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第五十二話  激突! スアス渓谷の戦い! (9)

 反乱軍の総大将たるサーディクは、判断に迷っていた。

 スアス渓谷での戦いにおいて、当初は順調に推移していた。

 軍議の席で提案されたアルベールの策や、コルネスの危惧がしっかりと的中し、事前に話し合われた通りに行動した。

 だが、最前線で起こった大爆発を契機に、全てがひっくり返った。


「どうなっている……。伏せられていた砲台を看破し、これを密かに制圧した。大砲を奪って敵陣を砲撃し、これを崩して敵将も討ち取った。逃げる敵を追撃しつつ、後方を扼してくるであろう敵の別動隊にも備えを怠らなかった。にも拘らず、我々が崩壊しているのはどういうことだ!?」


 これはサーディクのみならず、反乱軍の将兵誰しもが今現在の状況を鑑みて、思う事であった。

 策がドンピシャはまり、敵を圧倒していた。砲撃で敵は吹き飛び、慌てふためいて逃げ、殿軍しんがりを務めた敵将も討ち取り、憎き魔女の喉に手をかけて締め上げているはずだった。

 ところが、締め上げていた魔女は人形ダミーであり、気が付くと包囲されていたのだ。

 今、逃げているのは反乱軍の方だ。

 だが、逃げ道はない。

 谷の入口は事前に仕掛けていたのであろうか発破により瓦礫の山となり、完全封鎖とはならなかったが、それでも入って来た時よりかは狭くなっていた。

 友軍が制圧したはずの砲台は、最前線での爆発を合図に、なぜか“友軍”を砲撃していた。

 そして、崩壊した前線からは我先にに逃げる有様で、勢い任せに前に行こうとしていた友軍とぶつかり、更なる混乱を生んだ。

 そこへ敵の第二防衛線にいた部隊が銃撃を浴びせ、さらに左右の高台よりの砲撃も加わり、被害が拡大する一方であった。

 もう反乱軍側には全体を把握し、指揮統率する事などできなくなり、とにかく谷の外へ出ようと部隊単位で飛び出していった。

 だが、それも敵の思うつぼであった。

 なぜなら、狭くなった谷の入口には、敵部隊が布陣を完了しており、入口を半包囲する形で居座っていたからだ。


「逃げ道を失った……。何もかもが魔女ヒサコの罠か!」


 サーディクが気付いた時にはもう手遅れであった。

 相手の罠を看破し、それを逆用して敵を撃滅するはずが、今ややられているのは自分達だ。

 読んだつもりでいて、敢えて読ませて、更にその上を行く悪辣な罠を仕掛けていた。そういう事なのだと、今更ながらに気付かされたのだ。

 そして、そうなった原因もまた、サーディクは理解していた。

 なぜなら、今入り口に蓋をしている敵部隊の中に、“コルネス”の旗印がなびいているのが見えたからだ。


「コルネスぅぅぅ! 裏切り者めがぁぁぁ!」


 勇名馳せたる武将にして昔からの知己が、味方のふりをしてこちらに入り込み、まんまと騙してくれたのだ。

 思い返せば、これまでのコルネスの発言は理に適っているように見えて、ヒサコにとって都合の悪い局面を極力回避しているようにも、今では分かっていた。

 王都への入城回避、谷間への誘導、そして、目の前の“蓋”の生成。どれもこれも、反乱軍を必殺の危地へと誘い込む讒言ざんげんでしかない。

 ヒサコが用意した最大の罠、甘い物で包み隠して毒だと気付かせない“埋伏の毒”、これこそ魔女の真骨頂であった。

 罠を仕掛けたスアス渓谷に誘導し、深追いして逃げられないようにしてから、前後を爆破して封鎖し、袋の鼠にしてから挟み撃つ。

 壮大で、常軌を逸した策だ。

 なにしろ、その餌として、味方の陣地を砲撃し、片腕とも言うべき将軍サームすら餌にしてしまう程だ。

 ヒサコの頭の中はどうなっているのかと、サーディクは今までの人生で感じた事のない恐怖と怒りを覚えていた。

