第五十七話 決裂! 認めた男はどこまでも気高かった!
ヒサコを“処断”する。それがこの兄妹の目指す最終的な形かと、アルベールはようやくその真意を知ることができた。
今、ヒサコには人々から向けられた多くの憎悪が集中している。
恨まれ、憎まれ、これを殺したい、どうにかしたいと言う者が王国には数多く存在している。
そのヒサコをヒーサが処断することで、ヒーサの英雄としての名声を確固たるものとする。
(この二人の連携は、本当に完璧だ。互いが互いを知り尽くし、一つの目標に向かってブレなく動いている。公爵様の覇権確立、そのためだけに動いているようだ。しかも、ヒサコ様はその礎となる事に、何の躊躇もない。始めからそうなる運命であることを受け入れるかごとく……)
兄妹の秘めたる計画を聞き、アルベールは羨ましくもあり、恐ろしくもなった。
無論、自分も妹のルルの為であるならば、どんな辛苦にも耐えて見せる自信はある。
しかし、二人はそれ以上なのだ。
そもそも“二人”などではない、どこまでも“一人”なのだ。
始めから、犠牲になり、斬り捨てる事を前提に策を進めてきた。
兄のために妹を犠牲にして、利益を独占すると言う戦国の梟雄が立てた計画そのままだ。
(漆器、陶磁器などの新事業を立ち上げて財を成し、セティ公爵家や教団の旧首脳部などの政敵を廃し、その他貴族の有象無象もいくつかを見せ締めに縊り殺して一罰百戒にて封じ込める。そして、王家を“正統な血統”を理由に簒奪し、甥である幼王以外はことごとくを絶えさせる。これで王国は完全にシガラ公爵家に、ヒーサと言う“大悪党”に乗っ取られるというわけか)
兄であるヒーサはどこまでも善人であり、慈悲深くて聡明な貴公子であることを演じる。
妹のヒサコは悪意を集める事を終始し、利用できるものは何でも利用して、どこまでも公爵家への利益誘導を行う。
兄と妹、男と女、善意と悪意、聡明と悪辣、言動は真逆であろうとも、裏では完全なる連携を保ち、自己保全と栄達には余念がない。
その集大成である“国盗り”においても、すでに完了してしまっている。
玉座に意のままに操れる王を座らせ、反抗的な貴族を粛正する。それをすでに成したのであるから。
あとは悪意が溜まりに溜まったヒサコを、適当なところで処断すれば、その怒りの矛先を失った者達は迷走するであろう。
(もっとも、その大半がこのスアス渓谷の土くれに変わってしまった以上、誰も止められないがな)
もう兄妹が描いた未来図に沿う状況が出来上がっており、自分もその歯車の一人として回る以外に道がないと、アルベールには思えた。
とはいえ、それははっきり言えば悪くはないのだ。
(今この場で頭を垂れ、差し出された手を握れば厚遇が約束されている。敗者には寛大に、それもまた公爵の名声となる。悪辣な手法は『ヒサコが勝手にやった事だ』と言う事にすればいい。私とコルネス殿が口を紡げば、それで万事丸く収まるというわけか)
その口止め料には、それなりの額を要求しても満額支払われる事だろう。
こう言う場面でのケチな対応を、この兄弟は絶対にしないというのは感じていた。
(そう、この二人の思考は貴族や騎士、学者のそれではなく、どちらかと言うと“商人”に近い。払わなくていいところは絶対に払わないが、払うべき場面では気前よくポンと出す。その見極めの嗅覚や目利きが、恐ろしい程に高精度なのだ)
アルベールにはない思考であり、それだけに読みにくいが、全てを見て、聞いて、理解した今なら兄妹の心の奥底がなんとなしに見えてきたのだ。
だからこそ、差し出されたその手を握る事をよしとしなかった。
アルベールは膝をついた。
ようやく屈して拝礼したかと思ったら、足下の剣を握り、再び立ち上がった。
会話中にある程度の体力は回復したが、それでも全力で戦うには体に負荷がかかり過ぎている。
それでもなお、その握った剣の切っ先をヒサコに向けた。
距離にして十歩ほどの距離であり、一呼吸で踏み込める間合いだ。
「……アルベール、その意味を理解しているの?」
「無論です。ヒサコ様、あなたは“敵”には一切の容赦がありません。ゆえに、この状態から一歩でもあなた様に斬り込めば、私の事を“敵”と認識し、容赦ない反撃を試みるでしょう」
「ええ、そうね。でも、それはしたくない。あなたのような“名物”を、手ずから壊すような真似は本意ではないわ」
それは紛れもないヒサコの、松永久秀の本心であった。
目の前の騎士はどこまでも気高い。自身が不利になると分かった上で離反し、松永久秀が忘れてしまった“忠義”を思い起こさせ、どこまでも抗って戦いを挑んでくる。
それだけに屈服させたい、懐柔させたいという思いが強い。
ヒサコはもう一度、アルベールに手を差し伸べた。
「ん~? もしかしてあれかしら? 値段の吊り上げでも狙っている? それは気にしなくても大丈夫よ。あなたにはたっぷりと報酬を弾むから。具体的には、アーソの領主権、辺境伯の称号、そのための支度金として、金貨一万枚は用意する。ルルもすぐに返すし、必要なら行政官として派遣しているポードも、そのまま移籍するように差配するわ」
「破格の好待遇には、いつもながら恐縮です。私などには過分な評価と言えるでしょう」
