第四十七話 激突! スアス渓谷の戦い! (4)
アルベールは完全に出遅れてしまった。
砲撃により第一防衛線は崩壊。壊れた柵をさらにこじ開けたり、あるいは正面の門扉を打ち破り、兵が次々と陣地内部へと侵入していった。
とは言え、万を超す人間がササッと内側に入れるわけでもなく、渋滞が発生していたのだ。
アルベールもその渋滞に巻き込まれ、自分と直轄部隊がなかなか入れず、歯がゆい思いをしていた。
「カイン様もかなり前の方へ行かれてしまったな。追いつくのに、これは骨だぞ」
サーディクの側にいて戦局全体を見て、もう後は押し込むだけだとなった段階で出撃したため、先陣争いからは完全に出遅れていた。
アルベールの前には最初から前線に張り付いていた部隊がいくつも存在し、前へと進むのもままならなかった。
(せめてヒサコ殿を、私の手で捕らえたかったのだがな)
なにしろ、この軍に参加する者の多くは、シガラ公爵家に恨み辛みの溜まった連中が多い。かく言う、自分の主君であるカインもまた、ヒサコに嫡子ヤノシュを殺されたのだ。
恨みを持つ相手を捕虜にすればどうなるのかは、想像するのに難くない。
まして、ヒサコは“女”である。
どう遇されるかは分かり切っていた。交渉の材料としては“生きてさえいれば”どうでもいいのであるから、これまでの鬱憤を解消すべくヒサコを辱める事だろう。
だが、自分の下での身柄預かりとなれば、それ相応の礼を以て遇するつもりでいたが、目の前の渋滞を見ていると、それも難しいのではと思い悩んだ。
なかなか進まぬ隊列に多少の苛立ちを覚えつつも、アルベールは将としての冷静さを保ち、周囲の観察を怠らなかった。
そして、ようやく陣地内に入ったところで、人の流れを逆行している者を見つけた。
アルベールはその人物をよく見ると、顔見知りの少年兵トーガである事が分かった。
「トーガ! トーガではないか!」
「アルベール様!」
トーガも声をかけられたためアルベールの存在に気付き、駆け寄ってきた。
トーガはまだ少年と呼ぶほどの年齢で、今回が初陣であった。
本来はカインの従者を務め、身の回りの世話をしていたのだが、今回の反乱に際し、護衛の兵士として参戦となったのだ。
少年もアーソの出身で、父親がアーソでの騒乱の際に戦死し、カインがシガラ公爵領に転居の際に身柄を引き取って面倒を見てきたのだ。
こうした経緯もあり、二人は顔見知りでもあった。
「流れに逆走しているという事は、サーディク殿下への使い番か。最前線はどうなっている?」
「はい。カイン様の部隊は敵陣に真っ先に斬り込み、これを撃破。敵将サームも討ち取り、勢いそのままに次の陣地へと向かわれました」
「……そうか」
少年の口から出た言葉は、アルベールに複雑な感情を植え付けた。
主君が敵の名立たる将を討ち取ったのであるから、当然そこは素直に喜ぶべきである。
しかし、その名立たる将というのは、かつての戦友のサームだということが、アルベールを大いに落胆させる要因にもなった。
(無理な話だったとはいえ、大人しく降伏さえしてくれていれば)
アルベールは思わず目を閉じて、サームの冥福を祈った。
まだ合戦の最中であるというのに、敵将の死を悼むなど感情的に過ぎると言うものである。
だが、自身が若くして将軍と呼ばれるようになったのも、ヒサコの引き立てがあればこそだという事は重々承知していた。
そして、そんないきなりの抜擢で少なからず緊張していたのを、表に裏に何かと支えてくれたのが、サームなのだ。
親子ほどに年は離れていたとはいえ、欠くべからざる友人なのは間違いなかった。
それ以上に色々と世話になった恩人を、アルベールは失ってしまった。
そう思うと、急に闘争への意欲が削がれていく感覚に襲われ、気が萎えていくのを感じた。
そんな微妙なアルベールを気遣ってか、トーガはニッコリと笑った。
「まあ、この戦も勝ったも同然ですし、アルベール様も少し手綱を緩められてもよろしいかと」
「そういう訳にもいかん。将としての責務もあるし、目的を達せられていない以上、まだ勝ってはいても勝ち戦とは呼べない」
アルベールは少し浮かれている年少者を窘め、最後まで気を抜くなと叱責した。
とはいえ、かなり有利に状況が進み、もう勝利は目前という事もあって、浮かれる気持ちも分からなくはない。
しかも、目の前の少年は今日が初陣なのだ。
経験を積むのも悪くはないが、だからと言って楽過ぎる初陣で戦と言うのをなめてもらっては当人の為にもならない。先達として、その点はしっかりと教育しておかねばならなかった。
「それにほら、将軍、公爵夫人も生け捕りましたし、もう勝ちは揺るぎないかと」
トーガは特に気にもかけずにそう言ったが、その内容はアルベールを戦慄させるのに十分であった。
「……待て、トーガ。今、何と言った?」
「ですから、シガラ公爵の奥方である、ティース夫人を生け捕ったと」
「…………! なぜその話が今になって!」
「まあ、あれから砲撃が続いてましたので、お知らせする時間がなかったと言いますか……。すぐに壊れた柵を踏み越え、敵陣に斬り込んでしまいましたし」
そう言って、トーガは後ろを振り向き、大砲が並ぶ山の上を指さした。
「あの辺りでしたか、縄で縛られた上に山岳猟兵に捕縛された夫人の姿が見えまして、それで砲台の制圧とこの戦の勝利とを確信したと、カイン様が……」
「そんなバカな話があるか!」
ティースが捕縛された。それは“絶対に”有り得ない話だとアルベールは考え、思わず声を荒げてしまった。
(そう、夫人が捕まるなど、絶対にない! これは断言できる!)
