第二十九話 分かれ道! さあ、どっちに逃げようかな?
最短の道ではなく、別街道からアーソ方面へとヒサコは向かっている。
斥候の報告からそう判断したアルベールであったが、それを読まれる事を読んでいたヒサコには、動きが筒抜けとなっていた。
「申し上げます! 敵部隊、こちらの街道を封鎖すべく動き出しました!」
「報告、ご苦労様。そのまま監視を続けて」
「ハッ!」
走る馬車と並走しながらの報告も終わり、騎馬斥候は再びどこかへと駆けていった。
報告はヒサコの予想していた通りであり、思わずピシャリと膝を打った。
「さすがはアルベール、決断も動きも早い早い」
「感心している場合じゃないでしょ! 追いつかれるわよ! 馬車と騎馬じゃ、速度が違い過ぎる!」
余裕の態度を崩さないヒサコに対して、テアは焦っていた。
なにより問題なのは、周囲を取り囲む兵がまた減っており、今では二、三百といったところにまで減っていた。
王都を出立した頃は三千程度はいたはずなのに、今やその時の十分の一である。
これで焦るなという方が無理であった。
「なぁ~に、言ってんのよ。逃げやすいように、今は騎兵と馬車だけにしたんじゃない」
「そりゃそうだけどさ! 追いつかれたら、今の兵力じゃ瞬殺よ!?」
「予定の地点まで、追いつかれなかったらいいのよ、追いつかれなかったら!」
「上手くいけばいいんだけどさ!」
確かに、歩兵も帯同していた時よりかは移動も早くなっていたが、それでも不安は不安だ。
“餌”になることを言われた時から覚悟はしていたが、それでもテアは不安と不満でいっぱいだ。
そして、抱えている赤ん坊を見つめた。
「せめて赤ん坊がいなかったら、馬で逃げられるんだけどね」
「やってみる? 三国志の趙子龍みたく」
「何十万の敵陣を、たった一騎で赤ん坊抱えて走り抜けたってやつ? 無理無理! んなのできるわけないでしょ!」
「はぁ~、使えん女神様ね~。人間にできて、神にできないなんて、本気で萎えるわぁ~」
「うるさいわよ! 神としての力の大半を封じられて降臨しているだから、仕方ないでしょ!」
実際、テアは大半の術を封じられており、今の状態は“英雄の燃料タンク”として、魔力を供給しているだけであった。
ヒーサ・ヒサコの使うスキルは、神から直接付与されたスキルカードによって使えるようになっているが、消費する魔力量は桁外れである。
自身の魔力だけでは、数回使えば枯渇する。神がすぐ近くに帯同しているからこそ、《性転換》や《投影》を連続使用しても平然としていられるのだ。
「だいたいさぁ、そういうあなたが趙子龍やればいいじゃない! 母が子を抱えて、敵陣を馬で走り抜けてみなさいよ!」
「戦闘系のスキルないから無理ね」
「だったら、時空の狭間で《剣聖の閃き》を選んでたらいいじゃないの!」
「あれを選んでたら、《本草学を極めし者》を取れなかったんだし、本末転倒よね」
「あなたのこの世界でのやり方見てたらさ、そっちの方が真っ当だったって思うわよ! 医術の悪用で、いったい何人の人を毒殺したのよ!?」
「えっと、父と兄でしょ。あとは有象無象の死刑囚とかかしら? あら、意外と毒で殺した数って少ないわね」
「ああ、言われてみれば、毒以前に直接殺した相手って少ないわね。どちらかというと、騙す方に特化したやり方の方が多かったもんね」
意外な事実に、テアはどう反応すべきか悩みつつ、苦笑いを浮かべた。
ヒーサ・ヒサコの悪辣な奸計の犠牲になった者は数知れないが、意外と直接手を下した者は少なかった。
要所要所では直接手を下したりはしているが、基本的には誰かを偽情報で引っかけて、迷走、暴走させたりするパターンが多い。
なお、大量虐殺した帝国領の亜人達の事は、勘定の中に入っていなかったりする。
「まあいいわよ。これから毒で殺っちゃうから奴もいるから」
「増やす予定あるんかい!?」
「あるに決まってるじゃない! これから大変な事になるんだし、ありとあらゆる方法を用いて、最終的な勝利を手にするのよ」
「そりゃ結構。でも、ほどほどでお願いします。毒殺現場って、何と言うか、こう、グロい」
「じゃあ、やっぱり赤ん坊抱えて、敵中突破やって♪」
