第六十話 新たなる戦い!? それは突如として動き出す!
異変に最初に気付いたのはマークであった。
マークは普段こそ大人しい少年従者を装っているが、その正体はカウラ伯爵家の密偵である。
情報収集はもちろんのこと、破壊工作や暗殺、護衛に至るまで、幅広くこなせる実に使い出のある人材であった。
この点はヒーサ・ヒサコも高評価であり、叶うならば部下に欲しいと思うほどだ。
そして、その鋭い感覚と観察眼が機能した。
基本的に、マークは主君であるティースの安全を第一に考え、余程の用事がない限りは必ず側に控え、周辺の警戒に当たるのが常であった。
義姉であるナルが死んでからというもの、ティースを守れるのは自分だけであると考えており、その責任感や忠誠心は揺るぎない。
ゆえに、まずやるべきは主君の警護であり、その次は“危険人物”の監視だ。
マークの思考では、主君以外のすべては危険人物なのだが、その度合いは様々である。ほぼ人畜無害なレベルから、出来ればさっさと始末したいと考える者まで、その幅は広い。
そして、この場において危険度最高レベルは、「消してしまいたいけど、状況的にそれが許されない」人物、すなわちヒーサとヒサコだ。
自然と意識は二人に向けられ、“いつもの”ようにティースにちょっかいを出しては来ないかと警戒していた。
周囲が色々と準備や片付けに忙しなく動き回っている中にあって、感覚は兄妹に向けられており、“アルベールの死体”が動いた事にも気付いた。
最初は誰かがヒサコに伝言か何かで近付いたかと考えたが、その人物がアルベールの姿にそっくりであったために、異変であるとすぐに警戒度を上げた。
「ヒサコ、後ろだ!」
敬称略で思わず叫んだが、それは些細な事でしかなかった。
戦場では一瞬の油断が命取りとなり、致命的な状況を作り出してしまうのだ。
それが分かっているだけに、ヒサコも即座に反応した。
テアと喋っていて気が緩んでいたが、マークの言葉で警戒心を呼び起こされ、振り返るまでもなく背中から嫌な気配を感じ取った。
咄嗟に前へと跳び、ぐるっと前転をしてから体を捻りながら立ち上がり、手には炎の剣『松明丸』が握られた。
戦場慣れしているヒサコはそれで事なきを得たが、テアは反応が遅れた。
咄嗟に飛び退くような真似はできず、そのままの立ち位置で振り向いてしまった。
そこには、飛び掛かって来るアルベールがいた。
「え、嘘!?」
信じられなかった。アルベールは確かに死んだ。
では、今目の前で動いているのは何かと、テアは混乱したが、それでも抱えた赤ん坊の安全が優先すると判断し、自分を盾にしてその小さな体を庇った。
「ガアアア!」
もはや人語すら発していないアルベールは、明らかに尋常ではなかった。
テアを掴み、その首筋めがけて大口を開けて噛みつこうとした。
だが、その空いた大口にマークが投擲した石が飛び込み、アルベールをよろめかせた。
「こ、これ、屍人だわ! 誰かに術か何かをかけられて、動く死体になっている!」
テアはアルベールの姿を確認し、そう断じた。
黒く変色した肌、聞こえない心音、生者を食らおうとする死者の渇き、どれも屍人の条件に合致しており、その判断は正しかった。
アルベール製の屍人がよろめく内に、テアは駆け出し、ヒサコの背中に身を隠した。
「情けないわね~。さまよう死者の魂くらい、神様なら導いてやんなさいよ」
「そうしたいのは山々だけど、直接攻撃は禁則事項なの!」
「教導って事にすれば、セーフなのでは?」
「言葉遊びの屁理屈だな~。不確定要素が多いから却下! それに、一体だけなら、不意さえ突かれなければ対処できるでしょ!」
「一体だけならね」
ヒサコが指さすその先には、先程あの世へ送り出したばかりのサーディク達の死体があった。
それが、一つ、また一つと起き上がり、アルベールと同じように屍人と化して、周囲の兵士に襲い掛かり始めた。
「あの世へ送り出したのに、まさかの返品とはね。しかも痛んだ状態で送り返してくるとは、閻魔様もお人が悪い」
「んなバカみたいな事、言ってる状況じゃないでしょ! スアス渓谷にどれだけの死体が転がっていると思っているのよ!?」
「ん~? だいたい二万くらいかしら?」
「どこまで術の範囲かは知らないけど、最悪その数の屍人と戦う事になるわよ」
そこかしこに死体が転がっていて、屍人を作り出すのに事欠かない有様だ。
早めに対処しなくては、スアス渓谷での決戦の第二ラウンドが始まってしまう。
シガラ公爵軍は人員の被害はサームの部隊を除けば軽微であるが、運んできた火薬の多くを使い切っていた。
ここでさらに一合戦となると、銃や大砲が使い物にならず、近接戦を強いられることとなる。
それはあまり好ましい状況ではなかった。
ヒサコは愛用の剣『松明丸』を構えつつ、周囲を牽制した。
あちこちで次から次へと死体が立ち上がり、近くの者を襲い始めていた。
「ヒサコ、早く術士を見つけないと、被害が大きくなるだけよ!」
