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第十九話  逃亡! 分が悪くなってきたので撤収します!

 ヨハネスとマリューは急ぎ足で廊下に進み、そこから見晴らしの良いバルコニーに出た。

 そして、その遥か視線の先には、山が燃えているのを確認できた。

 と言っても、それなりに距離があるため、ほんの小さな灯にしか見えないが、確かに方角や目測の距離は合っているため、《五星教ファイブスターズ》の総本山『星聖山モンス・オウン』が、燃え上がっているのを確認した。


「なんたる事か! これも反乱軍の仕業か!?」


 ヨハネスは激高し、燃える聖山と城下町を交互に見やり、普段はなかなか見せない怒りの表情をあらわにしていた。

 普段見慣れぬ法王の態度に、近侍達も恐縮するばかりであった。


「法王聖下、落ち着いてください! 城下の方はすでに王都警備兵が動いておりますし、じきに鎮火されましょう。あとは、聖山の方ですが、こちらは……」


「兄上!」


 駆け込んできたのは、執政官のスーラであった。


「おお、スーラか。して、ヒサコ様はなんと仰られていた?」


「そ、それが、どこにもおられないのです!」


「なんだと!?」


「それで、執務室の机の上にこちらが」


 そう言って、スーラはマリューに一枚の封書を渡した。

 マリューは封を解き、中にあった書き付けを開いた。

 何が書いてあるのかと、ヨハネスとスーラも横から覗き込んだ。



「なんか分が悪くなってきたから、撤収するわ。後の事、よろしくね」



 実に簡潔かつ分かりやすい文章であった。

 それだけに混乱した。

 仮にも“国母”たる者が、“摂政”たる者が、真っ先に王城を捨てて逃亡するのか、と。

 ヨハネスはマリューから手紙を奪い、何度もそれを読み返したが、当然何か変わるわけでもなかった。

 あるいは暗号や隠れた意味でもあるのかと、書き付けの隅々にまで目を通したが、これと言った特徴は何もなかった。

 ならばと、空いた封書の方はと思ったが、こちらも何もなかった。

 つまり、ヒサコの姿が消えてなくなり、この手紙だけを残していった。

 何をどう解釈しても、王都を放り出して“逃げた”としか判断できないのであった。


「あ、あの女狐がぁ! 腐った性根が、いよいよ表に出たか!」


 ヨハネスが激怒し、手紙を握り潰して、思い切り地面に叩き付けた。

 よもや最高責任者が、国母摂政が、危機に際して真っ先に逃げ出したのである。

 無責任極まりない。世俗と教団という差異はあれど、最高位に位置する者のする事かと、普段は見せぬ憤怒と共にあらん限りの罵倒を繰り返した。


「スーラ殿! 陛下の玉体は!?」


「そ、そちらもお姿が見えません! 側用人共々、お姿が……。寝室にも行ってみたのですが、荒らされていた、と言うより、急いで準備した、ような……」


「そちらもか! ああ、まあ、国王の身柄と共に撤収するのは当然か! だが、残された王都の民はどうなさるのだ!? 国を統べる者のやり方ではない!」


 今も城下の一角が燃え上がっており、よく耳をすませば人々の叫び声も聞こえてくる有様だ。

 こういう時にこそ貴人が毅然に振る舞って、事態の処理に当たらねばならないというのに、あの“村娘”には貴人の心得ノブレス・オブリージュなどと言うものがないのかと、ヨハネスの怒りはさらに増していった。


