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第九十三話  救出せよ! たった一人の家族のために!

 夕闇が広がり始めた頃、それは前触れもなく響き渡った。


「ワォォォォォン! ワォォォォォン! ワォォォォォン!」


 どこからともなく三度続けての犬の遠吠え。

 それが“合図”であった。


「よし、行くわよ!」


 王宮の城門付近で待機していたティースは、周囲にいた面々に言い放つと、了解したと頷いてそれぞれが応じ、一斉に物陰から飛び出した。

 城下の住人のふりをしていたため、揃いも揃って軽装だ。衣服の下に鎖帷子チェインメイルと、手には剣か、あるいは短筒ピストルといった感じだ。

 なにしろ、変装して潜伏していた上に、嗅ぎ付けられぬよう城下町に運び入れられた武装はかさばらないものばかりであり、これが精いっぱいであった。


(でも、完全に奇襲が決まった! これなら!)


 王宮の門番の反応を見て、ティースは確信した。

 現在、武装蜂起クーデターのため、王宮付近で合図を待っていたのは、シガラ公爵家の兵士ら約三百名であり、それが一斉に王宮に向かって突っ込んだ。

 王宮は王都の中心を流れる川の中州に建てらており、川が天然の堀となり、また強固な城壁も備えているため、普通に攻め込んでいてはまず落とせない、というのがヒーサの見立てであった。


「ならば、奇襲を仕掛け、橋が上がる前に城内に突入してしまえばいい」


 それがヒーサの立てた作戦であり、それをティースが実行中であった。

 中洲の上にあるため、侵入するには両岸に通じる二つの吊り橋のいずれかを通らなくてはならない。

 そして、“今日だけ”は橋が一日中下りており、その突入の機会があった。

 と言うのも、現在王宮内においては、今回の王都での騒乱の審議を行うため、大広間にて裁判が開かれていた。出席する者は教団関係者、事件当初から王都にいた貴族などその数は多く、聴衆の数は注目度に比して多かった。


「いちいち橋を上げ下げしたら時間もかかるし、審議中は下ろしたままでいいぞ」


 こう指示を出していたのは、裁判の警備主任になっていたコルネスであった。

 この奇襲の最大の問題点は、“突入時に橋が下りているかどうか”だ。広間の情報は現場にヒーサがいるため確認を取れるが、橋の状態はどうすることもできない。

 そのために、コルネスを抱き込んで自陣営に引き込んだ。橋が常時下りているということは、内部の状況次第でいつでも突入できるのである。

 あとは、両岸からの同時奇襲攻撃を成功させるため、それぞれの部隊にヒサコとティースを配し、さらに突入の合図を“三連続の犬の遠吠え”としておき、屋根の上で広域の索敵を行っている黒犬つくもんを使えば準備万端だ。

 そして、黒犬つくもんの遠吠えと同時に、ティースは吊り橋に向かって駆け出した。


「な、なんだ!?」


「押し通る!」


 ティースの気迫の声に押され、なおかつ百数十名によるいきなりの一斉突撃である。しかも、二方向からの同時攻撃だ。

 吊り橋付近にいる警備の兵だけではとても足りず、勢いに押されて仰け反る有様だ。

 あっさりと橋を駆け抜け、城内への突入に成功した。


「予定通り、兵の詰め所と、指定された地点を押さえ、兵の増援を断て! 残りは大広間に!」


「「「ハッ!」」」


 ティースの指示に、部隊の一部が離脱した。これもすべて予定通りの行動だ。

 城内の見取り図はすでに調査済みだ。コルネスからの情報に加え、黒犬つくもんを使って事前に調べており、これも突入の際には大きな助けとなった。

 すでにその見取り図は各小隊に配布しており、それぞれの役目に応じてどう動くべきか、城内の地図と共に頭に刻み込んでいた。

 ティースは脇目もふらず、ただひたすらに大広間を目指した。

 完全に奇襲が決まった状態で、百名からなるティースの部隊に、警備兵やあるいは他の宮仕えもどうしていいか分からず、指を咥えて見ている状態だ。

 本来なら、ここで警備担当のコルネスが素早く兵をまとめ、これを押し止める役目なのであろうが、“なぜか”コルネスは気絶しており、その指示が飛ばせない状態になっていた。

 個々の小部隊では、一丸となって突き進むティースの部隊を止めることができず、弾き飛ばされるのがオチであった。


「ティース!」


 廊下を走り抜けるティースに誰かが声をかけてきたが、聞き覚えがあるものの、その姿を確認することはできない。

 ただ、一匹の黒い仔犬がいるだけだ。


「……ヒーサ?」


「そうだ。緊急事態だ」


 構わず廊下を走っているティースだが、並走する仔犬から“最愛(?)の夫”の声がした。


(使い魔! てか、まだ手札を隠していたの!?)


