第十八話 王都炎上!? 反乱軍、乱入す!
チリーン! チリーン!
置時計が十二時を知らせる鈴を鳴らせた。
周囲は既に寝静まり、それゆえに無駄に響いた鈴の音だが、その部屋の住人はまだ起きていた。
「おっと、いかん。もうこんな時間か」
机の上で書類と激闘を繰り広げていた法王ヨハネスは、その鈴の音によって現実へと引き戻されたのだ。
書類仕事に忙殺され、思った以上に時間が経過しており、固まった体をグッと伸ばして解した。
「あぁ~、結構疲れたな。やはり年は取りたくないものだな。昔はこれくらい余裕でこなせたと言うのに」
ぼやきつつも、今夜はここまでとばかりに散らかっていた書類を整え始めた。
ヨハネスは非常に働き者であり、誰よりも早くに仕事を始め、誰よりも遅くまで仕事をしていた。
前線勤務がなくなり、事務仕事を手掛けるようになってから、ほぼこのスタイルを貫いていたが、特にここ最近のゴタゴタのせいで、机に齧り付く様に仕事に追われているのが実情だ。
法王としての職務に加え、方々から上がって来る陳情書や要望書に目を通し、物によっては議事にかけて決済を行うなど、その仕事の幅は多岐にわたる。
近侍からは少し休まれてはと苦言を呈されるが、そうも言ってられないのが国内の不安定ぶりなのだ。
自分からしてギリギリで法王選挙を制して法王になったため、権力基盤がまだまだ安定しているとは言い難いのだ。
そこへ来て、後ろ盾の一人であった宰相ジェイクの死と、王位継承に関する騒動、更にはジルゴ帝国による侵攻と、まさに問題が山積みとなっていた。
この状況で休んでいられるか、と言うのがヨハネスの偽らざる本音であった。
しかし、体力と集中力が有限であることは承知しているので、食事や睡眠はちゃんと取らないと却って効率が悪くなることも知っていた。
治癒系の術式を極めた術士ではあるが、自分に対しては余程の事がない限りは術を施さないと決めていた。癖になって、術抜きの状態でいるのが辛くなると考えているからだ。
さすがに日付が変わってまで仕事をしても、疲れがたまる一方だと思い、筆を置いた。
「明日、というか今日はヒサコとの話し合いもあるし、さすがに寝ておくか」
椅子から立ち上がり寝台の方へと向かった。
この部屋はそもそも城詰めの枢機卿の部屋であり、法王就任前はここで寝泊まりをしており、勝手知ったるというものであった。
あの頃は枢機卿と言う高位にありながら、かなり気安い立場にあった。
聖山では派閥抗争で足の引っ張り合いが日常的に行われ、それに嫌気がさしていた際にたまたま空いたこの職務に志願して、ここに移り住んだのだ。
仕事は王宮内での神事祭事のまとめ役と、王宮と聖山の伝送役である。名誉な役職ではあるが中央からは微妙に距離があるため、どちらかと言うとそろそろ引退を考える枢機卿が就くのが習わしであり、ヨハネスのようなまだ老人とは言えない年齢の者が入るのは異例と言えた。
「まあ、おかげで中央でのゴタゴタとは無縁でいられたのだが、何をどう間違ったのか、法王なってしまうとはな。人生、何が起こるか分からんものだ」
自分の数奇な運命を苦笑いし、あるいは来るところまで来てしまったと身震いしつつ、寝台へと滑り込もうとした。
ドンッドンッドンッ!