 完全に進退窮まっていた。

 谷を出たところには敵が待ち構え、飛び出してくるのを手ぐすね引いて待ち構えている。

 現に飛び出した部隊は待ち構えた敵部隊より矢弾を浴びせられ、死体がそこかしこに散らばっていた。

 だからと言って、この場に留まるのも死を意味する。

 なにしろ、奪ったはずの隠し砲台が再び敵の手に落ちたのであれば、今立っている場所も射程範囲に収まっているのだ。

 今は中央部に砲火を浴びせているが、いつこちらに砲口が向いてもおかしくはなかった。

 進む事も、引く事もできず、かと言って留まる事も死を意味する。


「ここまでか……!」


 呻くようにサーディクが呟くと、そこにアルベールが駆け込んできた。

 アルベールも死地を潜り抜けてきたのか、泥や血で薄汚れており、呼吸も乱れ切っていた。

 だが、そんな配下の将を労う余裕は、今のサーディクにはなかった。

 むしろ怒りと疑惑の視線を向けるほどだ。


「で、殿下、ただちに撤退を!」


「アルベール、貴様も私を裏切るつもりか!?」


「……は? それはどういう」


「あれを見ろ!」


 サーディクが怒りの言葉を吐き出し、同時に敵陣を指さした。

 この時、アルベールは二つの事に気付いた。

 一つは、谷の入口がすでに敵方に制圧されている事だ。

 “鶴翼の陣”を敷き、入口を半包囲する形で展開されており、飛び出せば集中砲火を浴びせられるのは必定であった。

 しかも、崖が発破で吹き飛んだのか、入って来た時よりも入口が狭くなっていた。

 これでは一度に出られる数も制限されてしまうのだ。

 ここにあった第一防衛線の瓦礫、発破で崩された土砂、そして、すでに飛び出して殺された死体の山、どれもこれもが機敏な脱出の邪魔になっていた。

 そして、もう一つは見覚えのある旗印が靡いていた点だ。

 シガラ公爵軍の軍旗のみならず、コルネスの部隊章まで掲げられており、あちらに寝返ったことは一目瞭然であった。

 サーディクが「裏切り」と口にしたのも、これが理由だと理解した。

 ただ、アルベールは現実を受け入れられないでいた。


「バカな……。コルネス殿が寝返りだと!? そんな事が……!」


 アルベールは望遠鏡を手にし、見える範囲での敵陣を眺めた。

 その先にあったのは、認めがたい現実であった。


「あれは……、公爵様!? それにヒサコ様にコルネス殿、おまけにティース夫人も!?」


 包囲陣の中にそれらの人々の姿を認めた時、アルベールは今の今まで全部がまやかしであることが確定したと言ってもいい。

 居並ぶ顔触れは、まさにそれの証左だ。

 相手の策を読んでいたつもりでいて、完全に手のひらで踊らされていた事を、これでもかと思い知らされたのだ。

 しかも、この完全包囲を作り出すために、サームすら犠牲の生贄にするという冷徹かつ周到な罠に、アルベールは恐怖を覚えた。

 ヒサコは聖女に非ず。魔女である。

 その知略の底知れぬ恐ろしさを自身が体感して、ようやくに思い知らされたのだ。

 そして、アルベールはかつての事を思い出した。

 今は亡きカインの息子であるヤノシュに、ヒサコが投げかけた言葉を。


「裏で繋がっていようが構わずに攻撃して、遠慮なくこちらの兵を殺してしまってください。こちらもそちらを殺すつもりで反撃します」


「戦場での信用とは、流れ出た敵味方の“血の量”で決するのです!」


「“人を欺く”とは、これくらいしてやらないとダメなのですよ」


 躊躇も苦悶も一切なく、笑顔のままでそう語りかけたヒサコ。

 あの時は誰もが背筋を凍らせた。なぜこんなうら若き乙女がこのような苛烈な策を考え付けるのかと。


「やはりとんでもない人だ、あなたは……!」


