第三十話 直感! これは魔女からのお誘いだ!
逃げるヒサコ、追うアルベール。
ヒサコが分かり切った最短の道を避け、別の道からアーソへ向かう事を予想したアルベールは、即座に別街道へと馬首を返し、追跡を続けた。
そして、ついに見つけた。
「停まれ! 停まれぇい!」
アルベールは率いてきた追跡部隊に停止を命じ、速度を緩めた。
そして、自身は馬から飛び降りると、地面に跪いてそれをジッと見つめた。
そこには無数の蹄の後と、さらに車輪で付いたであろう轍があった。
「どうやら雨が降っていたようだな。泥濘に跡が残っている」
アルベールは別街道を進むと予想した自分の考えが、やはり正しかったであろうことを確信した。
「どうやら当たりのようですが、やはり正確な数は分かりませんな」
配下の一人が道の上に続く痕跡を目で追ったが、さすがにそこから数を推察するのは不可能であった。
だが、アルベールは方角さえ分かれは十分だとも考えていた。
最悪、足止めさえできれば、その後に続く反乱軍の本隊を呼び寄せれば、どうとでもなると踏んだからだ。
「まだこの地にいると分かっただけでも十分だ。とにかく、重要なのはシガラ公爵家の兄妹と合流させない事なのだからな。追跡は続行だ! 急ぐぞ! 馬車連れが分かった以上、足は確実にこっちが上だ!」
アルベールは再び馬に乗り、追跡を再開した。
***
しばらく馬を走らせていると、今度は分かれ道に辿り着いた。
だが、そこで問題が発生した。
左右の道、どちらにも蹄の跡と轍があり、どちらに進んだのか分からなくなっていたのだ。
「こ、これは……」
「どちらの進んだのか分かりませんな」
部隊を一時停止させ、馬上から左右の道を眺めたが、やはりまだ追いつけていないようで、どちらにもその姿を確認できなかった。
あるいは、晴れの日が続いて地面が乾いていれば、遠目に砂埃を確認できたかもしれないが、今は雨の後らしく、地面は水たまりや泥濘が存在していた。
「さて、どちらに進んだか……」
「どちらもアーソへ行くことは可能です。強いて言えば、左手は勾配のある山道となっています。右は平坦ではありますが、アーソへ向かうとなると、距離が伸びてしまいます」
ここらの地理に詳しく、水先案内をしてくれている騎士がそう告げた。
距離の短い山道を行くか、距離は伸びるが平坦な道を行くか、はたしてどちらをヒサコは選択したのかをアルベールは考えた。
「……皆はどう思うか?」
まずは周囲の意見を聞こうと、アルベールは周りを見渡し、意見を求めた。
「やはり右手ではないでしょうか? 馬車での移動は坂道だと難儀しますし」
「とはいえ、距離が近いのは左手だぞ? 急ぐ人間の心理としては、距離が短い方がいいと思うはず」
「だが、相手は“あの”魔女だぞ。その裏を突いてくるということも」
意見は百出し、どちらがというものではなかった。
(結局のところ、自分自身も含めて、“聖女”の策略に及び腰というわけか)
ヒサコのことを間近で見てきたアルベールでさえ、未だにその全容を把握していないのだ。
噂や戦果報告を聞いただけの諸将には、得体の知れない化物と思われても仕方がない部分もあった。
さてどうしたものかと悩んでいると、右手の道の泥の中に何か光る物をアルベールは見つけた。
何だろうかと思い、それに近付いてみると、それは女性の装飾用の腕輪だと分かった。
下馬してそれを拾い上げると、それは見覚えのある品であった。
「これはヒサコ様の!?」
アルベールはこの腕輪をヒサコが身に付けているのを思い出した。
シガラ公爵家のシンボルであるフクロウの衣装が施された金製の腕輪であった。
ヒサコは着飾るというのをあまりせず、実際、アルベールもそうした姿をほとんど見たことがなかった。
ただ、この腕輪は身分証の代わりみたいな物、そう言っていたのも覚えていた。
その腕輪が道端に落ちていたとなると、否応なくヒサコの存在を示している、明確な物的証拠と言えよう。
問題がるとすれば、それが右手の道側に落ちていたと言う事だ。
(これは……、誘いか!? それとも偶然か!?)
アルベールには判断しかねた。
だが、ニヤつくヒサコの顔が妙にくっきりと脳裏に浮かんで来る、そんな感覚に襲われた。
「この腕輪、どう思う? 聖女のお気に入りだが」
アルベールは周囲に意見を求めた。
視線がアルベールの掲げた腕輪に集中した。
「明らかに故意ですな」
一人がそう述べると、周囲もまたそうだそうだと首を縦に振った。
「その通り! 赤ん坊を抱え、馬車で移動している女性なのですぞ。その腕輪が、いかにして車外へと落ちると言うのか!?」
「いかにも! 戸を開け、故意に落とさぬ限りは、これは有り得ません!」
「ならば、答えはおのずと出ましょう。腕輪の落ちた道に我らを誘導し、別の道で逃げる算段でしょう」
「よくよく考えてみれば、腕輪の落ちている右手の道は平野を進む道です。いざ騎兵で編成されたこちらの部隊に追いつかれた場合、小勢では対処できません」
「一方の左手の道は坂のある山道。高所に陣取れば時間稼ぎもしやすいのは道理!」
「そう考えますと、腕輪を“捨てた”別の道を進んだと考えるのが妥当かと」
周囲の意見は左手の道が正解だと、見解が一致した。
実際、アルベールもその意見は正しいと思っていた。道理にかなっているし、その意見を採用するべきなのだろうと理性が頷いていた。
だが、理性の外側にいる、感情がそれを拒絶していた。
(違和感! そう、これは違和感だ! おかしいと、間違っていると、私の直感が告げている! 何が間違いなのか、何かが抜け落ちているのか、なんなのだこれは!?)
