうか。あの大きな緑色の傘は“大樹”を模していて、通り抜けた光は“木漏れ日”を表しているのね。まるでこれから、木陰に隠れて密会を重ねようとする男女の秘事ってところかしら)


 そこかしこに散りばめられたヒーサの趣向に感心しつつも、やはり怖いとも感じてしまうルルであった。


(そう、二人の周りだけは長閑のどかで、平和で、静寂しじまに包まれている。でも、周囲を見渡せば、廃墟と化した神殿がある。神への祈りを捧げる場が崩れ落ち、涜神と背徳の象徴たる二人がいる。片や、神を飲み込んだ世界を破滅させる魔王で、今一人は魔王を生み出す元凶となった偽りで糊塗された英雄。これも全部、あなたのしつらえやもてなしというわけですか、公爵様!)


 そう考えると、やはりヒーサの感覚は常人のそれを逸脱し、驚嘆の渦に沈め込んでくるとルルは恐れた。

 これから始まるのは男女の密事などではなく、茶事と銘打った英雄と魔王の決闘なのだ。

 人払いを命じたのも、本当にこの戦いにおいては自分も夫人ティースも邪魔でしかない。静かではあるが、抜身の刃をチラつかせ合う雰囲気をも感じ取り、ルルは大人しく下がってよかったと思った。

 横に視線を向けると、ティースもそう感じているのか、何も言わずにジッと夫と義妹を見つめていた。

 こちらも立ち入るつもりもないようだと確認すると、ルルはこれからの展開をについて考え始めた。


(仮にこれが決闘であれば、勝ち負けはある。その分水嶺は、魔王に世界討滅を断念させるか否か、よね。どうやってそこまで持って行くのかしら)


 ルルには考えの及ぶところではなかったが、大丈夫だという感覚はなんとなくだが頭によぎっていた。

 ヒーサのこれまでの言動を見てみると、基本的には“無理はしない”のだ。

 矢面に立つのは他の誰かで、自分は裏でこっそり手を回す。そういうやり方に終始していたと記憶していた。

 それだけに、こうして矢面に立つどころか、魔王とさえ一対一サシでやり合おうとするなど、今までにない危険な行為だ。

 追い詰められたとも取れるが、ルルには逆に必勝の策があってこそあえて前に出たと感じ取った。


(なにしろ、公爵様曰く、あの並べられた道具は対魔王用の決戦兵器だって言ってたものね。きっと凄い効果が秘められているのよ!)


 ルルはそう考えて、安堵しながら事の成り行きを見守る事とした。

 ヒーサに命じられ、「対魔王用の決戦兵器」と称する何かを取りに、シガラ公爵領まで赴いた。

 そして、準備万端と言わんばかりに数々の道具や、“お茶菓子”まで受け取り、急いで王都圏に馬車を走らせてきた。

 事前の指示で王都の公爵家上屋敷に向かうように指示されていたので、それに従って街道を走っていると、“伝書鳩”が手紙を届けてきて、聖山の神殿跡に向かえという追加の指示を貰った。

 伝書鳩って帰巣本能を利用しているから、直接届けるなんて妙だなと思いつつも、手紙がヒーサの筆跡であったため、疑わずに即座に目的地を聖山に切り替えた。

 そして、道具類に同封されていた指示書に従って準備を整えていると、〈瞬間移動テレポーテーション〉で三人がやって来たというのが、ここ最近のルルの動きだ。

 これだけ準備万端に動いていた以上、必ず逆転の状況を作り出せると信じて疑わなかった。

 だが、ルルの予想は大きく外れていた。

 なぜなら、ルルが持ってきた道具類は、現在、湯沸かしのために火にかけられている『不捨礼子すてんれいす』を除けば、その全てが“ごく普通の茶道具”であるからだ。

 魔王を倒すための決戦兵器と呼ぶには、あまりに脆弱であった。



            ~ 三十四話に続く ~

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