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第五十五話  騙された! 気付かないからこその符丁である!

 夢か、幻か、アルベールの目の前には死体が折り重なっていた。

 スアス渓谷での戦いは、結果としてはシガラ公爵軍の圧勝だ。サームは戦死し、第一防衛線の守備隊も“味方”からの砲撃によってそれなりの損害を被った。

 だが、その“痛みを伴う小芝居”にまんまと騙された反乱軍は誘い込まれ、身動きの取れない谷間で四方より攻撃を受け、瞬く間に全滅した。

 それもこれも、目の前の魔女ヒサコの策謀であり、味方の犠牲すら計算にれる苛烈な作戦の結果であった。

 すでに生きている味方はただの一人もなく、主君であるカインは元より、同郷の少年兵トーガもまた先程槍に突かれて息絶えた。

 転がる死体の中に、総大将であるサーディクのそれも混じっている。

 残っているのは自分だけ。 

 ヒサコがアルベールだけは殺すなと命じられていたからだ。


「さあ、アルベール、これであなたを縛るものはなくなったわね」


 転がる死体を見ながら、ヒサコは笑みを浮かべていた。

 死臭漂うこの空間にあって、怯えも後悔も一切ない美女の笑顔は殊更に不気味さをかもしていた。

 それでいて勝者の余裕の表れか、あるいはアルベールへの信頼か、“帯剣”している状態であるのに気にかけている様子もない。

 しかも、人払いまでしていた。

 周囲の兵士には遠巻き囲むように命じ、軽く話す程度であれば聞き取れないほどの距離で輪を作らせた。

 その輪の中にあって、アルベールの側にいるのは、本体ヒサコを筆頭に、分身体ヒーサ、ティース、コルネスの四名だけだ。


「縛るもの、ですか。確かに私には何もかも無くしてしまいました。そう、何もかも、です」


 アルベールの視線の先には、幾人もの知己の死体が転がっていた。

 この状況を作り出したのは、自分の“驕り”であることも承知しているだけに、気分はなお重い。

 目の前の悪魔のような聖女の策を読み切ったつもりでいて、その実、読まされ、誘導され、まんまと罠にハメられたのだ。

 そのことに気付いていれば、“埋伏の毒コルネス”の事に気付いていれば、もう少しやり様があったのではと考えないでもなかった。


「なあ、コルネス殿、あなたはいつから“寝返っていた”のだ? 最初からか? 始めからこちらを騙すつもりで蜂起に参加したのか?」


「それは……」


「ん~、違うわね~。コルネスは反乱軍に参加した時は、迷いながらも割と本気で参加してたわ。その後にあたしが送った“符丁”で寝返るのを決めたのよ」


 ヒサコが二人の間に割り込んできた。

 事の経緯をコルネスが話し辛そうにしていたため、さっさと話しを進めたかったのだ。


「“符丁”ですと? コルネス殿には何の怪しい動きや外部との接触はなかったはずですが!?」


「アルベール、あなたもその“符丁”を堂々と聞いていたわよ。ただそれに気付かっただけ。特定の人物にだけ伝わるようにするからこその“符丁”じゃない」


「それはそうなのですが、一体いつの話で!?」


「あなたが反乱軍に参列した直後の軍議の席でよ。あの時、あたしは王都に放っていたであろう反乱軍の密偵に情報を流し、それがそのままそちらに伝わったという事よ」


 ヒサコの説明を受け、アルベールは当時の事を思い出した。

 身一つでアーソから出立し、反乱軍の陣営に駆け込んだアルベールであったが、ちょうどその時は軍議の真っ最中であり、主君であるカインや戦友のコルネスとの合流を喜んだものだ。

 そして、コルネスに関する話となると、一つしか思い浮かばなかった。


「旧宰相邸への襲撃の情報……。ヒサコ様の“偽旗作戦”で王都や聖山を焼き討ちしたという話。燃やされた地区に旧宰相邸があり、クレミア様の側仕えであったコルネス殿の奥方も巻き添えに」


「はい、その時点で騙されているわよ」


「……え?」


「偽旗作戦については本当の事だけど、旧宰相邸に関する部分だけは情報を弄ったわ。その部分に関するところだけ、“嘘”の情報が反乱軍側に渡るようにね」


「嘘の情報、ですか!?」


「ええ。報告ではこう聞かされていないかしら? 『女性と娘の死体が“二組”見つかった』ってね」


 それはアルベールにも記憶があり、無言で頷いて了とした。

 ここでヒサコがまたニヤリと笑った。


「でも残念ね~。そこが嘘なのよ」


「母娘二組の遺体が嘘ですと!?」


「ええ。だって、コルネスのお子さんは、“娘”じゃなくて、“息子”だもの」


「な……」


 そこが嘘なのかと、アルベールは思わずコルネスに視線を向けた。


「ああ、その通りだ。私には息子はいても、娘はいない」


「なんと言う……」


 思い返してみれば、コルネスの家庭事情についてはほとんど知らない事を思い出した。

 奥方がクレミアに仕えている点は知っていた。そもそも、クレミアはアルベールの主君カインの娘であり、多少の話は聞いていたためだ。

 だが、コルネスの口からはそうした事を聞いた事もなく、ましてその子供についてなどまったくの“無知”な状態であった。

 “息子”であるのをあえて“娘”と言い間違える事による符丁。戦友の家族構成を知らなかったアルベールの抜けであった。


「コルネスはね、物凄く慎重なのよ。辺境暮らしのアルベールには理解し辛いかもしれないけど、“中央”ってのは苛烈な権力闘争、足の引っ張り合いが日常茶飯事なのよ。王都でも、聖山でもね」


