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第二十五話  捨てられし赤子! 誰もこの子を愛していない!

「では、次に要求だ」


 ヒーサは話題を次に移した。

 質問、要求、提案を一つずつヒサコに求め、これを呑ませた。

 と言っても、あくまで“聞く”だけであって、受けるかどうかは別であった。

 ヒサコも聞く分には真剣であり、油断もしない。

 自分の兄であり、生みの親にも等しい男は、この世界で一番の外道であり、奸智に長けた策士でもあるのだ。


「それで、お兄様の要求とはなんでしょうか?」


「知れたことを。ティースを返してもらおうか」


「やはりそうきましたか」


 ヒサコにしてもヒーサの思考を読める。

 ヒーサによって生み出され、そこからスキル《自律〉によって勝手に動き回れるようになり、今に至っているため、ヒーサの思考を最も感じてきたと言っても過言ではない。

 だからなんとなしに読めて、要求も見えてくるのだ。

 すなわち、伴侶ティースを求めてくるだろう、と。


「一応聞いておきますが、その要求の真意は?」


「等価交換ではないか。お前は欲した最期の鍵を手に入れた。こちらは最愛の妻を取り戻す。違うか?」


「お兄様、交換や交渉とやらは、対等な関係であって初めて成立します。立場の差を埋めるほどの材料を持っていなければ、一方的に奪われておしまいですわ」


「同感だ。弱い立場は交渉の機会すら奪う。弱者は口を噤み、強者からの要求に唯々諾々するよりない」


「ならば、お兄様も大人しく世界の最期を見守っていただきたいものですわ」


「だから、嫁を返せといっているのだ。最期の瞬間を愛する者と待つ。何か不思議かな?」


「ですから、そのための交換材料は?」


「すでにお前の手の内ではないか」


 ヒサコの手の内にあるもの、それはもちろん息子マチャシュだ。

 魔王として完全覚醒を成し、世界を崩壊させる最期の鍵でもある。

 ヒーサはそれを大人しく渡し、必要条件は全て整った事を意味していた。


「だからご褒美ちょうだい、と?」


しかしかり」


 ヒーサは何度も首を縦に振り、ヒサコの問いかけが正しいことを示した。

 それゆえに、ヒサコの考察に歪みが生じた。


交渉しょうぶが始まる前から手札を、それも切り札と呼ぶべきものを晒した挙げ句、スパッと場に出してくるバカはいない。ここぞという場面まで、温存しておくのが常道。でも、目の前の男はそれをしなかった)


 いずれ切るにしても、あまりに場に晒すのが早過ぎるのだが、同時に二つの可能性も見えてきた。


(一つは、先に譲って後から譲歩を引き出す、というやり方だわ。これもやり方としてはよくあるもの。譲ってもらった分、断りにくいという心理が働く。交渉相手から不誠実をなじられ、仲がこじれる可能性もある。ゆえに、受けにくい案件も通すことができる)


 しかし、この考えはすぐには捨てた。

 なぜなら、後々こじれたら困る、というのがこのやり方の骨子だ。

 じきに消えてなくなるこの世界になど、後腐れなくなど存在しない。

 今回に限って言えば、ヒーサのやり方は非合理的であった。


(唯一、説明が付くとすれば、それは言葉の裏など読み解かず、そのまま受け取ること。要は、“愛する(疑問は残るが)妻と一緒に最期の時を迎える”とすればいい。そうすれば、マチャシュを渡した件も説明がつく)


 勝敗は決し、後はどう閉めるかと考えると説明が付く。

 何しろ“松永久秀”には前例があるからだ。


 『古天明平蜘蛛茶釜こてんみょうひらくもちゃがま


 松永久秀が“己の魂”とまで評した天下に二つとない大名物だ。

 どっぺりとした黒鉄の光沢と、地を這う蜘蛛のごとき異形の茶釜であり、それゆえに久秀は己の自身であると溺愛したのだ。


(そして、この茶釜を差し出せば許すと言われたにもかかわらず、これを拒絶。最後は愛する名器と共に果てた。つまり、引くも進むもならないときは、命よりも“名誉”を、ぶっちゃけ“格好良さ”を選ぶ! 武士としてよりも、商人としてよりも、数奇者として、“ええかっこしい”を選んでしまうのが松永久秀という男)


