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第二十九話  先読みせよ! 狙いはただ一つのはずだ!

 睨み合いが続く最中にあって、無言の死闘が演じられた。

 ヒーサとヒサコは互いの手札を読み合い、相手のそれを上回ろうと必死だ。

 無論、魔王ヒサコの圧倒的優勢は崩せないが、だからと言って楽観視もできない。ヒサコにとっての勝利条件は、ヒーサを殺さずに世界の終末を迎える事、であるからだ。


(お兄様もそれを理解している。だからこそ、圧倒的戦力差がありながら、平然とこちらを挑発できるし、誰かの盾になるなどという“非合理性”を合理的なものへと転換してしまえる)


 実際、ヒーサはティースを庇うように立ち塞がっていた。

 普段なら逆だ。誰かを盾に、それこそ縁者を盾にしてでも生き延びようとするのが松永久秀だ。

 どうにもならなくなったときには、共に果てる事を選ぶが、そうとも言い切れないのが今の雰囲気であり、ヒサコも判断に迷うところであった。


(落ち着きなさい。冷静に、冷静に。完全覚醒して、ちょっと意識が“ハイ!”になっただけ。冷静にお兄様を、“あたし自身”が何を考えているのか、それを逆算するのよ)


 自分が知恵者であると認識しており、ゆえにその大元となった相手の事も弁えていた。

 ゆえに、今こうして悪足掻きとも取れる行動にも、なんらかの合理性や理由が存在すると考えた。

 ではそれはなんなのか?

 少し左右に動いてティースを殺す素振りを見せて牽制を入れつつ、その答えを求めた。


(武器無し、術無し、強力な友軍無し。この場には、お兄様が不利な状況を覆す条件が何一つない。では、お兄様の今の行動は何か? どう考えてもこれは“時間稼ぎ”に他ならない。では、時間稼ぎの意味は?)


 時間稼ぎを行うということは、それを行えば状況が打開できると考えているのは明白だ。

 援軍のない籠城戦は敗北以外の結末はないのは常識であるが、その増援というのがどういう形であるのかは千差万別だ。


(籠城戦と援軍、これは勝利のために不可欠な要素。では、籠城の際の援軍とは何か? 強力な友軍の到着、と言うのが最もありがちなもの。でも、今回はそれを除外してもいい。なにしろ、お兄様の手札の中で、最も強力な三枚の札はすでに破壊している)


 アスプリク、アスティコス、ライタン、これらはすでに首を刎ね、あの世とやらに送り出していた。

 今までの戦闘からこの三名は手こずると考えていただけに、各個撃破できたのは幸いであった。


(お兄様にはもう手札が限られている。あとは“得物”を失ったお姉様ティース、負傷療養中の従者マーク、行方知れずの愛妾二号ルル、この三名だけ)


 残っている三人、いずれも揃って強力ではある。前記した三名に術士や戦力としては劣るが、状況次第では“化ける”可能性があるのも事実だ。

 その時だ。

 ヒサコはうっかり忘れていた存在を思い出した。

 そして、それは状況をひっくり返すだけの可能性を秘めていた。


(そうだ、黒犬つくもん! 最高の切り札を温存しているじゃない! ああ、そう言えば、黒犬つくもんはいつからいなくなっていたかしら?)


 ヒサコは記憶を過去にさかのぼって考え始めた。

 実のところ、ヒサコはヒーサとの情報戦で、かなり後れを取っている状態であった。

 分身体には心がない。ゆえに、心に留め置く“記憶”がないのだ。

 魔王としての意識はヒーサの影などに隠れ潜むため、滅多に表に顕在化しない。そのため、情報がかなりあやふやな部分が多いのが実状であった。

 それを補っていたのが黒衣の司祭カシン=コジであり、ヒーサにバレないようにこっそり情報のやり取りをしていた。

 灯台下暗しがバレて、隠れ場所が“英雄の懐”であるのを見破られないために、ジッとして潜んでいたためだ。

 この点では不利であったが、最終的には「完全覚醒さえしてしまえば状況をゴリ押せる」と結論付けたため、情報収集よりも、状況操作の方を主体にしてカシンは動き回っていたのだ。

