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第六十八話  死闘! 黒衣の司祭を打ち倒せ! (7)

 世界から、一切の“音”がなくなった。

 口から声を発しても、誰にも届かない。

 怒号が飛び交うはずの戦場にあっても、いかなる叫びも聞こえない。

 完全なる“無音”の状態に世界は陥った。

 何が起こったのか、よく分からない。だからこそ、誰もがいきなり五感の一つを失うという状態に困惑していた。

 ただ一つ分かっているのは、これはライタンが発動した術式であり、その意図する事は容易に考え付いた。


((これは好機!))


 ヒサコもティースもすぐに気付いた。

 当初は五感の内の一つが完全に失われたために一瞬狼狽したが、その有用性に気付くと、二人がかりで一斉にカシンに飛び掛かった。

 音のない世界。それは術士にとって致命的な状態でもあるのだ。

 術士は詠唱と言う名の神への祝詞のりとを唱える事により、自らの魔力を力の源として神の奇跡を代行する。

 それが術式の基本様式だ。

 ゆえに音のない世界では、神の声を聞くことも、言の葉に乗せた祈りを届けることもできない。

 こうなってしまえば、術師と言えどもただの人。

 ヒサコとティースはそれに気付いたのだ。


((逃がさない! ここで仕留める!))


 二人の視線の先には、困惑するカシンがいた。

 撤収するつもりで術式を用意していたのに、ライタンの横槍のせいでご破産になったためだ。

 だが、そこはすぐに切り替えた。

 ライタンの用意した“網”の持続時間は分からないが、要はそこまで凌げばいいのだ。

 鉄棒を握り、突っ込んでくる二人を迎え撃った。

 だが、それより先にアスティコスの放った矢が、カシンの左肩に突き刺さった。

 弦を引く音も、矢の風切り音もない、完全なる静寂の世界にあっては、飛んでくる矢などしっかりと見ていなければ、避けようもないのだ。

 突っ込んで来る二人に意識を取られ、アスティコスへの警戒が疎かになった結果であった。

 まさに奇手。ライタンの打った手は、全てにおいてカシンに不利に働いていた。

 ここへ来て、カシンはライタンを“放置”していたことを後悔した。

 いるのは分かっていたが、一向に加勢に来ないので、ヒーサにでも張り付いて、屍人ゾンビ軍団の対処をしているものだと考えていたのだ。

 だが、実際は“コレ”である。

 術士にとっては最悪の状態である“静寂の世界”へと誘われた。

 凶悪極まる罠を張り、手ぐすね引いて待ち構えていた。

 自分が加勢しなくても、仲間が必ず仇敵を撤退に追い込む。それを信じればこその一手だ。

 これはカシンにはできないやり方であった。

 誰も彼も騙し、裏切りの連鎖を繰り返してきたカシン。

 裏切りの連鎖の中にあって、それでも認めた者には愛でる事と報酬を忘れない松永久秀。

 ここで差が出てしまった。

 だが、悪態付くこともできない。張り上げた声は誰にも届かないのだ。自分自身にすらも。

 カシンの体もまた、マークほどでないにせよ損傷していた。

 マークに刺された傷はかなり修復できていたとはいえ、心臓を刺されたのである。体の動きは万全でなかった。

 しかも、そこにアスティコスからの矢が肩に突き刺さり、突っ込んで斬る二人に対しては、迎撃するのには傷を受け過ぎていた。

 先に斬り込んだティースは大上段からの振り下ろしをカシンにお見舞いした。

 これはどうにか受け止めたが、続くヒサコの一撃には無防備を晒してしまった。

 万全の状態であればティースをそのまま突き飛ばし、ヒサコの一撃もいなす事ができたであろうが、回復も、迎撃も、術式が使えないがために追い付かない。

 そして、体ごと飛び込み、ヒサコは走る勢いに全体重を乗せて『松明丸ティソーナ』を突き刺した。

 カシンの体を剣が貫き、胸のあたりから刺し込まれ、そのまま背中へと抜けた。

 断末魔を上げているであろう苦悶の表情を浮かべているが、“静寂の世界”では何も聞こえない。

 ただ単に顔がうるさいだけだ。

 最後の力を振り絞ってカシンはヒサコを引き剥がそうと、その手を伸ばし、首に手をかけた。

 その瞬間であった。

 貫いた剣より炎がほとばしり、カシンを包み込んだ。

 松永久秀ヒサコにとって、神とは祈りを捧げる存在ではない。ゆえに、讃え、祝福する捧げ文など必要としない。