「……こうなれば、我々だけで対処せねばならんか。マリュー殿、スーラ殿、よろしいか!?」


「止むを得ませんな」


「非常に際して、手をこまねいてはいられませんからな」


 二人はヨハネスの立場を理解し、これに賛意を示した。

 王宮及び城下の兵を集めて反乱軍に対処しつつ、火災の鎮火もしなくてはならない。

 おまけに、遠目に見える聖やる山も、今まさに燃え上がっているところだ。こちらもまた、同時に対処しなくてはならなかった。


「では、即座に兵員をまとめて、城下の不埒者に当たらせていただきます。不意を突かれて混乱しましたが、敵はどのみちそれほど数は多くありません」


「左様。冷静に対処すれば、あの程度はどうと言う事はありません」


 すでに招集に応じて、周囲には十数名の兵士がおり、眼下の中庭には続々と兵士が集まりつつあった。

 さすがに切れ者の二人であり、対処も適切かつ早いとヨハネスも満足した。


「城下の方はこちらでどうにか致しますが、聖下、山の方はいかがいたします?」


「そちらは私が行かねばなるまい。と言うより、私以外、あそこに急行できる者がここにはおらん」


「畏まりました。ですが、お気を付けください。山に火を放った痴れ者が、まだ付近にいる可能性が高いです。くれぐれもご無理をなさらぬように」


「分かっておる!」


 そう言うと、ヨハネスは周囲を見回した。近侍を務める数人の神官らがおり、上司からの指示を待っている状態であった。


「私は急ぎ山に戻る。お前達は城下の負傷者の手当てを任せた。何かあれば、即座に連絡をよこすのだぞ」


 ヨハネスは近侍数名に指示を飛ばすと、一目散に厩舎へと駆けていった。

 まるで飛んでいくかのように聖山に向かって馬を走らせ、それを皆で見送った。

 その場に残ったヨハネスの近侍は走り去る法王に拝礼しつつ、自分達の仕事をしなくてはと気持ちを切り替えた。


「それで、執政官殿、これからどうなさいますか?」


「おお、申し訳ない、近侍の皆様方、是非やっていただきたい事があるのです」


「はい、ご指示をお願いいたします」


「では……、消えてください!」


 それが合図となって、周囲にいた兵士らが一斉にヨハネスの近侍達に襲い掛かった。

 何事かと思った時には剣を抜いた兵士らに取り囲まれ、状況を理解する間もなく、断末魔さえ上げさせず即座に斬り捨てられた。

 十名にも満たない少数であったため、ほんの一瞬でケリがついた。


「……さて、ご苦労だったな。あとで報酬は弾むぞ」


 マリューの言葉に兵士らがニヤリと笑い、同時に今し方斬り殺した哀れな死体を動かし始めた。

 なお、周囲にいたのは城の兵士ではなく、マリューに雇われた傭兵であった。前々から雇っていた連中であり、“多少”の荒事なら報酬次第で引き受けてくれる使い出のある傭兵団であった。

 数こそ二十にも満たない小規模傭兵団だが、揃いも揃って腕利きで、しかも報酬さえきっちり払えば、口も堅くなるので、何かと重宝していた。


「そのまま城下のどこかに捨て置け。それと……、ああ、それが背格好が一番似ているか。そいつに法王の衣装を着せて、“死んだ”事を偽装しておけ。顔を潰しておけば、しばらくはそう誤認されるだろう」


 スーラの指示に傭兵達は無言で頷き、死体の処理に当たった。

 用意万端とばかりに大きな麻袋に死体を入れていき、そそくさと運び出していった。

 それを無言で見送りながら、マリューとスーラは聖なる山の方に視線を向けた。


「さて、ヒサコ様のご指示通り、これにて“法王”は行方知れずとなった」


「ですな。こちらは首尾よくできましたので、あとはそちらもお願いいたしますぞ。我ら兄弟の更なる栄達のために」


 さて、今度こそ城下の騒乱を抑えねばと、二人は指示を出すために中庭に集結中の“本物”の兵士達の所へと急いだ。

 騒乱の最中だと言うのに、その顔からは笑みがこぼれ、足取りが軽かったのも、これからのことを思うと興奮冷めやらぬからだ。

 早く叛徒となった貴族からたっぷり搾り上げたい。そう考えると、体中が厚くなり、頭も股座またぐらもいきり立つ一方の二人であった。



            ~ 第二十話に続く ~

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