第二十二話 交渉!? 梟雄と魔王はかく語りき!
「ヒーサ、絶対に渡したらダメよ!」
ティースの絶叫が静まり返った湖畔に響いた。
今やここにはヒーサ、ティース、ヒサコ、そして、マチャシュしかいない。
あとは切断されたり、あるいは焼け焦げた死体が転がっているだけだ。
そして、ここから先の展開は、“ヒーサの手の内にある赤ん坊”をどう遇するかで決することになる。
ヒーサにとっては、抱えている赤ん坊はすでに“無価値”な存在に成り果てていた。
ティースとの間に生まれた子ではあるが、それを死んだものと偽装して、ヒサコとアイクの間に生まれた子としたのだ。
すべては“自分の意のままに操れる王家の血筋”を欲しての事だ。
結果、ヒサコは国母摂政として国政を統括し、ヒーサはその後見人として裏に表に権力基盤を確立することに成功した。
この世界に転生してから二年弱、下剋上を成し、国盗りを完了させた瞬間であった。
攻め込んできたジルゴ帝国を倒し、国内の不穏勢力も反乱鎮圧と言う形で終止符を打った。
さあ、これから権力を欲しいままにして楽しむぞ、という段での魔王の登場である。
しかも、魔王として覚醒したのがヒサコとなると、すべてが狂ったのだ。
今までやって来た兄妹での二人三脚が崩され、しかも表裏一体の要であった女神すら強奪されたとなっては、もうお手上げであった。
「しかしなぁ、ティースよ、すでに戦力に大きな開きが生じた以上、抵抗するだけ無駄だ。彼我の戦力差を考えたら、さっさと下るという選択肢しかない」
「でも、世界が終わってしまうのよ!?」
「それは知らん。はっきり言って、そこまでの責任は私にはない。世界の行く末など、どうでもいい話だ。それともマチャシュを始末しろとでも言うのか?」
この問いかけには、さすがのティースも詰まってしまった。
ヒサコの欲するのはマチャシュであり、完全体になるのを阻止したとなると、クソ生意気な義妹に一矢報いたとも取れる。
だが、そうなると“母親”が“父親”に向かって「我が子を殺せ」と言ったに等しい。
それはもはや、言い逃れできない外道中の外道である。
死を装って他家の子として扱う、などと言う話どころではなくなる。
ヒサコと同じところまで堕ちる事を意味していた。
「ティース、この世界の事は“終わった事”なのだ。あとは心静かに最後の時を待つだけだ」
「だって、ヒーサはこの世界を救うためにやって来た“英雄”なんでしょ!?」
「知らん。それは神様とやらの人選の失敗だ。本来、私などは呼ぶべきではなったのだ」
「そんな無責任……」
食い下がろうとするティースに、ヒサコが頭を踏み付け、無理やり黙らせた。
柔らかめの湖畔の土壌とは言え、顔が地面にめり込むほどの一撃で、ティースは苦しそうにもがいた。
「お姉様、黙っていてくれませんか? これはあたしとお兄様との話ですので、部外者の立ち入りは御遠慮願いたいですわ」
「こらこら、ヒサコ、嫁をイジメんでくれ。それに、マチャシュは表向きはお前の息子だが、生母はティースなのだぞ。全くの無関係というわけではない」
「でも、その子を“殺した”のは、ティースとか言う母親の風上にも置けぬ悪女ですよ? 今更、母親面するのは虫が良すぎるのでは?」
「まあ、そうとも言えるのだが、その策を用いるよう促したのは、紛れもなく私なのだからな。ティースばかりを責めるのも酷と言うものだ」
「やれやれ。“諦めの境地”に到達した途端、いきなり大甘になりましたね。美しく整ったようでいて、実は毒針を持ち合わせていたかつてのお兄様、あれはどこへ行ったのやら」
「女神と一緒に天へと召されたのだよ」
「まだ、女神様は天に召されていませんよ。ほれ、この通り」
