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第十三話  女伯爵はむっつりだ! ならば公爵はあけすけだ!

 王都ウージェにあるカウラ伯爵家の上屋敷、その応接室には三人の人物がいた。その館の主人であるカウラ伯爵ティース、その夫となるシガラ公爵ヒーサ、その侍女たるテアだ。

 二日後には夫婦となるヒーサとティースではあったが、顔を会わせたのはこれが初めてで、それなりに緊張と、あるいは緊迫した空気が漂っていた。

 ただし、その気配を発しているのはティースのみであった。

 さすがに、夫となる者との初対面とあっては緊張はするものだ。一連の事件の黒幕ではとも疑っており、言葉や態度にも慎重にならざるを得ないからだ。

 そうした複雑な感情がティースの中で渦を巻いていた。

 だが、それも徐々にだがほぐれてきた。理由は目の前にあるドレスのためだ。

 ヒーサが言うには、父ボースンが公爵家の屋敷に訪問した際に、持ち込んだ品だそうだ。結婚式のために密かに用意してくれていたのだろう。

 艶やかな赤に、見事な刺繍と、さらには宝石まで散りばめた見事な逸品である。娘の新たな門出にと、特に奮発して用意してくれたのだろう。そう考えると、ティースの目には涙があふれんばかりに溜まってきた。

 だが、涙は流せない。伯爵家の当主たる者が、いくら夫となる者の前とはいえ、泣きじゃくる姿を晒すわけにはいかなかったからだ。

 グッと堪え、そして、ティースはドレスを元の木箱に戻し、席に腰かけてからヒーサに視線を移した。


「まずはわざわざ届けてくださいましたことを、お礼申し上げます」


「お礼を言うのは、私ではなく、御父君だな。このような素敵な衣装を用意してくれたのだ。余程、娘のことが可愛くて仕方がなかったのだろう」


「おっしゃる通りです。不肖の娘として、色々と迷惑をかけてしまいました。親より受けた恩を返せぬのは、心残りではございますが・・・。いえ、こちらがそれを言うのは不適切でありましょうか」


 嵌められたとは言え、父ボースンがヒーサの父マイスと兄セインに毒キノコを食べさせたのは事実なのだ。それを差し置いて、親をどうこう言うのは、さすがに気が引けてしまった。

 しかし、ヒーサは特に気にもかけず、笑顔で返してきた。


「どういう状況であれ、親を失うのは悲しい事だ。親が死んで悼まぬような、そんな心のない人間が花嫁でなくてよかったよ」


「お気遣い感謝いたします」


 礼儀正しく温和な態度。聞いた噂と実像が、ここまで近い人物もなかなかいないであろう。

 それだけに、疑惑が尽きない。今回の一件で一番利益を得ているのは、間違いなくヒーサなのだ。上手く擬態しているのか、あるいは偶然の産物なのか、まだ判断の下しようがなかった。


「……ときに、ヒーサ様」


「様はいらないよ。ヒーサと呼んでくれ。そのかわり、こちらもティースと呼ぶことにする」


「はい。では、ヒーサ、率直にお尋ねしますが、私の父に恨みはないのですか?」


 これについては、はっきりと聞いておきたかった。今後の伯爵家の扱いや、自身の安全にかかわる内容だからだ。悪い印象を持たれたままでは、いつ不利な措置を取られるか分からないため、修正できるのであれば修正しておきたいのだ。

 しかし、そんなティースの心配を他所に、ヒーサは首を横に振った。


「全くないと言えば嘘になるだろうが、《六星派シクスス》の関与が疑われている以上、そちらに気を取られてしまってね。特にこれと言った悪感情は抱いてない」


 ヒーサの言葉には嘘はない。なにしろ、今回の暗殺の最大の功労者は、他でもないボースンであるからだ。ボースンが毒キノコを受け取り、美物として公爵家に持ち込んだからこそ、他の案件もすんなりいくことができたのだ。

