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第十八話  決戦第二幕! 僭称の法王vs覚醒の魔王 (1)

 洞窟の外に飛び出したヒサコは、そこで意外な光景に出くわした。

 不利を悟り、素早く逃げに転じたライタンが、洞窟入り口に程近い場所にいたのだ。

 ティースと和気あいあいとお喋りに興じていたため、もっと遠くまで逃げれる時間があったにもかかわらず、洞窟の入口付近で待機していた。


(それに……、ここの空気が澄んでいる?)


 それが洞窟への突入前と今とで、周囲の雰囲気が変わっている点だ。

 『影の湖ラゴ・デ・オンブレー』は山の影になって一日の大半を陽が射さない状態で過ごす。

 名も無き闇の神の台座とされ、その証明であるかのように瘴気を含んだ霧が立ち込めているのが常だ。

 しかし、今はその気配が薄れていた。


(そうか。今は正午に近い。短いけど、霧が晴れやすい条件。しかも、得意の風の術式で、霧の動きを操作し、この周辺の視界を確保したか)


 かなり回りくどいが、そうした以上は何か意味のある事だとも容易に推察できた。

 しかも、分かりやすい理由が目の前にあった。

 それは、“狼煙のろし”だ。

 ライタンのすぐ側で火が焚かれ、煙が上がりやすく、風を無風に保っているようであった。

 霧を晴らした理由も、狼煙で居場所を知らせるという点では有効であった。


「あらあら、ライタン、さっさと逃げ出したかと思ったけど、まさか本当に増援を呼んで戦おうって気じゃないわよねぇ?」


 ヒサコはティースを担いだまま、ゆっくりとライタンのいる方へと歩み寄った。

 ライタンもそろそろ来るかなと予想していたようで、堂々と待ち構えていた。


「さすがに私一人では勝ち目がありませんし、まずは引いて、増援を呼ぶのは当然の選択では?」


「まあ、それはそうなんだけど、ティースを置き去りにした点はいただけないわね。さっきまでわんわん泣いて、命乞いしてたわよ。可愛そうだから、イジメるのも程々にしてあげたけど」


「してないでしょ! シレッと嘘を吐くな!」


 ヒサコの毛髪製ロープでグルグル巻きにされたティースは、抗議の声を上げつつジタバタを暴れたが、ヒサコは特に動じず、軽々と担いだままの姿勢を維持した。


「公爵夫人、申し訳ございません。結果として置き去りにしてしまいまして」


「分かっているわよ。誰よりも冷静なあなたが、脇目を振らずに“逃げ”を選択したんだもの。それくらいは大目に見てあげるわ」


 ティースもあの場面で逃げを選択したライタンは正しかったと思っていた。

 あの僅かな時間で勝ち目なしと判断し、全力で引いて後続との合流を優先させたのだ。

 自分もそれに倣い、一当てしてから引こうとも考えていたが、ヒサコの放った一撃が想定以上に重く、受けたダメージで撤収する機を逸してしまった。

 最初から全力で逃げていれば、今こうして縛られていなかったかもしれないが、だからと言ってヒサコに背を追わせては焼き殺されていた可能性が高い。

 あの場で足止めを行っていたからこそ、狼煙を上げる時間を稼いだとも言えた。


「時に国母様、本当に魔王に体を乗っ取られてしまったのですか?」


「ライタン、それはちょっと違う。ヒーサから分離したヒサコと言う人格が自律し、それがカシンと言う神より与えられた権限を以て覚醒させ、ヒサコは魔王“松永久子”に昇華したと言って方が適当ね」