 この世界でただ一人、神の許しもなく、神の力に手を付ける事ができる“英雄”であるからだ。

 黒衣が真っ赤に燃え上がり、もがき苦しむ様を炎のとばり越しに眺め、ヒサコは勢いよく蹴り飛ばして、カシンを引き剥がした。

 芋虫のように地面を転げ回り、それでもなお炎の勢いは止まらず、音無き世界にてもがき苦しむ声を張り上げた。

 誰にも届かぬ絶叫は、灰となって消えゆく体と共に永遠に失われた。

 何もかもが炎に沈み、塵となって風に吹かれて消えてしまった。

 何度も何度も煮え湯を飲まされ、時に妨害され、時に大切なものを奪っていった仇敵を、ついに完全に消滅させた。

 静寂の世界にあっては術式を使えず、得意の幻術も発動できぬままに死んだ。

 よくやく勝ったという実感を得たのか、安堵のため息を漏らすも、その音はなおも世界に響かない。

 だが、勝ったという実感だけは周囲には伝わっていた。

 ティースは刀を鞘に納め、慌てて傷だらけで倒れているマークに駆け寄り、アスティコスはわざわざカシンが黒焦げとなっていた場所を何度も踏み付け、これ以上に無いドヤ顔を作っていた。


「……あ~、あ、直った。やっとか。ライタン、早くマークを診てあげて!」


 耳から違和感が消え去り、ようやく声が通るようになると、ヒサコはライタンを呼んだ。

 なにしろ、この場で一番の重傷は、間違いなくマークであった。

 早く治療を施さなくては、本当に死にかねない傷を負っており、ライタンは急いでマークに駆け寄り、治癒の術式をかけ始めた。

 アスティコスもこれに加わり、マークに癒しの力を加えた。


「ね、ねえ、ちゃんと治るわよね!?」


 当然、ティースは不安でいっぱいであった。

 カシンを追い出すためとはいえ、自分の従者をボコボコにしたのだ。

 何ヵ所も骨折し、素人目にも重症であることは分かる。

 治癒の術式をかける二人も必死であった。


「命に別状はないですが、骨が繋がっても、しばらくは安静にしておくのがよいかと。私も治癒系の術式はそこまで得意でないので」


「同じく~」


 ライタンもアスティコスも治癒系の術式の心得はあるが、専門家でも得意分野でもない。

 治せはするが、瞬時に完治させるには威力が足りていなかった。

 だが、それでもあらぬ方向に曲がっていた箇所は元に戻り、治っているというのは分かった。


「よかった。やった自分が言うのもなんだけど、時間はかかっても治るのなら安心だわ」


「しばらくは安静は必須。アスプリクの探索からは外さないといけないわね」


 マークの容体を見てヒサコがそう断じると、ティースは露骨に難色を表情で示した。

 従者は主人の影差す所に侍るのが役目である。亡きナルもまた、マークにはそう指示をしており、それが当たり前なのだ。

 だが、それを止めろとヒサコは言ってきた。

 ティースにとっては不快な言葉であるし、あんたに指示される謂れはないと悪態付きたい気分であったが、それを受けざるを得ない状況でもあった。

 マークの密偵としての探知能力は、《六星派シクスス》の隠れ家を探すのに必要であるし、何より従者と別行動を取るのは不本意であった。

 しかし、重傷を負った従者を使役し続けるというのは、主人のわがままな暴挙と言わざるを得ない。

 嫌々ながらも、ヒサコの言う通りに従うより他になかった。


「仕方ない、か。アスプリクの捜索にマークは外しましょう」


「結構。まあ、どのみち王都と聖山に向かう事になるから、シガラ公爵家の上屋敷にでも寝床を用意して、安静にしてもらうとしましょう」


 ヒサコは周囲を見回すと、気絶しているマークを除き、全員が頷いた。

 反乱軍が鎮圧され、目下の最大の敵であった黒衣の司祭をも倒したのだ。

 残る課題はアスプリクの救出と、魔王覚醒の儀式の妨害である。

 目指すのは《五星教ファイブスターズ》の総本山『星聖山モンス・オウン』の山影に存在する、瘴気の湖『影の湖ラゴ・デ・オンブレー』だ。

 かつて、創世神話において名すら失伝した闇の神が座していたという、今なおその闇の魔力が漂う禁断の領域だ。

 そこにこそ儀式の祭壇があると考えられていた。

 障害はすべて取り除かれた。あとは捜索隊を出し、同時に儀式を断ち切る事だけであった。


 

           ~ 第六十九話に続く ~

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