 もちろん、他の方法で毒キノコを食べさせる策もあったが、これが一番楽だと考えて実行し、しかもぴったりとはまった格好なのだ。

 ゆえに、ヒーサにとってはボースンは恩人にして協力者であり、悪感情など抱くはずもないのだ。


「そうですか。そう言っていただけるのでしたら幸いです」


 ティースとしてはひとまずは安心した。言葉を全部鵜吞みにはできないが、少なくとも悪く思っている感じはせず、伯爵家の人々に無体な仕打ちをすることはなさそうだと感じた。


「まあ、それよりも、ティースには詫びねばならぬことがある。先日の御前聴取の席で、ヒサコが随分と君に失礼な発言を何度もしてしまったようだね。この場を借りて詫びさせてもらおう」


 そう言うと、ヒーサは頭を下げ、謝意を示した。

 これにはさすがにティースも目を丸くして驚いた。いくら公式の場ではないとはいえ、明らかに格下の相手に謝罪をするなど、まずもって有り得ないからだ。


(礼儀正しいうえに、随分と腰が低い。とても公爵とは思えないわね)


 ともすれば卑屈な姿にも映りかねないのに、頭を下げての謝罪である。噂通りの温和な性格なのだと、ティースは痛感した。

 もっとも、ヒーサは元々は公爵の位を継ぐべき立場にはなく、医者として人々を癒す職に就く予定であったのだ。貴族としてよりも、医者としての気質が強いのかもしれない。物腰柔らかな姿勢には、ティースも好感を覚えた。


「・・・ヒサコ、の答弁の数々は、ヒーサがご指示されたものではないと?」


「ああ。体調を崩して代理に出てもらう際に、『真実のみを告げよ。礼を失する真似はするな』と言い含めておいたのだが、どうも尖った性格でな。ティースも見たであろう、あの御転婆者の暴れっぷりを」


 それについては、ティースは十分すぎるほどに堪能していた。ずる賢くて計算高く、相手のことを見透かしたかの如くなぶり、悪辣と言う言葉があれほど似合う貴族令嬢は他にいないであろう程、性格が捻じ切れていた。


「あれはいわゆる庶子と言う奴でな。公爵の娘として生を受けながら、つい最近まで屋敷に入ることすら許されず、領地の片隅で過ごしてきたのだ。何かしらの訳ありの娘だとは思っていて、幼少期から多少の付き合いはしていたのだが、腹違いの妹だと知ったのはつい最近なのだ」


「なるほど、それであんなに性格が・・・、っと、失礼しました」


「本人の前では言うなよ。後でどんな仕返しが来るか、知れたものではないぞ」


 なお、“本人”にはばっちりと聞かれているが、ヒーサとしては特に何かするでもなく、ティースの渋い顔を見て笑うだけであった。


「そんなわけで、私には多少懐いてくれているようだが、性格はまあ、自由奔放と言うか、傍若無人というか、とにかく勝手気ままな奴でな。すぐにへそを曲げて、引き籠ったり、どこかへ飛んで行ったりするのだ。今もティースに詫びを入れさせるために一緒に訪問しようと思ったのだが、二、三説教したら拗ねてしまって、部屋に閉じこもってしまった。妹に代わり、重ねて詫びよう」


 ヒーサが再び頭を下げた。こうも首を垂れる貴族というのも珍しいなと、ティースは思った。やはり貴族と言うよりも、医者として生きていた方がよかったかも考え始めた。


「まあ、その、詫びと言っては何だが、少々厚かましくもあるが、これを受け取ってくれ」


 ヒーサが後ろに控えていたテアに視線を送ると、テアは前に進み出て、持っていた木箱を机の上に置いた。そして、その蓋を開けると、そこには金貨銀貨がぎっしりと敷き詰められていた。