ヒサコはなおもティースの頭を踏み付けながら、勝ち誇ったように懐から黒い石像を取り出した。
黒曜石を丹念に研磨した一品で、陽の光を浴びて黒と光沢のコントラストが美しい見栄えを醸し、女神の力云々を抜きにしても飾っておきたくなる石像だ。
その石像からは女神の神の力が漏れ出ており、ヒサコはそれを余すことなく吸収していた。
「申し訳ありませんが、麗しの女神はもう“あたしの物”です。お兄様の物じゃあないんですよ」
「返せと言えば、返してくれるのかな?」
「返して欲しいのであれば、力ずくでどうぞ。それこそ、お兄様が他者に強いてきた“戦国の作法”ではありませんか」
「うむ、全くもってその通りだ。下らぬ事を聞いてしまったな」
奪い奪われては、戦国日本における日常茶飯事だ。
欲しくなれば奪いに行くだけの話である。
人の欲望は尽きることなく、あらゆる物が欲しくなる。
一所懸命に城や土地欲するのは言うに及ばず、銭、美物、芸術品、女、そして、“名物”。
松永久秀もまた、あらゆるものを欲したのだ。
しかし、より強者に破れ、炎の中にて身を焼く事になった。口惜しくはあるが、だからと言ってそれに対して文句を言うのは筋違いでもあった。
気に入らない事への異議申し立てをできるのは、純粋に力のみだ。
かつての松永久秀が死んだのも、“力”がなかったにすぎないからだ。
文句があるならば、命がけで抗え。
そして、力や知恵で覆してみろ。
それこそが“戦国の作法”であり、あらゆる事象を正当化する松永久秀にとっての“根”の部分だ。
ヒサコは自分の分身であるだけに、そのことを一番に弁えている。
それを改めて認識させられた。
だが、残されたたった一つの武器がある。
むしろ、それこそが乱世の梟雄・松永久秀の最大の武器とも言えるかもしれない。
「では、交渉といこうか」
そして、この世で最も信用ならない、それでいて最も甘美なる言葉を放つ“三枚舌”が動き始めた。
「交渉? お兄様、彼我の戦力差を考えれば、これからの話し合いは“交渉”ではなく“要求”ですよ? それ以上に、力任せに“強奪”すら可能です」
「いや、交渉で合っている」
「では、お兄様がマチャシュ以外にこちらに差し出すものがあると?」
「あるよ」
「ふむ……。まあ、お聞きしましょうか」
ヒサコとしてはすでに勝ちが揺るぎない状況であるし、余裕の態度が取れた。
むしろ、さっさと兄の腕の中にいる子を強奪し、取り込み、カシンより受け取った情報を元に、世界を崩壊させる手順を踏むべきであると、頭の中の“世界の意思”が告げていた。
だが、ヒサコは幸か不幸か、“松永久秀”から枝分かれした妹“松永久子”なのである。その精神構造は類似品と言うより模倣品であり、世界の意思やカシンの情報を含んでいなければ、全くの同一存在と言っても差し障りがない程だ。
ゆえに、松永久秀から継承した“数奇者”としての側面が、先の読めない物珍しさを欲していた。
この場をどう切り抜けるのか、と。
(見たところ、武装の類はない)
ようやく踏み付けから解放されたティースは、泰然とする夫の姿をじっくり観察する事が出来た。
その結果、完全な“非武装”だということを確認できた。
来ている服は動きやすい余所行きの平服であり、鎧の類を身に着けていない。死体が転がっている戦場に赴くにしては、あまりにも軽すぎるのだ。
おまけに剣を帯びてすらいない。銃鞘もない。
そもそも、愛剣の『松明丸』はヒサコの手の内にあった。
馬の鞍にもそれらしい物もなく、本当に武器を装備していないのだ。
(なんと言うか、本当に身一つでやって来ました、感が出てるのよね。なのに、これから交渉? しかも相手は魔王よ!?)
