第五十五話 拘束! 雁字搦めのお姫様!
「アスプリク!」
悲鳴にも等しい声を上げたのはアスティコスだ。
カシンのすぐ横に映し出されたのは、縄で縛られ、さらに『術封じの枷』まで嵌め込まれたアスプリクであった。
気を失っているのか目を瞑っており、ピクリとも動かない。
「ハッハッハッ! と言うわけだ! 残念だったな、諸君! ヨシテルめ、折角この世界に召喚してやったというのに、大した成果も上げず、もどきとは言え、魔王を名乗る者の面汚しだ。だが、最後の最後で役に立ってくれたな!」
勝ち誇ったカシンは大口を開けて笑い出し、まんまとアスプリクを虜にされた一同を嘲笑した。
なんのことはない。ヨシテル討伐に注力しすぎて、消耗し切っていると知りつつも、アスプリクを単独で放置していた事が裏目に出てしまったのだ。
その点の自分の迂闊さを後悔しつつも、姪を誘拐しようとするカシンへの返礼として、アスティコスは構えていた弓から矢を放ったが、それは命中しなかった。
目の前にいるカシンは術式で映像を送っているいわば幻のようなものであり、実体はないのだ。
実際、放たれた矢は開かれたカシンの口に飛び込んだが、実体がないため、当然すり抜けた。
「良い腕前だ、エルフ女。本物なら後頭部に、もう一つ口が出来ていたところだ」
「クッ……!」
アスティコスはもう一度矢を番えようとしたが、実体のない映像には何をしても無駄だと思い直し、途中で動作を中断し、カシンを睨み付けた。
「おいおい、そんなに睨まんでくれ。何も“以前”のように取って食おうというわけではないぞ。抱き心地は面白みに欠けるからな、この娘は」
「下衆が……。アスプリクに変な事してごらんなさい! タダじゃ済まないわよ!」
「それは保証しかねるなぁ~。お前らをおちょくる格好の材料であるし、なんなら今すぐこの場でこの白百合を手折ってやろうか?」
そう言うなり、カシンは手を伸ばし、気絶しているアスプリクの頬に指を這わせた。
そして、何度か突いたり、撫で回した後、その指を襟に引っかけ、口の端が吊り上がるほどの悪意ある笑みを浮かべ、アスティコスを見つめた。
この場でひん剥いてやろうかという意思表示であり、当然それを察したアスティコスの怒りは天井知らずで上がっていった。
「さっさとアスプリクを返しなさい! その子が魔王じゃないっていうのなら、あなたには用がないはずでしょ!?」
「まあ、それはそうなのだが、用はなくても意味はあるのだよ。例えば、君らの最大戦力を拘束しておけば、戦術に大きな変更を加えねばならないからな」
カシンの指摘は間違いなかった。
アスプリクは王国最強の術士であり、その戦力はたった一人で兵士千人分を優に超えるとさえ言われていた。
いるといないのとでは戦力に大きな開きがあり、それが敵に捕らわれたとなると、その戦力的な損失は計り知れないのだ。
だが、ヒーサはあくまでも冷静であった。
カシンの言葉を聞くなり、鼻で笑ってみせたのだ。
「と言うのは建前で、アスプリクに何かをさせるつもりなのだろう?」
「ほう……。その根拠は?」
「取って付けた言い訳がましく言い放った言葉がだ。こちらの戦力低下が狙いであるならば、わざわざ生け捕らずに、その場で始末しておいた方が確実だ。人質にすると言うのであれば、それは意味を成さない。私がどういう人間かを知っていれば、なおの事な」
「ひどい男だな。お前を何より慕う幼気な少女が人質に取られたというのに、眉一つそれを見捨てるというのかね?」
「見捨てるのではない、“斬り捨てる”のだ」
本当に顔色一つ変えずにヒーサは言い切った。
それを横で聞いていたアスティコスは、「正気なの!?」と言わんばかりに目を丸くして振り向いた。
それも無視して、ヒーサは更に口を開いた。
「カシンよ、お前はアスプリクの事を全く理解できておらんようだな」
「と言うと?」
「その娘は私の惚れている。同時に“失望”されて、棄てられる事も恐れている。ゆえに、私に迷惑をかけるくらいなら、自分の不甲斐なさで負けてしまうくらいなら、いっそ自害してしまおう。そう考えるくらいにまで、ちゃんと“仕込んで”おいたからな」
「八百長の布石かね?」
「お前のせいで台無しになったがな」
ヒーサの本来のやり口は、アスプリクが魔王に覚醒することを想定し、魔王と化したアスプリクと八百長を目論んでいた。
のんびり異世界生活を満喫するため、“英雄”である自分と、その自分に惚れている“魔王”と結託し、戦っているふりをして、長らく楽しもうと目論んでいた。
ところが、そんな明るい未来計画もカシンの真の目的を知るに至り、その計画は破綻してしまった事を確信した。
だが、アスプリクがヒーサに惚れ込んでいるという事実は残っているため、その点では色々と利用価値があった。
なお、アスティコスに言わせれば、ヒーサもカシンも同じ“クズ野郎”だ。
できればどちらもお断りしたいとは言え、命の危険がないヒーサの方がマシと言う、嫌な取捨選択を迫られる事に頭痛を覚えていた。