「ヒーサ、これは……」


「ドレスが手に入ったとはいえ、他にも色々と金を使うことはあるだろう? 特に、人手不足が深刻なようだし、口入屋に頼んで臨時雇いでも入れるといい」


 まるでこちらの窮状を知り尽くしていたかのような用意の良さに、ティースは感激すると同時に、なにか背筋にひんやりとしたものを感じた。


(そうだ、この感覚だ。ヒサコの気配に似ている。何でもかんでも見透かして、それでいてスルリと入り込んでくる感じ。まあ、ぬくもりを感じさせるヒーサに対し、鋭い刃物のようなヒサコ、対照的な感じではあるけれど・・・。そう、突き出た幹は別方向でも、根っこの部分が繋がっている、みたいな)


 ティースが感じたのは、兄妹どちらも“切れ者”だということであった。少なくとも、どちらが相手であろうとも、知恵比べは極力避けるべきだと感じた。


「ヒーサ、心遣いは嬉しいのですけど、お断りさせていただくわ」


「必要なはずなのに、受け取らないのは非合理的だね」


「貴族のメンツは、合理性で語られるものではないわ」


 貴族は家名や体面を重んじるものだ。こうもあからさまに“施し”を受けることを、ティースはよしとしなかったのだ。

 この程度の難局を乗り越えなくては、カウラ伯爵家の名が廃る。一時消えることになろうとも、復活を果たすために、家の矜持すら失っては、成すべきも成せぬのではと強く思えばこそだ。

 だが、それを理解してか知らずか、ヒーサは箱をさらにティースの方へと押し出した。


「その理由付けで受け取りを拒否するのであれば、私のメンツのために受け取ってもらわねばならない。私は自分の花嫁を、未来の公爵夫人を、なにより気高き伯爵たる御令嬢を、みすぼらしい姿で人前に出すつもりはないよ」


 優しくもあり、そして、強い意志を感じる視線に、ティースは思わず心打たれた。自分の矜持も大事であるし、家名を汚すなど以ての外だ。だが、それは同時に目の前のヒーサにも当てはまるのだ。

 表面的には、ヒーサの父マイスはティースの父ボースンに毒を盛られたことになっている。無論、ティースとしては嵌められたとしか思っていないが、ヒーサの感情はまた別だ。少し前まで危うくすれば、戦争にすらなりかねない緊迫した情勢であったのだ。

 だが、ヒーサは堪えた。最悪の事態を避けるため、激高する家臣を宥め、軍を動かさず、話し合いでの解決を図った。

 そう考えると、自分のなんと浅慮なことかと、ティースは恥じ入った。

 なにより、伯爵家と自分への配慮も行き届いている。“妹”のこと以外は、完璧と言ってもいいほどに気を遣ってくれているのだ。


「……分かりました。謹んで受け取らせていただきます」


 ティースは頭を下げて礼をすると、箱を閉じた。これだけの額の金銭があれば、式に関しては何とかなりそうだと、ホッと一息ついた。


「返せるあてはありますが、少しばかり時間がかかるかもしれません。その辺りはどうかご容赦くださいませ」


「ああ。なんなら、体で払ってくれてもいいぞ」


 さらりと言ってのけたので、ティースにはヒーサの発した言葉の意味を理解するのに時間を要した。そして、言葉の意味を理解すると、顔を真っ赤にした。


「な、何を言っているのですか、あなたは! いくら夫婦になると言っても、口にしていい事と悪い事があるのですよ!」


「口にしてはいけない事だったかね?」


「当然です!」


 赤面しつつ、怒りをあらわにするティースであったが、ヒーサはそれを軽く流し、席から立ち上がると、ティースのすぐ真横に立った。

 そして、ティースの手首を掴み、軽く捻ると、そのてのひらを確認した。

 それは、貴族令嬢とは思えぬほど、ゴツゴツして硬かった。


「やはり思った通りだ。相当武芸を嗜んでいると聞いていたが、これがその証か」


 硬い手をジッと見られて、ティースは少し気恥しくなった。

 剣術、弓術、馬術と、鍛錬を怠ったことはない。貴族令嬢ならやっていそうな舞踊や音楽などには興味を示さず、野山を駆け、兵士達に混じって鍛錬するのが楽しかったのだ。

 今は国としては平和であるが、何かあった際の備えはしておきたい。野蛮な帝国の侵攻や、あるいは魔王の復活、いつかは起こるかもしれない災厄に、ティースはずっと備えてきたのだ。