相も変わらず、大胆と言うか、訳が分からないと言うか、夫の行動が今一つ読めないティースであった。
「ねえ、お姉様、武器の類が一切ないお兄様の姿、どういうつもりなのだと思いますか?」
ここで不意にヒサコがティースに尋ねてきた。
ヒサコの視点からでもヒーサの非武装は一目瞭然なようで、それが逆に気になっているようであった。
思考が似通っている以上、おおよそは“予想の範疇”なのだが、それでも第三者の視点や意見を取り入れておこうという腹積もりだ。
ティースもまた、全力で頭を働かせた。
(ヒーサは完全に諦めた? それなら非武装の理由も、わざわざ自分でマチャシュを連れてきた理由にもなる。でも、もしそれが“騙り”だとしたらば?)
今まで何度となく夫の“悪戯”にしてやられてきたティースからすると、ヒーサの現状はあまりにも不自然過ぎた。
どうにもこうにも、諦めが早すぎると考え、頭のどこかに何かが引っかかっている感じがしてならないのだ。
では、この状況で一発逆転を狙う騙し討ちをしかけるとしたらば、と思考はそちらへと移っていった。
そして、“いい方法”を思いついた。
「……マチャシュの服に爆弾を仕込み、大人しく渡すフリをして、目の前で起爆させる。爆炎で視界を遮り、慌てふためく内に懐から女神の石像を分捕る、なんていうのはどうかしら?」
口にはしたものの、とんでもない悪辣な策だなとティース自身も後悔したほどだ。
なんでこんな作戦を思いついてしまったのだろう。あまつさえ口にしてしまったのだろう、と。
「鬼畜ですわね」
「外道に過ぎるだろ、それは」
「ちょっと!」
よもやこの世界で一、二を争う悪辣な兄妹からの鬼畜、外道呼ばわりである。
ティースとしては当然抗議の声を上げたが、二人からの視線がチクチクと突き刺さっていた。
「お姉様もここまで悪辣になられようとは! 素敵です! 惚れ直しました! このまま一緒に世界を滅ぼしましょう!」
「おい!」
「まったくだ。嫁いで来た頃は随分と愛らしい大輪の花であったというのにな。これでは山百合どころか野薊ではないか」
「棘だらけってか!? ふざけるな! 誰のせいよ、誰の!」
ティースの性格が摩れてしまったのは、間違いなく目の前の二人が原因である。
しかし、この二人の間に挟まり、“順応”してしまったのもまた事実だ。
世界を滅ぼす魔王と、戦国乱世の梟雄に挟まれて、揉みくちゃにされようとも発狂していないだけでも大したものであった。
「しかしまあ、お姉様の意見にも見るべき点がありますわね。確かに、見た目は非武装になっていますが、そこに武器を仕込もうとした場合、自分の懐の内か、あるいは抱えている赤ん坊の服の中になりますか」
「酷い言い様だな。私がそんな外道な真似をするとでも?」
「します」
「するわね」
日頃の行いの悪さから、妹と嫁から完全に睨まれていた。
ヒーサはなんとも言い表し難い複雑な表情で見つめ返し、ため息を吐き出した。
「二人揃って酷いな。そこまで人間として堕ちとらん」
「そうでしょうか? なにしろ、お兄様はあたし自身も同然です。信用できないという点では、信用しておりますわ」
「つまり、お前も場合によってはそういう手段を取る、と」
「しますよ。だって、私が生まれてからずっとお兄様と肩を並べてきたのですよ? 思考ややり方が似通うのは当然です」
「ふむ、なれば仕方がないか。……そら、自分の目で確かめるがいい!」
そう言ってヒーサは、抱えていた息子を勢いよく放り投げた。
そして、それは放物線を描き、ヒサコの方へと飛んでいった。
~ 第二十三話に続く ~
気に入っていただけたなら、↓にありますいいねボタンをポチっとしていただくか、☆の評価を押していってください。
感想等も大歓迎でございます。
ヾ(*´∀`*)ノ




