第十五話 発想の転換! 魔王はこうして覚醒した!
魔王となったヒサコが欲するのは、あろうことかマチャシュであると述べた。
ティースにはヒサコの考えが一切分からなかった。
すでに魔王となったヒサコにとって、“傀儡の王”としてのマチャシュの価値は失われている。
なにしろ、世界を滅ぼすのが魔王であり、表向きは母とは言え、今のマチャシュには一人の赤ん坊としての価値しかない。
魔王にとってはどうでもいいはずなのだ。
にも拘らず、欲する理由とは何なのか、それが見えてこないのだ。
「どういうことよ、それって!? 今更子供が恋しくなったってわけでもないでしょうに」
「ええ、そうね。マチャシュはあたしにとって、権力を握るための看板としての価値しかなかったからね。でも、“人間の世界”の権力なんて、人間が欲しがるものであって、魔王となった今あたしにとっては不要。ゆえに、マチャシュの価値は消えた」
「だったらなんで!?」
「それについては、私がお話いたしましょう」
不意に聞き覚えのある声がティースの耳に突き刺さり、周囲を見回した。
そして、鼠が一匹、駆け寄って来るのが見えた。
その鼠は器用にヒサコの体を登っていき、肩のところで腰かけた。
「やあ、公爵夫人、お久しぶりだね。と言っても、この姿では分からないかね?」
「分かるわよ! その声、あなた、カシンね!」
「正解だ。いやはや、少々みすぼらしい姿で貴婦人の前に立つ事を許してくれたまえ」
ネズミから発せられた声は黒衣の司祭カシン=コジのそれであり、その慇懃無礼な口調もそっくりであった。
それだけに、姿形は違えど、それがカシンであるとティースは認識できた。
「なんであんたがここにいるのよ!? 死んだはずじゃあ!?」
「残念だが、詐術だよ、公爵夫人」
「詐術ですって!?」
ティースは驚きの声を上げたが、それも十分に有り得るかとも同時に考えた。
カシンとは何度もやり合っているが、とにかく相手を騙し、引っ掻き回す手管に長けていた。幻術を用いたり、あるいは甘言を吹き込んだりと、あの手この手で状況を動かしてきた。
ならば“死んだふり”すら可能なのだろう、と。
「フフフ……、まあ、何のことは無い。念のために保険をかけていただけだ。魔王様の登場を待たずに私が消えてしまうと色々と不都合なことがあるのでね。上位存在とやらが私に魔王を覚醒させる権限を与えると同時に、いくつかの力も与えてくれてね。今回はそれを利用させてもらった。そう、それこそ秘術中の秘術〈分御霊〉だ」
「な、なによ、その術は!?」
「ん~、簡単に言うと、自分の複製を作り出す術だ。ヒーサが使う〈投影〉は体を作り出すが、私の術は“魂”を分裂させる。魂の一部を切り離し、それを別の体に移す事が出来れば、“完全なる自分の複製”をも作り出せる。もっとも、今回は体の方を作っている暇はなかったので、使い魔の鼠に一部切り離した魂を乗せ、こうして“意識”だけは保存できたというわけだ」
相変わらずとんでもない術士だと、ティースは冷や汗をかいた。
自分は術士でないのでそこまで詳しくはないが、神の力を借り受けるとは、それほどまでに人の領域を超えることができるのかと驚くばかりだ。
(まあ、ヒーサもこれと同類だもんね。まったく、とんでもない連中が近くのゴロゴロいるってどうなのよ)
なお、『鬼丸国綱』を介して、ヨシテルの技が使えるティース自身も、人外の領域に半分踏み出しているのだが、その点には思い至っていなかった。
「でだ、話の続きをしよう。なぜ、魔王様にマチャシュという息子が必要なのか、とね」
「無垢な赤子を生贄にでも捧げて、闇の神へのお祈りでもするの?」
「惜しい。だが、いい線を行っているね、公爵夫人。生贄、供物と言う点では正解だ」
「……なら、誰に捧げる供物にする気よ!?」
「それは魔王様ご自身が“召し上がる”ためだ」
聞きたくもない悍ましいカシンの言葉と、舌をなめずりするヒサコ。