 こう考えると、自然と説明が付いてしまう。

 マチャシュを大人しく差し出し、そして、ティースを取り戻す。

 世界が終わるその時まで、愛を叫んでいちゃついていれば、愛に殉じたと取れなくもない。


(でも、それは後々まで伝え話す者がいてこそよ。消えてなくなる世界には、歴史も伝説もない。ならば、己の思うままに生き、曲がることなく突き進んだという“自己満足”に過ぎない)


 結局、兄もこの程度の人かと、ヒサコは却って失望した。

 今少し“魅せて”くれるものかと期待したが、そうでもなかったと諦めがついた。


(そう、“諦め”が人を殺す。あの業突張りのお兄様がこうなったのも、諦めてしまったがゆえに。ああ、無様でもいい。お兄様には最後まで抗って欲しかった)


 そう考えるとどうだろうが。途端に興味がなくなった。

 目の前にいる兄にも、地べたに横たえている義姉にもだ。 

 どうでもよくなった。

 ヒサコはシュッと持っていた剣を振るうと、ティースを縛っていた縄が切れて解けた。

 ライタンが何度も切断しようとして、文字通りの意味で刃が立たなかった魔王の毛髪製の縄が、すんなりと切れてしまった。

 意外とあっさり解放された事に驚き、ティースは警戒しながらもゆっくりと立ち上がった。

 きつく縛られていた箇所を撫で、体の各部が異常がないかを調べてみたが、特にこれといった損傷はなかった。


「意外ね。もう少し焦らすかと思ったんだけど」


「あら。解放される事には疑義を挟みませんか」


「あんたはヒーサに似ている。似ているからこそ、なんとなく分かる。引き伸ばしに乗った時点で、こうなることはね。だから、大人しくしておいた」


 ティースにまで読み切られていた、という点ではいただけなかったが、それすらもうどうでも良くなった。

 もうさっさと片付けよう。

 望み通り夫婦水入らずの願いは叶えてやったのだし、容赦なく世界もろとも消してしまおう。

 さっさと行けと、ヒサコはヒーサに剣先を向け、ティースを促した。

 それに従って、ヒーサに向かって歩き出したティースであったが、ヒサコの目の前で止まった。

 だが、ヒサコに視線を向けず、見つめる先にはマチャシュがいた。

 母として触れることの叶わぬ、血を分けた息子だ。


「ヒサコ、私からも一つだけ、質問いい?」


「お聞きしましょう」


「あなた、母としてマチャシュを愛おしく思っている?」


 意外な質問であり、同時に今更と思ってしまう問いかけであった。

 ヒサコは改めて手の内にて眠る我が子を見つめた。

 そして、なんの抑揚も、哀愁も感じない自分がいることを再確認した。


「一切の感情が湧かない。所詮、この子は踏台。成り上がりのための小道具に過ぎないわ。“人形”であった頃は簒奪のための道具として利用し、魔王となった今では、覚醒のための鍵程度にしか感じていない」


「母としての愛情もなく、人としての同情もない、と?」


「あたしは“人”であったことが一度もない。与えられた役目を押し付けられた人形よ。全てを押し付けられた悪役令嬢として、簒奪を成した後は冷徹な国母摂政として、最後は罪とともに消されるはずだった。それが長じて、今は魔王になっただけ。だから、改めて言うわ。この子に向ける情はない。奪われた側からすれば、めちゃくちゃ腹立たしいかもしれませんが」


 ある意味で分かり切っていたヒサコの回答に、ティースはこの上ない哀愁を感じた。

 手を伸ばせば、我が子に手が届く。

 だが、ティースは伸ばさない。

 奪われたものに、なんの執着もないからだ。

 もうマチャシュへの感情は、涙と共に一切が枯れ果てたと言ってもいい。

 あの日、腹を痛めて産み落とし、そして、奪われたあの日からゴリゴリと心を削られた。

 そして今、完全に消え去ったと感じ取った。


「哀れな子ね。生みの親(おねえさま)に捨てられ、義母あたしには道具扱い。誰からも愛されず、誰からも利用され、母親の温もりを一切感じることなく、消えてしまうなんて」


「そうなるように望んだのは、あなた達兄妹でしょ!?」


「それは否定しないわ。なら、お姉様、最後の“記念”に抱いてみる?」


 そう言って、マチャシュを差し出してきた。

 触れることの叶わぬ“死んだ息子”を抱くことができる。

 ティースの心は揺れ動き、枯れていたはずの心に潤いが感じられ始めた。

 そして、ティースの手はゆっくりと持ち上がり、マチャシュの顔へと伸ばされていった。



          〜 第二十六話に続く 〜

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