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第五十三話  激突! スアス渓谷の戦い!  (10)

「アルベール様! しっかりしてください!」


 少しの間、意識を失っていたアルベールであったが、誰かが呼ぶ声がしてようやく目を覚ました。

 徐々にはっきりとしてくる意識と視界は、その呼び声がトーガのものであると認識した。


「うぅ……、トーガ、無事だったか」


「よかった、アルベール様。僕はなんとか生きてますが、他はその、もう……」


 無念の表情を浮かべる少年兵、その暗い表情を察するのは容易であった。

 視界にあるもの、それは敷き詰められた人と瓦礫の絨毯であった。

 血肉がそこかしこに飛び散り、情け容赦ない殺戮劇が繰り広げられていた有様を想起させた。

 一応、まだ生きている者もいるが、その数はすでに百名を超えるかどうか、という少数だ。

 スアス渓谷の戦いが始まる前に、反乱軍は一万五千は数えられた。

 だが、そのほとんどは殺され、生き残りは完全包囲下にある目の前の人々と、自分だけであることも認識した。


「こ、こんなことが……」


 見えてはいても、認めがたい現実であり、アルベールは絶望に打ちひしがれた。

 ヒサコを追い詰めたつもりでいて、実は罠を張って待ち構えていたのだ。

 その罠を読んだつもりでいて、それすら罠とし、更なる罠を被せて現在に至っている。

 自分の立てた作戦が完全に裏を出してしまい、この凄惨な現場もまた、自分の失敗によって引き起こされたものであると考えるに至ると、どうにもいたたまれない気持ちになっていった。


「あ、アルベール、起きた? ちょっと寝覚めにはイマイチな光景だけど」


 少し離れた所で包囲の輪に加わっているヒサコが、起き上がった姿を確認して話しかけた。

 勝者の余裕と言うべきか、満面の笑みを浮かべており、転がる死体の山がなければ、実に友好的な態度と言えよう。

 しかし、その実態は一方的な殺戮を繰り広げた光景であり、銃口や槍の穂先が自分を含めた生き残りに向けられていた。

 言い残すことは無いか、というありきたりな台詞と共にとどめを刺しに行く場面だ。


「おのれ、シガラ公爵! 王国を乗っ取るような真似をしおって!」


 生き残りの百名の中にサーディクもおり、その睨み付ける視線の先にはヒーサがいた。

 馬上から悠然と敗残者の群れを眺め、しかし、無表情で目の前のゴミクズなど何の興味もないといった風情だ。

 ヒーサはいよいよ最後と言う段になり、少し馬を前に進めた。


「サーディク殿下、非常に残念な結果に終わった事は、私としても慚愧の念に堪えません。私は一度たりとて殿下を“不当”に貶める事をしたことがないというのに……。帝国相手に必死で戦っていた我らに援兵の一人も寄こさず、騒乱を起こしてこちらの背を襲ってくるなど、あなたには人としての礼節や道義を弁えないのでしょうか? 王位の正統性云々を語るのであれば、あなたの行いこそ非難されるべきでしょう」


「ジェイク兄さんとの約束を反故にし、王位を簒奪しておいてよくもそのような戯言を! しかも、その幼い遺児にまで手をかけるなど、貴様こそ人の心は持ち合わせていないのか!?」


「陛下に弓引く謀反人の身内を始末しただけです。カインは私を裏切った。あれほど厚遇していたにもかかわらず、反旗を翻す好機と見るや、前線で戦う我らの背に刃を突き付けようとするなど言語道断! 当人はもちろんの事、その血を引く者も含めて始末されて当然でしょう」


 チラリとヒーサはすぐ近くに控えていたテアを見やった。

 今やすっかり子守役ベビーシッターと化した女神の腕の中には、ヒーサの“甥”である幼王マチャシュがいた。

 死臭と硝煙の充満する地獄のような状況にあって平然と寝ていられるのは、“本当の父親”譲りの豪胆さの表れであろうか、あるいは抱える女神の加護ゆえか、実に落ち着いていた。

 そんな赤ん坊の寝姿を堪能した後、ヒーサは再び視線をサーディクに戻した。


「マチャシュ陛下は“亡くなった”ヨハネス法王聖下のお墨付きのある、“正統なる血統”の王なんですよ。父親であるアイク殿下は既に亡くなり、女手一つで切り盛りするのは苦労が多かろうと、私がヒサコの補佐を務めているまででございます」


