第五十八話 理解者! これを屠るのはあまりにも惜しい!
すでに互いに臨戦態勢だ。
ヒサコは手に短筒を握り、銃口をアルベールに向けていた。
距離にしておよそ十歩。外す距離ではないが、それだけに張り詰めた空気は息苦しい程に熱を帯び、銃と剣を挟んで対峙するヒサコとアルベールのみならず、周囲の者にも緊張感を呼び起こした。
なお、ティースとコルネスはこの対峙に介入するつもりはないのは、手を柄から離し、同時に数歩下がって邪魔にならないようにしていた。
耳をすませば、二人の呼吸すら聞こえるほどに静まり返り、心音すら耳に届きそうであった。
「……アルベール、本当の、本当に、最後の言葉よ。こちら側に来る気はない、のね?」
「ありません。一人の武官として、通すべきものを通させていただきます」
「ルルの事を思って、踏み止まる気もない?」
「はい。ルルはすでに私の手を離れ、一人立ちをしました。もうかつての引き籠っていた頃とは違います。その点では、公爵様には感謝しています」
アルベールは一度馬上のヒーサに視線を向け、軽く会釈した。
アルベールにとって、ヒーサはルルの人生を変えてくれた恩人である。
教団が幅を利かせていた頃は、教団に所属する術士以外は、異端者として審問される立場にあった。
だが、ヒーサの行った数々の改革によって、教団の情勢が変わった。
改革志向を持つヨハネスが法王となり、同時に教団の既得権益を削ぐことでその勢力を大きく後退させ、隠遁していた術士が表に出ても問題がなくなった。
それ以降、ルルが異端審問に怯える事もなく、シガラ公爵領でのびのびと暮らすことができた。
今はごたついているが、また落ち着けばそうした穏やかな日常が戻って来ることは疑いようもなく、妹については心配はないとアルベールは考えていた。
そのまま術士として腕のいい職人の道を進むか、あるいはそうなるように“お願い”したように、ヒーサの妾となるか、それは分からない。
どちらにせよ、その地位や身柄は安泰であり、自分がわざわざ介入しなくてもいい。
すでに妹は自分の手から離れた。
ゆえに、アルベールの闘志には、一切の迷いがなかった。
目の前にいるこの国最強最大の英雄となった兄妹と刃を交え、そして、果てる。
これに勝る栄誉はないと、精神はますます高揚した。
「ほんと、どうしようもないバカね。剣を降ろせば、あなたもまた栄達できると言うのに」
「先程も申しましたが、魂や矜持を差し出してまで、生きようとは思いません。それは抜け殻となって存在しているだけであって、生きているとは言いますまい」
「そうかもしれないわね。でも、バカげている事だとも思うわ」
「そうでしょうか? 恐らくヒサコ様がそういう立場に追い詰められた時は、どうやってド派手な散り際を演出するか、それだけを考えるような気がしますが?」
アルベールのこの言葉に、ヒサコは思わずニヤリとしてしまった。
まさかここまで言い当てられるとは思っておらず、それだけに嬉しいのだ。
「……そう思える根拠は何かしら?」
「あなたは“人”も“物”も、すべてを交渉材料と捉えています。しかし、奪う事はあっても奪われる事をよしとせず、差し出す際も奪い返す算段をしてから渡す。そして、取り返せぬのであれば自分も派手に散ってしまおう。そう考える。それを差し出せば許される場面であろうとも、自分の手元に戻ってこないのであれば、共に果てる。そう、“愛”ゆえに」
「フフフ……。よりにもよって“愛”と来ましたか。あたしには、全く相応しくない言葉だと思いますが?」
「いいえ、ヒサコ様、あなたは誰よりも“愛”が深い。“愛”とはすなわち“求める心”です。愛するがゆえに求め、愛するがゆえに砕け散る様に心を痛め、愛するがゆえに共に果てる事も辞さない。もっとも、ヒサコ様の愛は“人”ではなく、“物”の方に傾いてはいるようですが」
ヒサコにとって、松永久秀にとって、それは完璧な回答であった。
人は自分も含めて裏切るが、物は決して裏切らない。あるがままの姿を晒し、魅了してくる。
ここまで自分の事を理解し、その上で潰しに来るのもまた、“二人目”であった。
かつての世界の魔王、松永久秀唯一の理解者にして、全てを奪い去ろうとした“大うつけ”だ。
