第六十九話 取り戻せ! 輝ける未来はお前のもの!
「王国を、乗っ取るですと!?」
ヒーサより発せられた言葉は、コルネスを驚かせるのに十分であった。
あまりのことに思わず腰に帯びていた剣に手が伸びそうになったが、背後からの手が柄に手を置き、その動きを制した。
一切気配を感じさせず、ビクリとして後ろを振り向くと、そこには少年が一人立っていた。
「お静かに。“交渉”の席での刃傷沙汰は、どうかお控えください」
グサリと臓腑を抉るような冷ややかな台詞であり、コルネスはそれに従わざるを得なかった。
ちなみに、この少年はティースの従者マークである。コルネスが天幕に入ると同時に背後に回り込み、万が一にも逃げないように備えていたのだ。
完全な不意討ちであったため、コルネスはすっかり委縮してしまった。
歴戦の将軍と言えど、暗殺者相手では普段と勝手が違う上、その気になればいつでも殺せる状態にある相手には、迂闊な真似などできはしなかった。
「あぁ~、よせよせ、マーク。彼は大事な客人だ。脅すのは良くない」
ヒーサは良くないと笑顔で少年を窘めたが、目は笑っていなかった。
その気になればいつでも殺るぞと、服の下から刃物をチラつかせた格好だ。
そこにティースが手で合図を送り、マークは主人に一礼してから、コルネスの背後に立った。あくまで、入口を塞ぎ、逃げられない様にするためだ。
交渉と言いつつ、その実、これは“脅迫”に近かった。
「まあ、少々表現に問題があったか。むしろ、正当なる王位の継承と言うべきかな? なにしろ、ヒサコが産んだのは“第一王子の子”だからな。現国王とは直系の孫にあたる。継承の資格はある」
理屈としては、ヒーサの言は正しい。ヒサコとアイクの間に生まれた子供であれば、継承権が付与されるのは間違いない。
ただし、それが“真実”であればの話だ。
(そう。ヒサコ殿の奮戦ぶりは凄まじかった。しかもあれを身重の状態で成したのだ。皆が聖女と称えるのも頷ける。私もその一人だ。だが、本当に身籠っていたのか!?)
冷静に考えて、身重の女性が戦場で縦横無尽に駆け回り、敵地深くで戦い続けるなど、そんなことができるのか、という疑問に行き付くのは当然の帰結であった。
ヒサコの才覚は凄まじい。その点はあの戦いぶりを見た者なら、誰もがそう思う。
しかし、腹の中の子供の件は別だ。
一見、別件と思しき点と点であるが、考えてみれば、それを繋ぐ線も見えてくる。
(そう。都合の良すぎるヒサコ殿の男児の出産、暗殺された宰相閣下、暗殺の下手人を匿う公爵。そして、ヒサコ殿はシガラ公爵家の一員。そう、この一連の流れは、《六星派》の陰謀に見せかけた、シガラ公爵家による簒奪劇ではないか!?)
少なくとも、これまでの事象から、コルネスはそう判断した。
事態があまりにも、シガラ公爵家にとって都合の良すぎる展開ばかりであるからだ。
ヒーサの余裕の表れも、王位簒奪の計画が予定通り推移しているからではないか、という疑念があった。
しかし、そう考えると、別の疑念も浮かび上がる事となった。
(しかし、こうして詰問しに来ているというのに、随分と神妙な様子だ。普通、謀反だ、反乱だという事態になったら、抵抗するのではないか? あるいは、私を人質にするとか……。にも拘らず、落ち着いている。と言うか、いちいちバラさなくていい簒奪まで示唆した。つまり、これは“交渉”、あるいは“勧誘”ということか!)
