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第五十六話  優先順位! 人はそれに縛られるものだ!

 反乱軍の完全敗北の理由、それは首脳部に“埋伏の毒”が仕込まれていたことであった。

 その役であるコルネスには、アルベールを始め、反乱軍の将兵全員が騙されたと言ってもいい。

 妻子を殺したヒサコに寝返るなど、普通は考えられないからだ。

 だが、二人の間にだけ分かる符丁を用い、実は殺してないと伝えられた。


「もちろん、それは『次は本当に殺すわよ~♪』という警告の意味合いも含まれているから、コルネスが戻ってこなかった場合には、本気でそうするつもりだったわよ」


 ニヤニヤ笑いながらコルネスの肩をパンパンと叩く姿は、聖女ではなく魔女と呼ぶべき姿だ。

 こうも鮮やかに騙し、万を超す人間を殺めたというのに、それを微塵も後悔していない。恐ろしい程に強固な信念か、あるいは狂気に満たされているか、どちらにせよ常人とはかけ離れていた。


「ああ、ついで言っておくとね。コルネスが王都を出立する際に、手紙を一通渡しておいたの。人目があったから“身分証”と偽ったけど、本当は指示書よ。戻ってくるつもりがあるなら、これをやって、あれをやっちゃダメ、てな感じで」


「……それは、王都への入城を止めさせる事と、スアス渓谷への誘引、でしょうか?」


「うほ、あっさり正解! さすがはアルベール」


 今までの会話やこれまでのコルネスを言動を振り返り、アルベールはそうとしか思えなかったのだ。

 思い返せば、コルネスの言動は理に適っているように見えて、その実、ヒサコにとって都合のいい動きが多かった。

 今にして思えば、ヒサコを王都を制圧し、サーディクの即位を強行すればよかったと考えを改めていた。

 足場が不安定とは言え、王都は王都である。大義名分を立てるには、王と王都の存在は大きいと言わざるを得ない。

 ヒサコと言う歪な太陽に、皆が目を奪われ、それに固執してしまった。

 そうした心理を利用し、コルネスはまんまと誘導に成功したのだ。


「まあ、最終的にはお兄様と、シガラ公爵軍の本隊と合流さえできれば勝てる公算は大きかったのだけど、どうしても“早期決着”が必要だったから。アスプリク、探しに行かないといけないのよね」


「あくまで、本題はそちらですか」


「あたしは欲張りなのよ。反乱の長期化、魔王の覚醒、どちらも王国と言う名物を潰しかねないから、どちらも拒否した。誰にも渡さないし、壊させはしない」


「その結果、この有様になったとしてもですか?」


 アルベールの視線の先には、戦場となったスアス渓谷の谷間があった。

 あそこには、万を超す死体がそこかしこに転がっていた。

 降伏の機会も与えず、ただただ鏖殺おうさつし、無慈悲な魔女のその心のままの世界を作り出した。


「まずもって、あたしはあたしが可愛い。何よりも大事なのよ。だから、あたしに関わる事を優先する。次に、あたしの腕の中にある“名物”を愛でる。アスプリクもその内側に含まれている。だから助ける。他がどうなろうとも、ね」


「万余の死体を築いてでも、ですか?」


「ええ、そうよ。人には誰しも“優先順位”というものがあるもの。アルベール、あなただって妹のルルが危機に瀕し、それを助けるためならば、百や二百くらい平然と斬り捨てるくらいはするでしょう?」


 そう尋ねられたアルベールは返答できなかった。

 人によって価値観が違う以上、物事の軽重にも差が出てしまう。

 ルルの為ならばと問われれば、おそらくは大抵のことは許容できてしまうであろう自分がいるのだ。

 もっとも、目の前のヒサコのように、万の死体を築いても平然としていられる自信はないが。


「では、お喋りはこの辺りにしておきましょう。さあ、ルルも待っているし、私と一緒に行きましょう」


「それは今度こそ部下になれ、と言う事でしょうか?」


「ええ、そうよ。主家が滅び、再興の道もなくなった。ゆえにこうして新たな寄る辺を提供しているわけ。あなたには生きる資格がある。義理や忠義を通すためにあたしに弓引いた件は流しますし、実力に見合う地位や報酬も約しましょう。さあ、私の部下になりなさい」