ティースは今まで感じた事のない怒りを覚えた。
「ヒサコ、あなた、私から子供を奪い、しかも自身の息子として扱いながら、今度はその子供を食べる、ですって!? 人の心を完全になくしてしまったようね!」
「お姉様、的外れな批判ですよ。あたしは人形。ゆえに、最初から空っぽ。人の心なんて持ち合わせていませんわ」
「なんでそんな事をするのよ!?」
「魔王としての状態を維持するためよ」
同じ“生贄”と言っても、ティースとヒサコには雲泥の差があった。
ティースは我が子を“死産”だと偽装し、他人の子と偽装した。
家門の復興に全てを捧げる事を誓い、我が子を形式上殺したのだ。
だが、ヒサコは“そのままの意味”で、生贄に捧げると言い切った。
いくら偽装出産の末に手に入れた子とは言え、母が子を手にかけると宣言したのだ。
ティースとしては、これ以上に無い嫌悪感と殺意を覚えたが、身体が思うように動かず、相手に罵詈雑言をぶつけるだけで精いっぱいであった。
「お姉様は魔術についてはそれほど詳しくなさそうだけど、“召喚魔術”については御存じ?」
「神の使いである、天使や悪魔なんかを呼び出して、力や知恵を借りたりする術式でしょ? かなり大掛かりになるとは聞いているけど」
「まあ、一般的な認識はそんなものね。でも、それら超越的存在は地上における活動が制限されている。能力制限をかけられたり、滞在時間が定められていたりね。何より重要なのは、肉体もさることながら、この世に存在するための楔がない」
「つまり必要なのは、留めるための“器”と、確固たる存在理由の証明である“契約”」
「はい、正解! 通常の召喚だとそんな感じだけど、完全なる異世界からの召喚となると更に面倒臭い。通常は無理。でも、それを可能にした者がたった一人だけいる」
ヒサコは肩に乗る鼠に手を差し出すと、ぴょんと手のひらに飛び乗った。
そして、それをティースの目の前に差し出した。
「単刀直入に言うとな、今、この世界は“狂っている”のだ。理由はヒーサこと、松永久秀が原因だ。君らが称するところの『シガラ公爵毒殺事件』、あの事件の際にヒーサが上位存在の予想を超える、とんでもない動きを見せてしまった。結果、バグって歪んでしまった」
「ええ、そうね。私もあの事件で狂わされたもの」
「そんな生易しいものではない。個人レベルの話など超えている。世界そのものが変質したのだ。神が用意した台本を破り捨て、規定が根底から覆ってしまったのだ。だが、それすら上位存在は“楽しむ”こととした。そして、私が生み出された。“カシン=コジ”と言う名を与えられ、魔王を降ろし、覚醒させる役目を与えられた」
「それは私も聞いた。だから、それとマチャシュがどう関係あるのかって聞いているのよ!」
「公爵夫人はせっかちだね。何事も順々に話さねば理解できぬよ。特に、今回のように入り組んだ条件、状況だとね」
カシンは今、鼠の姿なのでよく分からないだろうが、上から目線の慇懃無礼な態度は感じ取れた。
一発拳を叩き込んでやりたいが、話を聞き終わるまでは大人しくしているよりなかった。
自分の息子がどう魔王と係わりがあるのか、それだけはしっかりと聞き出さねばならないのだ。
「さて、私は魔王を覚醒させる権限を神より与えられたが、それが更なる歪みを呼んだ。まあ、簡単に言うと、与えられた権限に意図せず付随した、世界への干渉だ。世界の意思を見て、聞いて、そして、“死にたい”という言葉が私の中に流れ込んできた。何度も何度も破壊と再生を繰り返す神々の遊戯盤としての役目に、いい加減に辟易としたというわけだ。それゆえに、私はその受け取った意志に毒され、神から与えられた“魔王を降ろして英雄を倒す”という役割から、“魔王を降ろして世界を消滅させる”に上書きされたというわけだ」
「でも、降ろすための“器”に不都合が生じた、と」