「それだけあなたを評価しているということよ」
「それでも! それでもです! 私はあなたの手を握ることはできない!」
アルベールは力いっぱいに剣を握り、そして、ヒサコを睨んだ。
相変わらずの余裕の態度を崩さないヒサコではあったが、その実、アルベールにはかなり焦っているようにも感じた。
領主権や大金という具体的な利益。
故郷であるアーソの地を取り戻せるという心情的な利益。
妹ルルとまた暮らせるという兄妹の情を利用した“脅迫”。
どれも人の心を揺さぶるものとしては十分であった。
だが、アルベールは首を縦に振らないのであるから、“強欲”なヒサコには相手の気持ちが理解しがたいのだ。
「ヒサコ様、あなたは他人をよく裏切る。しかし、自分を裏切ることを決して許容しない」
「そりゃそうでしょう。どんな理由があろうとも、あたしは自分の下を離れるをよしとしないわ。欲しいものは奪ってでも手に入れるし、一度手に入れたものは手放さない。……まあ、交渉の席で“一時的に”手放す事はあっても、それは“いずれ”取り戻せるという算段があればこそ、ね」
そう考えればこそ、かつて信長に『九十九髪茄子茶入』を差し出し、身柄の安堵を約束させたのだ。
大名物を手放すのは惜しい限りではあるが、状況的に苦しかったため、降伏せざるを得なかった。
だが、お気に入りの茶道具はいずれ取り戻せる。そう考えたからこそ、スパッと割り切ってこれを差し出したのだ。
だが、二度目の裏切りの時は状況が違った。
『古天明平蜘蛛茶釜』を差し出せば裏切りの件は許すと言われたのに、それを差し出すのをよしとしなかった。
取り返せる算段が付かず、手放せば二度と戻らないことが分かっていた。
平蜘蛛を差し出し、“人”としての尊厳や武士の矜持、なにより数奇者としての貪欲さが拒んだのだ。
“かつて”の松永久秀は、愛用する茶器と共に最期を迎える事をよしとした。
それを差し出せば命永らえる機会がありながら、天下に並ぶものなき名物と果てる道を選んだ。
だからこそ今、目の前にある得難い“大名物”を失う事をよしとはできなかった。
「アルベール、我がまま言わないで、あたしの手を取りなさい。人は死ねば、一人違わず土塊と成り果てる。魂が浄土……、天国へと旅立つとは限らないし、今を楽しく生きる事が重要じゃないかしら?」
「それもそうでしょうが、生きるには私はあまりにも重い荷を背負い過ぎました。万余の屍が横たわる光景を背に、一人安楽な生活を送るには、死臭がどうにも鼻につきます」
「この世は所詮、弱肉強食よ。弱きは死ぬか強者に諂うしか生きる術がない。強者の慈悲に縋るしか、弱者の生きる道はないのよ」
「であるならば、私に弱者としての道を歩めと、ヒサコ様はそう強要なさるのですね!」
「違う! アルベール、あなたは強いし、頭も回る。なにより、あたしにはない真面目さや実直さを持つ。誠実で聡明な領主になれるわ。その道を自分自身で閉ざすと言うの?」
「そんなものとて、より強大な力の前では押し潰されておしまいになりましょう! シガラ公爵家が“弱肉強食”を国是としている限りは!」
これはヒサコに、松永久秀にグサリと刺さる言葉であった。
かつては一介の商人から始まり、仕官して武士となり、ついには一国を制して主家をも凌ぐ権勢を得た。
だが、織田信長と言う巨大な波には抗えず、その軍門に下るよりなかった。
それと同じことを今、アルベールに強要している自分がいる事に気付いたのだ。
「……死ねばすべてが終わる。あなたには、その死の道を先延ばしにできる手段がある。それを拒むというのかしら?」
「主君や同胞の屍で舗装された道を歩むなど、断固として拒絶させていただく! 悪魔に魂を差し出してまで、生き延びようとは思いません!」
「……ンッ!」
今度と言う今度こそ、アルベールの放った見えざる矢がヒサコに深々と突き刺さった。
矜持を旨にし、強欲が手放す事をよしとせず、かつて平蜘蛛と共に果てる道を選んだ。
今目の前の騎士の有様を否定することは、自分自身の否定にも繋がりかねない。
そう考えると、ヒサコの手は自然と得物を求めて動いていた。
その先にはヒーサが乗って来た馬があり、鞍に取り付けられた銃鞘には短筒が備え付けられていた。
「……この大馬鹿者」
手早く銃鞘より銃を抜き、安全装置を解除して撃鉄を起こした。
構えるその銃口の先には、失いたくない“名物”がいる。
だが、惜念はあれど、もはや躊躇はない。
殺らねば殺られる。それが戦国の作法であるからだ。
惜しむからこそ手先が震え、銃口の赴く先が定かではなかったが、それはピタリと止まった。
ヒサコが、松永久秀が、“大名物”を壊す事を許容してしまったのだ。
その鋭い眼光が見据える先には、何よりも眩しい“忠義の士”がいる。
自分には決して真似できない眩い存在だ。
太陽を直視しようとも、それでもなお自分は自分の生き方を否定できない。
それが全てを手に入れんとする乱世の梟雄の矜持でもあるからだ。
~ 第五十八話に続く ~
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