「それで、お前が私に負けず劣らず“ちょっと”面倒臭い奴なのは知っているが、本当にこの娘を見捨てるかね?」
「いざとなれば、そのつもりだ。助けられたら助ける、くらいだな」
「アスプリクが聞いていたら、きっと“失望”するだろうね」
「私に失望する前に、自分に“絶望”する。アスプリクとはそういう娘だ。なにより、お前に怒りの炎をぶつけるのが先だ」
「だろうな。だが、『術封じの枷』はしっかり嵌めている。王国最強の術士も、ただの小娘だな」
これ見よがしに、カシンはアスプリクを縛る縄や枷を見せ付けてきた。念入りに封じ込めの術式が編み込まれており、一切の術式が封じられているのが一目で分かるほどだ。
仮に目を覚ましたとしても、アスプリクの細腕ではどうする事もできそうになかった。
「ん? おい待て。アスプリクは戦闘用の法衣を着ていたはずだが、それはどうした?」
「もちろん脱がせたに決まっている。万が一にも、封印の術式を撃ち破って、拘束具が破損してしまってもいかんからな」
「誰が脱がせた?」
「もちろん私だ。相変わらず、見ごたえのない肢体であった」
「だそうだ、アスティコス。もう手遅れだったようだぞ」
またしてもアスプリクを汚されてしまった。取って食われたと言うわけではないが、乙女の柔肌を仇敵に晒し、覗かれるという許し難い状況が行われた。
そう考えたアスティコスは無言のうちに再び矢を放った。
狙い違わず心臓を撃ち抜いたが、当然ながら映像であるため、そのまますり抜けてしまった。
「ぶち殺すわよ! 一度ならず、二度までもアスプリクを辱めるなんて!」
「怒るな、女エルフ。別にこんな小娘には興味はないと言っているだろうが」
「だったら、返しなさいよ!」
「断る。欲するのであれば、取り返しに来ることだな」
「貴様ぁ!」
更なる射撃を加えるべく、再びアスティコスは構えようとしたが、そこはヒーサに止められた。
当たらぬ矢を撃ったところで意味はないし、なにより話が進まないからだ。
「さて、少し話が外れてしまったが、アスプリクを攫う理由はおおよそ分かる」
「それは?」
「アスプリクの持つ膨大な魔力が必要なのだろう? アスプリク以外の奴を魔王にすると言うのであれば、それを目覚めさせる“気付け薬”がいる。それがアスプリクだ」
「ほう。それに気付くとは、やはり大した思考力だな、お前は」
カシンは素直に感心し、小馬鹿にした態度を見せつつも拍手をヒーサに贈った。
「アスプリクやマーク以外の個体で魔王を復活させようとした場合、適性値が低くて上手くいかない。それを補う意味で、アスプリクの魔力を使おうと言うのだろう?」
「その通り。アスプリクめ、一向に闇落ちしそうにない。それもこれもお前に惚れているし、“家族”という余計な繋がりがあるためだ」
「私の嫌がらせが効いてきたようだな。魔王との八百長どころか、魔王への覚醒を押し止め、魔王討伐をいつまでも先延ばしにしてしまう、という嫌がらせをな」
「余計な事をしてくれたよ、まったく。だが、別の手段が見つかった」
そう言うと、カシンはニヤリと笑い、もう一度アスプリクの顔を撫でた。
「まあ、今は部下に復活の儀式は任せているが、如何せん効率が悪すぎる。このままでは、“別の手段”を成すのにかなりの時間を要する。だが、アスプリクの魔力であれば、話は別だ。本来はこやつが魔王の器であるし、魔王を覚醒させるのに必要な魔力を得るには、質、量、相性、どれも申し分ない」
「時間短縮のための、アスプリクの拘束か」
「そうだ。手早く事を成すのには、必要というわけだ。まあ、時間の事さえ考えなければ、必須と言うわけではないが、やはり仕事は迅速でないとな」
そして、カシンはティースの方を向き、これまた醜い笑顔を作った。
「感謝するよ、カウラ伯爵ティースよ」
「え? 私?」
「ああ、そうだ。君のおかげで、アスプリクでも、マークでもない、他の者を魔王に覚醒する手段を得たのだ。本当に感謝する。もう、わざわざ“闇落ち”を待つ必要すらなくなった」
はっきりとそう言われ、ティースは狼狽した。
自分が何かしでかしたのだろうか。考えに考えたが、特に思い当たる事柄がなかった。
自然と視線は夫ヒーサの方を向いて、無言の助けを懇願していた。
「まあ、お前がやった“何か”が、カシンの眼鏡に適ったということだ。ああ、何と言う事だ! 嫁の不始末で世界が滅びるとは! 後で説教な。カシンに加担した罪を、じっくり取り調べてやるとしよう」
「って、絶対スケベな意味で言っているでしょ、それ!? ……じゃなくて! ち、ちょっと待ってください! 何のことだか、本当に思い当たらないんですけど!?」
ティースはますます焦った。
自分が魔王覚醒に関わる事に、何か重大な変化をもたらしたという事だが、本当に何のことだか分からなかったのだ。
困惑するティースを見ながら、カシンは薄ら笑いを浮かべるだけであった。
~ 第五十六話に続く ~
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