第二十六話 決裂!? 乱世の先には何が待つ?
手を伸ばせば我が子がいる。
届いてはならない、届かせてはならない、触れてはならない、母として。
かつてティースは最低な行いをした。
没落したカウラ伯爵家の再興のため、自分の息子を殺してしまった。
生きてはいる。現に目の前で寝息を立てているマチャシュは、紛れもなくティースが腹を痛めて産んだ子だ。
死んだのは、あくまで表向きな親子関係のみだ。
奪ったのはヒーサ・ヒサコ兄妹なのは間違いないが、それを責める資格がないのもまた事実だ。
偽装出産、嬰児交換の策に乗り、王家の簒奪を了承したのはティース自身でもあるからだ。
それでも血の楔は、血潮漂う体は、どれだけ嘘や言い訳で糊塗しようとも、母としての情は正直であった。
「あ、ああ、私の……」
「よせ、ティース!」
無意識に伸ばそうとした、その震える手が止まった。
ヒーサからの鋭い声に“正気”に戻されたからだ。
ハッとなったティースは思わず、全身を飛び跳ねるように身を引き、それからヒーサを睨み付けた。
言葉はない。視線だけで十分だ。怒りと、悲しみと、不甲斐なさを伝えるのに、この夫婦の間には言葉など不要であった。
「お兄様、邪魔しないで下さいますか? 折角、最後の瞬間だけでも、母として子への温もりを与えるよう、あたしのせめてもの心配りだというのに」
「人形風情が、人の“心”を語るな! おこがましいにも程がある!」
珍しくヒーサが怒りをあらわにしており、心底ヒサコに対して怒っているのが見て取れた。
ヒサコもこれにはカチンときた。
「何を仰るやら。あたしがこうなったのは、お兄様、あなたを……、松永久秀という奸物を学び取ったからですよ?」
「私はお前ほど愚劣ではない」
「何を以って愚劣であると?」
「先が一切ない。そんなものは私の心情に反する」
ヒーサは基本的に感情を表に出さない。よく笑ってはいるが、それは心の奥底を晒さないようにする仮面のようなものだ。
だが、今は違う。露骨すぎるほどにヒサコに対しての不快感をあらわにしていた。
睨み付け、交差する視線と視線が火花を散らす。
自分を睨んでいる伴侶の事すら、この際完全無視だ。
「先がない? おやおや、修羅の巷を歩いてきた、乱世の申し子の言葉とは思えませんね」
「であるからこそ、“先”を見てみたいのだ。乱世の赴く先に何があり、どういう世界が広がっているかをな。もちろん、そこでの主役は“自分”でなくてはならん」
「そのための下剋上、そのための天下統一でございますか」
「いかにも。私は他人より欲がほんの少しばかり深い。深いからこそ、あらゆるものを欲し、あらゆるもので心を埋め尽くしたい。金も、権力も、美女も、美物も、名物も、そして、“未来”もな」
梟雄は決して手を閉じない。閉じるときは必ず何かを掴んだ時だけだ。
何もないのに手を閉じるのは、愚か者のする事だという自論がある。
うっかり手を閉じていて、目の前の好機を掴みそこなったどうするのかといつも思っているからだ。
掴む、掴む、掴む。何を掴むかは気分次第だ。
権力を掴み、勝利を掴み、美女を掴み、己が欲するがままに自由をも掴む。
そして、いま最も欲するのは“未来”であり、それを掴もうとしている。
だが、目の前の魔王はその未来を消し去ろうとしている。
腹立たしい事この上ないのだ。
松永久秀を観察し、それを学び取ったと言う割には、どうにも鼻に突いて仕方がない。
(同族嫌悪、などと言う生易しいものではない。もっと根本的な拒絶だな。“ワシ”の魂が、目の前の愚妹を拒絶している。溜めに溜め込んだ“心の闇”が、こうも変質を遂げてしまうとはな)
そこまで世界の意思とやらが歪んだ妹を、より歪ませてしまったのかと残念に思うのであった。
そんな兄の想いを知ってか知らずか、妹は嘲笑うだけであった。
「ええ、そうでしょうとも。それは存じ上げておりますわ。何しろ、あたしはあなた、あなたはあたし、男女の別はあれど、根の部分は同じでございますから、その考えは知っておりますとも」
「知っていてなお、未来を消し去ろうというのか?」
「“無”であれば、そこに過去も、現在も、未来も等しく無い。なければ何も感じない。感じなければ、怒りもない、哀しみもない、何もない。血で血を洗い、怒りや悲しみが次のそれを呼び、また繰り返される。そんな世界に何の意味がありますか?」
「楽しみがあり、喜びがある。全てを否定するなど愚の骨頂だ」
「ただ一人の楽しみのために、世界を“延命”させますか?」
「欲するものがそこにある限り、な」
ヒーサにブレはない。ただただ己の欲望に忠実なのだ。
欲しいと思ったものは、殺してでも奪い取る。
掴もうとするものは、知略を尽くして掴み取る。
ただそれだけを成すために突き進み、破れて炎の中に沈み、そして、この世界へと導かれた。
第二の生を満喫しようにも、色々と邪魔が入るのは気に入らないが、だからと言って一切の妨害もなしに、安楽な人生と言うのも刺激が足りない。
面白く、それでいて程よく刺激的であればよい。
それゆえに、“今”のヒサコとは決して相容れないのだ。
「今お前がそうしようとしているように、“介錯”を進んでやるつもりはない。死ぬときに死ぬ。それだけだ。それまでは楽しませてもらうだけの話だ」
「その楽しみとやらのために、万人億人の啜り泣きを認めますか」