 無駄になる可能性の方が、遥かに高かったが。


「私は武芸に関しては、それ程自信がなくてね。ティースに護衛にでも付いてもらおうかと考えていた」


「あ、そういう意味でしたか」


「しかし、目の前の淑女は“口にしてはいけない”事柄だと、勘違いされてしまったようだ。ああ、嘆かわしいかな」


 わざとらしい大仰な嘆きを見せつけ、ティースは茹で上がったかのように顔をさらに赤くした。


「ティースは“むっつりすけべえ”という奴だね」


「紛らわしいことを言うからですよ! そういうヒーサは何なんですか!?」


「あえて言うなら“あけすけすけべえ”かな」


 堂々と言い放つヒーサであったが、控えているテアはそろそろ限界らしく、手で口を抑えて笑いを堪えるのに必死であった。


「ああ、そちらの方も大丈夫だよ。ティースに失礼のないように、侍女で練習しておいたから、ご満足いただけるように努めさせていただくよ」


 ヒーサの一言に、とうとう限界を突破した。テアは思いっきり噴き出し、笑いながらもむせ返し、どうにか鎮まろうと、呼吸を整えて気持ちを落ち着かせようとした。

 当然、その醜態に二人の視線が突き刺さった。


「・・・ハッ! まさか、御前聴取でヒサコが言ってた、失神した侍女って」


「私じゃないですから! 私じゃないですからね! 他の侍女ですから!」


 テアは大慌てで否定した。危うくそうなりかけたが、寸止めで事なきを得ていた。


「あぁ~、テアにも練習台になってもらおうと思ったのだが、拒否された挙句、投げ飛ばされてしまってな。残念ながら、そいつは奇麗なままだ、多分」


「多分じゃなくて、奇麗なんです!」


「そうか、ではそのうち汚してやろう」


 あまりに“あけすけ”な会話に、ティースはついていけず、どう反応するべきか迷った。恋人同士でのやり取りでも、主従のそれでもない。なんとも表現しがたい何かを、二人の間に感じ取った。

 取りあえずは、咳払いをして、二人のこちらの世界に呼び戻した。


「おっと、いかんいかん。淑女の前でするべき会話ではなかったな」


「ええ。まったくもってその通りです。妻になる者の前でイチャイチャするのは感心しません」


「そうだな。ティースもようやく妻になってくれることを了承してくれたしな」


「あ・・・」


 いつの間にか完全に会話のペースを握られ、夫婦になることを了承している自分が、今ここにいた。つい先程までは警戒に警戒を重ねていたというのに、すっかりほぐされてしまった。


(不思議な人だわ。今までに会ったことのない・・・。型破り、ううん、常識はずれ、でもない、表現できる言葉がない)


 ティースはすっかり目の前の男に興味を持ってしまった。もっと知りたい、もっと深めたい、なんとも不思議な感覚に心が染め上がっていた。


「さて、あまり長居をしてはいかんな。互いに忙しい身の上だ。今日はここらで帰るとしよう」


 そう言うと、ヒーサは掴んだままだったティースの手を自らの口に寄せ、手の甲に口付けをした。

 生まれて初めての行為に、ティースは気恥ずかしさを覚えたが、同時に感じたことのない高揚感も含まれていることに気付いた。

 もうすぐ、この男と夫婦になる。優しくて、気が利いて、聡明で、申し分ない男性であることを知ることができた。たまにからかってきたり、好色だったりする点でさえ、御愛嬌というものであった。

 にこやかな笑みと共に去っていったヒーサの背を見送り、わずかに残る手の温もりに、思わず頬を摺り寄せた。

 幸せそうなティースには気付きようもなかった。梟雄の口から飛び出した“大徳”という猛毒が、すでに心を犯し始めていたことを。



           ~ 第十四話に続く ~

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ヾ(*´∀`*)ノ

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