そうなると、色々とマズい事になるとコルネスは考えた。
すでに退路は断たれているので、殺すなり、あるいは無理やり従わせることにはなるだろう。
つまり、自分の運命はほぼ決したと判断して、あとは交渉の内容次第だ。
「公爵閣下、お聞きしても?」
「なんなりと」
「いったい何をお望みなのですか?」
「ん~? 含意の多い質問だな。まあ、取りあえずは、今回の騒動において、私自身の身の潔白を証明する事と、アスプリクの赦免だな」
「前者は証明できれば可能ですが、後者は絶対に不可能です」
コルネスはきっぱりと言い切った。
ヨハネスの予想を信じるならば、アスプリクは仕込まれた酒を掴まされ、それをジェイクに差し出してしまったのが暗殺事件の真相と言うことになる。
その点では、情状酌量の余地はまだある。
だが、そこで大人しく捕まって弁明を機会をふいにした上に、逃亡中に王都の一角で守備隊と戦闘状態に入り、十数名を周囲の建物ごと焼き払ってしまっている。
これは決して軽い罪ではない。火炙りを命じられても、当然と言えば当然なのだ。
「無茶を通すと言うのは理解している。それゆえの“簒奪”だと言うのだ」
「法を恣意的に運用なさるおつもりか!?」
「特赦、というやつだよ。アスプリクをアーソに送り、皇帝と戦わせる。見事討ち取れば赦免、無様を晒せば改めて処刑台送り、という感じでな」
「懲罰部隊、というわけですか」
懲罰部隊。それは何かしらの犯罪行為を犯した者達で編成された部隊であり、危険な任務を与えられる特殊な部隊の事だ。
任務を達成すると、刑期の短縮や赦免が認められているので、牢屋でくすぶっているよりはマシと判断して、参加を願い出る者もいる。
なお、それだけに危険な任務が割り振られ、大抵はろくな結果にならないことが多い。
「ジルゴ帝国との戦いにおいて、戦功を上げて、罪を帳消しにするというわけですか」
「そうだ。それ以外、アスプリクの赦免を叶える手段がなさそうなのでな」
「そうまでしてお助けしたいのですか? 国をひっくり返してでも」
「ああ、その通りだ」
「理由をお聞きしても?」
「単純な話だ。人間、誰しもそれぞれに“優先順位”というものが存在する。私にとって、アスプリクの身の安全というものは、その中の最上位に位置している。王権の簒奪など、その“ついで”程度の話だ」
迷いのない堂々たる宣言であり、コルネスも思わず唸るほどだ。
たった一人の少女を守るために、国すら掠め取ってやると宣言したのだ。狂人としか思えぬ大言壮語ではあるが、アスプリクには何よりも嬉しい言葉であった。
愛する者から、世界に反逆してでも守り切ると言われ、しかも実際に具体的な行動に移っている最中である。これでドキドキするなと言うのが無理な話であった。
顔はどうにか平静を装っているが、心臓が飛び出しそうなほどに脈が早鐘を打ち鳴らしていた。
(ああ、ヒーサ……、ヒーサ! 君は本当に最高だ!)
幻術に騙されて汚されていようと、なんの構いなし。
罪過の重荷に身もだえする矮躯を、支えてくれる存在。
自分にとってヒーサはなくてはならない存在であると、アスプリクは改めて感じるのであった。
そんなアスプリクの心情を察しながらも、コルネスは敢えて無視して話を続けた。
「……で、具体的には、私に何をしろと?」
「まずは、私自身の身の潔白を証明しなくてはならん。よって、裁きの場に出て、審問を受ける必要がある。しかし、審問前にこちらをが害する輩が、今の王都にはウジャウジャいる」
「つまり、それまでの身の安全を保障して欲しいと?」
「無実の罪で殺されるのは、御免こうむる。それだけだ」
なお、その場の幾人かが、「無実の人間、あんたは何人殺したよ!?」と心の中で叫んでいたが、ヒーサはそれを無視して話を続けた。
「護衛を付けるのは構いませんが、同時にあなた自身の力も削がせていただく。身の潔白を証明するまでは、あるいは武力蜂起も考えられますので」
「まあ、当然と言えば当然だな」
そこで、ヒーサはサームに視線を向けた。
「サーム、お前は兵を率いて、公爵領に戻れ。ティースもそれに随行しろ」
「ハッ! 畏まりました!」
サームは“予定通り”、兵を引き上げることを承諾し、ティースもまた無言で頷いた。
「で、コルネス殿、私、アスプリク、アスティコス、ライタン、以上四名の身柄は貴殿にお任せする。これでよろしいかな?」
「はい、結構です」
意外なほどあっさりと決まり、コルネスとしてはいささか拍子抜けしているほどだ。
最重要参考人である、ヒーサとアスプリクを捕縛し、その軍勢は大人しく引き上げるのだという。“穏便な解決”の道筋としては、これ以上に無い満額回答だ。
一戦もやむなしと考えていたが、それを回避できたのは僥倖であった。
ただ一つ、“簒奪”の気配を除けば。
「時にコルネス殿、現状、次の王位は誰が継ぐと思う?」
「順当に行けば、第三王子のサーディク殿下でしょう。直系の男児でありますし、軍歴を重ねており、立派な御仁です」
第一王子、第二王子がすでにいないので、順番に則れば三男にお鉢が回るのは当然であり、ヒーサもそれには異論もなく、頷くだけであった。
「だが、それではあまりおいしくないのではないかな、コルネス殿自身が」
「……公爵様、何が言いたいのですか?」