誰かが勢いよく扉を叩いた。
「法王聖下! お休みのところお騒がせして申し訳ありません!」
ヨハネスは聞き慣れた近侍の声を耳で拾った。
随分と慌てているようで、呼吸が乱れているようにも感じた。
「構わん。入れ」
ヨハネスは少し乱れていた衣服を整えつつ、扉の方に向き直した。
扉が開き、見慣れた近侍が失礼しますとお辞儀をして、部屋に入ってきた。
「何やら騒々しいな。何事かあったか?」
「はい。城下に火の手が上がっております!」
「何だと!?」
ヨハネスは驚いて窓を見たが、外が燃えている雰囲気ではなかった。
では、別の方角かと廊下に飛び出し、そこの窓を覗き込んでみると、確かに城下から炎が噴き上がっており、かなり大きな火災であるように見えた。
「何だ!? 失火か!?」
「それが、どうやら反乱軍からの攻撃のようで」
「バカな! 早すぎる! 王都にもう到着したとでも言うのか!?」
近侍の言葉を疑うつもりはなかったが、さすがに予想外過ぎる火事の原因であった。
反乱軍が決起したのは王都とはかなり離れた場所であり、それがいきなり王都を攻撃するなど時間的に有り得ないのだ。
別動隊を編成するにしても、それなりの規模の部隊を気付かれずに王都に移動させることができるのか、と言う問題もある。
「……いや、前例がないわけではない。いるではないか、目の前に、最高のお手本が」
ヨハネスの頭に思い浮かんだのは他でもない。ヒサコの事であった。
そもそも、ヒサコは大祭に合わせて自軍兵士を巡礼者や観光客を装って王都に潜入させ、機を見て王宮に乱入し、まんまとこれを制圧したのだ。
そのやり口をまねる輩がいたとしても、不思議ではなかった。
「聖下! 法王聖下!」
誰かが廊下を走って駆け寄って来たので、ヨハネスはそちらを振り向くと、息を切らせながらマリューが駆け寄って来るのが見えた。
「おお、マリュー殿か。まだ王宮に詰めていたのか?」
「いやはや、お恥ずかしい事ながら、急ぎで片付けておきたい仕事がありまして、たまたま残業していたのですよ。それでこの騒ぎです」
「こちらと似たような状況か。して、反乱軍だと報告を受けたが、実際のところはどうなのだ?」
「旗指物から、どうやらあれの下手人はブルゴ伯とルーマン伯のようでございます」
マリューからそう説明されたが、あまり記憶にない名前であったので、ヨハネスは首を傾げた。
それでもどうにか頭の中からひねり出し、その二人の貴族は王都に滞在していたのを思い出した。
「王都にいる貴族が、なぜに付け火など!?」
「それが、コルネス将軍が引き払ったのを機に、これまた引き上げようという動きをしておりまして」
「…………! コルネスの動きに合わせて反乱軍に参加を図り、去り際の駄賃代わりに、王都を傷物にする腹積もりか!」
「聖下もそう思われますか? 私もそのように思います」
「コルネスが抜けた穴を埋める前に、まんまと間隙を突いたと言うわけか。兵を他所から持って来るのではなく、元からいた兵を使ったと……!」
とんだ食わせ者がいたと、ヨハネスは渋い顔になった。
完全に隙を突かれた格好であり、このままでは被害が拡大する一方であった。
そこへ、兵士が一人駆け込んできた。
自分の雇い主である執政官に加え、法王までいたため、慌てて膝を付いて拝礼した。
「申し上げます! 旧宰相邸が襲撃されました!」
「なんだと!?」
兵士からの報告にヨハネスは目を丸くして驚き、視線を再び火災が起きている方向に向けた。
思い出してみれば、火が燃え広がっている地区は、貴族や富豪の居住する区画の近くである。その中には、亡き宰相ジェイクの屋敷があった事も記憶の中より引っ張り出してきた。
「そ、それでそこの住人は!? クレミア夫人やその御子は!?」
「すでに屋敷には火の手が回っており、安否の所在は掴めておりません!」
「なんたることか!」
今度はマリューが激高し、激しく地団太を踏み始めた。
まだ反乱軍が現れるのが先かと思ってみれば、裏切り者による乱取りが行われたのである。これでは面目丸潰れだと言わんばかりに怒り狂った。
「マリュー殿、これでは被害が拡大する一方だ。直ちに兵をまとめ、暴虐な叛徒共の鎮圧を!」
「わ、分かっております。今、弟のスーラがヒサコ様に掛け合っておりますので、すぐに」
「た、大変でございます!」
今度はヨハネスの近侍が駆け込んできた。先程報告にやって来た近侍とは別の者であり、こちらも血の気が失せるほどの焦燥した姿で現れた。
「ええい、またか。今度はなんだ!?」
「や、山が……、『星聖山』が燃え上がっています」
「なん、だと……?」
山が燃えている。その報告は王国が崩壊に向かって突き進んでいる事を、如実に表している知らせであった。
不意に現れし炎が、全てを焼き尽くさんと盛っている。
そして、その炎は確実に足元まで来ていると、その場の誰しもが感じていた。
ただ、マリューだけは誰にも気づかれぬよう、口の端を吊り上げてニヤついているのだが、その場の喧騒に隠れて気付く者はただの一人もいなかった。
~ 第十九話に続く ~
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