「それはなんとなしに理解はしていますが……」


「まあ、それは口で言っても分からないでしょうけどね。実際に“体験”してみないことには」


 ヒサコの中身である松永久秀にしてみれば、政権中枢の血みどろの権力闘争など、ごくありふれた日常茶飯事に過ぎなかった。

 武士は戦場で切った張ったするだけではない。むしろ、そうした権力の座に近い者にとっては、“評定ひょうじょう”の場こそが戦場である場合が多いのだ。

 一介の商人から出世を遂げ、ついには主家である三好家の実権を握り、一国の主にまで上り詰めた。

 その間、足の引っ張り合いや飛び交う誹謗中傷など、ざらであった。

 果ては暗殺、闇討ち、追放、謀反、内通、そのすべてを体験してきたのが戦国の梟雄なのだ。

 それゆえに、同じ“成り上がり”であるコルネスの心情が良く分かるのだ。


(コルネスは平民からの成り上がり。ゆえに政権中枢には、頼れる縁故もない。ただ一つ、自身を登用して引き立ててくれたジェイクの信頼だけが立場を保証してくれていた。ゆえに、その立ち回りも慎重にならざるを得ない。そう、さながら三国志の智将・賈詡かくのようにね)


 三国志において、賈詡は魏の曹操に仕えた智謀の士である。

 打つ手に失策無し、と評されるほどに卓越した参謀であるが、その立場は常に危ういものであった。

 というのも、当初は曹操と敵対しており、その際に曹操の長男を殺害していたからだ。

 その後に曹操が北方の大敵・袁紹との対決に際して、一人でも味方が欲しい中にあって自分を売り込み、かつてのことを水に流して仕える事となった。

 しかし、かつてがかつてであるため、曹操の臣下の中には賈詡の事を快く思っていない者も多く、猜疑に晒されることもしばしばであった。

 それを他の追随を許さぬ功績を以て黙らせつつ、保身には徹底的に気を配った。

 最終的には三公にまで上り詰めるも、子供達の結婚相手には身分の低い者をわざわざ選び、とにかく目立たないように気を回していた。


(後ろ盾はジェイクのみ。縁故がないのも、平民上がりの辛いところよね。かつてのあたしと一緒。自分と家族を守るために、とにかく立ち回りは慎重にならないといけない。あくまで仕事一筋な真人間で、栄達には興味なし。家族の事も進んで喋るような真似はせず、秘して過ごす日々。分かるわよ、その気持ち。もちろん、その“裏”もね)


 自分とコルネスは成り上がり同士。それゆえに、栄達への“野心”も透けて見えるのだ。

 ジェイクが不慮の死を遂げ、シガラ公爵家に簒奪の好機が生じた際、コルネスが相応の地位と引き換えに誘いに乗って公爵家側に付いたのも、その成り上がりの野心のためだ。

 平民出の将軍、そして、元帥。武官の出世としては、まさに最上位と言えよう。


(でも、迷いがあった。旧王家への義理に欠け過ぎる栄達に、後ろ指を指される怖さを。反乱軍に身を投じようとしたのはそのため。公爵家を廃し、サーディクを押し上げれば、義理は通せるし、報酬もそれなりに期待できる。でも、それも“勝てば”の話。何より、“一番”になれない。サーディクにはセティ公爵家がいるし、そいつらが幅を利かせるでしょうから、そこでの立ち回りは余計に難しくなる。だから、こちらに戻ってきた)


 騙して、裏切って、栄達する。まさにかつての自分だな、そう思うヒサコであった。


「要するによ、アルベール。コルネスは旧主への義理立てに反乱軍に参加したけど、結局はあたしに勝てるかどうかで悩んでいたという事よ。んで、出掛けの際に手紙を渡したんだけど、それが余計に心を揺さぶった。『自分の離反を予期した上で、何もせずに見送るとはどういうことなのか!?』とね」


「……まさか、戻ってくるという確信があったというわけですか!?」


「ええ、そうよ。一度裏切った事のある人間は、裏切る事への躊躇いがどんどん薄れるものですから。ゆえに、一度王家を裏切り、次いであたしを裏切ろうとしたコルネスは、“好機ちゃんす”さえ与えれば、また戻って来るというわけです。もちろん、門戸が開いていればだけど♪」


「……あ、嘘の死亡情報! 自分の妻子が殺されたのが、真っ赤の嘘だとすぐに気付く報告! 妻子を殺した相手に通じているとは誰も考えないからこそ、裏切っていても誰も疑わない! 埋伏の毒を覆い隠す皮は、“妻子の仇討ち”という偽りの怒り!」


「そういう事♪ まんまとその怒りの演技に、誰も彼もが騙されたって事よ~。まさか妻子を殺した相手に即寝返り、なんて誰も考えないでしょうからね。しかも、コルネスにはすぐに嘘だと分かる符丁。ここで自分が“埋伏の毒”になれば、閉ざされていた栄達の道が再び開ける、とね」


「なんと言う事だ……」


 ようやくその事に気付いたアルベールは、完全に言葉を失った。

 自分も含めて、反乱軍全員がその演技に騙されたのだ。

 妻子を失い、怒りを込めて振り下ろされた拳。軍議の席に鳴り響いたあの轟音も、手からにじみ出た血の雫も、すべてが嘘だったのだ。

 よくもまあ、こんなことをやってしまうものだと、アルベールは騙された事への怒りよりも、そんなことを考え付けるヒサコへの恐怖を一層強くするのであった。



           ~ 第五十六話に続く ~

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ヾ(*´∀`*)ノ

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