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第十二話  拒絶! 落ちる涙は凍らない!

 アルベールが去り、櫓の上には二人と一匹が残った。

 ただ、ルルとしては何とも言えない気恥ずかしさを覚えていた。

 兄が去り際に妹を頼むとヒーサに頼み、ヒーサはそれを愛妾として迎えると返したのだ。

 さすがにいきなりな事案で、どうにも反応の困る話であった。

 少し照れ臭そうに、ルルは自分の黒髪を弄んだ。以前より随分と伸びた髪は指に巻かれ、絡まり、それからようやく口を開いた。


「えっと、公爵様……」


「ああ、気にせんでいい。心置きなく出立できるよう、少しばかり場に笑いをもたらしただけだ」


「そ、そうですか」


「ん? なんとも残念そうな顔をしているな」


「そ、そんなことはありません! 気のせいです」


「そうか、気のせいか。なら、そういう事にしておこう」


 ニヤニヤ笑うヒーサに、ルルはまともに返答できなかった。

 何とも言えない複雑な気分だと、ルルはますます頭を悩ませた。

 目の前のこの男は、文句なしの英雄であり、国一番のお金持ちだ。若くて偉丈夫、顔立ちも申し分ない最高の貴公子だ。

 それから妾にならないかと誘われれば、大半の女性は二つ返事で受け入れる事だろう。

 ルルもその口だ。自分を助けてくれた恩義があるし、公爵領で見かけるその姿にいつしか惚れ気を起こしていた。

 だが、今は違う。ヤノシュ殺害の真相の他、ヒーサ・ヒサコ兄妹が成して来た悪行を知るところとなり、素直に擦り寄るのを躊躇わせているのだ。


「まあ、そんな事は今は横に置いておこう。目の前の問題を処理しておかねば、陽気に飲んで歌って踊ってとはならんからな」


「はい、その通りかと」


 ヒーサの意見は全面的に賛成なルルではあるが、それでもやはり気が重かった。

 今し方、堂々たる決別宣言を成した兄アルベールが、敵方の陣営に加わるのだ。幸いな事に、ヒーサはアーソの人々を今回の戦では使わない事を明言し、同郷の者同士が相争うと言う場面にならないことだけが救いであった。

 覚悟を決めたつもりでいても、やはりアルベールほど確固たる意志を通すことができずにいた。

 だが、ヒーサはそんな事を察しながらも、ルルを容赦なく追い詰めた。


「時に、ルルよ、お前に確認を取らねばならん事がある」


「なんでしょうか?」


「もし仮に、戦場でアルベールと対峙した時、これを敵として戦えるか?」


 それは聞きたくもない質問であり、考えたくもない未来の姿であった。

 敵味方に分かれてしまった以上、そうなる可能性はあるし、あるいは戦場の混乱の中で、どさくさに攻撃してしまう事も考えられた。

 そして、この答えをルルは持ち合わせてはいなかった。


「沈黙は回答と見なさない。言葉にして出せ。さもなくば……」


 もはや完全に脅しであった。

 迷って答えに窮する少女にも、ヒーサは容赦しなかった。

 それに反応してか、愛玩動物になっていた黒犬つくもんからも、軽い唸り声と敵意が漏れ出し始めていた。

 さっさと答えろ。そう言わんばかりの態度だ。


「え、あ、で、ですが」


「私はお前を厚遇するとアルベールに約したが、それはあくまでお前が“有能”かつ“有益”な存在だと認識していればこそだ」


「…………」


「言っておくが、私の人物評価はかなり辛口だぞ。お前が“無能”ならば、即斬り捨てる。あるいは“有能”であっても、“覚悟”がなくても斬り捨てる。さあ、答えろ、氷の乙女よ」


 ヒーサはポンとルルの肩に手を置き、更なる回答の催促をした。

 ルルの体は小刻みに震えており、その恐怖、不安の大きさが振動と言う形で表れていた。

 ヒーサが怖い。斬り捨てると言った以上、間違いなく実行することだろう。

 表情が優しそうな笑顔のままなのが、より一層その不気味さを醸していた。

 だが、それ以上にルルにとって怖いのは、兄を手にかけてしまうかもしれないと言う恐怖であった。

 兄は覚悟を決めた。堂々とヒーサに対して真っ向からの宣戦布告を行い、そして、飛び出していった。

 ヒーサも、アルベールも、すでに刃を交える覚悟を固めており、その気になればすぐにでも戦う事が出来るだろう。

 だが、ルルにはまだそれがなかった。


「そ、その、私は……」


「もう一度言う。沈黙は回答と見なさない。心の内に溜め込まず、吐き出すがいい。言葉とは力であり、心より言葉として表に出すと、それに力が宿る。さあ、吐き出すがいい」


 ヒーサのそれはいわゆる“言霊”の話であると、ルルは認識した。

 言葉自体に力が宿り、それが効力を発揮するというものだ。

 呪詛、あるいは祝福にはそれが影響していると言われ、笑う人々の下には良い影響が、逆に悲観を吐露する人々の下には悪い影響があるとされる。

 ゆえに、さっさと吐き出せと促しているのだ。

 ルルは実力をメキメキと上げてきてはいるが、まだ少々場数が足りていないと、ヒーサは考えていた。

 実力的には申し分ないが、そうした精神的な隙がいずれ問題となるのではとも考えていた。

 それの確認の意味でも、あえて少女に強く当たり、試しているのだ。


(我ながら、きつい事だな。少女相手には本来、こういう事はしないのだが)