「嘘を付け! アイク兄さんは体が弱く、種付けなんぞできるわけがない!」


「おやおや、今更それを蒸し返しますか。聖下のお墨付きを無碍にするなど、殿下のお言葉とは思えませんな。実に嘆かわしい」


「法王を殺したのも、ヒサコなのだろう!? 王都と聖山を焼き払い、裏の事情を知っているであろう聖下を口封じに殺し、いよいよもって万全の態勢で簒奪か!」


「何を仰られる。そもそも、こちらはアーソの地で激戦を繰り広げていて、王都に付け火をする余裕などない。あるいはヒサコが自分の住処を焼き払う愚を犯すとでも? 反乱軍のやらかしまでこちらに擦り付けて来るとは、見下げ果てた性根ですな」


 実際はヒサコが反乱軍の名声を貶めるための“偽旗作戦”なのだが、今目の前にいる反乱軍の生き残りを始末すれば、騙りではなく真実へと化けるのだ。 

 徹底的に反乱軍の大義の無さを喧伝するのには、この材料は重要であり、是非とも秘密をあの世にまで持って行ってもらわなくてはならなかった。

 ここで選手交代。ヒーサの前にヒサコが進み出てきた。

 ヒサコは徒歩で、その手には銃が握られていた。

 それでいて、着ている服は返り血も泥はねもない奇麗な姿であり、激戦を繰り広げたとは思えなかった。

 最初からずっと安全地帯から督戦し、敵も味方も全員騙していたことの証でもあった。

 それをなんとなく察したサーディクは、怒りの矛先をヒーサからヒサコに向けた。


「おのれ、ヒサコ、この魔女め! アイク兄さんの立場を利用し、子を成したなどと嘘をでっち上げ、全てを奪い去るとは!」


「心外ですわね、殿下。マチャシュは紛れもない、腹を痛めて産んだ“我が子”にございますよ。その点では、殿下も証人のはずですが?」


「法王と結託して、何かの詐術を用いたのであろう!? 貴様ならやりかねん!」


 感情剥き出しの願望混じりの発言ではあるが、かなり真実を射抜いている言葉でもあった。

 マチャシュはヒーサとティースの子供だという事は、ごく一部の者の中でしか知られていない。

 なお、法王ヨハネスも謀られている側なのだが、それを知る者もまたごく少数だ。


「ふふ~ん。まあ、そんなのはどうでもいいのですよ、今となってはね。勝てば官軍、勝者の弁こそ正義と真実の証! 負けた側の戯言など、蚊の羽音にも劣りますわね」


「おのれ、姦婦めが! この場で斬り捨ててやる!」


 サーディクは足下に落ちていた剣を握り、ヒサコに斬りかかろうとした。

 だが、ヒサコは素早く反応し、手に持っていた銃でサーディクを撃ち抜いた。

 剣を握る手を撃ち抜き、掌に大きな“ほくろ”を作り出した。

 血が滴り、呻き声を上げながらサーディクは崩れ落ち、膝をついて風穴の空いた手を押さえた。


「ぐ……、おのれぇ」


「気に入りませんね、そういう態度。自身の罪を棚に上げて、相手の非のみをあげつらう。今少し現実と向き合いつつ、愛情の欠落した自分自身の事を反省なさる方がよろしいかと」


「何の話だ!?」


「……どうやら、知らないようですね。ご自身の妹が邪教徒に連れ去られ、今こうしている間にも魔王の呼び出す儀式の真っ最中だという事を」


 ヒサコから告げられたことは、サーディクにとって“初耳”であった。

 サーディクが妹と呼ぶ存在はただ一人、アスプリクだけだ。

 そのアスプリクが《六星派シクスス》に誘拐されていたなど、知らなかったのだ。


「あらあら、本当に知らなかったようですわね、殿下。あなたを旗印に挙兵して、『正統なる王家の血筋を王位に!』などと大層なお題目を掲げてらっしゃるようですが、その実態は魔王復活の時間稼ぎの片棒を担がされていただけ。こちらは全力でアスプリクを助けに行かないといけないというのに、実兄のあなたがそれを妨害するなど、これを聞けばアスプリクは憤激するでしょうね。『ジェイク兄の件が片付いたと思ったら、今度はサーディク兄が僕を蔑ろにするのか!』と!」


 今まで余裕の態度で通してきたヒサコの表情が豹変した。鋭い眼光を放ち、怒りと苛立ちをこれでもかと込め、サーディクにぶつけた。

 そのあまりの変わりようにサーディクのみならず、周囲も狼狽するほどであった。

 今回の反乱騒動についても、シガラ公爵側からすれば完全に黒衣の司祭の仕込みであると認識しているので、“余計な手間”以外の何ものでもないのだ。

 早くアスプリクの捜索をしたいのに、それをよりにもよって実兄のサーディクが邪魔している格好なのだ。

 権力闘争くらいいつでも受けて立つが、それも時と場合による。

 松永久秀にとっては“いつもの事”ではあるが、失うべからざる大名物アスプリクの命に係わる難事である。

 余計な事をしてくれたと、珍しく怒りをあらわにしていた。



           ~ 第五十四話に続く ~

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