第三十二話 野点の茶会! 英雄は一席設けて魔王を招く!(2)
「世界を本当に壊してもいいのか?」
ヒーサが付き付けた言葉に、ヒサコはこの上なく動揺した。
表面的には当然ながら“拒絶”だ。なにしろ、世界を滅ぼす魔王とは自分の事であるし、壊すか壊さないのかを問われれば、壊すと答えるのが魔王と言うものだ。
だが、なぜか心がズキズキと痛み出す。
(なぜ……!? なぜ心臓が痛み出す!? あたしの心は空っぽ。元々は人形なのだし、そんなもの、あるはずがない。痛む心がないはずなのに、なぜ痛む!?)
ヒサコは胸元に手を当て、トンッと跳ねた心臓を確かめた。
そんなことは有り得ない。言葉一つで動揺するなど、魔王と呼ばれる存在には似つかわしくない。
ヒサコはヒーサが生み出した幻であり、触れる事は出来てもこの世に存在しているのかどうかあやふやな、虚ろなる存在なのだ。
だが、今は違う。
ヒサコと言う“虚像”が人々の悪意と憎悪を一身に受ける事によって、世界にその存在を誤認され、魔王と言う分かりやすい悪の存在を形作り、神の力によって無理やり器としての機能を与えられ、そして、魔王として覚醒した。
均衡を崩せば即座に崩壊しかねない不安定な状態も、“我が子を食む”という言い逃れのできない大罪によって確たる存在へと昇華し、今やこの世界で最強の存在となった。
あとはカシンのもたらした情報を元に、世界を無に帰する作業に入れば、自分も含めて何もかもが消えてなくなるのだ。
そこには憎しみも哀しみもなく、絶対悪となった自分が蔑まれ、恐れられることもない虚無の世界へと回帰する。
それこそがこの世界の望みであり、それに同調したのが魔王のはずなのだ。
(なのになぜ!? なぜ、どうして!? あたしは今、楽しんでいる!?)
ヒーサの誘いの敢えており、席を設けているという聖山の神殿跡にやって来てみれば、“茶席”を準備している真っ最中であった。
茶の湯なるものがなんであるのか、ヒサコはよく分かっていない。ヒーサこと松永久秀の影から生まれた自身であるが、茶の湯に直接触れたことは無い。
だが、興味はあった。
なにしろ、あの極悪非道で傍若無人(表向きは仁君)な兄ヒーサが、何をさておいても茶事を行うために、相当な苦労を重ねてきたからだ。
人形ゆえに心がなく、記憶に留めれなくとも、体に染みついた“熱意”というものが感情として魂の奥底に芽吹いていたのだ。
そして、実際に触れてみて感動している自分がいるのだ。
まだ、始まってすらいない。火を起こすための風炉を用意し、灰形を作っている場面を見学しただけだ。
しかし、それでも魂の奥底から感じる“楽しい”と言う感情に、ヒサコは困惑していた。
「……お兄様、よもや茶事を以て、あたしの歓心を買い、懐柔しようなどとは考えておりませんね?」
動揺するヒサコの絞り出した声には、明らかな“震え”があった。
今の今まで聞いた事のない、か弱くも儚げな雰囲気を帯びた声色であり、普段のよく知るヒサコからは想像もつかない声だ。
それを聞いたティースもルルも目を丸くしてヒサコを見つめたが、ヒーサは一切動じる事もなく、手早く茶席の設えを整えていった。
「さて、そのような事は考えた事もない。ただ、私の点前を以て、客をもてなすだけだ。さあ、ヒサコよ、席に着くがいい」
ふと見てみると、椅子と机が用意されていた。
椅子と言っても、折り畳める床几であり、机もお盆一枚乗せれる程度の小さなものだ。
また、いつの間にか風炉には炭が赤々とほんのり燃えており、そこには茶釜として『不捨礼子』が五徳の上に置かれていた。
水は先程、ルルが入れており、それに蓋をして、湯が仕上がるのを待っている状態だ。
手早く、それでいて無駄のない所作に、ヒサコはまたも心の中の疼きを感じた。
言われるがままに床几に座すと、小机の上には漆板があり、その上に白い手拭いが乗せられていた。
それは程よく湿っており、つまるところの“おしぼり”であった。
「戦続きで、少し汚れていよう。それで拭くが良い。飲まれる茶とて、血飛沫浴びたる魔王より、艶やかな美女の唇に落ちる方が本望であろうて」
実際、ヒサコの顔はかなり汚れていた。