「アルベール、あなた、やはり最高にいいわ。ああ、本当に潰したくない。だから、剣を引いて。こちらに用意できるものであれば、何でもあげるから」
「では、テア殿をいただきましょうか」
「おや~、ああいうのが好み? にしても、二つとない至宝を求めて来るわね」
「なんでも、とのことでしたので。……して、返答は?」
「無理。あれはあたしのものじゃないから、差し出す事は不可能よ」
「では、交渉決裂ですな」
茶番だな、とヒサコはすぐに分かった。
出せないものを出せと言い、そして、決裂したと持って行く。
(これじゃあ、『竹取物語』のかぐや姫じゃない)
無理難題をあえて出して来るのは、丁重なる“断り文句”だと、ヒサコはすぐに気付いた。
罪の意識を薄れさせ、自分の事で未練を残すなと言う創意工夫。すなわち“もてなし”だ。
こういう者こそ、一客一亭の茶事に招きたい。
そう思わせるものが、今のアルベールからは放たれていた。
死の美学、詫び寂び、何とも言えぬこの状況に、数奇者としての心が揺さぶられる思いであった。
目の前の男は得難い理解者であり、同時に倒さなくてはならない敵でもある。
もっとゆっくり話したい。茶でも飲みながら語り合いたいと考えた。
その機会が永遠に失われるのはあまりに惜しいが、今この場は茶室ではない。
戦場であり、用いるのは茶の作法ではなく、戦国の作法だ。
食うか、食われるか、ただそれだけだ。
「……いざ!」
しなやかな猫の背のように少し屈んだかと思うと、全力で一歩を踏み込んだ。
アルベールの宣言通り、最初の一歩がまさに合図であった。
踏み込んできた。剣を握り、明確な殺意を以て迫って来る。
その一歩を踏み出した瞬間に、ヒサコからは一切の雑念が消え、同じく確たる決意を以て引き金を引いた。
燧石が滑り落ち、火花を散らして火皿に落ち、そして、火薬が爆ぜた。
硝煙が噴き上がり、爆音と共に銃口より鉛玉が飛び出した。
狙い違わずアルベールの顔面目掛けて飛んだが、それを剣で弾いた。
金属と金属が激しくぶつかる音と共に、衝突した鉛玉はいずこかへ消えてしまった。
「銃撃を剣で防ぐか!」
「撃ち手のように、グルグル曲がって惑わす事はありませんので!」
「弾道を自在に曲げれる銃があるのなら、大金積んでも欲しいくらいよ!」
距離を詰めようとするアルベールに対し、ヒサコは撃ち終わった銃を投げ付けた。
これもまた剣で弾かれたが、ほんの一瞬だけ気が逸れ、ヒサコは後ろに跳んだ。
そして、着地と同時にそれはヒサコの手に納まった。
ヒーサが帯びていた愛剣・炎の剣『松明丸』だ。
「炎よ!」
迷うことなく炎を呼び出し、それを以て迫って来るアルベールに放った。
人をすっぽり覆うほどの炎であるが、アルベールはそれでも止まらない。燃え盛る自身の体を無視し、焼け焦げる激痛も、呼吸も許さぬ空気を燃焼させる火焔をも耐え抜き、ヒサコの脳天目がけて剣を振り下ろした。
ガキィィィン!
剣と剣がぶつかり合い、金属が激突する音が鳴り響いた。
アルベールの振り下ろした剣は、ヒサコに流された。
しかし、勢いを流し切れなかったのか、浅くではあるが、ヒサコの肩にアルベールの刃がめり込んでいた。
鎧など着ておらず、完全に軽装であったため、身軽ではあったものの防御力は皆無。肩口より血が滴り、剣を伝ってぽたりぽたりと血の雫が地面に落ちた。
だが、そこまでであった。
炎によるダメージもさることながら、激戦を潜り抜けた体の疲労や傷が言えておらず、そこから刃を押し通すことができなかったのだ。
互いに歴戦の猛者とはいえ、男女の筋力差がある。本来ならば、押し切れたはずだ。
「アルベール、万全の状態だったら、腕を持っていかれたでしょうね。戦ではあたしが勝ったけど、決闘ではあなたの勝ちって事でいいわ」
「……感謝」
何に対しての感謝であったのか、それがアルベールの最後の言葉となった。
力を失った手から剣が落ち、ヒサコにもたれかかるようにアルベールは倒れた。
これがこの戦での最後の戦死者となった。
ヒサコは、松永久秀はその動かなくなった戦友の体を受け止め、不如意の現実に無常を感じるのであった。
~ 第五十九話に続く ~
気に入っていただけたなら、↓にありますいいねボタンをポチっとしていただくか、☆の評価を押していってください。
感想等も大歓迎でございます。
ヾ(*´∀`*)ノ