「そうだ。ヒーサめ、その点に気付いたのか、あるいは生じた歪みがそうさせたのか、一向に器が醸成されず、魔王を降ろす事が出来なかった。アスプリクも、マークも、魔王を降ろすのには“心の闇”が足りなかった。かと言って適性の低い者に無理やり下ろしたとしても、魔王としての力を存分に発揮できず、やられてしまう可能性が高い。こちらとしても色々と仕掛けたが、どれもこれも失敗した」
「それはそれはご愁傷様。つまり、ヒサコの魔王化はやむを得ない措置であった、と」
「まあな。だが、それもすべて公爵夫人のおかげで覆った。本来、ヒサコが魔王として覚醒するなど有り得なかったのが、マチャシュがそれを可能にした。君があの赤子を生んでくれたおかげで、道筋が出来上がった」
勿体ぶるように喋るカシンに、ティースはイライラしているが、まだ我慢だと言い聞かせて、目の前にいる鼠に意識を集中させた。
「ヒサコは本来、この世には存在しない。ヒーサが神の力を使って作り上げた、触れる事の出来る“実体ある幻”なのだ。そこに魔王を降ろして覚醒させるなど不可能」
「杯がなければ酒は注げない、と言う事かしら?」
「その通りだ。仮に注いだとしても、杯が消えてなくなれば魔王様の魂は行き場を失う。行き場を失った魂など歪む原因にしかならん」
「でも、ヒサコに魔王の魂ってのを注いで、しかも維持できているじゃない」
「無理やり維持しているからな、“神の力”を利用して」
ティースはようやく話が見えてきた。
そして、“勘”で動いた先程の自分の行動も、どうやら正解を引き当てていた事を確信した。
「やっぱりそうなのね。テアを石像に封じ込め、それを魔力源とし、消えるはずの幻を器の形に維持し、強引に魔王としての状態を維持している」
「その通りだ。君の先程の“石像への一撃”は実のところ、成功していれば起死回生の一手となり得たのだ。神と言う魔力源がなければ体を維持できない。であれば、その拘束した神を解放すればいい。維持するにはアスプリクから絞り上げた魔力だけではすぐに枯渇するからな」
「……そうか! 召喚魔術における“楔”の部分、それがヒサコには欠如しているから、魔力で無理やりこの世界に留まっている。要するに、世界の摂理に干渉できる“神”が許可を出している、と言うような体で、消えるはずの分身を維持した!」
「それも正解だ。なんだ、頭悪いのかと思ったが、地頭はいいのだな、御夫人は。単に学習経験や知識が不足していただけか」
「殴るわよ!」
いちいち癪に障る喋り方に、ティースのイライラも限界に達していたが、それ以上に与えられた情報から答えが見えてきたので、そちらの方に集中していた。
今までバラバラだった事象も、よくよく全体像を把握して考えてみれば、しっかりと繋がっていると確信を得てきたのだ。
「それで分かったわ。マークでもアスプリクでもない“第三の候補”が魔王覚醒するって話で、私がその条件を満たしたって言っていた事。そして、ヒサコの『マチャシュを食べる』という言葉の意味。つまり、現在無理やり維持している体を、幻から完全な実体を得るために、マチャシュを依り代にして、“受肉”しようって腹積もりね!」
「そうだ。ヒーサとヒサコは同一存在。ゆえに、御夫人とヒーサの間に生まれた赤子は、ヒサコと血の繋がりがあるとも言える。赤の他人と違い、受肉させる器としては申し分ない。実体のないヒサコを魔王の魂と共に注ぎ込んだその時こそ、“真なる魔王”として覚醒するのだ!」
勝ち誇るような口調のカシンに対し、ティースは怒り、同時に愕然とした。
英雄ヒーサとの間に子を成したが、それが悪魔の手に渡り、いつの間にか魔王になることを定められていたのだ。
我が子を奪われ、そして、知らず知らずの内に魔王の母となっていた。
未来を信じて生み落とした子供が、破滅への扉を開く鍵になってしまったなど、受け入れがたい事実に打ちひしがれるのであった。
~ 第十六話に続く ~
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