アルベールがこう言い切れる理由はある。なぜなら、“あの”最強の剣士・ジルゴ帝国皇帝ヨシテルを討ち取ったのは、他でもない、ティースであるからだ。
しかも、皇帝から愛刀『鬼丸国綱』まで引き継いでいる。
そんな女傑が捕まるなど、アルベールの“感覚”では絶対に有り得ないのだ。
これはイルド城塞に立て籠もり、ジルゴ帝国軍と戦った者なら、誰でもそう断じれる答えだ。
そして、そこまで考えを進めて、アルベールはハッとなった。
(そうだ、なんてことだ。イルド城塞にて帝国軍と戦った者は、“自分”しかいないではないか!)
とんだ手抜かりであったと、アルベールは背筋にさ抜けが走るのを感じた。
自分を除けば、この軍では他に誰も“公爵夫人のヤバさ”を知らなかったのだ。
(そう、ティース夫人は皇帝すら討ち取った猛者! それがたかだか雑兵に捕縛されるなど、絶対に有り得ない! ティース夫人がここにいる事も、そして何より、あっさり捕まったという事も!)
頭ではそうであると断定できても、実際はいる。カインやトーガが自分に嘘を付く理由もないし、そう考えると“ここにいる”という点で嘘はないであろう。
ならば、ティースが“ここにいる”と仮定して、その理由を逆に考えてみた。
(一番考えられる理由としては、サーム殿と一緒にここへ急行して、兵士らを鼓舞する事だ。ヒサコ様は王都を脱出してより、逃亡に逃亡を重ねている。兵に不安や不満がたまるのは目に見えているし、それを解消する意味においても、公爵夫人の参列は意味がある。そう、“公爵は絶対に前線の将兵を見捨てない”という保障だ)
真っ先に思い浮かんだ理由はこれだ。ティース自身の身柄を分かりやすい保証書とし、士気を繋ぎ止めておくやり方だ。
だが、それは即座に否定した。
(それはない。“その程度”の理由で、溺愛されている奥方を最も危険な最前線に送られるわけがない。それにこのスアス渓谷に用意されていた陣地を見る限り、事前に用意されていたのは間違いない。急ごしらえではなく、あらかじめ用意されていた作戦と陣容だ。つまり、ティース夫人がここにいるのも、何かしらの計算の内と言う事になる!)
では、その作戦とやらに、ティースの不可分の要素とは何であるのか?
アルベールの頭の中でいくつもの可能性が構築されては否定され、それでも薄ぼんやりとではあるが、見え始めてきた。
(ティース夫人は良く知る人々からすれば、貴族の御令嬢とは思えぬほどに“豪傑”なのだ。武芸全般に通じ、いざともなれば危地に飛び込む事を辞さない程の強靭な精神と度胸がある。なにしろ、“あの”剣豪皇帝ヨシテルを討ったのも、間違いなくあの人だ)
ヨシテルとはアルベール自身も戦っており、その桁外れの強さは実体験として脳裏に刻まれていた。
妹のルルと連携し、二人がかりで戦ったが、結果は完敗であった。
だが、ティースはヨシテルを討ち取った。
もちろん、ヒーサが用意した仕掛けもあるが、それでもヨシテルに一太刀浴びせ、これを倒した。
戦利品として、ヨシテルの持っていた曲剣を腰に差しているのも見ていた。
(それに従者のマークの件もある。年齢こそ、目の前のトーガとそう変わらないが、あれも相当な手練れだ。しかも、普段は物言わぬ無口な少年従者であるが、その実態は“暗殺者”だと言うのも間違いない。この二人はいつも同じ場所に必ずいる。その二人を相手に、山岳猟兵は奇襲を仕掛け、捕縛できると言うのか!?)