 この時、アルベールは少し前の事を思い出した。

 皇帝ヨシテルから、同じく誘いがあった時の事だ。

 今のヒサコもそうだが、自分を高く評価してくれている。一人の武官としては、嬉しい限りだ。

 だが、どうにもこの誘い文句には、人の心が通っていないようにも感じた。

 “モノ”扱いされている気がしてならず、ヨシテルの言葉にも感じなかった嫌悪感を受けた。


「ヒサコ様、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」


「なんなりと」


「サーム殿の件はどうにかならなかったのですか? あなた様なら、生き残らせる道筋もあったはず!」


 ここだけは聞いておかなくてはならなかった。

 あれほどシガラ公爵家のために働き、武勲揺るぎない将軍であったのに、これではまるで使い捨てに等しい。

 部下を平然と切り捨てられる、そんな主君の下では長く仕えるなど出来はしない。

 そう考えるからこその“疑心”なのだ。

 そんなアルベールの心中を察した上で、ヒサコはまた笑顔を向けた。


「野に獲物がいなくなれば、猟犬は不要となる。飛ぶ鳥がいなくなれば、弓は蔵にしまわれる。そうは思わない?」


「平和な世に武官の身の置き所はない、そう仰りたいのですか!?」


「ええ。サームは手柄を立て過ぎたわ。公爵家にとっては譜代の家臣で、大戦にはことごとくに参加し、その全てで手柄を立てた。これに報いる褒美がないのよ。死者には名誉を贈ればいいけど、生きている場合だとそうはいかない。名誉だけじゃなくて、もっと物質的な欲望を満たして揚げないとダメ。巨万な富だとか、あるいは広大な領地とかね。今ね、公爵家の懐事情もけっこうカツカツなのよね~」


 シレッと言ってのけるヒサコに、アルベールは心底呆れつつ、同時に恐怖した。

 人々の怒りや恐怖を一身に受けながらも、それに臆する事が一切ない。

 それどころか、進んで受け入れているようにも見えた。

 “ヒサコ相手”では埒が明かぬと、アルベールは視線をヒーサに向けた。


「公爵様! あなた様の本意をお聞かせください! ヒサコ様のなさり様は、あまりに常軌を逸しておられる! このような事をしていては、人心が離れてしまいます! 忠義の臣に罰を与えて報いるのが、シガラ公爵家なのですか!?」


 アルベールが示したのは、率直過ぎるまでの怒りと疑心であった。

 ヒーサに妹ルルの事を任せているが、ここへ来て大きく揺らいでいた。

 目の前の公爵が聡明な貴公子であると思えばこそ、安心してルルを任せ、離れる事をよしとしたのだ。

 これでは“聡明”ではなく、“悪辣”と呼ぶ方がふさわしいとさえ感じていた。

 返答次第では、足下に落ちている剣を握り、斬りかかる事すら辞さない姿勢で迫った。

 だが、アルベールはこの質問が無意味であることを知らなかった。

 ヒーサとヒサコが同一人物によって操られていることを、認識していなかったからだ。


「アルベールよ、ヒサコのやり方が気に入らないかね?」


「当たり前です! これではサーム殿が浮かばれません!」


「まあ、そうであろうな。だが、安心しろ」


「何をどう安心しろと!?」


「簡単な事だ。事態が落ち着いたらば、私が手ずからヒサコを“処断”するからな。魔女らしく、盛大に火炙りといこうじゃないか」


 妹も妹なら、兄も兄である。ヒーサの口からも常軌を逸した回答が飛び出した。

 よりにもよって妹を、国母を火炙りにすると宣言したのだ。

 どういうことなのかと混乱するのはアルベールだけでなく、コルネスも同様であった。

 だが、その他は、当のヒサコはもちろん、ティースも特にこれと言った反応を見せず、それが余計に二人を困惑させた。


「それがあたしの役目だもの。あたしの名はヒサコ=シガラ=ディ=ニンナ、全ての悪を背負い、厄を溜め込む役を演じる事を宿命付けられた“悪役令嬢”。悪意と災厄が人の形を成した殺人人形キリングドール。人々の憎悪を一身に背負い、そして、最後に消える。そうすれば、世界は平和。あたしが消えて、あとはお兄様が国政を、お義姉ねえ様が義母としてマチャシュを養育する。これで万事丸く収まるのよ」


「まあ、火炙りっていうのはあくまで“ふり”で、本当はひっそりと隠棲してもらうだけだがな。つまり、元通りと言うわけだ。昔のヒサコに、単なる“村娘”であった頃のヒサコに戻るのだ」


「表舞台からは姿を消すけど、まあ、どこかの山奥で窯場でも設えて、焼物に精を出して余生を過ごすなんていうのはどうかしら?」


 初めて聞く公爵家の兄妹の計画に、アルベールもコルネスも互いに顔を見合わせ、目を丸くして驚いた。


「では、始めからそのつもりで!?」


「ああ。始めからな。ヒサコなどいなかった。ヒサコは夢幻、一陣の風と共に消えゆく定めにあったというわけだ。もちろん、私が“全てを手にした”のを確認してからな」


 実際、“ヒサコ”などという存在はどこにもいない。

 ヒーサこと松永久秀が作り出した幻想でしかない。

 それが現実のものとして存在しているかのように錯覚しているのは、今や子守役ベビーシッターと化した女神テアの加護があればこそだ。


(とまあ、これも今となっては嘘っぱちになるけどね~。魔王の“第三候補”の登場で、全部が水泡に帰した。八百長も、身代わり人形すけぇぷごぉとも、全部黒衣の司祭カシンのせいで潰された。ああ、残念残念!)


 魔王を倒すふりをして、この世界を満喫する計画もせっかちな敵方のせいで、何もかもが台無しになった。

 折角育てた茶の文化も、一度も楽しむことなく終わりそうだとヒサコは嘆いた。

 それもまた止む無いかと思いつつも、やはりのんびり過ごす一時を得られなかった今回の生には、未練たらたらであった。



           ~ 第五十七話に続く ~

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ヾ(*´∀`*)ノ

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