「無理だって言っているでしょうが! というか、その話を持ち出すんなら、趙子龍が助けた赤ん坊、国を亡ぼす暗愚になっちゃうわよ!? つまり、この子がその立ち位置になっちゃうわよ!?」
「ん~、阿斗・劉禅は暗愚じゃないんだけどね~、あたしの感想だと」
「そうなの!? いや、だって……」
かなり大雑把な記憶ではあるが、テアの記憶では劉禅の事は時代に暗い暗君となっていた。
だが、目の前の戦国の梟雄はその意見には反対のようであった。
「だいたいさぁ、劉禅って皇帝として四十年も在位しているのよ? あの時代の唐土の皇帝だと、ぶっちぎりで長いわよ。蜀漢みたいな弱小国が、暗愚を頭に据えて四十年も国を保てると思う?」
「あ~、言われてみると確かに」
「劉禅が暗愚になったのは、主に父親・劉玄徳のせい。あと、軍師・諸葛孔明のせい」
「どっちも英傑よ? 特にあなたが以前持っていたスキル《大徳の威》の元ネタだし。凄い魅力で人々をひきつけ、流浪の身から国を作り上げるくらいにはね」
「だから、暗愚にさせられたのよ、劉禅は」
ヒサコの言わんとする事が分からず、テアは首を傾げるだけであった。
「前いた世界でね、三国志が流行っていたのよ。みんな読んでいたわ。魅力的で徳のある主君の下に、豪傑や智者が揃い、漢王朝再興を目指して戦う。まあ、話の流れはそうなんだけど、結末は“滅亡”と決まっているわ」
「まあ、史実を元にして書かれたお話だしね。蜀漢は魏晋に滅ぼされるし」
「そう、滅ぼされる。でも、それっておかしくない? 劉玄徳に諸葛孔明、他にも綺羅星の英傑があれほど戦い抜いたのに、滅亡しちゃうのよ? なんで?」
「そりゃ史実を元にしているからだって言ってるじゃん」
「そう。史実を元にしている以上、結末は決まっている。でも、それまでの流れで蜀漢が“正統”っぽく描かれている。なのに、滅んだ。これじゃ“読者”が納得するわけないでしょ」
「ああ、それで。つまり、後継が愚か者だった、だから滅んだ、という筋書きが必要だったってことね」
「父親や軍師を活躍させるほどに、その後継を貶めないと辻褄が合わなくなったって事なの。読者を納得させるために、劉禅は徹底して暗愚にさせられた。名君ではないにせよ、暗君ではないのは明白よ。でなきゃ、四十年も国を持たせる事なんてできないわ」
「なるほど。そういう見方もできるのね」
テアはようやく納得がいき、素直に感心した。
そんな雑談を交わしていると、ヒサコは乗っていた馬車の窓を開け、周囲を確認した。
「よしよし。そろそろ例の分かれ道ね。予定通り、右に曲がるわよ。んで、囮の馬車は左に向かわせて」
「はい、了解しました!」
護衛の騎士がヒサコの指示を了承し、言われた通りに行動した。
ヒサコらを乗せた馬車と護衛らは右手へ曲がり、囮の馬車は左手へと進んでいった。
なお、後続にはまだ馬車を数台走らせており、いざという時の囮をまだ用意していた。
「そして、これをこうする」
そう言うと、ヒサコは身に着けていた腕輪を外し、そのまま地面に落とした。
「え、あ、ちょ! それじゃこっちに逃げたって教えるようなものじゃない!」
「ん~。これも三国志の場面の一つよ」
「……ああ、あれか! 蜀将・廖化が魏将・司馬懿を追撃していたときのやつ! 確か、逃げる司馬懿は分かれ道に及んで、逃げる反対方向に冠を投げ捨てて、後から来た廖化は冠を見てこっちに逃げたと誤認した場面! だっけ?」
「そうそう。それの逆をやるの」
実際、今は腕輪を捨てた方に逃げていた。
しかも、逆方向にも囮の馬車を走らせて、轍を作る念の入れようだ。
「さぁ~て、追っ手はどう判断するかなぁ~♪」
「あなた、この状況楽しんでるでしょ!?」
「人生楽しまなきゃ損よ」
「そりゃそうだけど、こうした命のやり取りまで娯楽性を求めないで!」
「知恵比べよ、知恵比べ! さあ、アルベール、あなたはどう判断するのか、見せてちょうだい。あたしの予想を超える動きを見せないと、いずれ追いかけているあなたの方が虜となるわよ」
ヒサコは窓から後方を見やり、その先にいるであろうアルベールの顔を思い浮かべた。
追いかけっこはまだまだ始まったばかりだ。
~ 第三十話に続く ~
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