「分かっているわよ、女神様。でも、その前に……!」
ヒサコは一瞬の躊躇いを見せた後、再び飛び掛かろうとしてきたアルベールに炎を浴びせた。
真っ直ぐ突っ込んできただけに炎は直撃し、アルベールを真っ赤に染め上げた。
程なくして動かなくなり、消し炭となって崩れ落ちた。
ボロクズとなった真っ黒な死体は砕け散り、風と共に跡形もなく消えてしまった。
「アルベール……、もう少し丁寧に荼毘にするつもりだったのに、よくもこんな真似を!」
ヒサコは珍しく怒りの感情をあらわにしていた。
この世界で出会った最大の理解者たるアルベール。そうせざるを得なかったとはいえ、自分の手で殺めてしまい、気落ちしていた。
柄にもなく死者への手向けとして、手厚く葬ろうと考えていただけに、この“仕打ち”は決して許しておくつもりはなかった。
「探しなさい! 必ず近くに術士が潜んでいるはずよ!」
ヒサコは大声で名を飛ばすも、やはり戦が終わったと気が緩んでいただけに、全体の反応は鈍く、混乱もあちこちで見られた。
しかも、問題の渓谷の中からも次々と屍人が飛び出してきており、手に負えなくなりつつあった。
「ええい、面倒臭い! 全員まとめて、焼き払ってやるわよ!」
ヒサコの怒りに反応してか、炎の剣もまた豪快に燃え盛り、ヒサコやテアに襲い掛かろうとする屍人を次々と焼き払った。
だが、数が数である。そこかしこに散らばっていた死体は次々と起き上がり、さらに谷の中からも続々入口から死の行進が溢れ出ていた。
「ちょっと、ヒサコ! どうなってんのよ、コレ!」
ティースも群がる屍人を次々と『鬼丸国綱』で斬り伏せ、ヒサコの側へと駆け寄ってきた。
無言のうちに互いに背中を預け、テアを守るように身構えた。
「と言うより、指向性があるわよね、あの屍人の群れは」
「みたいね。狙いは、テア、じゃなくて、赤ん坊の方か」
実際、赤ん坊を抱えるテアの方へと群がっており、それを二人で次々と屠っている状態だ。
先程の激戦において、二人はそれほど戦っていないため、体力的には余裕があった。
しかも、それぞれの武器は炎を操る『松明丸』と、『不捨礼子』の破邪の力で浄化された『鬼丸国綱』である。
屍人に対しては効果的な武器であり、群がる死の行進を跳ね除けていた。
だが、数が多すぎるため、さすがに厳しいかと思いつつも剣を振るい続けた。
赤い炎が噴き出し、白き剣閃が輝き、彷徨える死者を本当にあの世へと葬送していった。
「大地よ、大地よ、我が意に従え! 死の行進を阻む、巨大な壁となれ! 〈城壁生成〉!」
ここで動いたのはマークであった。
次々と溢れ出る終わりの見えない死の行進を止めるため、谷の入口に長大な壁を生成したのだ。
先程、発破で吹き飛ばして瓦礫だらけとなり、狭い入り口は更に狭くなっていたが、今のマークの作った壁により、外への通路を完全に塞ぐ格好となった。
「おお、あれは確か、以前、領内巡察の時にお義姉様を引っかけた時に使わせた術ね」
「ああ、そんなこともあったわね。随分と昔の話だけどさ」
ヒーサとティースが結婚したばかりの頃、領内巡察に出掛けた際、マークが術士であることを暴くために、仕掛けた罠の事だ。
あの時は火薬の入っていないこけおどしの爆弾に騙され、ティースを守るためだとマークが慌てて土の壁を生成したのを思い出したのだ。
なお、あの時は人一人を爆風から守るための大きさであったが、今は一町(約百m)近くある長くてそれなりの高さがある壁を作り、見事に谷の入口を塞ぐことに成功した。
「よし、これでしばらくは増援はないわ! 今の内に原因を探すわよ!」
反撃の好機と見て、ヒサコはさらに火力を高め、屍人の隊列に穴を開けて突破を図った。
それにテアとティースも続き、一斉に駆け出した。
「マーク! あなたは撤収して! いざと言う時のために体力を温存していなさい!」
ティースは従者がかなり消耗しているのを見て取り、さっさと引くように促した。
放っておけば無茶をしそうであるし、失うわけにはいかなかったのだ。
素直に指示に従ったようで、屍人の群れから距離を空け、牽制を行う程度に留める姿を見て、ティースは安堵した。
「とまあ、こっちも切り抜けないとね!」
ティースが刀を振るう度に一つまた一つと動かぬ躯へと戻り、どうにか三人揃って囲みを突破した。
だが、入口を塞いだとは言え、谷の外にもかなりの数の死体があったため、そのことごとくが動き出し、人々に襲い掛かりつつ、その大半は“なぜか”マチャシュを突け狙うのであった。
「兵士達もかなり疲労しているし、長くは持たないわね。早く“奴”を見つけないと」
ヒサコは周囲を見回し、“奴”を探した。
こんな大掛かりな術を使える相手など、この世界には一人しかいないからだ。
~ 第六十一話に続く ~
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