「ああ、そういう感じになるのですか。では、“別人”に変わってしまったと当人より言質が取れましたので、別に倒してしまっても、摂政殺しの罪にはならないと」


「殺生は良くないわね~」


「折衝できればよいのですが、止むを得ませんか」


 ライタンにしては珍しく軽口で返したが、口調とは裏腹に気配が反転していた。ゾワリとティースが背筋に寒気を覚えるほどの気配が、ライタンより放たれた。

 しかし、ヒサコはなんだか楽し気に微笑み、抱えていたティースを地面に置くと、ゆっくりと前に進み出て、ライタンとの距離を少し縮めた。 


「お~、お~、言うわね、ライタン。常に飄々としていて、それでいて冷静沈着。しかも動くときは果断即行。そういう態度は好きよ」


「お褒めに預かり光栄ですが、あなた様が魔王でなければ、なお喜べたのですが」


「まあ、上手くはいかないものね。フフ、私の中にいるカシンも疼いているみたいね。あなたをさっさと殺せって、せっついているわ」


「その期待には応えられませんね。最近は教団を蹴っ飛ばす行為ばかりしていますが、神への祈りや献身を忘れた事はありませんので、世界の破滅だけは全力で阻止させていただきます!」


 パチンとライタンが指を鳴らすと、そこら中に五芒星の魔法陣が浮かび上がってきた。

 地面に、あるいは岩に、あるいは樹木の幹にと、その数は十や二十では利かないほどだ。


「おやおや、準備万端と言うわけですか」


「それはあなたが悪い。大方、調子に乗って公爵夫人とベラベラお喋りしていたのでは?」


「それは正解。でもね、ライタン、そこは“調子に乗る”ではなく、“余裕を見せる”と表現して欲しいわね」


 ヒサコは腰に帯びていた『松明丸ティソーナ』を鞘から抜き放つと、刃に炎が宿った。

 そして、渦巻く炎が形を成し、竜が形作られていった。


「いい、ライタン? 余裕が貫禄を生み、貫禄が威厳を生み出すのよ。世界を破壊する魔王として、それに相応しいのは力のみならず、立ち振る舞いもまたそれに合わせていくわ」


「でしたらば、まずは喋り方を治された方がよろしいかと。“ヒサコ”であった時と変わらぬ口調ゆえ、今一つ重さが足りません。まとう炎の竜がなければ、とても魔王には見えません。何より、敵を前にしての長口上は、三流のやり方ですよ?」


「それを分かった上で勿体ぶるように喋るのが、一流まおうたしなみってもんよ」


 余裕の態度を崩さぬヒサコに、ライタンは平静を装いつつ、焦りを覚えていた。

 挑発に乗って少しは頭に血が上ってくれればよかったのだが、その気配が一考に無いのだ。

 実力差を考えれば、それは当然なのだが、それでも引き下がるという選択肢はなかった。


「ライタン、少しくらいは長生きしてみようと思わない? 無駄な抵抗を諦めたら、世界が消滅するその瞬間まで生きる権利を与えてもいいわよ?」


「あいにくと、先のない未来に身を委ねる気はありませんな。なにしろ、この仕事が終わったら、ケイカ村に足を運んで、のんびり温泉に浸かるという予定がありますので。しかも、費用は全額公爵様持ちで」


「そんな未来は永劫訪れないわよ」


「あなたに頭を垂れれば、それこそ万が一すらなくなりますからな。全力で抵抗させていただきますよ!」


「万が一? 億に一つもないわよ!」


 ヒサコが剣を振りかざすと、それに呼応して炎の竜もまた雄叫びを上げてライタンに突っ込んだ。

 大口を開け、妙に力を抜いた姿勢のまま、ライタンは迎え撃った。

 ただ一本の短剣を握って。


「そんなチャチな刃物じゃ、この一撃は止めれないわよ!」


「止めはしませんよ。すり抜けるだけです」


 ライタンは自分の足下にある魔法陣を踏んだ。

 大きさとしては足がすっぽり入る程度の魔法陣で、踏み込むと同時にそれは発動した。

 軽くブワッと砂煙が上がったかと思うと、ライタンの体が風に舞う落葉のごとくふわりと舞い上がった。


「風よ、風よ、気ままに踊れ」


 力ある言葉とともに、宙に舞ったライタンが足を蹴飛ばすと、まるでそこに壁でもあるかのようにガツンと衝撃が走り、一気に加速した。


(速い……!)


 一足飛びに炎の竜の横をすり抜け、ヒサコの真横に着地したライタンは、間髪入れずにヒサコの首に短剣を差し入れた。

 深々と突き刺さり、素早く抜くと、血が吹き出し、ライタンの緑の法衣に赤黒い血飛沫がこびり付いた。



            ~ 第十九話に続く ~

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