 目の前の仔犬自体には見覚えがあった。ヒーサが飼っている犬であり、首輪もつけずに自由気ままな放し飼いにしているのを公爵領で目撃していた。

 まさかそれが使い魔の類であったとは知らず、それを持っているという事はやはり夫は術士か、あるいはなにかしらの術具を所持していると判断した。


(でも、その伏せていた札を晒してきたってことは、何かあったってことよね!?)


 ヒーサが慎重かつ狡猾である事は、ティースもよく認識するところであった。

 それだけに秘していた存在を表に出してくるほどの事態が発生した、そう認識できた。


「で、状況は?」


「まずいことになった。このまま大広間に突入した後、まずはマークの身の安全を確保しろ!」


「え!? マークの!?」


 今度はティースが奇襲を食らった。なにしろ、ヒーサが告げてきた指示は、台本に書かれていない内容であったからだ。

 マークは本来の予定では、ティースと突入する事になっていた。

 ところが、ヨハネスが審議の場に現れないことから、どこかで足止めを食らっているとヒサコが判断。その救出のために別行動を取る事になってしまった。

 救出作戦自体は成功したようで、ティースは物陰からマークとヨハネスが黒い大きな馬に跨り、城内に入っていくのを目撃していた。

 その後に何かあったことは明白であった。


「はっきり言うと、マークは今殺されかけている! とにかく急げ!」


「…………! 分かったわ、とにかく急ぐ!」


 今回の作戦自体、かなり破天荒かつ強引だとティースは感じていた。

 内通者や事前の準備など、相変わらずヒーサとヒサコの手管には驚かされているが、結局やる事は奇襲で無茶苦茶に引っ掻き回し、どさくさに紛れて玉座を分捕るということなのだ。


(私とヒサコが武装した兵と共に広間に乱入。で、ヒサコは次期国王になる“息子”を抱えて、そのまま玉座に座る。そして、居並ぶ意を通じた面々で新国王に拝礼し、拝礼を渋る輩には銃で脅してそれを促す。うん、凄い強引かつ、後味の悪いやり方だわ)


 後々面倒にならないかと心配しないでもなかった。無論、ヒーサを案じての事ではなく、母と名乗れぬ奪われた息子に対してだ。

 しかし、今はそんなことなどどうでもよかった。

 指一本触れていないため、いまいち全面的な感情移入ができない息子の事よりも、自分に残されたたった一人の“身内”が危機に瀕しているのだという。

 ならば、助けねばならない。何に先置いてでも。

 ティースの走りは一段と速まっていった。


「ロドリゲス猊下! マークを殺す事だけはなりません!」


 まだ少し距離はあったが、目指す広間の方からヒーサの声が飛んできた。

 本当に危機的状況にあるようであるし、しかもマークを殺そうとしているのが以前ボコボコにしてやったロドリゲスらしかった。


(クッ、あいつか! 以前の腹いせに、マークを殺すつもり!?)


 まだ現場の情勢ははっきりと掴めてはいないが、ティースはそう判断した。

 ロドリゲスならば、マークを殺そうとする動機はあった。以前、公爵領にロドリゲスが訪問した際、ナルとマークがロドリゲスを締め上げたことがあり、それを恨んでいても不思議ではないのだ。

 そして、どういうわけか逃げまどう裁判の聴衆を押しのけ、ティースは広間に突入した。

 そこでティースの視界に飛び込んできたのは、すでに足を斬られて床に転がっているマークであり、その付近にいるヒーサ、ヨハネス、ロドリゲスの姿であった。

 

「ロドリゲス猊下! マークを処断することはなりません! どうかご寛恕の程を!」


 ヒーサの発したこの一言だけで、ティースが動き出す動機としては十分だった。

 従者を助けるため、剣をしっかりと握り、ロドリゲスに突っ込んだ。


「お前かぁ! マークを殺そうとしたのは!」


 突然の乱入者に、何が何だか分からないロドリゲスは狼狽したが、そんなことはティースには関係がなかった。

 マークが殺されようとしている。その相手はロドリゲス。

 そう判断したからこそ、迷いもなく一気に突っ込み、その勢いのままにロドリゲスを剣で突き刺した。

 腹から入った剣はそのまま背中に抜け、致命の一撃なのは明らかであった。

 こうしてティースは従者を守るため、枢機卿殺害と言う罪を犯すこととなった。

 それが横に静かにほくそ笑むヒーサ誤誘導ミスリードだと知らずに。



           ~ 第九十四話に続く ~

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