第五話 脅迫! 暗殺者の少年は容赦しない!
凄惨な光景が広がり、背筋が凍り付くような状況であった。
マリュー・スーラ兄弟は用済みとなったために殺され、自らの体からあふれ出た血の海に沈んでいた。
クレミアはソファーに寝かせていた娘を抱え、こちらに災厄が降りかからぬように必死に庇う素振りを見せていた。
コルネスは血生臭い光景に耐えられず、気絶してしまった自身の妻の介抱をしていたが、息子から目を離してしまったため、そちらが今度は“人質”となってしまった。
返り血で真っ赤に染まるマークは、そのようやく歩けるようになったばかりの幼子に近付き、見上げてくるその顔を慣れない作り笑顔で見つめた。
コルネスとしては、生きた心地がしなかった。
マークは訓練を受けた暗殺者である。実に手慣れたやり口で、兄弟を殺した手口からそれは明らかであり、今度は自分の息子がその餌食になる危険があった。
幼子であろうとも、必要ならば殺す。先程重なり合った視線からそう読み取った。
「りんご~」
さすがに年が幼過ぎたために、状況が一切理解できていないようで、真っ赤なマークを指さし、このような言葉を発した。
全身真っ赤だからリンゴ。状況が分かっていないのは明らかであった。
これにマークがニヤリと笑い、うっかり幼子に血の汚れが移らぬよう手には触れず、コルネスの方を指さした。
「父上のところに行きなさい」
マークとしてはこの子に何かするつもりはなかった。
頼まれていたのは強欲なる兄弟の抹殺であり、同時にコルネスとクレミアへの脅しと言う名の牽制であった。
目的は十分に達成されており、これ以上の流血沙汰は望むところではなかった。
マークの指さしに幼子は反応し、力強く頷いてからコルネスの方へと歩いていった。
我が子が戻ってきたことに安堵し、その小さな体をギュッと抱き締めた。
それと同時に、背中に寒気が走った。
息子に意識を集中させたほんの僅かな時間、その間にマークに後ろを取られたのだ。
下手に動けば殺される。そう思わせるだけの殺気が放たれており、跪いて息子を抱き締めた体勢のまま、動けなくなった。
汗が頬を伝って床に落ち、戦場ですら感じた事のない恐怖がコルネスを縛り付けた。
「ご安心ください、将軍。頼まれていた仕事は“半分”終わりましたので、あなたとやり合うつもりはありません。一応“負傷療養”ということですので、本気のあなたとやり合うのは現状、分が悪い」
淡々と語るマークであったが、向けている殺気は抑えようともしなかった。
まだ“交渉”の段階であり、相手が要求を受け入れるかどうかの判断ができていないためだ。
武芸に覚えのあるコルネス相手に、不意を突かず、闇夜に溶け込むことなく戦うのは不利であった。
だが、この場には“妻子”という明確な弱点がある。
いざ事が起こればそちらを狙えばいい。そう思わせる事こそ、互いの刃を封じる抑止力になり得た。
コルネスもそれはすぐに理解できたため、微動だにすることなくマークの言葉に耳を傾けた。
「先程、『裏切り者はまた裏切る』と言いましたが、それは裏切った際に得られるものと失うものを天秤にかけた“打算”の結果です。ゆえに“公爵様”はこう仰せです。『こちらを倒せるだけの覚悟と自信があれば、いつでもそうするがいい。ただし、失敗した時の報復の事をよくよく考えた上でな』とのことです」
下手な行いは、家族に不幸を招くぞというありきたりな脅しだ。
だが、コルネスはこれ以上に無く震えた。
なにしろ、今聞いた台詞は本来“ヒサコ”が発する台詞であって、ヒーサの出す言葉ではない。
兄妹が飴と鞭を使い分け、最大の利益を得て来たのがシガラ公爵家であった。
その飴の役目である兄の方が鞭を持ち、コルネスを打ち据えてきたのだ。
下手な動きは即座に報復へと繋がり、この小さな我が子を失う結果になるぞと“聡明で慈悲深い”ヒーサが言ってきたのだ。
普段の差異がある分、ヒサコからの脅しよりも遥かに効果があった。
ゆえに、了承したと無言で頷き、完全に心服した旨を態度で示した。
ならばヨシとマークは判断し、“次”に移った。
娘を必死で庇おうとするクレミアの前にマークは移動し、壁を背に我が子を抱きながら蹲っている母にポンと手を置いた。
血に染まるマークの姿にクレミアは恐怖で肩が跳ね上がったが、それを抑えつけるかのように少し強めに肩を抑え込んだ。
「怯える事はありませんよ、御夫人。あなたに危害は加えません。なぜなら、あなたは父君と違って、明確な敵対行動をとっておりませんので」
