第五十一話 激突! スアス渓谷の戦い! (8)
「う~ん、まごう事なき阿鼻叫喚の地獄絵図、ってとこよね。ご愁傷様」
ヒサコは眼下で繰り広げられる光景を眺めながら、まるで舞台演技でも眺めているかの軽い口調だ。
かなり苦労して用意した舞台に、役者が出揃って迫真の演技をしてるようなものであり、満足のいく結果であった。
反乱軍はすでに戦線が崩壊し、背を追われる形で次々と倒されていった。
銃で撃たれ、あるいは大砲で砲撃され、スアス渓谷にはもう死体を踏まねば歩けないほどに、そこかしこに死体が散乱していた。
おまけに背を追うヒサコ軍は、死体にも虫の息の者にも容赦なく槍や剣が突き立て、確実に殺すという意思が谷の中に充満していた。
死を逃れるには、いち早く谷を抜け、外に出るしかない。
誰もがそう考えるからこそ、周囲を押しのけてでも谷の入口に駆けており、突き飛ばし、こけた者を踏んで行ったりと、実に醜悪な姿を晒していた。
「この光景を作る一因になった自分で言うのもなんだけど、人間って醜くて、愚かだと思うわ」
ヒサコの横で同じくこの光景を眺めていたティースがそう呟いた。
普段は徳や人道を説きながら、いざ事が起こればそれらを平然と投げ捨ててしまう。
先程まで握手を交わし、肩を並べていた者同士が、片方がこけても見向きもせずに走り去る。
引っ張り起こして肩を貸そうなどという、殊勝な心掛けの者は誰もいない。
ただただ自分の身が可愛いのだ。
「まあ、人間なんてそんなもんですよ、お義姉様。誰だって自分が可愛い。あたしもあの中にいたらば、他人を蹴落としてでも前に、っとこの場合は後ろか。とにかく安全な方へと駆けますとも」
「……結局、そんなもんか」
「お義姉様もね。自己の栄達のために、我が子を生贄に捧げた事をお忘れなく」
いちいち癇に障る言葉を投げ付ける義妹に苛立つティースであったが、それは事実であるために反論できなかった。
今、後ろでテアにあやされている赤ん坊は、自分が腹を痛めて産んだ子供であるが、母親と名乗る事は決して許されない。
世間的にはアイクとヒサコの間に生まれた、“正統なる血統”を持つ王様なのだ。
ヒーサとティースの間に生まれた子供は“死産”であり、この世のどこにもいない。
手を伸ばせば届く位置にいながら、決して母として慈しむ事はできない。
物理的には近くとも、あまりにも心の距離があり、見えざる壁が“本当”の母子の間には立ちふさがっていた。
カウラ伯爵家の御家再興のために、当主として決断した。
一児の母親である事よりも、伯爵家の当主としての道を選んだのだ。
伴侶が、あるいは義妹がいかなる悪行を成そうとも、自分もまた同罪だ。
何も言えず、受け入れるしかない。
“梟雄の伴侶”とはそう言うものなのだと、感情を押し殺した。
「それでも陰らないものがある。人の可能性と言うものを、信じさせてくれる輝きを放つ者がいる。ああ、本当に素晴らしいわ」
そういうヒサコの覗き込む望遠鏡の先に、必死で指示を飛ばすアルベールがいた。
あの阿鼻叫喚の中にあって意志の光を失わず、指揮官としての責を全うしようとしている。
あるいは足を引っかけて倒れた者を起こし、早く逃げるようにと励ます。
血と泥と炎が織り成す地獄にあって、なおも獣に落ちずに人のままであり続けるの姿に、ヒサコはこの上なく興奮を覚えていた。
恍惚、そう言っても差し障りない表情を浮かべ、レンズ越しに熱い視線を送った。
「アルベール、あなたは本当に素晴らしいわ。最高だわ! どんな聖人君子や、あるいは勇者豪傑であろうとも、一皮剝けば人ですらない獣。でも、あなたはこの状況にあっても剥がれない。むしろ、より固まった風すらある。あなたの心の芯は真っ直ぐで、決してブレないまごう事なき英雄!」
「で、その英雄とやらを殺そうとしているわけだけど?」
「大丈夫。アルベールはなるべく殺さないようにって、あらかじめ指示は出しておいたから」
「うぇ、マジ!?」
ティースは慌ててアルベールを観察してみると、すぐにそれに気付いた。
アルベールの周囲への着弾が思ったよりも少なかったのだ。
この状況にあって、アルベールは目立つ。立派な甲冑に加え、将軍として分かりやすいようにマントも身に着けているし、何より逃げるだけの周囲と違い、一人自我を保つ指揮官としての動きをしていた。
乱戦状態であるならば、さすがに見抜くことは難しいだろうが、今は冷静に、冷徹に追撃をかけている段階だ。
あの目立つ“的”を外すように撃てばいい。他にも撃つべき標的はいくらでもいるのだ。
「あれなら、むしろアルベールの近くにいる方が安全。アルベールと共に“勇気”を示した者には、生きる権利を与えているわ。もっとも、そんなのはいなさそうだけどね」
「あんたもホント、いい性格しているわね」
もっとも、それは夫ヒーサに対しての台詞でもある。
ヒサコとヒーサは“一心異体”。体は違えど、心は一つ。
ティースに言わせれば、どちらも度し難いクソ野郎なのだ。
そんな“嫁”からの嫌味もまた、味わい深くもあった。
「お褒めに与り光栄ですわね。……んお?」
ヒサコは何かに気付いたのか、望遠鏡の先を空に向けた。