湖畔周辺の探索から、《六星派》の拠点でのやり取りに加え、魔王として覚醒してからティース、ライタンとの連戦をこなしてきた。
汗と埃、さらには返り血などで、顔も手も汚れていた。
それを奇麗にしなさい、といつの間にか用意していたのだ。
ヒサコはその“おしぼり”を手にすると、それはひんやりと湿っており、火照った体には殊更気持ちのいいものであった。
(なんなの、この状況は……)
“おしぼり”で心身ともに冷まされたヒサコは、改めて兄ヒーサを見つめた。
先程と同じく、なんの気配も感じない。
湯が沸くのを待っているかのような、なんでもない姿だというのに美しい。
手拭いでシュッと茶碗をふき取り、そっと側に置く。ただそれだけなのに、言い表せない刺激が見る者の心を揺さぶっていた。
客として魔王を招き入れているが、“いつも通り”と言わんばかりの態度だ。
魔王に睨まれている“ただの人”だというのに、まるで焦りも気負いも感じさせない。
(そう、これは完全な自然体。己自身すら誇示せず、主張せず、ただそこにあるだけ。ゆえに、気配もなく、流れるような美しい所作のみが強調される。これが“茶人”としてのお兄様……)
はっきり言って、ヒサコは怯えていた。
しかし、何に怯えているのかは分からない。正体不明の何かが、ズシッと両肩にのしかかっていた。
ヒーサに魔力を感じない。それもそのはず、英雄の力の源とでも言うべき“女神”はすでに奪っており、もう力は残されていないからだ。
にも拘らず、何か得体の知れない魔力を帯びているようにも感じた。
「“素”の良さを味わえるのであれば、結構な事だ。余計な“味付け”など未熟の極み、蛇足に過ぎん」
見透かしたようなヒーサの言葉に、ヒサコはギクリと肩を飛び上がらせた。
(そうよ、逆もまた然りなのよ。あたしはお兄様から枝分かれして、この世に生み出された。ゆえに、お兄様の思考を読める。でも、それはこちらの思考もお兄様には透けているとも言える。油断できない)
互いの思考や嗜好が分かるだけに、より一層の慎重な立ち回りが要求された。
だが、この場は完全にヒーサが制していた。
“茶事”の知識としては、ヒーサの記憶をある程度盗み見たため、それなりに保有しているものの、実体験するのはヒサコにとって初めてだ。
ゆえに、常道を敢えて外してくる相手のやり方に、焦りや困惑を覚えるヒサコであった。
「お兄様、質問よろしいでしょうか?」
「何かな?」
「お兄様は絨毯の上に正座で茶事をなさっていますが、私には床几と小机を用意された意味は?」
本来の茶席であれば、客と亭主は同じ目線なのである。
茶室であれば、畳の上で亭主と客人が同じ高さで座る。
今回は野点であるが、地面に赤い絨毯を敷き、その上で茶事を行っていた。
本来ならば共に絨毯の上に座し、同じ高さの目線になるはずであった。
だが、今回はあえてそれを外し、ヒサコには床几と小机を用意して、それを客席とした。
結果、ヒサコがヒーサを見下ろす格好となっていた。
「なに、単純な事だ。この世界では“正座”がない。ないゆえに、慣れていない。それなのに無理やり正座をさせて見ろ。座る姿勢がぎこちないものとなろう。ならば、椅子と机を用意するのは道理とは思わんのか?」
「確かに」
石畳や木床が当たり前のこの世界には、“畳”が存在しないのだ。
座るとは、椅子に腰かけると同義であり、正座をする習慣が一切ない。
ヒサコにしても、ヒーサからの知識として正座の事を知ってはいたが、だからと言って正座をしたことはなかった。
石畳の上での正座など、拷問以外の何ものでもないからだ。
「まあ、あれだ、“いぐさ”がないのだよ、今ここには、な」
ヒーサの何気ない言葉であったが、ヒサコは危うく笑いかけた。
畳を作る上で“いぐさ”が必須なのはよく分かっていたが、この世界では見かけた事がなかった。
そこから“いぐさ”を“いくさ”と駆けたダジャレを挟み、争うことは無いと暗に言った事に即座に気付いた。
なお、“いぐさ”の事を理解していない外野二名は、何それと言わんばかりに首を傾げていた。