 アルベールの視線の先にいるヒサコは、アルベールの視線を感じたのか、そちらに向かってニッコリと微笑んだ。

 あの時と変わらない、悪魔のような微笑だ。

 齢十八歳の実に美しい女性の笑顔ではあるが、血と死臭をまとう恐ろしい顔だ。

 “一児の母”とは思えぬほどに、共に戦場をかけていたあの頃と何も変わらない笑顔が、美しくも妖しげな雰囲気の姿がそこにあった。

 そして、その笑みを崩さずに、女子供も撫で斬りにしていたことも、同時に記憶の中から呼び起こされた。

 こうなった以上、ヒサコは間違いなく一人残らず屠って来るであろうことは分かった。

 見せしめのために、旧い王家の血を消し去るために、それに同調した愚か者を裁くために、財を没収して懐を温めるために、残らず殴殺して来るだろう。

 そうするべき理由と手段があちらにはあるのだ。

 躊躇うべき理由など、毛ほどにもない。

 だが、そうはいかないと、アルベールは揺れていた心を再び奮い起こし、剣を高らかに掲げた。


「全員、武器を手に取れ! そして、斬り込むのだ! 目標、後方の敵戦列!」


 谷を出る事が出来ないと分かると、アルベールは発想を切り替えた。

 追撃して来る敵の第二陣を突破し、そこから血路を切り開いて逃げる事を考えたのだ。

 いわば前方への脱出であり、犠牲がかなり出るだろうが、もうそのような事を言っている余裕はなかった。

 すでに死体の山が築かれており、犠牲など履いて棄てるほど出てしまっている。

 文字通りの意味での全滅を防ぐには、前か後ろに戦力を集中させ、一点突破を図るよりなかったのだ。

 それを理解した者も多く、アルベールに同調する気勢を上げ、それらの将兵もまた武器を握った。


「銃撃などに怯むな! 槍衾もこじ開けろ! 続けぇ!」


 アルベールは駆け出し、先頭をきって走り出した。

 仮にこじ開けたとしても、背にかじりついて追撃して来るだろう。被害は免れない。

 だが、全滅だけは免れる。それを信じて、ただ生を求めて咆哮し、斬り込んだ。


 カコーンッッッ!


 大砲の轟音響く中、妙に通る音が貫いた。

 そして、倒れるアルベール。

 何が起こったのか分からず、突如として襲う兜越しの鈍痛に、脳が揺らされた。

 倒れたアルベールは失いつつある意識の中で、その姿を見た。

 投石の主、それはマークであった。


(しまった……。こいつの存在を忘れていた……)


 薄れる意識の中で、マークの姿をその視線ではっきりと捉えた。

 それと同時にアルベールは更なる追撃の投石を受け、更に脳を揺らされた。

 マークは混乱するどさくさに紛れて、大砲の射線が通っていない数少ない場所に潜み、機会をうかがっていたのだ。

 隙を見てサーディクを仕留め、混乱を更に助長させるつもりでいたのだが、反撃に転じようとしたアルベールを見てこちらの方が脅威であると判断し、標的を切り替えた。

 術式で威力の増した投石は絶大であり、また完全な不意討ちとなったため、まんまとアルベールを昏倒させることに成功した。

 唯一の活路を見出したアルベールへの狙撃は、相手の指揮統率を完全崩壊させるのに十分であった。

 混乱を収拾させる将を失った反乱軍は、いよいよ以て崩壊していくのであった。

 前後左右より容赦なく飛んで来る銃撃、砲撃はただの一人も逃すまいとする、魔女の高笑いのごとく死出の楽曲として人々の脳裏に刻まれる事となった。



           ~ 第五十三話に続く ~

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ヾ(*´∀`*)ノ

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