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第三十四話  幻影! ありもしない兵の影!

 アルベールの突撃を空振りに終わらせ、悠々たる行進を再開したヒサコは、まだ馬車の屋根の上にいた。

 後方に注意を払い、望遠鏡を覗き込んでいた。


「アルベールも慎重ね。まあ、手勢ならともかく、今率いているのはどうせ借り物の兵だろうしね。確実にこちらを仕留められないと考えると、むやみやたらと損害を出したくはないわよね」


 望遠鏡の筒の先には、突撃を無理やり中断したため、隊列が大いに乱れている敵の姿があった。

 これで多少は時間を稼げるなと考え、ひとまずは“安心”した。

 なにしろ、あのまま突撃を敢行されていた場合、“間違いなく”虜となっていたからだ。


「慎重も度が過ぎれば、卑屈や臆病とのそしりは免れないわよ、アルベール。あなたの長所は勇猛果敢でしょうに。もう少し大胆に行くべきだったわね。まあ、騙し合いではまだまだ、あたしの足下にも及ばないってところかしら」


 そう言うと、ヒサコは屋根から下り、馬車の御者台へと腰かけた。

 そこへ後方から“少数”の騎馬の一団が追い付いてきた。

 先程姿を現したサームだ。


「国母様! ご無事で何より!」


 馬車の御者台にヒサコの姿を確認し、サームはまずは一安心した。

 馬車と自身の乗馬を並走させ、走りながら拝礼した。


「ありがとう、サーム。絶妙な現れ方だったわ。ふふ、アルベールもまんまと騙されたでしょうね。じきに気付くでしょうけど、その頃にはこっちも安全圏まで逃げ出せてるわ」

 ヒサコが見回すサームの随伴者は、僅かに二十名程度だ。

 サームがアーソからここまでの道のりを素早く移動できたのは、部隊を率いず、馬廻りだけで移動してきたからだ。

 部隊を伴うと、どうしても移動速度が落ちてしまうのは、軍事に携わる者ならば誰でも知っている常識だ。

 だからこそ、アルベールは焦った。予定よりもはるかに速い到着に、計算が完全に狂ったのだ。


「アルベールは“幻”を見た。 自分がそうしたように、サームもまた足の速い部隊を率いて先行してきたと、“誤解”した。そこに、ありもしない敵部隊と言う“幻”が浮かんできた。あのまま突撃していれば、勝っていたのにね」


「ですな。相手の考えを正確に読み解く緻密な洞察力と知略、それを躊躇いもなく実行できる豪胆さ、やはり宮廷の住人となられても、本質は変わりませんな」


「ふふ~ん。ありがとうね、サーム」


 余裕の態度のヒサコではあるが、実はかなり賭けの要素の強い策であった。

 分が悪いというほどでもないが、だからと言って確実性には欠ける策であり、アルベールに迷いや恐れがある事を前提に組み立てたための賭け要素だ。

 だが、ヒサコはそれにまんまと勝ったというわけだ。


「んで、これからどうするの?」


 ヒサコに対して無礼な物言いで騎兵の一人が話しかけてきた。

 被っていた兜の面頬を上げると、そこには見目麗しい貴婦人の容貌があった。


「あら、ティース義理姉様おねえさま、お久ぶり~。随分とご活躍だったそうで」


「元気そうで残念だわ、ヒサコ」


「つれないな~。国母って呼んでもいいのよ♪」


「はいはい、国母様、ご機嫌麗しゅう。これで満足?」


「ええ、満足だわ」


 サームに帯同する形でやって来たティースは、早速ながら義理の妹と衝突した。

 ティースのヒサコに対する感情は複雑だ。

 できる事なら、今すぐにでも腰に帯びた『鬼丸国綱おにまるくにつな』でぶった切りたいのだが、そういうわけにもいかなかった。

 ヒサコは今や国母であり、その子であるマチャシュは国王なのだ。


(でも、本当は……)


 並走する馬車の車窓には、テアと彼女に抱えられる赤ん坊マチャシュの姿も確認できた。

 マチャシュはティースが腹を痛めて産んだ子であり、決してヒサコの子ではない。

 だが、ティース自身の決断を以て自分の子を殺し、ヒサコに差し出したのだ。

 決して母とは名乗れず、指で触れる事も出来ない。

 車窓越しに見える息子は、あまりにも遠いのだ。


「で、これからの事を聞いているんだけど?」


「ああ、そうね。んで、マークも付いて来ているわよね?」


「ええ、そこに」


 ティースが後ろを振り向くと、騎兵の一人が兜の面頬を上げた。そこから見えたのは少年であり、ティースの従者マークであった。

 主人の影さす所に従者あり。マークもまたティースと共に密かに帯同していたのだ。


「サームの姿は誇示していたけど、私やマークの存在を伏せていた理由は?」


「サームは姿を見せておかないと、アルベールに幻影兵を見せられない。だから見せ付けた。義理姉様はどうでもよかったんだけど、マークは次の罠に必須でね。どうしてもこっちに来てもらわないといけなかったの。存在を伏せておかないと、アルベールに余計な警戒心を抱かせる事になるから、あくまで秘密裏に来てもらったというわけ」


「なるほどね。私は“おまけ”か」


「義理姉様の活躍は、多分、アスプリクを助けるときになるんじゃないかな?」


「随分先じゃない! これから反乱軍と一戦交えるってのに!」


「あら、義理姉様ったら好戦的ね。その御腰の得物に魂が引っ張られているんじゃなくって?」


 ティースの装備する『鬼丸国綱おにまるくにつな』は、ジルゴ皇帝ヨシテルが佩刀はかしていたものだ。

 ヨシテルから譲り受ける形で現在所持しているが、これを手にして以降、どうにも好戦的な言動が目立つようになっており、呪われているのではないかと周囲が危惧するほどだ。


「とにかく、何て言うかね、落ち着かないのよ。戦っていないと」


「うん、確実に呪われているわね。お願いだから、五歩以上は近寄らないでくださいね」


「私だって、あんたなんかに近付きたくないわよ!」


「お二人とも落ち着いてください」


 またしても口論が始まりそうな二人にサームが割って入り、その場を制した。

 戦闘指揮より余程疲れるし気を遣うと、サームは今回の任務を与えたヒーサに少しばかり苦言を呈したくもなった。


「それで、国母様、今後の予定は?」


「この先にちょっとした砦がある。そこに散らしておいた兵を集結させるよう整えているから、まずはそこを目指します。あそこに入ってしまえば、もうアルベールには手出しできない」


「騎兵は攻城戦に最も不向きな兵科ですからな」


「そういう事! つまり、後続と合流しないと、アルベールは打つ手が無くなる。そして、その合流する一瞬の隙こそ、次なる一手を打つ好機にもなるわ。それまでは強行軍で疲れた体を休め、英気を養うとしましょう」


 こうしてサーム、ティース、マークを新たに加えた一団は、一路目的の砦へと急ぐのであった。



           ~ 第三十五話に続く ~

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