第四十一話 準備完了! 矢弾にて盛大におもてなしをします!
サームは一応の報告のために、ヒサコの下へと馬を走らせていた。
『スアス渓谷』には現在、二重の防衛陣地は築かれていた。
谷の入口を塞ぐように建設された“第一防衛線”と、その奥にある“第二防衛線”だ。
第一の方はサームが指揮を執り、敵部隊を受け止める役を担う事になっていた。
一方の第二防衛線はヒサコが鎮座しており、今は余裕の食事中であった。
と言っても、食事は実に簡素なもので、そこいらの兵士の陣中食と変わらない。保存のきく固めのパンと干し肉、後はチーズくらいなものだ。
(とても、一国の国母とは思えぬ食事だな)
王城を逃れ、各地を転々と移動し、ついには狭い谷間へと追いやられ、すぐ目前には敵が迫っている状況で、呑気に食事ができるのはその胆力の表れであった。
実際、サームは帝国領への逆侵攻の際には、こうした光景をよく見ており、公爵令嬢とは思えぬほどの粗食に耐え、兵士らと気さくに談笑していた。
そして、今も国母となってはいるが、その態度や振る舞いには変化がない。あの頃から“何も変わっていない”のだ。
そんな見慣れた光景を見ながら、サームは乗ってきた馬を降り、軽く拝礼してから側に寄った。
「ヒサコ様、お食事中、失礼いたします」
「アルベールか、あるいはコルネスが挨拶に来たかしら?」
「はい、アルベール殿が降伏勧告を述べに来ました」
「そう。で、どう返しました?」
「矢弾にて盛大におもてなしをしますので、宴にはぜひ参加しろ、と」
「あら。あなたにしては気の利いた答弁ね。もう少し硬めの文体で返事するかと思ったのに」
と言いつつも、その内容自体には満足しているようで、笑みを浮かべていた。
サームは戦場での駆け引きや理解力には柔軟性を持つ男だが、普段は実直かつ真面目であった。
それゆえに、こうした気の利いた事が言えるだけの“余裕”があると言う事でもあり、前線の将も兵も士気は高いと確認できたのが、ヒサコにとっては喜ばしい事であった。
「まあ、降伏など、ありえませんけどね。なにしろ、こちらが“勝つ”のですから」
「仰る通りです。ゆえに、公爵様が到着すればそちらこそ挟撃されるぞ、と降伏勧告も返しておきました」
「うんうん、結構! まあ、明日……、と言うより、今夜仕掛けて来るかもね」
笑みは消えて、ヒサコは真顔になっており、サームもまた姿勢を正した。
「やはり仕掛けてくると思われますか?」
「十中八九、来ると思っているわ。移動に次ぐ移動で、大砲なんてほとんど用意できていないでしょうし、それならこちらの火器が照準を定めにくい夜を見計らって、速攻で仕掛けてくるでしょうよ」
「こちらが大砲をずらりと並べていると知らずに、ですか」
「と言っても、大砲の標準は“あなた”の陣地に向けられていますから、頃合いを見て撤収しなさいね」
「確かに、陣地であれば篝火があり、それを目標に砲撃すれば、夜間でも命中しますな」
「そういう事! あとは砲撃の嵐の谷間を抜け、その先には第二防衛線が控えている。あちらが手をこまねいている内に、お兄様の主力が背後を取って時間切れ。行くあてを失って、右往左往、四分五裂するのがオチでしょう。反乱を企てた痴れ者には似合いの末路です」
抜け目が一切なく、万事計算高く立ち回る目の前の女性に、サームはますます畏敬の念を抱いた。
「サームも引き際を誤らないこと! 退却する背に組み付かれて、並走追撃されるのが一番面白くないからね」
「かと言って、あまり早すぎる露骨な撤収も勘付かれる恐れあり、と」
「そうそう。まあ、お義姉様なら、『照準合わせるのが面倒』とか言って、敵も味方もまとめてぶっ飛ばしそうだけど」
「ハッハッハッ! それはたまりませんな!」
二人で大声で笑った。
緊張を感じさせず、“冗談”を飛ばす二人であったが、そこに悪口を向けられた当人がやって来た。
もちろん、ティースだ。
「あのさぁ! 人聞きの悪い事、言わないで欲しいんだけど!?」
「あら、お帰りなさい、お義姉様。もう現場視察はよろしいので?」
「あんたが全部整えていたみたいだから、軽く見て回るだけだったわよ」
ティースは不貞腐れつつ、用意されていた椅子に腰かけた。
実際、ティースは軍隊を指揮統率したことがなく、まして砲台陣地の運用など未経験であった。
それでもなおヒサコがティースに砲台を任せると言ったのは、その持ち前の“勘”の良さを期待しての事であった。