「確か、貴殿の奥方は宰相閣下の奥方クレミア様の近侍を務めていると聞き及んでいる。貴殿自身、宰相閣下の腹心でもあるし、並ならぬ武功を上げている。閣下への暗殺事件さえなければ、まさに順風満々でしたでしょうな。国王より信任厚き第一の将軍で、奥方は王妃付きの侍女頭、本来なら有り得た輝かし未来ですが、すべてが台無し。いや、本当に残念」
奥歯に物の詰まったような嫌らしい喋り方に、コルネスは苛立ちを覚えた。
それでも面罵しないのは相手が格上である事と、言っていることが事実であるからだ。
ジェイクが国王に就任すれば、自身も当然格上げとなり、上手くすれば新国王の信認の下、元帥になることすら見据えることができた。
しかし、サーディクが次の国王になると、そういうわけにはいかなくなる。
サーディクの妻はセティ公爵家の出身であるため、セティ公爵ブルザーが外戚として権勢を振るうのは目に見えていた。
そして、ジェイクとヒーサは協力関係にあったということで、ブルザーが目の敵にするヒーサの仲間だと認識される可能性は高い。
サーディクの治世、それはコルネスにとっては全く“面白くない”のである。
「しかし、どう言う事でありましょうか、王家には“直系の男児”がもう一人いますなぁ~。我が妹ヒサコの腕の中に」
「アイク殿下の御子であるならば、その通りでありましょうな」
あくまで過程であるが、あまりに都合が良すぎる男児の出産に、コルネスとしては懐疑的にならざるを得なかった。
それこそ、孕んでいると演技をした上で、産み月になってからどこぞから赤ん坊を調達すれば、周囲は誤魔化せるのだから。
そこの辺りがどうにも引っかかり、嘘か真か、判断が付かないでいた。
「難しく考えることはありません、コルネス殿。ヒサコの息子が次期国王となれば、あなたの未来を取り戻すことができるのです」
「ふむ……、いかにしてそれを成すと?」
「ヒサコの子供は男児。そして、宰相閣下とクレミア様の間には、女児がおられる」
「まさか、お二人を結婚させると!? 何をお考えか! 零歳の男児と一歳の女児の結婚など、聞いたこともありませんぞ!」
「形式的な物ですよ、形式! 婚約程度のものでも結構! 要は、シガラ公爵家と宰相派が不可分の同盟であると、周囲に喧伝するための材料なのですから」
理屈としては通っているが、それを実際にやるかどうかは別問題である。
片言も喋れぬ幼児を戴き、王国を切り盛りするなど、とても常人の発想とは言い難かった。
ヒサコ同様、ヒーサも頭の中身がぶっ飛んでいると、コルネスは思い知らされた。
同時に、抗えぬ蜜を垂らしてきていることも、自覚させられた。
「ククク……、新しい王妃様はまだ幼く、それをしっかりと養育するのには、優秀な侍女が必要でしょうな。生母であるクレミア様に加え、今一人、能力に秀で、信任ある者を配すれば盤石でしょう」
「それを我が妻に任せよう、と言う腹積もりですか?」
「いかにも。私が“王太后”ヒサコに強く推しますれば、それも叶いましょう」
王太后、という単語にはさすがにコルネスも驚いた。
確かに、ヒサコの息子が王位に就けば、その生母であるヒサコが王太后になるのは自明であった。
しかし、コルネスのよく知るヒサコは、戦場を縦横無尽に暴れ回る姿か、あるいは戦陣の天幕の中で、奇想天外な策を弄する、冠絶なる智者のイメージしかなかった。
とても、王宮の一室に鎮座しているような、そんな大人しい姿など想像することができないのだ。
「そして、コルネス殿はヒサコの指揮の下、帝国領での戦いにおいて活躍されていた。ヒサコから私の下へ届けられた書簡においても、よく貴殿の事を褒めていた。サームからの報告もある。王太后の信任厚き将軍、軍務においてはかなり頼られるでしょうなぁ」
「そのような評価を戴けるとは、過分な事であり、恐縮です」
「つまり、戴く人物は違えど、私の計画が上手く行けば、失われた輝かしい未来図を、再び描くことができると言うわけです、コルネス将軍。いやいや、“元帥閣下”! 悪い話ではありますまい?」
ヒーサの口から漏れ出る甘言は、あまりにも甘美な香りが漂っていた。
夢にまで見た武官の最高位である“元帥”。しかも、平民出の元帥ともなると、史にも記されていない。
それが目の前に提示され、そのための道標まで見せつけてきた。
コルネスの急所を的確に抉り、抗い難い濃密な魅力を漂わせていた。
ヒーサとブルザー、どちらがより自分の未来のために協力してくれるか、それは考えるまでもないことであった。
「家族の安楽な生活を考えるのであれば、自分が出世してそれ相応の地位についてこそではありませんか。娘さんにとってはその方がいい」
「……詳しくお聞きしましょう、公爵閣下の計画を。それと、自分に娘はいません。息子です」
「おっとそれは失礼。貴殿は家族の事をとんと話さないとヒサコから聞いていてな。勘違いしていた。で、計画の方なのだが……」
こうしてまた一人、“共犯者”が生み落とされた。
まずは計画の第一段階、“コルネスの抱き込み”が上手く行ったのを確信し、ニヤリと笑うのであった。
~ 第七十話に続く ~
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