そこに飛び込んできたのは大きな鳥、ではなく、空を飛んで来る“人”であった。
その数は二人だ。
「こっちも到着したみたいね」
みるみるうちに距離を縮めて接近し、三人のすぐ近くに着地した。
やって来たのは、エルフのアスティコスと、上級司祭のライタンだ。
「お二人ともご苦労様。お兄様の部隊も到着ね」
「え!? 予定よりも早くない!?」
「相手もそう思うでしょうけどね」
ニヤリとヒサコが笑いながら、馴れ馴れしくティースと肩を組んだ。
「お義姉様、なんでお兄様の到着が“予定より早い”と思ったのですか?」
「そ、そりゃあ、事前の行軍予定を知っていたからよ。軍隊が、万を超す人が通れる道なんて限られているし、行進の速度とか考えると、まだ到着するには早いし」
「まあ、そうよね。でも、それが“嘘”だとしたら?」
「はぁ!? 嘘!?」
ティースはまさかと思って、飛んできた二人に視線を向けた。
「それがヒサコの言う通り、あの予定表とやらで行進していた軍隊というのは偽装だったというわけ」
「説明しますと、シガラ公爵軍はティース夫人の仰る通り、“予定通り”に行進しています。ですが、密かに軍の一部を切り離し、そちらの部隊と一緒に我々もやって来たというわけです。反乱軍の監視は当然、見えているシガラ公爵軍に向けられて、そちらの速度や行軍距離から逆算し、到着日時を割り出しているでしょうが、実は一部が“戦闘開始前”から付近に潜んでいた、というわけです」
アスティコスとライタンの説明に、ティースは目を丸くして驚いた。
徹底的に情報を隠匿し、逆に“嘘”の情報を掴ませ、まんまと騙していたからだ。
敵も、味方も、お構いなしにである。
「お義姉様、この戦いで重要だったのは“情報戦”です。いかに嘘の情報を掴ませ、都合のいい部分だけを与え、『相手の策を読み切ったぞ!』と思わせる事が肝要なのよ♪」
「じゃあ、“隠し砲台”の件も、“公爵夫人の捕虜”の件も、策の一部でしかなかったの!?」
「まあ、その件も重要でしたよ。谷間に誘い込む、という生餌の役目がありましたから。でも、それでは不十分。反乱軍の“殲滅”を考えますと、谷間に閉じ込め、“蓋をする”役目の部隊がどうしても必須ですからね。これを捻出するの、大変でしたよ」
包囲して、逃げ道を塞ぎ、これを攻撃する。“包囲殲滅”は軍人であれば誰もが焦がれる状況であり、それを作り出すために策を弄するものだ。
だが、その多くが失敗に終わってしまう。
それほどまでに“包囲殲滅”と言うのは難易度の高い状況なのだ。
ところが、今目の前でそれは完成していた。
谷の入口は瓦礫で塞がれ、左右は崖や山、そして、砲台が待ち構えている。後ろからは、第二防衛線の部隊が追撃をかけている状態だ。
前後左右、シガラ公爵軍で囲まれ、反乱軍は包囲されるに至った。
「で、でも、その肝心な“蓋をする部隊”の陣容が薄くない? 本隊と離れた別動隊を編成し、こちらに急行する部隊だと数や装備にも制限があるし」
「さすがはお義姉様! その点に気付かれるとは、聡い御方ですね~」
「蓋が薄いと、中身がこぼれちゃうのは当然でしょ」
「そうそう。だから、そちらも頑張って捻出したわ。まあ、実を言うと、その急ごしらえで“捻出した部隊”が、この戦での最大の不安要素だったわけだけど、上手くいったわ。それの有無で、“大打撃”になるか“殲滅”になるか、それくらい結果は違っていたから」
「計算高いあなたにしては、博打要素なんて珍しい」
「何言ってるんですか。これからアスプリクを助けて、魔王と一戦しようって言うんですよ? これくらいの運要素を越えれない事には、幸運と勝利を掴めませんよ。魔王相手ならなおの事ね」
ヒサコに言わせれば、人間相手の戦であれば勝って当然であった。
その先の、魔王との戦いを見据えている以上、さっさと片付けて次に移りたいとすら考えていた。
実際、この状況にあってはもう勝利は動かない。
すでに思考は黒衣の司祭や魔王をどうするか、それに関心が動いていた。
「そうよ! さっさとこんなくだらない事なんて終わらせて、アスプリクを探すべきよ!」
アスティコスにしてみれば、人間同士の権力闘争など、それこそ“どうでもいい事”でしかない。
姪の安否こそ優先すべき事案であり、今この場にいること自体が焦燥の元になっていた。
焦る女エルフを宥めつつ、今一度奮戦するアルベールをヒサコは見つめた。
「……んじゃ、最後のやつをド派手にいきましょうか。アスティコス、ライタン、お願いね」
「はい。では!」
ライタンとアスティコスは〈飛行〉の術式を展開し、それを自分達のみならず、ヒサコやティース、テアもその影響下に置いた。
五人がふわりと宙に浮き、徐々に速度が上がって来た。
「赤ん坊がいるんで、丁寧に飛んでくださいね」
「あなたもすっかり子守役が板についてきたわね」
女神と我が子の微笑ましい一幕に、ヒサコは似つかわしくない笑みを浮かべた。
だが、そんな和やかな光景とは裏腹に、眼下ではなおも阿鼻叫喚が続くのであった。
~ 第五十二話に続く ~
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