血で汚れた顔のまま笑顔を向けるマークに、クレミアはガタガタ震えながら何度も首を縦に振った。
なにしろ、今の言葉を逆しまに受け取ると、敵対すれば殺すと言い切ったのだ。
後ろ盾も何もない状態で、しかも目の前には冷酷無比な暗殺者がいる。これではどう足掻こうとも命はなかった。
「念を押して申し上げますが、敵対しなければ何も致しません。なにしろ、あなたの抱える姫君は、未来の王妃陛下なのですから。あなた自身が王妃とはなれませんでしたが、娘の方は“大人しくしていれば”王妃となれます。ですから、目を瞑り、口を閉ざし、耳を塞いで、何もかも“なかった事”にいたしましょう。その方が双方の為です。あなたがこれから考える事は、娘を一端の淑女に育て上げる事、これだけです」
口調こそ丁寧であるが、マークの言葉は脅し以外の何ものでもなかった。
逆らえば殺す。端的に言えば、そういう事である。
クレミアとしてもそれに従うよりなく、自分と娘の安全のためには、ただ身を縮めて従順にしておくしかなかった。
ガタガタ震えながら何度も頷き、マークの、と言うよりヒーサからの提案を受け入れた。
(マジで俺、悪役だよ。ティース様の台詞じゃいないけど、“染まった”んだよな、誰かのせいで)
嫌な仕事はこれで終わりであるが、本来“裏仕事”とはこういうものなのである。
今まではただ主人の世話をしていればよかったが、義姉がいない以上、こういう仕事も自分がやらないといけないのだと言い聞かせ、気持ちを切り替えた。
今こうして血で汚れようとも、主人の命は命懸けで守る。それが表に裏に働く自分の役目であると、今更ながらに強く感じるのであった。
「ゼクトさん、終わりましたからどうぞ入ってきてください」
マークが少し大きめの声で叫ぶと、まるで声掛けを待っていたかのようにゼクトと数名の兵士が室内に入ってきた。
漏れ出ていた悲鳴から中で何が行われていたのかは想像するのに難くなかったが、実際に目の当たりにする光景は戦場さながらであった。
「いやはや、酷い有様ですな」
「戦場と考えれば、それほどでもありません」
「しかし、ここはシガラ公爵家の上屋敷なのですぞ?」
「今回はたまたまそれが戦場になっただけの事です」
十二歳の少年から発せられた言葉とは思えぬほどに淡々と言い放ち、状況の異様さも相まってゼクトや兵士達を委縮させるのに十分であった。
貴族社会の暗闘は耳にするし、中には流血を伴う事もあるが、こうも露骨に行うなど、少なくともゼクトが公爵家で働くようになってから周囲で起こったことは無かった。
それだけに異常事態であり、ヒビが幾重にも走った貴族社会の立て直しには時間がかかるぞと思い悩むのであった。
「時にゼクトさん、こいつらの遺体を処分しておいてください」
「……処分に際して、何か注文はあるかな?」
「ん~、そうですね。こいつらが荒らして、無人になった貴族の邸宅があるでしょう? そこの一つに無造作に放り込んでおいてください」
「随分と雑な隠蔽工作ではないかな?」
「バレても別に構いませんので。むしろ、こいつらの腰巾着への牽制を兼ねて、公爵家が始末したくらいに察してもらったくらいが望ましいほどです。ああそれと、『国母様が手の者を放って始末した』と噂を流しておいてください」
結局のところ、“全部ヒサコがやりました”と言う事で通すことをヒーサは決断した。
いずれ不満が爆発した際に、ヒサコを切り捨てる事によって全部をなかった事にするという、当初の作戦通りでいくことにしたのだ。
そもそも、ヒサコなる者は存在しない。ヒーサこと松永久秀が身代わり人形として作り出したのが、ヒサコなのだ。
スキル〈性転換〉と〈投影〉を用いて生み出した“触る事のできる幻”であり、その気になればいつでも消してしまう事ができるのだ。
流し雛のごとく、“厄”を全て身に受け、どこかへ流してしまおうという考えだ。
(ほんと、ろくでもない事をやらせてくれたもんだ)
これで王都の掃除が終わり、あとはアスプリクを捜索しに向かった組が、無事に戻ってくれば全てが丸く収まるのだ。
運び出される二つの遺体を眺めながら、マークはやっと終わったとばかりに大きなあくびをした。
ひとまずは湯浴みでもして汚れた体を洗い、“負傷療養”ということで重症人に戻る事とした。
久方ぶりの一人であり、たまにはのんびり休んでおこうかと、用意してもらっている部屋へと向かうのであった。
~ 第六話に続く ~
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