 ちなみに、黒犬つくもんはスアス渓谷の戦いにおいて、裏方で大活躍をしていたのだが、それ以降の足取りは完全に途絶えており、どこで何をしているのか、ヒサコには分かっていなかった。


(マズい。情報不足がこの状況で、それが裏目に出た。よくよく考えてみれば、残っている戦力の内、〈隠形〉を使えるのがマークに黒犬つくもん! しかも、お兄様も暗殺者としての特性から、その心得がある。つまり、“こっそり戦う”ことや“不意を討つ”ことに長けた陣容!)


 正面からは戦わず、音も立てずに忍び寄り、スパッと急所に一撃を叩き込む。そういう闇討ちや奇襲を得意とする者が“全員”残っているのだ。

 しかし、それを逆算すれば、狙いがおのずと見えてきた。

 不意討ちが得意な面々で、この状況をひっくり返そうとした場合、取るべき手段は“女神の奪還”だというのは容易に想像できた。


(そう、狙いは絶対に石像これよね。と言うより、これが奪い返されたら、作戦が全て破綻する)


 ヒサコは懐にしまい込んだ石像を服越しに撫で、その存在を確かめた。

 魔王単体の実力でも、目の前の二人を一蹴するだけの能力は持ち合わせている。

 あくまで攻めあぐねているのは、“ヒーサを殺せない”という縛りがあるからに他ならない。

 しかし、“世界を破壊する”事を考えると、魔王単体では難しく、どうしても神の力が必要だ。

 女神テアを封じ、その力を吸い上げるからこその計画である。


(警戒……、そう、警戒しなくては! 現状、お兄様が逆転の一手を打てるとすれば、テアを取り戻す以外にない。なら、これを奪われなければいい。あとは“持久戦”でも構わない。攻撃は少し控えましょうか)


 ヒサコのもう一つの懸念は、“攻撃力を上げ過ぎた”ことだ。

 先程、湖を真っ二つにしたのも、実のところ、かなり抑えめに一撃を放っていた。

 その気になれば、真っ二つどころか、湖水を全部蒸発させることができると“知覚”できていた。

 だが、それはできない。なにしろ、今目の前にはヒーサがおり、そんな強烈な一撃を放っては巻き添えで死んでしまうからだ。

 縛りの関係上、それは厳禁であるため、“試し撃ち”にすら難儀していたのだ。

 そうなると下手な攻撃は厳禁。このまま棒立ちのまま過ごし、ヒーサやティースがへばって倒れ、それを“優しく”捕縛するのが最善とさえ思えた。


(それは良いとしても、やはりマークと黒犬つくもんの動向が気になる。逆転の一手は必ずこいつらが絡んでくる。おそらくは、どこかに潜み、“機”を伺っているはず……)


 ヒサコはヒーサへの警戒を行いつつも、周囲を改めて観察した。

 湖は静けさを取り戻し、周辺の森の雰囲気と相まって、実にのどかであった。立ち込めていた瘴気もヒサコの一撃で吹き飛び、更に今は太陽の当たる時間であるため、風に揺れる湖面に陽光が反射していた。


(水中、土中、森、岩陰、隠れる場所には事欠かない。なら、全部吹き飛ばして、更地にしましょうか)


 隠れる場所があるのなら、全部消してしまおう。魔王流の“人探し”であった。

 まずは湖の手を向け、パチンと指を鳴らした。

 すると、ズバッと風が吹き抜けたかと思うと、たちまち湖面が凍り付いた。

 物のついでに、そこらに散らばっていたライタンを始めとする死体の山も氷漬けにしておいた。


(これで湖からの奇襲はなくなった。後は……)