(なにしろ、たった一人、この世界でこちらの思惑を超えたからね、このカワイイ嫁さんは)
完璧に隠匿していたと思っていたヒサコの正体を自力の洞察で見破ったのは、ティースただ一人だけだ。
それゆえに、松永久秀にとっては愛でるに能う名物であると認識しており、評価も高い。
今回も“やってくれるだろう”という期待があるのだ。
「そう。マークの方も大丈夫かしら?」
「問題なく」
素っ気なく答える嫁の従者だが、それはいつもの事なので気にもしなかった。
基本的にティースの指示以外は受けないマークだが、主人の利となる事であれば即行動に移せる柔軟性もあるので、今回も片方の砲台陣地の指揮を任せたのだ。
こちらも部隊の指揮統率は初めてだが、目の良さと勘の良さはヒサコも大いに評価していた。
「では、私は前線に戻りますので、これにて失礼いたします。前線が騒がしくなったら夜襲ということですので、警戒はしておいてください」
「ええ、そうね。サーム、今回の戦はあなたの動き次第だから、よろしく頼むわね」
「安んじてお任せあれ。では、ヒサコ様、奥方様、行ってまいります」
サームは二人に拝礼し、馬に跨って急いで第一防衛線へと戻っていった。
その姿が見えなくなるまでそれを目で追い、いなくなると二人は視線を合わせた。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「サームは上手くやる。あとはお義姉様が上手くやれば、問題なく勝てるわよ」
「あなたって、どこからその自信を引っ張り出してくるのよ」
「頭の中からひねり出しているのよ。上が堂々としていれば、下は案外安心するものよ。戦場においては、特にそれが重要。狼狽している大将なんかに、兵は付いて来ないわよ」
「まあそうなんだけど、なんでこうなったのかと今更にね」
「そりゃあもう、あたしが原因でしょうね」
実際、ティースの人生は目の前の義妹によって狂わされたと言ってもよかった。
そもそもヒサコと言う存在は存在しない。あくまで、松永久秀という転生者が、自身の新しい肉体であるヒーサに似せて作った分身体に過ぎないのだ。
最初は《性転換》で入れ替わりを繰り返し、存在を偽装した。
次いで《投影》によって完全に形あるものとし、徐々に“設定”と言う名の人格を形成していった。
あくまで松永久秀の一人芝居の上に成り立つ人形であり、それに最も翻弄されたのがティースだ。
ちらりと横を見ると、そこには赤ん坊をあやすテアがいた。
その赤ん坊こそ、自分の息子マチャシュなのだ。
一度も触れた事のない我が子であり、横目で見る度に手を伸ばしたくなる衝動に駆られた。
表向きはヒサコの子供であるが、本当は自分の子供なのだという思いもある。
だが、それを表立って言う事は許されない。すべては“勝利”するために、生贄に捧げたのであるから、今更暴露したとて何の益もないことだ。
(ほんと、私は嫌な女になったものだわ)
ヒーサと結婚し、夫婦として過ごしている内に、その秘められた悪辣さに毒されて、染まってしまったと言う自覚もある。
だが、それを選択したのもまた、自分の意志であることもまた自覚していた。
ここで泣き言を言っても、平穏だった日々も、ナルも戻って来ることは無いのだ。
ならば、迷うことなく前進し、勝利を掴んで、今までの払った対価に見合う払い戻しを受けなくては、犠牲になった、いや、犠牲にしてしまったナルに申し訳が立たないのだ。
そう、ティースは自分に言い聞かせた。
「……じゃあ、私もそろそろ配置に着くわ。マークもよろしくね」
「はい。では、また後ほどに」
二人は一度、ヒサコを睨み付け、それから踵を返してそれぞれの配置に向かった。
「お義姉様、マーク、頑張ってねぇ~♪」
嫌われてるな~、と自覚しつつも笑顔で手を振りながら送り出す性格の悪さがヒサコにはあった。
だが、そうした小芝居もいよいよ最後。大詰めであった。
「んじゃま、歓迎準備をこちらもやるとしますか。さあ、アルベール、砲弾の嵐を抜けて、見事にここまで辿り着いてみせなさい」
いよいよ始まる決戦を前に高揚感を覚えるヒサコであった。
罠の準備も終わり、各人員の配置も整った。あとは攻めかかって来るのを待つだけだ。
そして、明日の太陽は勝者の頭上に降り注ぐことを信じて止まなかった。
~ 第四十二話に続く ~
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