理に適う周囲の意見は無視し、敢えてその逆を行けと直感が喚いていた。
なぜそうなのかと、自分の事と、ヒサコの思考を摺り合わせ、答えを導き出そうとするアルベール。
そして、その違和感の正体に気付いた。
「違う! 右だ! あちらは右手の道を選んだ! 全軍、右手の道を進むぞ!」
アルベールの指示に、当然ながら周囲は難色を示した。
「将軍、なぜですか!? 明らかに故意に捨てられた腕輪なのですぞ!? 腕輪を捨て、その逆の道を進むと考えられますが!?」
「しかも、地形的要素から、左手の方が追い付かれた際の時間稼ぎにも有利です」
当然のように、アルベールの意見に反論する者が次々と現れた。
そんな彼らに対して、アルベールは拾った腕輪を掲げ、それを見せ付けた。
「理由は簡単だ。お前達の中で、“これ”がヒサコ殿の腕輪だと知っている者はいるか!?」
飛び出したアルベールの問いかけに、全員がハッとなった。
そう、この場にはアルベール以外、それがヒサコの物だと知っている者がいなかったのだ。
「それが私の答えだ。この腕輪がヒサコの物だと分かっているのは、あの御仁と何度か顔を合わせ、その姿をよく観察していた者にしかできない。そして、こちらの陣営の中では、それに該当するのがたったの四名のみ。すなわち、サーディク殿下と、我が主君カイン様と、コルネス殿、私だ」
なにしろ、ヒサコはあちこち移動する生活を送っており、ここ最近の王宮暮らしを除けば、一ヵ所に留まるという生活はない。その姿形を服装に至るまでよく認識している知己ともなると、その数はかなり限られていた。
そして、その四人の中からヒサコを追う追撃部隊を任せる事となるが、人選は決まっていたようなものだ。
総大将であるサーディクや、その参謀役であるカインが直接動くことは考えられない。
そうなると、コルネスかアルベールということになるが、そのアルベールをコルネスが推挙する形でその話は決着がついた。
コルネスの推挙に加え、サーディクとカインの許可と下命、これでは断りようもないのだ。
誰が追撃して来るのかは、少し考えれば分かる事であった。
「さらに言えば、これはあちらからの“攻撃”でもある。将と兵を仲違えさせるというな。現に私の内通を疑っている者もいるようだし、それについては甘んじて受けよう」
身一つでシガラ公爵軍から抜けて、反乱軍へと身を投じたのがアルベールだ。
当然、内通を疑う者もいるが、アルベールにとってはかなり腹立たしいものがあった。
断金の思いで妹と別れ、忠義を尽くすために主君の下へと馳せ参じたのだ。
その想いを踏み躙られているように感じ、不快感をあらわにした。
「つまり! もうあちらには私が追撃してくるという事が、バレバレだという事だ! そして、そう考えるとあちらは腕輪を捨てて、同じ道を進んでいくだろう。誘っているのだ、この私を!」
「そのようなバカな事をするのですか!? あの悪辣な策士は!?」
やはり疑問を呈する声が方々から上がっているが、それについてアルベールは怒る事も呆れる事もしなかった。
いかなる難問すら解き明かす聖女でありながら、悪辣なる策を平然と繰り出す魔女。“あれ”を理解するなど不可能だし、まして会って身近にいなかったのであれば感じる事すらできないからだ。
「いいか。あの御仁の本質は“楽しむ事”だ。内容こそ多岐にわたるが、とにかく万事において面白さを求め、自らが楽しむ事を第一に考える。権力も、財力も、そのための手段に過ぎん。あの悪辣な策謀の数々も、最終的に自分が好き放題するための通過点なのだ」
アルベールの口より吐き出された言葉は、周囲の面々には全く理解できなかった。
家族一族のため、領地領民のため、人は何かを追い求め、安楽を願うのは常である。
自分自身が可愛いというのも分かる。
だが、今追いかけている人物は、常軌を逸しているレベルで自分が可愛いのだという。
楽しむために国を乗っ取り、財貨を絞り上げ、場合によっては屍山血河すら厭わないのだと言う。
果たして、それは“人”と呼ぶべき存在なのか?
誰しもが言い表せない寒気と、この世ならざる違和感を覚えた。
「理解はするな。というか、出来ん。そうなのだと納得しておくしかない。だから、私は敢えて誘いに乗る。“つまらない人物”だと思われれば、捨てられ、消されてしまうからだ」
理解に苦しい内容の話なのだが、全身を追う違和感を感じたらばこそ、反論も浮かばない一同だが、そんな人々の思惑をさておき、アルベールはさっさと馬に再び跨った。
「右だ! 絶対に右に行っている! 考えるな! 考えれば、あちらの術中にはまる! 己の直感を信じろ! それだけが唯一相手の裏を突ける機会を得られるのだ!」
アルベールは馬に鞭を入れ、腕輪の落ちていた右の道を走り始めた。
指揮官にこうまで言われてはやむを得ず、兵士らは納得こそしていないがその後を追った。
~ 第三十一話に続く ~
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