「ああ、他人がどうなろうと知った事ではない。私は釈迦ではない。衆生全てを救ってやるほど、広い心も長い腕も持ち合わせてはおらん。三千世界を慈悲で埋め、那由他の彼方に腕を伸ばし、どこの誰とも知らぬ輩を救い上げる事もない。私と……、私の腕に納まる程度の連中に、興と悦をともに楽しめればそれでいい。世界は窮屈でなく、もっと広々と感ずるべきものだ」
「その世界の独占を願う者が、何を抜かしますか」
「欲して悪いかね? 世界は無限の広がりを見せる。ゆえに、それを管理する“神”とやらも次々現れるのだ。それを手にして無理くりやっているヒサコ、お前の方こそ断罪されるべきだ」
「世界が死を望んでいるのを分かっていながら、あくまで我を通されますか」
「ああ。私は私、それ以上でも以下でもない。お前も死を迎えるその瞬間まで、楽しめばよいだけだ。小難しく考えることなく、な」
この時、ヒサコはピンと来た。
いつの間にか、目の前の男との対話に気を取られているという事に。
その気になれば、腕に抱えた息子を取り込み、完全な魔王になることができる。
そうなれば、目の前の男などどんな奇策を用意していようとも一捻りだ。
それを翻意させるための時間稼ぎをしているように感じ始めたのだ。
「……ああ、お兄様、あなたはあたしに勝てないからと、その長い舌で翻意させるおつもりですか」
「そう思うか?」
「現状、この場をひっくり返すには、魔王に諦めてもらう他にありませんので」
そうと分かると、自然と熱が引いていった。
何も熱くなることは無い。自分と相手の力の差は歴然であり、お得意の“口車”に乗りさえしなければいいだけの話だ。
(すでにあたしの中には、全てが揃っている。カシンを通して得た自死を望む“世界の意思”。それを成すための“神魔融合の力”。それらとあたしを結合させる“血を分けた息子”。あとはあたしと、あたしが背負い込んだ人類の悪と共に消え去るのみ)
状況は動かない。ただ淡々と積み上げていけばいいだけの話だ。
耳元で囁かれる英雄の言葉を流すだけでいい。
自分こそが正義。穢れ切ったこの世界を、罪と一緒に消してしまえばすべて終わるのだ。
そして、ヒーサとの舌戦に意識を向け過ぎて、すっかり忘れていたティースの事を思い出した。
会話中もずっと睨んできていたが、すでに得物は置き去りにしてきたので、どう足掻こうとも魔王に一撃を入れる事はできない。
それゆえの放置であったが、こうしてジッと睨まれているのも不快と言えば不快であった。
「お姉様、どうぞどうぞ、愛しい旦那様の元へお帰りください。そして、最後の瞬間を夫婦でお迎えくださいませ」
もうティースへの興味も失せていた。
マチャシュを手に入れた今となっては、“人質”としての価値も失われていた。
息子を取り込めば、現状の縛りが消えてなくなり、何もかもが思いのままに動かせるようになる。
もちろん、潰してしまう事も、だ
そんなヒサコに向けて、ティースは一瞬だが憐れんだ表情を向けた。
同情だろうか、そう感じヒサコであったが、今となってはどうでもいい話でもあった。
そして、ティースは踵を返してヒーサに歩み寄り、無言の内に顔面に握り拳を放った。
ヒーサはそれを手で受け止め、威力のある一撃であったのを証明するかのように、パシィッっといい音を響かせた。
「ヒーサ、あなたのせいで何もかもがメチャクチャよ!」
「そのようだな。だが、今更マチャシュに対して、母親面するのは虫が良すぎると忠告したまでだ。捨てさせたのは私だが、捨てる事を決めたのはティース、お前だ。その事は忘れてはおるまい? 親子の情など、今となっては邪魔になるだけだ」
「よくも! あなただって親子でしょうに!」
「知らんな。すでに息子は死んだ。それ以上でも以下でもない」
完全に割り切ってるヒーサと、なおも心に“しこり”が残るティース、夫婦の間には越えがたい亀裂が生じていた。
少なくとも、端から見ているヒサコにはそう思えた。
“人形”であった頃から見続けてきたが、この二人はとにかくちぐはぐだ。何もかもが嚙み合っていない。
それを上手く嘘を用いて糊塗してきたヒーサであったが、その嘘がバレてからはてんでバラバラだ。
あくまで二人が関係を維持できたのは、利害の一致による同盟関係でしかない。
「利害は同盟の潤滑油であり、裏切りの導火線である」
何度も繰り返し言った言葉であるが、これを利用して遊んだのが今のヒサコだ。
夫婦の間には“死んだ息子”を利用して、登り詰める事しか頭にない。その先にあるそれぞれ目的のために、表面上は握手しているに過ぎない。
そこに“母としての情”を再点火させ、楔を打ち込んで仲違えさせようと試みた。
情に関して言えば、ヒーサの横槍のせいで寸止めされたが、結果として二人のいがみ合いが表面化できたので、結果として良かった。
しかし、見ている分にも不快であった。
(何もかも終わらせる。世界がなくなれば、誰もいがみ合わなくて済むのだから)
繰り出した拳に力を込めて押し込もうとするティース。
それを涼しい顔で受け止めるヒーサ。
二人を眺めて世の無常を改めて感じ取るヒサコ。
“息子”を巡る三者三様の思惑も、いよいよ最後の時を迎えようとしていた。
~ 第二十七話に続く ~
気に入っていただけたなら、↓にありますいいねボタンをポチっとしていただくか、☆の評価を押していってください。
感想等も大歓迎でございます。
ヾ(*´∀`*)ノ