この自問に、アルベールは不可能であるとすぐに結論付けた。
闇夜にこそ真価を発揮する暗殺者、それ相手に奇襲を仕掛けるなど、まして捕縛するなど、まずできないと判断した。
(では、捕縛されたティース夫人と言うのは何だ? 捕縛されてその姿を晒された、この事実が妙に浮いて感じる。夫人や従者の実力を知っていると、有り得ないと感じてしまうからだ。では、その真意は!? わざわざ捕まった姿を見せる理由はなんだ!?)
いくつかの可能性がアルベールの脳内を駆け回り、そして、結論に至った。
(捕縛された、という事が事実であるとした場合、可能性は二つしかない。わざと捕まった、もしくは捕まったと“擬態”したかだ。だが、前者はない。もしこちらの手の者に掴まったのなら、ずっと姿を晒して分かりやすい戦利品として誇示するか、もしくはサーディク殿下の下へさっさと連行する。そのどちらもない。では、捕まったと“嘘の情報”をこちらに掴ませたと言う事だ!)
なぜこのような嘘を付くのか? 嘘を掴まされた結果はどうなったのか?
そして、アルベールの頭の中には、満面の笑みを浮かべたヒサコの顔が浮かんできた。
その笑みと共に、耳元でこう囁くのだ。
「勝った、そう相手に思わせた瞬間こそ、最も策に陥れる好機なのよ」
敵にとってはまさに悪魔、魔女であり、味方にとっては聖女。ヒサコとはそういう存在なのだと、最も身近で見てきたアルベール自身が、今まさに思い知らされていた。
逃げ場のない谷間。
制圧したと“思わされた”隠し砲台。
踏み潰された陣地と、そこを守っていた討ち取られた将。
敵総大将の奥方と言う分かりやすい戦利品。
谷の奥に陣取る今回の最大目標たる国母と僭王。
そして、勝ち戦だと“思い込まされて”、手柄、恩賞目当てに敵陣に突っ込んでいく味方の将兵。
すべてがアルベールの中で一本の線に繋がった。
まんまと聖女の掌の上で、自分自身も含めて反乱軍全体が踊らされたのだ。
嘘と言う名の毒を、勝ち戦という甘い物で包み、それと分からずに食べさせられた。一皮むけば、それは死に至らしめる最悪の罠だと今更に気付いた。
「今すぐカイン様を呼び戻せ!」
もう手遅れかもしれないが、そう叫ばざるを得なかった。
その慌てぶりや形相は、目の前にいるトーガのみならず、周囲全員がアルベールの方を振り向くほどだ。
「あ、アルベール様、なにを!?」
「いいから呼び戻すんだ! このままでは殲滅されるぞ!」
「おお、アルベール、まだここにいたか」
不意に後ろから声をかけられ、アルベールはそちらを振り向くと、そこにはサーディクがいた。
事前の軍議で予想されていた、後方を扼する敵部隊の存在を考慮し、奪い取った防衛陣地を逆に利用してこれを迎え撃つという取り決めがあった。
実際、後方には所属不明の部隊が迫っており、これを敵の別動隊と判断。
サーディクはこれの対処のため、後方に配していたコルネスの部隊を迎撃に当てつつ、自身は陣地に入り、壊れた柵に応急処置を施して敵部隊を受け止めることになっていた。
そうして時間を稼いでいる間に、カインを始めとする前線の部隊がヒサコを捕らえ、この戦の勝敗を決する。
そういう流れであるため、サーディクが陣地内に入って来るのは、予定通りと言うわけだ。
むしろ、前線に向かったアルベールが、まだ陣地付近に留まっている事の方が予定外とすら言えた。
そう、ヒサコの“真意”に気付くまでは、これが最良と思わされた結果だ。
「で、殿下! ただちに脱出を!」
「脱出!? 何を今更……」
「こ、これは罠です! この谷間に呼び寄せられたのも、こうして殿下が陣地に入ってきたのも!」
「罠……? それは」
その時であった。
谷の奥、第二防衛線のさらにもう少し先から、谷に響き渡る爆発音と、煙が上がっているのが確認された。
鳴り響く轟音、それがヒサコの仕掛けた“本当の罠”が動き始めた、その開始の狼煙となるのであった。
~ 第四十八話に続く ~
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