 敵には容赦の欠片もないヒーサであるが、友軍の、それも十六歳の少女に対しては今までにない当たりの強い対応をしているなと自嘲していた。

 だが、戦力として使い物になるかを、しっかりと見極めておかねばならなかった。

 アスプリクの代理として、術士の頭領になれるかどうか。確認をしておかねば、今後の作戦を立てようもないのだ。

 いざという場面になって使い物になりませんでは、話にならない。

 魔王との決戦が迫りつつある状況にあっては、かつてのティースに対してのような“じゃれ合い”と言うわけにはいかなかった。

 喉元まで上がって来ては、絞り出せずに嚥下する。ルルはその繰り返しだ。

 そしてとうとう、口より先に、目から涙がこぼれ落ちた。俯き、嗚咽も交えて涙があふれ出て、崩れ落ちそうになった。

 ヒーサは素早く両脇に手を回し、倒れないように支えた。


「公爵様……、私には……、私にはできません! お兄様と戦うなど、到底出来かねます!」


 ルルの口より出てきた言葉は、拒絶、否定であった。

 アルベールは覚悟を決めた。忠義と旧恩に報いるため、ヒーサ・ヒサコとの決戦を覚悟した。

 だが、ルルはそこまで割り切れないでいた。

 異なる陣営に所属した以上、あるいはぶつかる可能性がある。その可能性に、ルルは押し潰された。

 ヒーサの支えなくば崩れ落ちるほどに体から力が抜け落ち、口から漏れ出る嗚咽や、あるいは目から流れ出る涙も止まる事がない。

 ルルは完全に戦う気力を失ったと言ってもよい。

 だが、ヒーサはそれをこそ待っていた。もう、ルルの心は隙間だらけだ。触手を伸ばし、意のままに操るようにするなど、ヒーサにとっては実に簡単な作業であった。


「それがルルの選択、覚悟か。……ならば、よし!」


 ヒーサはもう一度しっかりと力を入れ、崩れ落ちそうなルルを強引に立たせた。

 そして、笑みを浮かべて頭を撫で、あるいは涙を拭った。


「ルルよ、却って安心したぞ。お前が『兄であろうと倒します』と言っていたら、逆に困っていた」


「……え?」


「当然だろう。アスプリクの場合のように、兄弟と仲が悪かったり、あるいはひどい仕打ちを受けていたわけではないのだ。お前達兄妹が仲が非常に良い事など、誰でも知っているからな。それが『兄を倒します』などと平然と言われたらどうだ? 逆に引くわ」


 ヒーサの意外な言葉に、ルルは目を丸くして驚いた。

 見開いた目で見つめるヒーサは、なぜか満足そうに頷き、そして、笑顔を向けていた。

 てっきり「情けない奴め!」とでも罵られるかと思ったら、むしろ好感触な振る舞いに困惑したほどだ。


「もし、お前がアルベールを倒すと宣言していれば、人としては軽薄であるし、妹としてあまりに薄情が過ぎる。と言って、悩みもせずに『無理です』では、考えも覚悟も足りぬ。焦り、悩み、悲しみ、その上でお前は『できない』と答えたのだ。はっきり言おう。受け答えとしては好感の持てるものだ」


 そう言って、ヒーサはルルを優しく抱きしめた。

 左腕は背に回してしっかりと力を入れ、右腕は優しく頭を撫でつつ、以前よりかは長くなった黒髪を櫛で梳くかのごとく撫でた。

 驚きはしたものの、ルルはそれを受け入れ、ヒーサの成すがままに抱かれた。

 それを見つめるのは、足元で尻尾を振る小さな仔犬のみで、誰もそれを邪魔することなく、二人は静かに抱き締め合った。

 なお、これは全部“演技”であったりする。

 どちらの解答であっても、“了”とできるような台本はすでに頭の中に用意されていたのだが、今回はたまたま拒絶、否定をルルが選択したため、そちらの方の台本を使っただけだ。

 上げて落とし、脅して優しくする。

 この緩急もまた、梟雄なりの“人たらし”のやり口なのであった。



            ~ 第十三話に続く ~

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