「茶席の基本は、相手をもてなす事だ。いくら常道であるからと、相手にそれを強いるのはよくない。足の悪い者に正座を強いては、それこそ台無しである。創意工夫を以て、和んでもらわんとな。それに……」
「それに?」
「今までヒーサと言う人物に良い様に使われていたのが、ヒサコという存在であろう? ならば、その憎らしい兄を見下ろす格好で座した方が、妹として幾分か留飲は下げられると言うものではないか」
まさかの理由に、ヒサコはつい吹き出してしまった。
人形が主人を見下ろす。確かに今まではない光景であり、なるほどと納得してしまった。
そこにすかさず、ヒーサのニヤリとした笑みが飛んできた。
「笑ったな、ヒサコよ。これで緊張が解れたな」
「……あ」
そう、気が付けば、笑っていたのだ。
相手をどう締め上げるかの算段をしていたはずなのに、いつの間にか笑わされていた。
困惑するヒサコであったが、ヒーサはなおもニヤつくばかりであった。
「よくある話だ。人間、何事にも“初めて”の場面では、どうしても緊張に捉われてしまうものだ。茶席においても同様だ。招いてくれた亭主に失礼があってはならないと、妙に気負ってしまうものだ。ゆえに、“かしこまる”という場の空気、緊張の間が……、いや、敢えて“魔”と評しておこうか。それをどうにかせねばならん。そして、“魔”を調伏する降魔の剣こそ、“一笑”なのだ」
言われるまでもなく、笑わされてしまった。
そこで場の空気がガラッと変えられてしまった事も感じていた。
ヒサコとしては、どうにもしてやられた感があったが、それも笑いで吹き飛んでしまった。
見えざる数奇の刃に、バッサリとぶった切られたのだ。
「丁寧なもてなしは大事であるが、かしこまるばかりでは和まぬものだ。それが亭主であっても、客であってもな。野点の茶は茶室のそれより、遥かに自由である。定法がない、と言ってもよい程だ。それだけに、亭主の創意工夫が趣をより左右する」
「で、この床几も小机も、その創意工夫である、と」
「その通り。ヒサコ、お前が笑ったのがその証左だ。『人間、何事にも“初めて”の場面では、どうしても緊張に捉われてしまうものだ』よな? ふふ、そうだろ、“人間”のヒサコよ」
またしても“斬られて”しまった。
自分は魔王として覚醒しているはずである。
にもかかわらず、人間臭さがどこか残っている。
それを目の前の男は見透かしていた。
「心がない? 人類の絶対悪? 人形の成れ果て? その割には感情の起伏が豊かではないか。もののついでだ。一つ、教えておこう。復讐に執念を燃やす者は決して笑わない、とな」
グサリとヒサコのあるはずのない心に突き刺さる一言であった。
魔王としての意識が人形を自律させ、世界を破滅へと導くはずであった。
だが、今はどういうことか“笑っている”のだ。
憤激も、絶望も、笑いによって吹き飛び、“心の闇”が薄れていくのを感じ取った。
「あ……」
「人を動かすのは常に感情だ。“利”や“法”も重要ではあるが、湧き立つ“情”こそが人を最も動かす。ゆえに、全てを押し流せる“一笑”の力、侮るなよ」
茶事と銘打ってはいるが、これは“英雄”と“魔王”のせめぎ合いである。
力でゴリ押せば魔王が勝てる状況にありながら、最後の一歩を踏み止まらせる何かが、ヒーサより発せられ、ヒサコを戸惑わせていた。
(なんと言うか、隙間にヌルッっと入り込んでくる感覚。警戒するべきだと頭の中で警鐘が鳴り響ているというのに、どうにも嫌な感情が湧いてこない)
警戒すべきであるのに、なぜか笑わされる。
頭とは真逆の事を、身体が欲しているのだろうかと、疑義が出てしまう程だ。
それほどまでに目の前の男のやり口が巧妙で、それでいて自然体で何も掴ませない。
どうにもやりにくいと、ヒサコは困惑する一方であった。
(ああ、そうか、これが茶の魔力であり、松永久秀と言う男の本気!)
一切の殺意のない決闘は、まだ始まったばかりである。
風すら遠慮してか一切吹かず、重くもあり、笑いもある、そんな絶妙な空気が場を支配していた。
~ 第三十三話に続く ~
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