 ヒサコは目に付く者は、ヒーサとティース以外、片端から壊して回った。

 森を切り裂き、岩を吹き飛ばし、一気に視界が開けるような更地となった。


「いや、本気でデタラメだわ」


「神の力を制限なしで使うと、ここまでなるのか」


 地形を丸ごと変えるような魔王の攻撃に、ただただ見守る事しかできなかった。

 と言うより、動けなかったとした方が適当であった。

 魔力が吹き出すたびに地形が変わり、そんな大爆発を起こす場所を逃げ回ろうなど、考えもしなかったのだ。

 現に、ヒサコは次から次へと見晴らしをよくしていったが、その目的はあくまであぶり出しであり、伏兵の存在を探して回っていたのだ。

 二人を傷つけるのは“今のところ”なしであり、その場を動くなとたまにに視線を合わせて、無言の警告を発していた。


「……何の気配もなし。杞憂だったかしら」


 ヒサコは更地になった周囲に気を配りつつ、視線を兄夫婦に戻した。

 これだけド派手に周囲を吹き飛ばしたというのに、微動だにするどころか、汗一つかかないのは、夫婦揃って肝が据わっており、さすがだと感心した。


「お兄様の事ですから、自分を囮にして挑発をし、注意を引いたところで伏兵でブスッっと来るものかと思いまして」


「ヒサコ、お前も難儀だな。地形を畑を耕すかのように変えてしまえるほどの力を得ながら、なんとも小心な事よな」


「慎重と言っていただきたいですわね」


「慎重も度が過ぎれば、卑屈や臆病のそしりを免れんぞ」


 なおも挑発的な喋り方を止めないヒーサに、ヒサコもいい加減慣れてきてしまった。

 いつもこうだし、それは一番側で見てきた自分自身が良く弁えておかねばならないことでもあった。

 そんなヒサコのことを嘲笑うかのように、ヒーサは話を続けた。


「さて、風光明媚な景色を台無しにしてしまって、私としては少々残念でならないのだが」


「瘴気漂う闇の神の玉座だったけどね」


「ティース、茶化さんでくれ。まあ、お前の言う事も一理あるが、陽が射してきてからは薄れていったし、なかなか落ち着いた雰囲気で良かったのだがな」


「死体が転がってなければね」


 なお、その死体は凍った湖と同じく氷漬けになっており、ライタンもまた転がる首共々、氷の中に閉じ込められていた。


「それはさておき、ヒサコよ、最後の一つをそろそろ切り出したいのだが?」


「……ああ、そう言えばそうでしたね。質問、要求、提案が一つずつあるとかどうとか」


「そうだ。提案がある」


 無論、これを拒否する事もできるが、ヒサコとしてもこの状況で何を提案して来るのか、気になるところであった。


(伏兵の件は杞憂だった。でも、まだ油断はできない。でも、屈服させたい、この男を)


 ヒサコの目には、ヒーサは諦めているようで諦めていないようにも感じた。

 諦めているのであれば、もっと華々しく散る事を考えるはずだと思ったからだ。

 かつての先例がある。居城と愛用の名物とともに爆発四散するという最後だ。

 今回はどうするのかは分からないが、見てみたくもあり、まだ仕掛けてくるつもりであるならば、それを返り討ちにもしてみたくもある。

 それでこそ、松永久秀を屈服させ、松永久子の方が優れているという証明にもなる。


(被造物が創造主に勝てないなど、誰が決めたというのだ。お兄様を叩き潰し、絶望の淵に陥れてこそ、本当の意味で神に勝ったと言えるのじゃないかしら?)


 どうせこの世界は消去してしまうつもりでいるし、ならば最後に神の作ったこの世界で神の送り込んだ転生者を徹底的に叩き潰す。

 それも相手が得意なやり方で、それを跳ね返して完全勝利を目指してやろう。

 そうヒサコは欲が出た。


「……で、お兄様、提案とはなんでしょうか?」


 どんな悪辣な罠が潜んでいようとも、罠ごと叩き潰してやろう。

 ヒサコは相手の一挙手一投足を逃すまいと、より意識を研ぎ澄ませていった。



            ~ 第三十話に続く ~

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